はじめ、私はそれを信じられなかった――いいえ、認めたくなかった。
 真実を突き止めた時、私の躰が心と共に固まったのを覚えてる。
 今迄共に戦場を駆け抜け、この身果てるまで互いの背を守ると誓い合ったのに――



 それは、殿――曹操様が覇道の半ばで力尽き、葬儀が行われてから間もなくの事。
 殿の墓前で志を継ぐ決意を露わにした時から、私は心の中でもやもやとしたものを感じてた。
 元譲の、何時もと違う様子に。
 強い意志で常に私を前へ導いてくれていた人の、初めて見せた歯切れの悪さとふと視線を逸らした時に感じた違和感――



 ――その正体は、何をもってしても抗えない、病と云う重い運命だった。



 私は元譲に尽くそうと思った。
 何があっても、ずっと傍に居たかった。
 だけど、死に征く運命は彼との時間をいとも簡単に奪って行く。

 そして次の戦を目前としたある日、私は心に二つの誓いを立てた――










 サヨナラの誓い










 「次は我が身、だな」

 夏侯惇の口から発せられた言葉に、ははじめ歪んだ笑顔でしか返せなかった。
 軍医から告げられ、それでも言えなかった死期を彼はいよいよ感じ取ったらしい。
 自分にとって――いや、本人が一番辛い時。
 それでも、彼女はかぶりを振ると笑顔を少し意地の悪いものに変えた。

 「あら、天下の大将軍様が珍しく弱気な事を言うのね」
 「………お前はもう知っているのだろう、俺の病が――」
 「あーあーもう、その話はやめてくれない? 私、貴方のそんなとこ見たくないんだから」

 夏侯惇の話を遮り、少々むくれた顔でそっぽを向く。
 そう、その姿は本当に見たくはなかった。
 自分自身に課した誓いが、直ぐにでも揺らいでしまいそうだったから。



 ――自分勝手な、誓い――

 この事実を知った時から、は自分の心に強く言い聞かせた。
 もう決して、この人の前で嘆き悲しみはしないと。
 今は乱世――ならば、人の死は常だ。
 そう思い、共に戦場で散る事が出来なくなった哀しさを
 『元譲が死屍累々の一部になるよりも、この方が余程幸せだわ』
 と、無理矢理心の底に押し込んだのだった。





 一時沈黙が続いた後――

 夏侯惇は己の体を軽く起こすと、話題を変えるべく再び口を開いた。
 しかしその顔は先程までの弱々しさがなく、戦に赴いているような鋭い眼光をに向けている。

 「、次の戦の事だが――お前、自ら最前線を志願したらしいな」
 「あら、もう知ってるの? 元譲の地獄耳も流石なものね」
 「茶化すな。 淵が言っていたぞ………近頃のお前は死に急いでいるみたいだ、とな」



 夏侯淵は、普段より感受性が強く心優しい男だ。
 此度の事も、の鬼気迫る様子に心配をした彼が夏侯惇に話をしたのだろう。
 僅かに詰め寄る夏侯惇の鋭い視線からも自分を案じる想いが含まれているように感じる。
 その、決して逸らす事が許されない瞳にはくすりと苦笑を漏らした。

 「んもう、淵ったら………ごめん元譲、それ半分は図星だわ」
 「なん、だと? 、お前は――」
 「だって、貴方が居ない背中なんて隙間風がぴゅーぴゅー言いそうで嫌だし。 あ、でも簡単に死ぬつもりはないからご安心を」

 死を目前にしている人物に向かって云う言葉としては些か相応しくないが、これはの正直な気持ちだった。
 の秘めたる二つ目の誓い。
 自分の背中を護る者は、心果てる程に愛した男(ひと)以外に有り得ない。
 心の片隅には、直ぐにでも後を追いたい気持ちも燻っている。
 だが、乱世はそれを赦してはくれない。
 そして何より、自分は志半ばにして死に征く者たちの意思を背負っている。
 ならば、己の取る行動はひとつ――



 ――どうせだったら戦って戦って………体力が尽きるまで抗いまくって、それで死ぬわ――



 「止めたって無駄よ元譲。 もう決まっちゃったし、私も――」
 「いや、俺は止めるつもりはないが」

 「………は?」



 しかし心配していると思われた病床の男から出た台詞は、何時ものように無骨なものだった。
 思いもかけない返答には素っ頓狂な声を上げる。
 それでも、続く言葉で次第に彼の真意を感じる事が出来るのは恋仲所以なのだろう。

 「お前が単身で最前線を任されたのだからな、寧ろ誇らしい………ただ」
 「ただ?」
 「俺の意思を継ぐのならば、お前は死ぬな」



 ――生きるための、戦をしろ――



 夏侯惇の一言は短くても充分な説得力がある事を、今更ながら痛感した。
 彼は私に、自分の分まで生きて欲しいと云っている。
 生きて、乱世の先を見据えて欲しい、と――



 「………ふっ、降参よ。 貴方にそう言われたら折れるしかないわね」
 「当たり前だ。 直ぐに来たら意地でも追い返すぞ」
 「はいはい。 解ったからもう休んで、元譲」



 身を乗り出す勢いの夏侯惇を寝床に押し戻しながら、はにっこりと微笑んだ。
 まるで、駄々っ子をあやす母親のように。

 しかし、心には未だ死に征こうとする気持ちが根強く残っているのだった。



 ――愛する人を失った世界に、一体何の意味があるっていうの?



      ――貴方の居ない、背中なんて――













 あれから間もなく、元譲は逝った。
 戦を目前とした私にとって、彼の死に目に会えただけでも幸せだったと他人(ひと)は云う。
 でも――

 本当は、見たくなかった。

 元譲が生きてる、という少しの想いもあれば――もっとましな戦が出来たかも知れないから。










 私は、誰よりも前で戦った。
 流石は最前線――雑兵は勿論、ちょっとは名の知れた武将が次々に押し寄せて来る。
 そして――

 「はっは! 背中ががら空きだぜ姉ちゃん!」
 「やかましいっ!!!」

 戦闘中なのに軽口を叩いて来る馬鹿な男に渾身の一撃を食らわせながら、それでも私は求めてた。



 ――自分にとって、一番相応しい死に場所を――



 それは、ここじゃない。
 こんな戦場の片隅で、誰にも知られないように死ぬなんて真っ平御免だわ。
 同じ戦って死ぬのなら………







 「お前を殿の下には行かせない!」
 「………どいて。 私は貴様の首なんか欲しくない」



 並み居る猛者共を討ち倒し、私は何時の間にか敵の本陣へと近付いていた。
 この拠点を堕とせば、総大将はいよいよ目前となる。

 そう、この向こうなら私は満足して逝ける――元譲、貴方の元に。

 私は、より一層激しくなった敵の攻撃を受け続けた。
 受け流して、受け止めて――そして倍にして返す。
 今の私を突き動かすのは、ただ元譲に逢いたいという気持ち。
 そのためだったら、どんなに紅い飛沫を浴びても構わないと思った。



 ――それがたとえ、自分のものであっても――





 曹魏色の武闘着が、みるみる色を変えていく。
 この身体の重さは――倒れていった生命の重さか、はたまた己の限界からなのか。
 それすらも解らない程に私は自ら得物を振るい、止め処なく増える屍を踏み超えて行った。

 だけど、敵総大将の顔を拝む直前――



 ついに――その時――が訪れてしまった。



 自覚なくかくんと折れる膝。
 静まれ、と幾ら言い聞かせても言う事を聞いてくれない心臓と嫌な汗。
 振り上げた筈の腕は、得物を握ったまま体躯の脇に佇んでいて――



 ひゅんっ――



 酷く霞んでいく視界に、弓兵から放たれた鏃の光だけが妙に明るく見えた。
 それは真っ直ぐに私の方へと向かって来る。
 刹那――



 私はこの一撃で、死ぬの?
 これで、元譲の元に征ってもいいの、かな………。



 心の中に突如浮かぶ疑問。
 確かに私は、戦い抜いて死ぬと元譲に誓った。
 でも………



 とすん。



 鏃が私の胸を捉えて身体が地に伏しても、心の靄は晴れる事がなかった。
 この靄はきっと――今迄抱えていたものと違うと思うから。



 私は――!!!!!



 「あ、れ………?」



 見事胸に命中した矢を引き抜こうと渾身の力を込めた刹那――
 感じている筈の痛みがそこにはなくて、私の手にもう一つ別の物が触れる。
 それを鏃と共に抜き、見てみると――



 「あっは………これが元譲、貴方の答えってわけね」










      ――お前の 「解った」 は当てにならんからな………、これを懐に入れて行け。

      「何よ、貴方の古臭い眼帯なんかお守りにもならないわよ」

      ――何とでも言え。 これでお前が無様な戦をしないように見張っていてやる。

      「おぉ怖っ。 でも、ありがたく受け取っておくわ………ありがとう、元譲」










 ――、お前は死ぬな――



 この時、私は改めて元譲の気持ちを受け取ったように感じた。
 今迄物凄く重たかった身体が信じられない程に軽くなる。
 鏃に貫かれた眼帯は大きな風穴を開けてしまった、だけど――



 「! 無事か!? 勝手に飛び出して、皆心配してたんだぜ!?」
 「ありがとう、淵。 もう大丈夫よ………今、元譲に怒られちゃったし」
 「ん…あぁ!? 何言ってんだ?」

 「………ううん、何でもないわ。 さ、総大将は目の前よ…行きましょ」
 「お、おう! でもよ、あんまり無理すんなよ」
 「はいはい。 解ったからとっとと行って、淵」



 元譲、貴方が私と共に生きていてくれた事実はちゃんとここにある。
 だから、私はもう自分から死に征こうとはしない。

 戦って戦って――乱世の先をしっかりと見据えて、それで死ぬわ。



 「元譲、未だ見張ってる?
  ………私、お婆ちゃんになるまで生き抜いて、貴方と再び逢った時に絶対後悔させてやるからね」





 前を行く大きなお人好しさんの背中を追い駆けながら、私は元譲の眼帯を大事に懐へ戻した。
 そして何もかも見通すような憎たらしい空に、思い切り意地の悪い笑みを向けると――

 我が軍の勝利を目前にした今、私は心に新たな誓いを立てた。





 ――それは元譲、貴方へ捧げる――





   ――暫しのさよならの、誓い――











 劇終。



 アトガキ

 どんも、お久しぶりでゴザイマス orz
 此度は復帰第1弾をお送り致します〜♪

 しかし………こんなんでいいものか(汗

 このお話はある楽曲(タイトル)をモチーフにしたものです。
 曲自体は凄く切ない、綺麗なものなんですが………
 やっぱ舞台が乱世、ですからね…こんな感じで(笑

 で、書き進めていたら――
 以前に自爆企画(捧げ物)で書いた代物と同じテーマになったという罠www
 そんなわけで、日記にて予告していた自分勝手企画の第1弾にもなりました。
 以前に書いたお話もご覧いただけると幸い♪

 武将さんにとって、志半ばで病に倒れるのは凄く切ないでしょうね。
 だからこのお話のヒロインは、戦う事を誓った。
 ただ、征き先が変わっただけ。
 そんな彼女の心の動きをもっと上手く表現出来たらなぁ………

 うん、やっぱ精進が必要ですな(汗

 ちゅーわけで、これからもっともっと頑張る所存!
 皆さん改めて宜しくお願いいたします orz

 こんなお話ですが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。

 ここまでお読みくださってありがとうございました。

 2012.04.16     飛鳥 拝


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