――一緒に居ると、飽きない――

 今迄何度も云われている言葉。
 時には私の反応に喜び、時には逆に嵌められて悔しがる。

 でも、それは私も同じ。
 毎日のように繰り広げられる『駆け引き』を、もしかしたら二人は楽しんでいるのかも知れない。



 ――さぁ、今日はどちらが嵌めるか嵌められるか――










 駆け引きは想いのままに










 ――それは彼女が軍の医療室にやって来て間もなくの事――



 「はいはーい! 軽い切り傷の人はここでこの薬を塗っておいてね………あっ貴方は父上が診るからちょっと待ってね」
 「あの、俺たちは診てくれないんですかい?」
 「ごめんなさい…悪いけど、今は症状の重い人しか診てあげられないの」



 これまで小さな村落で医師を生業としていたは、推挙を受けて父と共に我が軍の軍医となった。
 この乱世、たくさんの命を救いたいと思っていた父娘にとっては願ったり叶ったりである。
 しかし戦でないにも関わらずひっきりなしに来る怪我人の量に、二人は驚かざるを得なかった。
 加えて、女の軍医が珍しいのか彼女を目当てにわざわざ怪我をしてまで来る兵も居る。
 これでは命を救うどころか、長くなった行列を捌く事すら難しいだろう。

 それでも、彼女は幸せだと思っていた。
 どのような形であっても、自分を必要としている人が居るという事に――





 「あの………すみません、少々診てもらいたいのですが」

 の機転?が効いたのか、医療室内が漸く落ち着き始めた頃に現れた人物。
 申し訳なさそうに室を覗く姿をよくよく見ると、どうやら彼は怪我をしているわけではないらしい。

 「どうしたの? 見たところ顔色はそう悪くはなさそうだけど」
 「いえ、あの………どうも先程からお腹の具合が悪くて………」
 「あらあらそれは宜しくないわね。 どの辺りが悪いのかしら――痛みは?」

 彼の症状を軽く聞くと、は患者を招き寄せててきぱきと診察を進めた。
 寝台に寝かせた患者の腹を押しつつ痛みの度合いを調べ、他の目立った症状を訊く。

 「う〜ん、これで便の状態が普通となると………考えられるのは精神的なものかしら」
 「精神的、ですか?」
 「そう。 貴方は頭で考えてから行動する方でしょう? 違う?」
 「うわっ、そんな事も解るんですか?」
 「ふふっ、簡単な事よ。 貴方は陸遜様、でしょ?」

 遅くなりましたが初めまして、と椅子に座ったままで茶化すように挨拶をする
 そう、彼女は最初から解っていた。
 医師は患者の様子を細部まで良く観察しなければ正確な診断が出来ない。
 それが知らず身に付いているには彼が孫呉屈指の軍師だとひと目で解る。
 そして――

 「それに………仮病で医者を欺くなんてまだまだ甘いわよ、陸遜君」

 悪戯をした子供を諭すようにふっと微笑むと、表情を変えない患者に少々小首を傾げながら使っていた器具を卓に置く。
 大方、周りの兵たちと同じように興味半分で自分に会ってみようと思ったのだろう。
 そしてその後医療室から出て来る者の話を聞き、簡単な怪我ではちゃんと話を聞いてもらえないと判断してこのような行動に出た。

 「………ってとこでしょ? 仮病を使うってところまではいい案だったけど、相手が悪かったわね」
 「ふふっ…それはどうですかね、軍医殿?」

 だが陸遜はの言葉を聞いても臆した様子もなく、寧ろ楽し気に口角を釣り上げる。
 それはまさに勝者が見せる、余裕の笑みだ。

 「私の目的は既に達していますよ。 現に殿、貴女とこうして話をしているではないですか」
 「あっ………あはははは参ったわ! 流石は軍師様、貴方の方が一枚上手(うわて)だったってわけね」



 ――面白いわ。

 両手を挙げて降参の様相を呈しながら、は心の底から笑った。
 未だかつて、このような者に出会った事がない。
 自分の考えや心の裏を読み合いながらも、その事に不快感ではなく心地よさを覚える人。
 結局こちらが嵌められていたという事実は悔しく思う、けれど――



 「陸遜、でいいかしら………やられちゃったけど、楽しかったわ。 ありがとう」
 「こちらこそ。 私も貴女に益々興味が湧きました」

 「………ん? 興味?」
 「あはっ、いえこちらの事です。 宜しかったらまた、お話しに来ていいですか?」
 「えぇ勿論! ………今度は負けないわよ」
 「ふふっ――では此度はこれで」



 意味深な言葉を残しつつ部屋を出て行く後ろ姿を細めた目で見送り、再び笑う。
 軍に来て、今迄忙し過ぎて忘れかけていた楽しさを彼は思い出させてくれた。
 それだけでも、この時間は有意義なものだっただろう。



 「おい、手が休んでいるぞ! 早く手伝え」
 「あっ………ごめんね父上」



 父の叱咤に応えていても、心には先程の遣り取りが深く残っている。
 もしかしたら彼も、同じ気持ちを抱いてくれているのかも知れない。
 そう思いながら、は自分の仕事に戻るのだった。





 ――こうしてと陸遜が繰り広げる楽しい駆け引きの日々が始まり、そして――













 「――あれから、私たちの勝敗ってどれ位になったのかしら」
 「ふふっ………さぁ? 数えてもいませんから何とも」

 「あ、あの時と同じ笑い〜! それ絶対自分が勝ち越してると思ってる!」
 「あはは………やはり貴女と居ると飽きませんね」



 初めての出会いから短いようで長い月日を経て、二人は恋仲になっていた。
 ただの興味が恋慕に変わったのは何時からか、そのきっかけすら思い当たらない。
 それ程に二人の遣り取り――知恵比べは幾度となく繰り返され、楽しい思い出となって心に残っている。

 そして今はの仕事場で休憩のお茶を飲みつつ、これまでの思い出話に花を咲かせていた。
 幸い、互いに大きな仕事もなくのんびりとした時間である。
 しかし――



 「それは私も同じよ伯言。 油断出来ない、けど楽しいわ」
 「では、これから囲碁でもやりますか?」
 「いいわね、と言いたいところだけど………ごめん、ちょっと貴方に話があるの」



 話が一区切りついた頃を見計らって、は改めて居住まいを正した。
 その顔は先程までの穏やかな雰囲気が少々影を潜め、深刻な色を呈している。
 目の前に居る陸遜が今迄あまり見た事のない表情。
 改まってどうしたのですか、と小首を傾げる相手には一瞬躊躇した。

 これを話して、相手はどのような反応をするのか。
 果たして彼は、どれだけ自分の事を愛してくれているのか――。







 遡る事数日前。
 は父からある話を持ちかけられていた。
 父はこれからの自分たちにとっては申し分のない話だと云う。
 それは――早い話が縁談である。
 かつて父と共に医学を学んでいた友人が、自分の息子とを会わせたいとの便りを寄越した。
 同じ仕事をする者同士、話も合うだろうと俄然乗り気である父に、は毅然とした態度で臨む。
 自分には心に決めた男(ひと)が居る、とこの時はあっさり断ったのだが――



 ――あ、ちょっといい事考えちゃった――



 突如、頭の中に浮かぶひとつの企み。
 上手く行けば、自分にとってはこれこそ申し分のない事である。



 あとは相手がどう出るか、だ――







 「………縁談?」
 「うん、私は全然その気はないんだけど父上がどうしてもって言うもんだから――」
 「っ!! もしかして、その話受けてしまったのですか」

 「………はっきりとは言ってないけど、恐らくお相手さんと会う方向で話が進んじゃうと思う」
 「なっ!? いけません! 今直ぐにでもお父上のところへお断りに行きましょう!」



 事情を説明すると、相手は途端に血相を変えての両肩を痛い程掴み、ぶんぶんと揺さぶりながら必死に訴え掛けてきた。
 この予想だにしなかった反応には困惑する。
 何時でも冷静で、周りの者に『腹黒軍師』とまで言われる彼が自分に初めて見せる狼狽。

 「いや、えっと、伯言………? そんなに慌てて――」
 「これが落ち着いて居られますか!? 私の大切な人が他の男性と会うなどっ! さぁ、行きますよ!」



 ――私の、大切な、人――

 すっかり冷静さを欠いた恋人に手を引かれながら、は相手の反応を心から嬉しく思った。
 掌に感じる陸遜の握力や滲む汗、そして怒りに満ちた表情の中にある潤んだ瞳。
 これを演技だとは、とても思えない。

 彼の本当の気持ちを知る事が出来ただけでももう充分。
 この先の事はこれからゆっくりと二人で話をしていけばいい。

 そう思ったは、此度の話の種明かしをすべく陸遜の手をやんわりと解こうとするが――



 「ちょっ…あのね伯言、実は――」
 「は黙っていれば結構です。 私がお父上には私が戴きますと改めてしっかりお話しますから」

 「陸遜、その話ならば以前から何度も言っているだろう………のはっきりした気持ちを知ってからだと」
 「っ!! お父上………」



 ――ん? 改めて? 何度も………?――



 男二人から放たれる言葉の一部分に目を瞬かせた。

 実のところ、父親がこの時機に部屋へ来るのは知っていた。
 知っていて陸遜に断った筈の縁談話を持ちかけ、上手く行けば彼の気持ちが父に伝わると思っていたのだ。
 そうすれば、二人の関係がより前に進むだろうと。

 ところが、である。

 の考えていた事は、意外な方向から自分の元へと舞い込んで来た。
 二人の会話を噛み砕くと、自分の知らないところで既に交渉は行われていたらしい。
 そして、自分の気持ちを知ってからと云う父。



 ――と、いう事は――



 「ねぇ父上。 もしかして、なんだけど………持ちかけられた縁談、ってまさか――」
 「はっはっは! 、お前も勘がいいな。 実はな――」





 ――その話、半分は嘘だ――

 続いて父から語られた話は、まさにの予想通りの種明かしだった。
 父が見せてくれた便りの内容は確かに友人の息子と会わせたいというもの。
 しかし、続きを読もうとしたを父は何故か制したのだ。
 その時はあまり気にも止めなかったが、今思うとあの父の行動に確たる思惑があったように感じる。



 「奴は『互いにいい情報交換が出来るだろう』と書いていただけでな…それに、奴の息子にはもう許嫁が居る」
 「………んで、父上はこの便りを利用しようと考えた」
 「まぁ、早い話がそういう事になるな」

 「………あははっ! じゃ、今回は二人共父上にやられちゃったわけね!」
 「ちょっと待ってください。 という事は貴女も私をっ――」
 「ごめん伯言、それは謝るわ。 でもどっちもどっちよ………貴方だって父上との話をしてくれなかったじゃない」
 「ふふっ、そうですね」



 ここまで聞けば父の意図は手に取るように解った。
 父が本当に知りたかったのは彼の気持ちではなく、自分の気持ち。
 父親を想う心と恋人を想う心を天秤にかけられた事は些か腹立たしい、けれど――



 「ではお父上、私の話は――」
 「ん、まぁ………の気持ちを知ってしまった今では、それを無下には出来んだろう」
 「えっ!? じゃぁ父上――」
 「あぁもう煩いわ! これ以上言わすでない!」



 腕を組み、半ば不貞腐れた様子でそっぽを向く父を見ながら、更にこみ上げて来る幸せを感じる。
 何処までも不器用で、策士顔負けな知恵を持つ父。
 そして生粋の策士と思いきや、時に可愛く思える程の隙を見せる恋人。
 自分は今、二人もの人に愛されている幸せ者なのだ――





 「ありがとうございますお父上! ですが、今度は私も負けませんよ!」
 「えぇいっ! 煩いと言っておろうが!!」

 「………なんとなく先が思いやられるんだけど………ま、いっか」










 ――一緒に居て飽きない人が、増えました――

 あれから暫くして、ふと云われた言葉。
 時には父の反応に喜び、時には逆に嵌められて悔しがる。

 でも、それは私も同じ。
 毎日のように繰り広げられる『駆け引き』は、父が加わって更に楽しいものとなった。





 ――さぁ、今日は誰が嵌めるか嵌められるか――










 劇終。




 アトガキ

 ども、微ツンデレ管理人です(笑
 此度は企画 『己を斬る!』 の第2弾となるお話をお送り致します。

 ………久し振りの短編投下にちょい緊張(ぇ

 このお話は、以前書いた 『策士』 という話のリメイク?です。
 頭脳派ヒロインとりっくんの駆け引き的な話なんですが………
 当初は 『策士』 のアトガキに書いた裏設定オチを考えていたんですよね。
 それが最後、父上にオイシイところを持ってかれました(笑
 いやいや、これは後から生えてきた設定で…
 自分なりには綺麗に纏まったんじゃないかって思います。
 宜しかったら 『策士』 の方も併せてお楽しみください♪

 こんなお話ですが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。

 ここまでお読みくださってありがとうございました。

 2012.08.21     飛鳥 拝


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