「こんなもんかしら、ね」
 は前髪を指で弾きながら鏡に映る己の姿を見て自己満足の笑みを零した。
 徐にもう一方の手で握っていた鋏を布で包み、鏡台の箪笥に仕舞う。
 周りには、たった今彼女自身に切り落とされた髪が所狭しと散らばっている。
 「…ここまで切ったら…流石に驚くわよね」
 ふふ、と楽しげに笑って頭を振ると、肩口の辺りまで切った髪が軽やかに揺れた。
 早く皆に見せたくて仕方がない、といった様子で。
 加えて、には楽しみに思う事があった。
 それは………。

 「…伯言は、何て言うかな…」

 恋仲である、陸遜。
 彼がどういう反応をするか…?
 恋人が目をぱちくりさせる場面を想像して、は表情を更に緩めた。











 廊下を歩くの足取りは軽い。
 早朝の日差しはまだ優しく、暑さもそよ吹く風が和らげている。
 太陽に照らされる中庭にはこれ見よがしに咲き誇る夏の花。
 何時になく穏やかな朝…。



 の予想通り、周りの反応は上々だった。
 中庭の水場で洗い物をしていた女官達は
 「あっ! 様、髪切ってしまわれたのですか!? お綺麗ですのに…勿体無いっ!」
 と口々に騒ぎ立て。
 廊下で擦れ違った尚香には
 「!? どうしちゃったのよ、その髪! まさか…陸遜と別れちゃったの?」
 と余計な心配をかけられ。
 トドメは…珍しく早起きをしたのか、中庭のど真ん中で剣を振り回していた甘寧に
 「おっ…、髪随分切っちまったんだな! でも、お前みたいなじゃじゃ馬にはそれくらいがお似合いだぜ!」
 と些か失礼な言葉を投げつけられた。
 流石にこの一言には腹を立て、何も考えずに屈託なく笑う甘寧の頬に平手を食らわせたのだが。

 あれだけの反応があれば…伯言も。

 陸遜の自室に近付くにつれ、の心が躍り始める。
 それは、彼の反応を楽しみにしているからだけではなく、戦の事を考えずに…好きな人と一緒に居られる 『幸せ』 。
 それを好きな人と分かち合えるから。





 程なく陸遜の自室の前に辿り着く。
 は徐に扉を軽い調子で叩くと
 「お早う、伯言。 …入るわよ♪」
 意気揚々と中へ足を踏み入れた。



 の気配と声に気付いた陸遜が床から立ち上がり、扉の前で立っているへと歩み寄る。
そして。
 「あ、お早うございます…
 今日も暑くなりそうですね、とを自身の腕で拘束する。
 「…伯言の身体の方が熱いわ」
 ふふ、と陸遜に体を預けながらはにかんだように笑い、陸遜の腰に腕を回す
 しかし、心の中は穏やかではない。
 直ぐに表さない反応に少々苛立ちを覚えた。

 …私を、もっとよく見て…伯言。

 ところが
 「…愛しています」
 陸遜はの気持ちに気付かないのか…そのまま瞳を閉じ、唇を重ねる。
 何時ものように、優しく………。





 私の、変化に。
 …早く、気付いて…。





 一時お互いの温もりに蕩ける時間が過ぎ、陸遜はようやく腕を緩め、の身体を離した。
 拘束されていた身体が解放された事にほぅ、と一つ息を吐く
 これでやっと…気付いてくれる、と。
 しかし、陸遜はの姿をちらりと見ただけで直ぐにに背中を向けて箪笥へと踵を返す。
 それが、には熱されたものが一瞬にして凍り付いていくかのように見えた。

 私、変わったんだよ…。
 気付か、ないの………?

 訝しげな表情を顔いっぱいに浮かべ、陸遜に問う。
 「…どうしたの? 伯言」
 「いえ…すみません、。 私、これから急用で出かけなければならないんです」
 もっともっと…貴女と一緒に居たいのですが、とすまなさそうな横顔をに見せながら外出着の準備をする陸遜。
 急用。
 大方、呂蒙に朝早く用事を言いつけられたのだろう。
 ならば…仕方がない。
 我が儘を言ってしまいそうな心を必死で抑え、は笑顔を陸遜の横顔に向けて云う。
 「そう…。 なら私は部屋に戻るわ。 気を付けて行ってらっしゃい」
 「はい。 …本当にすみません」
 扉へと踵を向けたの背中に陸遜の言葉がかかる。

 急用なら…仕方がない。
 でも…幾ら気持ちが逸れていても。
 私を…ちゃんと見て欲しかった………。

 居た堪れない気持ちで扉に手をかける。
 その背中に再び陸遜の声が響いた。

 「また、夜に貴女の部屋にお邪魔します…。 待っていてくださいね」

 はそれに何の返事も与えずに扉を開け、廊下へと歩を進めた………。











 「…伯言のバカっ! 鈍感っ! 唐変木っ!」

 陽は既に沈み、空はすっかり群青色に支配されていた。
 部屋の窓からは昼間の暑さが嘘のように涼しげな風が入ってくる。
 は床に寝転がり、味気のない天井を見上げながら一人で叫んでいた。

 そりゃさ。
 朝の忙しい時間にいきなり訪問しちゃった私も悪いけど。
 だからって…。
 私をろくに見もしないで、口付けだけして 『はい、サヨナラ』 !?
 あ〜! 腹が立つっ!





 昼間の暑い最中、は修練場で剣を振り回す事で汗を流した。
 溜まった鬱憤を晴らすように。
 その姿を見て、周りに居た武将達はが陸遜と喧嘩したのだ、と思った。
 それ程に彼女の荒れようは半端ではなかったのだ。





 やり場のない怒りに唇を噛み締める
 今夜、逢ったら拳の一つでもくれてやろうかしら…。
 と些か物騒な事を考え始めた刹那、常に視界の端に置いていた扉をそっと叩く音がした。





 「…未だ、お邪魔するには早かったですか」
 、と名を呼ぶその影は、彼女の叫びを聞いていたのか…遠慮がちに扉の前で立ったまま中に入る事を躊躇っている。
 は慌てて床から起き上がると
 「…早くてもいいわよ、別に。 …そんなところに突っ立ってないで中に入ったら?」
 少々憮然とした表情で言い放った。
 そのあまりにも棘のある態度に陸遜は部屋の中へと歩を進めながら首を竦める。
 「朝は…本当にすみませんでした。 急いでいたんですよ…本当に」
 「そりゃ解るけどさ…」
 伯言…貴方を責めたくはないけど。
 そりゃ私はその辺の女性達に比べたら女らしくないけど…。
 の心に再び怒りが沸き上がる。
 しかし。
 今度は叫びとなって現れる事はなかった。
 次の瞬間、陸遜の腕がふわり、との身体を包み込むと、彼女に思いもかけない言葉が降りかかる。

 「…貴女も悪いんですよ、
 朝、貴女が可愛らしい姿で現れるものですから…。
 私の用事が増えてしまったのですよ。
 余計に早く出かけなければいけなくなりました」



 「………へっ?」
 陸遜の言葉を受けて、の心の中は怒りから疑問へと置き換えられた。

 …可愛らしい?

 「私、可愛い格好で行った覚えはないけど…?
 って言うか…なんでそんな事で貴方の用事が増えるのよ?」

 口を吐いて出た殆ど条件反射の疑問を陸遜はの髪を梳く事で答えた。
 「これですよ…こ、れ。 …服装の事ではなく、髪の事ですよ、
 切ったのですね…よく似合います、と噛み締めるように紡がれた言葉が気持ちと共にの心を解していく。

  …その言葉。
  もっと早く、聞きたかった………。

 「…嬉しいけど、貴方のおかげで今日一日イライラして…損しちゃったわ」
 が不貞腐れるように唇を窄めて抗議するが、彼女の顔はしっかりと綻んでいた。
 遅くなったけれど、一番言って欲しい人から言われた言葉。
 忙しい時間の中でも、しっかり見ていてくれたという喜び。
 それが、の表情に笑顔を戻した。
 陸遜は僅かに体を離すと、窄められたの唇に自分の指を当て、微笑みを返すと
 「だから…すみませんと…」
 呟くように言いながら手に持っていた包みをの目の前でかさりと開いた。

 …これ…。

 開かれた包みの中身は、肩まで切ったのためにあしらわれたような髪留めだった。
 よく見ると…丈夫な素材で出来ている割には美麗な作りだ。
 それをの髪に着けてやりながら陸遜は
 「戦にも着けて行けるように、と誂えました…お詫びの印と髪を切った記念を兼ねて…大急ぎで作らせたんですよ」
 、貴女に差し上げます、と付け加えた。

 そういうこと、だったのね。

 はやっと合点がいった。
 彼女が陸遜の元を訪れた事によって増えた陸遜の 『用事』 。
 それは………。
 「…折角、貴女が可愛らしく雰囲気を変えたのだから…それなりの贈り物をしなければ、と思ったんです」
 私の勝手な用事ですけれどね、と片目を瞑りながら微笑む陸遜。
 そして、更に体を離しての姿をこれでもかという程見つめた。
 「…何見てるの?伯言?」
 「…いえ。 私の思った通りだ…やはり可愛らしい」

 この髪飾りも、貴女に…よく似合う。

 再びの身体が陸遜の腕によって拘束される。
 そして。
 改めて視線を一つに絡めると
 「ありがとう………伯言」
 自ら陸遜の唇に己のそれを合わせた。





 「…何かお礼を考えないとね」
 唇を離し、溶けるような感覚の余韻を楽しみながら云うに陸遜は悪戯っぽい笑顔で返した。
 「…それには及びませんよ、
 「えっ!? それはどういう…って、こらっ!!!」
 驚く間もなく、一瞬にして床に組み敷かれる
 陸遜は眼下に居る愛しい人の頬に手を添えながら
 「それには及びません。 これからじっくりと戴きますから…♪」
 顔に更なる笑みを溢れさせて言い放った。



 二人の夜の帳が、ゆっくり…穏やかに下りていく………。



      愛しい人の 存在で
           咲いて綻ぶ 花 一輪





 劇終。




 アトガキ

 約1ヶ月ぶりのりっくんです…じゃなかったりっくん夢です。
 久し振りに書いた。
 ベタベッタな甘夢… OTZ
 やはり前作の反動が大きいんですね…創作物って。
 この作品の前は完全なギャグだったり戦闘ものだったり…だったので。

 書いていて体中が痒くなりました…いや、蚊に刺されたわけでなく(汗
 断髪ネタは前から書きたかったんですよね。
 で、私が最近髪を切った(ヒロインちゃんよりも短いです。ショートです)ということもあって実現。
 …て、私の妄想で出来上がった代物です、こりは OTZ
 すみません…。

 しかし…こんなんでも。

 少しでも楽しんでいただけたら幸いですw
 ここまで読んでいただき、ホントにありがとうございました!



 2007.08.18     飛鳥 拝


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