――何もしないで、一人で待つのは嫌。



 私は、最期まで貴方と共に戦場を駆け抜ける事を誓った。
 だから――



 ………たとえこの身、朽ち果てようとも………










 ― 離さざるもの ―










 血生臭い戦地に、二つの軍が犇めき合う。
 此度は早い行軍を求められている…それ故に機動力が必要となり、騎馬隊での出陣となった。
 も例外ではなく、あまり得意としない馬上での戦いになったのだが――

 「………っ!!!」

 迫り来る敵兵の刃を避けた刹那、の身体は均衡を崩し、馬と共に倒れる。
 直後、更に迫る一閃を己の得物で受け止め、どうにか斃す事が出来たのだが…肝心の脚が片方、馬の下敷きになってしまった。
 あまりの衝撃に声を上げる事もままならず、歯を食いしばる。
 これは痛いというよりも――

 ――熱い。

 は眉を顰め、ゆるゆるとかぶりを振った。
 巨体の下敷きになった瞬間、大きく軋んだ脚…恐らくただ事では済まされないだろう。
 戦も未だ終わっていないのに………。
 負傷した脚からもたらされる熱と、こみ上げる悔しさにぎり、と唇を噛み締めた刹那――

 「っ!」

 彼女の姿を視線の先に捉え、直ぐに駆け寄って来るひとつの人馬。
 馬から降り、依然倒れるの愛馬を起こしてこちらに視線を投げやる人には苦虫を噛み潰したような顔を向けると
 「…私に構ってると、殺られるわよ?」
 微妙に変形した己の脚を押さえながら精一杯の強がりを、吐いた。
 ここは、息吐く暇を与えない戦場だ。
 駆け寄って来る間にも絶える事なく敵兵の刃が彼に降りかかっていた。
 それを己の得物で次々に弾き飛ばしつつ無傷で来ることが出来るのは将軍たる所以なのだろうが、にしてみれば無謀以外の何物でもなく感じた。
 戦場で傷を負った兵は、為す術なく斃されるしかない――倒れた味方をいちいち気にしていては己の身も危ういからだ。
 しかし、彼は何も考えていないかのようにを救いに来た。
 「俺がそう簡単に殺られるような奴に見えるか? …お前が嫌でも俺は護るぞ、
 小さく呟かれた言葉と共に――。

 「元譲…。 貴方、本当は馬鹿なんじゃないの?」

 無鉄砲な事を仕出かす想い人に更なる悪態を吐きながらも、は心の中でそっと微笑った。
 このような場面で、他でもない貴方が助けに来てくれるんだから………嫌なわけないじゃない、と。













 やはり、の予想通り…脚はただ事では済まず、あの時大きく軋んだ骨が元通りになるまでには相当の期間が必要らしい。
 応急的な治療だけで戦に戻るなど以ての外だ、との軍医の一言にはこれ見よがしに自分を嘲笑う。
 「ふっ…一軍を率いる将が、とんだ大失態ね」
 夏侯惇に護られるといった形で中継地へと退却したの心中は悔しさと恥ずかしさでいっぱいだった。
 敵兵の刃にかかったのならまだしも、此度は不可抗力とは言え、己の愛馬の下敷きになっただけの負傷だ。

 全く…情けない。
 これなら、戦場で花と散った方が余程ましだったわ――。

 先程、恋仲である夏侯惇に助けられた時の幸せな気持ちは何処へやら、今はこみ上げてくるものを堪えるだけで精一杯。
 瞳を伏せ、添え木が当てられた脚を恨めしそうに見つめる。
 この脚さえ動かす事が出来れば、と。
 しかし、傍でが処置を受けている様を見届けていた夏侯惇はその姿を笑うでもなく、優しく肩に手を添えて
 「これもひとつの強運だ、。 あの場で命があっただけでもよしと思え………俺は、戦に戻る」
 お前の兵も俺が預かるぞ、と口元に幽かな笑みを浮かべつつ踵を返した。

 ――その背中を護るのは、私なのに。

 刹那小さく零した言葉は、遠くなりかけた背中をぴたりと止める。
 「此度の戦、策が上手く行けば早く終わる。 …、俺は必ず戻る。 そこで大人しく待っていろ」
 「でも…っ!」
 「その脚では、まともに戦えんだろう。 お前の気持ちは解るが…無理はするな」
 「………」
 再び向けられた背中へ何も言い返せずに黙り込む
 素っ気無い言葉の中にも彼の想いが綴られているのは容易に理解し得る事だった。
 加えて、添え木の重さも手伝って脚が思うように動かなくなっているのも紛れもない事実。
 しかし、想い人と共に戦う事が許されなくなった今…遣る瀬無い気持ちが彼女の心を支配している。
 このまま指を咥えて彼の帰りを待つしかないのか。 私はただ、彼の無事を祈る事しか出来ないのか――。

 「…元譲、武運を、祈ってるわ――」

 拠点を出る人馬に精一杯の言葉をかけたの瞳から………熱いものがひとつ、零れ落ちた。













 「この俺を夏侯元譲と知って挑むか――ふ、面白い」

 一斉に降りかかる刃の嵐を目の前に不敵に笑うと、得物を薙いで瞬時に払い落とした。
 馬上とは言え、その切っ先は鈍る事を知らない。
 幽かな笑みを口の端に乗せ、次々と敵兵を肉片と化するその姿はさながら修羅の如く。
 敵軍はもとより、後ろで控える配下の面々にまで戦慄を覚えさせる。
 夏侯惇が戦に戻ってからの進軍は、敵味方関係なく目を見張るものだった。

 何が、彼をここまで奮い立たせるのか――

 それは、への想いに他ならない。
 共に戦えなくなった事に悔し涙を堪えていた姿が彼の心を痛く締め付けたのだろう。

 ――ならば、俺があいつの分まで戦うのみよ。

 得物を握り直し、敵兵の群れをひと睨みする。
 夏侯惇が間髪入れずに振り下ろす一閃は、二人分の想いが乗せられているかのように重く、鋭く人の壁を斬り崩していった。







 幾人もの屍が地を埋め尽くそうとしていても、依然終わる事のない戦。
 敵もさることながら、我が軍にもとうとう疲弊の色が見え始めた。
 しかし、どちらも退く事なく………己の意思の赴くまま駆け、得物を振り翳している。



 そんな中、先陣を切る夏侯惇の許に一人の伝令がある報を伝えにやって来た。
 「夏侯将軍、軍師からの伝令です――頃合だ、と」
 「…っ! 解った。 では早速策のために動くとしよう」
 夏侯惇は簡単な得物しか持たない伝令を護るように目の前に迫った敵兵の一撃を斬り払い、ひとつ頷いた。
 そして、己の得物―滅麒麟牙―を天に掲げると
 「皆、ここは一旦退くぞ! 退いて体勢を立て直せ!」
 自らも手綱を引き、馬の嘶きに合わせるかのように踵を返した。

 振り向きざまに周りの敵兵を斃しながら――。





 実のところ、夏侯惇はこの策に対して面白く感じていなかった。
 未だ戦えるにも関わらず敵に背を向け、軍を退くなど至極性に合わない。
 しかし戦に於いて軍師の策が大きな意味を持つ事は百戦錬磨の夏侯惇も充分に理解している。
 故に、軍師の提案を受け入れたのだ。
 「その代わり………失敗は許されんぞ、軍師よ」
 威圧感を込めた言葉と共に――。





 曹魏きっての猛将、夏侯惇の軍が退き始めた事に突如、敵軍の士気が上がる。
 「逃がすな、追えっ!!!」
 軍団長らしき武人の号令に敵兵共が喊声で答えると、先程までの夏侯惇に負けずとも劣らない勢いで追って来た。

 ――そうだ、それでいい。

 辛うじて追い着き得物を振り上げる敵兵を視界の端に捉え、いとも簡単に薙ぎ斃しながら夏侯惇は唇の端をくっと吊り上げた。
 此度の策――それは彼が囮となり、敵軍を伏兵が潜む場所へと誘い込むというもの。
 そこで敵側が気付いたとしても後の祭り。 逃げる事以外に行き場をなくした兵は、そのまま成す術もなく崖上に控える伏兵からの弓矢の餌食となるだろう。
 この策を成して、我が軍は更に優勢へと導かれていく。

 ――大将の首を取るのは、それからでも遅くはない。










 敵軍には、知将は存在しないのか――

 夏侯惇が疑問に思う程敵兵たちはまんまとこちらの罠に嵌り、いよいよ伏兵の待つ地へと足を踏み入れる。
 そして――



 「今こそ、曹魏の想いを鏃(やじり)に乗せる時! 撃てっっっ!!!」



 鼓舞とも取れる怒号が空に響き渡った刹那、無数の矢が敵兵に降り注いだ。
 阿鼻叫喚の巷と化するその場を目の前に、勝ち誇ったような歓声に沸く我が軍。
 しかし、その中…夏侯惇だけが己の隻眼を大きく見開いて驚いていた。

 「………何故、お前がそこに居る!?」



 味方を奮い立たせる怒号の主、それはだった。
 素早い動作で弓を構え、相手に息吐く暇を与えない勢いで次々と矢を放っていく様は、勝利の女神と見紛う程の神々しさを醸し出している。
 しかし、その姿は更に夏侯惇を驚かせた。
 重く動かない脚を鐙に括りつけ、身体を馬に固定した状態では…弓を放つだけならいいが、一度乱戦になればそれは自殺行為となる――馬を狙われ、倒れればそれで終わりだ。
 は今こそ手負いとは言え、一軍を率いる将だ。 それが解らない筈はない。

 ならば、何故――

 そこで夏侯惇ははっと息を呑んだ。
 戦へと戻る直前、彼女の瞳から感じた涙とは違う熱さ。
 それは――

 彼がひとつの結論に辿り着いた直後、が吐いた言葉の中にも同じ答えが綴られていた――。





 「脚が使えないなら、腕を振るうまで!

 …夏侯将軍、決して貴方を一人では逝かせない。

 曹魏が将、………この命が、最期まで貴方と共にある事をどうかお忘れなきよう………」













 予期せぬの出撃により、夏侯惇自らが敵の総大将を討ち取る事は叶わなかったが…この戦は策が成って間もなく、我が軍の勝利を以ってあっさりと終わりを告げた。
 伝令からの敵大将撃破の報を受け、この場に居た全ての兵が大きな歓声を上げる。
 この士気ならば、残る数多の残党も難なく狩ることが出来るだろう。
 そう思った夏侯惇はこの先の指揮を副将に任せ、馬に固定されていたの身体を解放してやると徐に己の馬へと乗せ替えた。
 「全く………無茶しおって」
 「ふふっ」
 憮然とした表情で言葉を小さく吐き出す夏侯惇に、は満面の笑みで返す。





 戦へと戻る夏侯惇を見送りながら悔し涙を一滴零した後…は頭の中で彼の言葉を反芻する。
 『此度の戦、策が上手くいけば――』
 この策は、開戦前夜の最後の軍議にて知らされていた事だった。
 自分の軍と夏侯惇の軍が囮として敵の前線を崩し、そして――

 ――策の鍵を握るのは、弓兵軍団の放つ無数の矢――

 「そう、それだわっ!」

 彼の言葉を思い出した刹那、の瞳に再び鋭い光が戻る。
 半分呆れ返る軍医を宥めすかし、策の準備をする軍師と弓兵団の許へと急ぐ。

 ――こうして、自身が即行で練った策も見事成功を治めた――。





 「ねぇ、元譲。 これで、絶対私を離せなくなったでしょ」
 後ろで手綱を操る夏侯惇を振り返り、は嬉しそうに依然にこにこと笑みを零し続ける。
 だが、一方の夏侯惇は彼女の無謀な行為に苦笑を浮かべるばかりだ。
 「俺が見ていないところで何を仕出かすか解らんからな…お前のようなはねっ返り、とてもじゃないが放ってはおけん」
 「むー、少しは誉めてくれるかと思ったのに」
 想い人の言葉が自分の考えていたものと微妙に意味合いが違っている事には頬を僅かに膨らませて不貞腐れる。

 ――私は一瞬たりとも貴方と離れたくない。 何もしないで、一人で待つのは嫌なの。
 だって………最期まで貴方と共に戦場を駆け抜ける事を、心に誓ったから――

 が小さく呟いた刹那、夏侯惇の表情に違う色が見えた。
 その顔を見上げると、笑顔に今迄の苦いものがすっかり消え失せている。

 「此度の事は誉められるものではない。 だがな、お前の怒号に軍の士気が大きく上がったのも事実だ。 …ここは素直に感謝しておこう」

 無鉄砲な事を仕出かす女にちょっとした感謝の意を述べながら、夏侯惇はふっと微笑った。



 ――
 居ない筈の場にお前が居てくれたというだけで俺の士気が上がった。

 そんなお前を、離す事など出来る筈がなかろう――







 劇終。




 アトガキ

 またしても長らくお待たせしましたっ!
 記念式典第2弾の完成でっすー!!!

 此度は趙雲に並んでお相手第1位に輝いた惇兄と、ヒロイン第2位の武将ヒロインを絡めてお送りいたします。
 こちらの作品はスランプなしで駆け抜けたんですが…
 途中、オフにてすったもんだが…(以下自主規制

 こちらも投票第2位の『戦闘シーン』という事でしたが…
 これって戦闘シーンというより…戦のシーンですね orz
 それでも、筆者なりに楽しく書かせていただきました。

 やっぱり…力押しの強い武将さんはいいね♪
 更に…強いヒロインもよいね、よいねwww
 (ウチの娘の場合は殆どがツンデレだったりしますが)

 短い中にもドラマティックな展開を求めて書き殴りました。
 
少しでも楽しんでくだされば幸いに思います。

 ここまでお読みくださってありがとうございました。

 2008.08.22     飛鳥 拝



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