散りぬるを…。 〜 楔 〜











 空は、朝から荒れ模様だった。
 遠くにあった筈の雷鳴が何時の間にか近付き、稲光と共に嵐のような雨粒を連れて来た。
 この世の全ての音が雷雨の音に吸い込まれていく。
 そんな中。
 は切れ味を確かめるように己の懐刀を鞘から抜き出す。
 冷たく、銀色の光を放つ刃の先を指で突くと、指先が紅く滲んだ。



 ………イタイ。



 しかし、は顔を顰める事もせず指先の紅を唇に寄せてそっとなぞる。
 …唇が紅く彩られていく…。
 血塗られた唇の端を妖しく吊り上げた彼女の思う事はただ一つ。



 この想い、散り行く運命(さだめ)ならば………。



 刃を元の鞘に収め、床の枕元に忍ばせる。
 しかし。
 これからここを訪れる人が通るであろう扉を見やる彼女の瞳には、暖かさを含んでいた。
 まるで、奥にある熱いものを慈しむかのように………。














 「、入るぞ」
 程なく、扉が開く音と共に中へと入って来る影。
 稲光に一瞬だけ照らされたその姿は、の心をここぞとばかりにかき乱す。
 姿ははっきり見えずとも、その堂々とした出で立ちから威圧感すら覚える。
 雄々しい、という言葉が似合う男…曹操。



 私が…この世で一番、心から慕う男。
           そして…この世で一番………。



 雷鳴に呼応するような胸の高鳴りを悟られぬよう、唇に笑みを浮かべると。
 は言葉もなく床の上に手を付き、曹操に深々と頭を下げた。







 「…そのような気遣い、ここでは不要ぞ。 、顔を上げよ…おぬしの顔が見たい」
 「はい…」
 が曹操の言葉に小さく返事をして顔を上げる。
 すると。
 視界に飛び込んで来たのは男の影ではなく、薄闇の中でも色鮮やかに存在を露にする大輪の紅い花一輪。
 それは、雷雨に打たれて湿り気を帯び、花弁の一枚からは雨の雫が淡く光を放っている。
 「………! 孟徳様、これは…」
 意外な物の存在に驚くに大輪の花を持たせると、曹操は軽く喉を鳴らして笑う。
 「…驚いたか。 ここに来る途中、中庭で見つけたのだ」
 おぬしに似合うかと思ってな、とに顔を近づけて整えられた髪を撫でながら囁いた。
 心憎い事を…。
 彼は、狙っていなくても女心を擽る術を心得ている。
 そうやって…私を、私の心を熱くしていくのだ…。
 刹那、首筋に曹操の唇が優しく触れる。
 その痺れるような感覚には「あっ…」と声を上げ、軽く身体を震わせた。
 手にした花も微かに震え、花弁から冷たい雫がぽたりと膝に落ちる。
 「ありがとうございます、孟徳様」
 隣に座り、腰に手を回してくる曹操の胸にそっと片手を添えては微笑みを返した。
 そして、顔に笑みを湛えたまま唇を曹操の耳元に近付けると言葉を続ける。
 「…ですが、椿の花はいけませんわ」
 「…何故、椿だといかんのだ?」
 拘束していた身体を僅かに離し、曹操が訝しげな顔をに向ける。
 刹那、微笑んでいたの瞳が妖しい光を放った。
 「孟徳様は…花がその命を失う時、『落ちる』のと『散る』のと…どちらが美しいと思われますか?」
 椿は花のまま命を落としますわ、と僅かに目を伏せる
 それを見て曹操が再びの身体を拘束する。
 「はは…。 そうか、おぬしは『散る花』の方が良いか。 では…」
 今度はこの花を愛でる事にしよう、との身体を床に組み敷く。
 曹操の熱い視線に絡め取られながらはそっと瞳を閉じた。
 心の中の呟きを言葉に出す事なく…。



 孟徳様…。
 この、刹那の想いに堕ちていく私には…。
 貴方が今、くださった 『落ちる花』 がお似合いですわ…。










 遡る事一年前。
 正妻との確執に乗じて曹操の妾となった
 しかし、同じような立場の者が多いという事実を叩きつけられた彼女は落胆した。
 他の妾たちは 「あわよくば正妻に」 という野望を抱いていたが。
 はただ、純粋に曹操を愛していただけだった。



 刹那でも、彼に愛されたい。
 少しでもいい…彼の心の中に私の存在を留めたい。
 どうしたら…

 貴方の心に私という『楔』を打ち込める…?



 彼女の心の中には、何時も同じ想いが渦巻いていた………。











 宵が深くなって行く。
 鳴り続いていた雷は、気付かぬうちに遠雷となり。
 降りしきる雨はの心を鎮めるかのように霧へと変わった。
 曹操の腕を枕にしてぼんやりと天井を見ているが、小さく訊く。
 「孟徳様…今宵はもうお帰りになられますか?」
 「………うむ」
 曹操はの問いに簡単な返事をすると、彼女の首から腕を抜いてその身を起こした。
 目の前に映る、愛しい人の背中…。
 その背中に視線を落とし、が枕元に手を伸ばす。



 孟徳様が、帰るなら…今。



 刹那。
 何かを思いついたのだろう…曹操が床に手を付き、の方へ振り返った。
 はっと息を呑み、慌てて手を胸の前に引く
 その様子を見なかったのか、曹操はの乱れた髪を手で梳きながら言葉を紡ぐ。
 「…いや、今宵はおぬしと居よう。 おぬしの部屋で夜を明かすのも悪くなかろう?」
 わしの我が儘を聞いてくれぬか?と再び床に身体を倒す人に、は微笑みで返した。
 もう少し、傍に居られる事に喜びと幸せを感じながら。
 そして。
 隣で夢の世界に誘われていく愛しい人に顔を向け、枕元へと手を伸ばしながら。
 その顔に妖しい笑みを含め、心の中で曹操に言葉を放った。



 おやすみなさい。
 私が…この世で一番、心から慕う男(ひと)。
           そして…この世で一番………憎い人。

 ……………永遠に……………。















 翌朝。
 目覚めた曹操の隣には、眠りについたままのの姿があった。
 何時もは自分より早く起きている筈の身の彼女が何故…?
 顔に訝しげな色を湛え、の身体に己の手を触れる。
 そして。
 一瞬の後、一旦剥いだ掛け布を再びそっと彼女にかけてやった。



 ………の身体は、既に冷たくなっていた。










 「…亡骸を、誰にも解らぬように埋葬せよ。 迅速にな」
 「はっ…」
 曹操は数人の衛兵に指示を出し、自室へと踵を返した。
 何時もと変わらず、雄々しく自室へと歩を進める曹操だったが。
 ふと、中庭に植えてある椿の幹の前で足を止めた。
 そして、力なく地に落ちている一輪の花を見下ろす。







 『………椿は花のまま命を落としますわ………』
 もう聴く事の出来ない筈のの言葉が、曹操の心に楔の如く深く食い込んでいく……。











 再び歩を進める曹操の瞳に…

 昨晩見た…花弁を濡らす雨粒のような雫が、微かに光った……………。










 劇終。







 アトガキ

 すみません…久し振りの作品が 「切ねぇよ!」 てな感じに(汗
 作品の傾向が書き手の精神状態に関わるという事を再認識しました、はい。
 (誰かを殺したいのか、って? …言ってませんよ、そんなこと)

 今回、初めてソソ様をお相手に書きました。
 ていうか…随分前に情報屋と盛り上がったネタなんですよね。
 それがお蔵入り寸前で私の目に留まった、と。
 危うくそのメモをゴミ箱行きにするところでした………危ねぇ危ねぇ。

 しかし、破滅的です。
 またヒロインを殺しちゃいました(苦笑

 今回、椿の花を出してみました。
 その昔…椿の花の終わり方に恐怖を感じてました。
 幼心に『首が落ちる』という感覚があったんでしょうか…?

 少々破滅的ですが…甘さ、色気を出してみたつもりです(つもりて…

 少しでも楽しんでいただけたら幸いかと…。
 ここまで読んでいただき、ホントにありがとうございました!


 2007.6.19     飛鳥 拝

 使用お題『この想い、散り行く運命(さだめ)ならば』。
 (当サイト「切なさに悲鳴を上げそうな10のお題」より)

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