甘い言葉は何時も心に響き…
 抱きすくめる腕は何時でも強く、私を包んでくれる。
 それでも―



 切なさは私の心を捉えて、放さない………。










 あなたにだけ挑む勝負










 また一日が始まる。
 朝露を含んだ若芽が日の光を浴びてここぞとばかりに眩しく輝く。
 この明るい日差しは…今日も私の心を暖める程の力を運んでくれるのだろうか…?
 は見慣れた天井を仰ぎながら一人、言葉を落とした。

 傍に居た男は大分前に室を出て行った。

 『貴女を愛しています』

 噛み締めるような言葉を、耳の奥に残して…。
 大きな溜息を一つ吐き、床から漸くの事で足を下ろす。
 ひんやりとした足の感覚に一瞬だけ身を震わせたが、直ぐにかぶりを振って傍らに立て掛けてあった自身の得物を手に取ると、差し込む朝陽に誘われるように扉の外へと身を躍らせた。
 ひとつの、大きな決意を胸に秘めて―。



 ―今日こそ、決着をつける―。













 の目標というべき想い人の姿は、図らずともそこにあった。
 城内に設えてある、大きな鍛錬場。
 未だ朝が早いという事もあってか、その場に居る人は些か疎らだ。
 しかし、その誰もが瞳に強い意志を持っている。
 未だ掴めぬ、更なる武の骨頂を目指す者。
 何時か訪れる 『死』 の恐怖に打ち勝つが如く片っ端から他の兵と手合わせを繰り返す者。
 そして―

 「おはようございます、

 ―身に纏っている服の袖を捲り、鈍った身体を解すかのように軽い調子で素振りをしている姜維。
 視界にの姿を捉えた刹那、振り上げていた得物を下ろし笑顔を湛えた様相で向き直る。
 …敵わない。
 初めにこんな顔で居られたら、反則もいいところだわ…。
 朝陽に負けずとも劣らない眩い光を放つ笑顔に気勢を削がれながら、は苦々しい微笑みと共に「おはよう」と短く返した。





 決着をつける―。

 の頭に擡げる大きな目的は、何時も姜維本人によって妨げられていた。
 この広い鍛錬場で毎日のように繰り返される手合わせは、常に 『引き分け』 といった中途半端な形で終わっている。
 彼女が幾ら食い下がっても
 「…今日はこの辺で終わりにしましょう。 これ以上打ち合っていても一向に勝負はつきません」
 時間の無駄です、と簡単に言い放って得物を収めてしまう。
 …何故、とことん打ち合ってくれないのか。
 確かに…姜維には己の武を鍛える他に軍師としての執務がたくさんあり、手合わせに体力を使うのも程々にしなければならないのは知将でないにも流石に良く解る。
 しかし、彼女の心には釈然としないものがあった。
 それは己の武人としての誇りだけではなく、愛する者をこの手で護りたいという気持ちすらも遠回しながら否定されているようで―

 …私は本当に彼から必要とされているのか―。

 ―手合わせを中断される度、言いようもない不安がの心を襲う。
 二人で居る時の彼が度を越える程優しいだけに、この態度の落差が痛く突き刺さるのだ。





 の想いを知ってか知らぬか、姜維は額に浮かんだ僅かな汗を袖で拭いながら語りかける。
 「…今日はやけにのんびりしていましたね、。 もしかして…疲れが取れずに二度寝、ですか?」
 「ん、そんなとこ」
 それより、貴方こそ疲れてないの?と相手を気遣うように訝しげに尋ねる
 刹那、姜維の手が優しくの腕を掴んで引き寄せると
 「私は大丈夫ですよ。 …貴女との 『アレ』 くらい、私の身体を疲れさせるには及びませんから」
 耳元に唇を寄せ、小さく囁くように言い放った。
 …恥ずかしげもなく、良く言うわ。
 はぐっと喉を詰まらせ、返す言葉に苦しみながら…間違いなく彼は私との勝負をはぐらかすつもりだ、と思った。
 それは、こちらのやる気を削ぐような態度からも容易に理解出来る。
 これが彼の策か…はたまた単なる天然かは判断に苦しむが、ここで引き下がるわけにはいかない。
 しかし、彼女の中にあった決意が一時的だとしても揺らいでいるのも事実。
 は肩を落とし、やれやれとかぶりを振りつつ…伯約の言葉で簡単に心が動くなんて私も単純ね、と一人零す。
 …とりあえずここは一時撤退、かな………。





 「ごめん…悪いけど朝の手合わせは遠慮するわ。 その代わり…午後は必ず相手してもらうから、覚悟しておいてよね」
 次は本気で殺しにかかるから、と目の前の恋人に向かってびしっと指を差し公然と言い放つの瞳には決意の他に熱く燃え盛るような色が垣間見える。
 その視線の鋭さに今度は姜維が言葉を失い、はっと息を呑んだ。
 …彼女は、本気だ。
 踵を返し、男性並みにどすどすと気合の入る足音を響かせてこの場を去る彼女の背中を眺めながら、姜維は額に拳を当てて己の思案に更ける。
 何故、彼女は自分との決着を執拗に迫るのか。
 確かに、例え本気ではなくとも…勝負を途中で投げ出すのは自分にとっても気分のいいものではない。
 しかし、姜維の心にはを愛するが故の迷いがあった。
 勝ち負けが決したとして…その先に何が残る?

 こちらが勝ったとしたら?
 反対に…もし、の方が勝ったとしたら…?

 …!

 …もしかしたら…
 勝負に固執していたのは、私の方かも知れない―。

 ここまで思い至った刹那、姜維はの決意を通して奥底にあった気持ちを理解した。
 意を決したように一つ大きく頷くと、先程のと勝るとも劣らない強い足取りで自室へと歩を進める。
 その瞳は、今迄の迷いが吹っ切れたのか…清々しい程に真っ直ぐ、前だけを見つめていた―。





 私の中には…常に貴女への様々な想いが混在している。
 …その全てを曝け出せる程、私は未だ出来た人間ではない、けれど―。



 ………。
 貴女がそこまで勝負に拘るのなら、私も覚悟をしなければなりませんね。













 どのような状況下に置かれていても…

 時は、この地に生きるもの全てに…分け隔てなく平等に与えられる―。





 それぞれに思惑を抱えながら、その時は訪れた。
 天頂にあった太陽が傾き始めた午後、昼餉の後で誰もが穏やかな時間を過ごしている筈の時。
 しかし―。

 目の前に居る人との勝負に…確かな決意を胸に抱く者と、今迄逡巡していた者。

 鍛錬場には、その二人によってもたらされたと言っても過言ではない緊迫した空気が漂っていた。
 己の得物を利き手に携え、対峙する二人の心に…今去来する想いは―。

 「途中退場は、なしよ…伯約」
 「その言葉…後悔してもいいんですか?」
 「…ふふ、そう来なくっちゃ」
 姜維の意地悪な問いに臆する事なく満面の笑顔で返す
 そして―

 「…姜維殿、お覚悟!」

 ―叫びに近い掛け声と共に、本気の勝負という幕が切って落とされた―。





 携えていた剣を順手に構え、その切っ先を相手に向けながら己の足を駆る
 その身は疾風を纏うかのような速さでその場で立ったままの姜維の目を眩ませる。
 一瞬にして間合いを詰めると
 「何ぼさっと突っ立ってんのよっ!」
 声を上げつつ得物から一閃を放った。

 がきっ!

 刹那、金属が打ち合う音と共に二人の得物がぶつかり合う…が
 「…なんのっ!」
 一声と共にの一撃を受け流す姜維。
 そして、勢いで後方へと弾かれるに追い討ちをかける。
 握り直した槍を直ぐさま横に薙ぎ、の身体を更に後方へと飛ばした。

 …くそっ!

 細剣と槍―。
 攻撃範囲の差は以前から感じていたが、今回程それを痛感した事はない。
 本当は重いであろう槍を自在に操る彼の真の強さに、は初めて畏怖した。
 しかし、一度始めた本気の手合わせは…言い出した自分から終わらせるわけにいかない。
 膝を付き、再び剣を構える。

 …やはり、あの長さに対抗するには…速さしかない。

 槍を悠然と構える小憎らしい相手に鋭い一瞥をくれると、低い体勢のまま疾風を纏った身体を運んだ。
 すると
 「懲りもせず、また正面から来るかっ!」
 素早い動作で槍から閃光が放たれる。
 それは間違いなくの身体を捉えたかに思われたが―。



 の服の裾を僅かに切っただけに留まり、手応えを感じる事なく消えた。
 「ちっ…」
 姜維が軽く舌を打ち、目の前で空へと跳んだの姿を目で追う。
 しかし………

 その場に彼女は存在しなかった。



 刹那、背後に感じる殺気。
 首筋に冷たい刃が突き立てられ、そして―

 「…伯約。 今度は本気で殺しにかかる、と言った筈よ」
 お願いだから手加減しないで、と刃の持ち主が言い放った。



 彼の本気は、こんなもんじゃない。
 戦場で見る彼は…知将とは思えない程、修羅と化している…。



 姜維の一撃によって再び弾かれた身体を地に滑らせながら、それでもは次の一手を思案していた―。







 「…遅くなってすみません。 漸く目が覚めました」
 刹那、姜維は己の心をも全て曝け出す決意をした。

 自分が勝ったとしたら、が自分の下を去ってしまうのではないかという不安。
 そして、がもし勝ったとしたら…間違いなく感じたであろう敗北感と、常にの前に居ようと努力を重ねていた己の自尊心の崩壊。

 彼女に勝負を挑まれる度に心の中で感じていた、抗い難い恐怖を―。










 姜維の本気は、が途中感じた畏怖の通りだった。
 彼女が手加減をしないで、と訴えてから間もなく、勝負は決した。
 姜維の勝利を以って―。





 返り討ちと言うが如く首筋に微かな紅い線を描かれ、は地に膝を付いていた。
 「…完全にやられたわ。 悔しいけど」
 切れかかっている息を整えながら、一言吐き捨てる。
 私の力は…貴方に到底及ばない、と心の底では解っていた。
 こちらが努力に努力を重ねて、幾ら強くなっても…姜維は常に彼女の前に居た。
 しかし―

 …彼と共に戦うには、未だ力が足りない。

 一人になると、決まって頭を過るこの想いは…彼女にとって一番悔しく、切ない事だった。
 しかし、一方で武人故に納得したくないという気持ちもある。
 そして…この複雑に絡み合った心に決着をつけるために、が選択した手段は―

 彼に勝負を挑み、潔く負ける事、だった―。










 最初から…前から見えていた 『勝負』 。
 姜維は初め、やるだけ無駄だと思っていた。
 既に見えている結末に何を見出すことが出来るのだろう、と。
 しかし、はその勝負を敢えて何度も挑んできた。
 それは………。

 彼女の本心を理解しないで、今迄勝負を拒んでいた自分は…知らず知らずの心に更なる傷を深く刻んでいた。
 武人故に、強くありたいという心を。
 …大事な者を護りたいと思う心を―。








 「…ねぇ、伯約。 貴方はどうして本気の貴方にあっさり負けてしまう私と共に戦うの? …貴方に、私は必要な存在なの?」
 唇を噛み締め、その喉から搾り出されたの言葉は…自分で選んだ筈の手段に納得しながらも悔しさをいっぱいに含んでいる。
 姜維は何時もよりずっと小さく見えるその肩へ手をかけると、今にも地団太を踏みそうな彼女の身体を己の胸の中にぐっと引き込んだ。

 「…貴女は私にとって一番必要な方ですよ、。 理由は 『愛しているから』 …それだけで充分です」





 貴女が共に居るからこそ…
           私はもっと強くなれるんです―。







劇終。




 アトガキ

 何が言いたいんでしょうか…(汗
 戦闘シーン(手合わせですが)が書きたいがために書き始めたんですが…
 纏まりがつかなくて半分ギブアップです orz

 (企画以外で)久し振りのきょんがお相手でしたが…
 軽ぅく流すように読んでくだされば幸いです(ぇ
 (詳しい裏話などは日記にて書く予定ですw)

 ここまでお読みくださってありがとうございました。

 2008.03.15 (同17日 改訂)     飛鳥 拝


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