時の流れが怖くなくなったのも。
小さな出来事でも心から 『楽しい』 と思えるようになったのも。
貴方が一緒に居てくれたから―。
Joyful
城下は今日も賑わっていた。
眩しい程の快晴に拍車をかけられているように、溢れる笑顔の群れ。
耳を澄ますと…何処かで子供達が遊ぶ楽しげな声がする。
戦さえなければ、平々凡々とした街の風景―。
その片隅。
小さな茶屋の外に置いてある長椅子には腰をかけていた。
武将である彼女にしては珍しく、身に着けている衣服は極々普段着だ。
何時もは後ろで一つに結っている髪も今日は小さな髪留めのみで、背に垂れる艶やかな黒糸を僅かに流れる風に乗せて靡かせていた。
この出で立ちから、今日は視察でここに来ているわけではないらしい。
しかし、彼女の視線は目の前にある道を右へ左へと泳がせている。
まるで、何かを待っているかのように―。
「、遅れてすまねぇ!」
の待ち人は、程なく現れた。
約束の時間をとうに過ぎているにも拘らず悠然と構えながら歩み寄る姿は 『何時も通り』 と言うに等しいか。
それを見て、今迄…今か今かと待ち侘びていたは途端に頬を膨らませると
「…どれだけ待ったと思ってるのよ」
きょろきょろしてた私がバカみたいじゃない、とふくれっ面のまま視線を横へと逸らした。
は、若い恋人同士のような
「待った?」
「ううん…今来たとこ」
といった初々しい会話を特に望んでいたわけではない。
かと言って、こんな事で土下座してまで謝られたくもない。
来てくれて嬉しいのに…相手の態度を見て素直に喜べない複雑な女の心境が今のの中にあったのだ。
だが、その複雑な心境は長く続かなかった。
視線を逸らした彼女の目の前にぬっと差し出されたのは一枝の小さな花。
差し出した本人の無骨で大きな手に似合わず、それは芳しい香りと共に可憐な顔を見せている。
「…これ」
殆ど反射的に顔を大きな手の持ち主に向ける。
刹那、の言葉の続きを待たずに花を持つ相手が口を開いた。
「ここに来る途中で見つけたんだ。 この時期には珍しいだろ、。 詫びの印だ」
遅れた事に弁解できねぇしよ、と依然花を差し出しながら深々と頭を下げる姿は普段の彼からは想像もつかない。
更に、道端に咲くこの花を見つけて手折る彼の様子も些か似合わない。
それを想像すると、自然との中から笑いがこみ上げてくる。
笑ったら失礼だ…と慌てて口を己の手で塞ぎ、抑えようとするが時既に遅し。
「ありがと、典韋…ぷぷっ、あははっ! …笑っちゃいけないって、思うんだけど…ごめっ…」
紡ぐ言葉も途切れ途切れになってしまう。
は声を上げて楽しげに笑いながら、心では必死に抗っていた。
典韋は見た目こそ粗暴だが、一度決めた約束を簡単にすっぽかすような男ではない。
それはにも充分に解っている。
大方、あの鬼君主に何か力仕事でも頼まれたのだろう。
しかし。
たかが一回の遅刻にも拘らず素直に、しかも律儀に詫びを入れてくる典韋。
そんな彼の真っ直ぐな性格に、の心からは感謝する気持ちと共に愛しい想いがますます溢れてくる。
漸く笑いに勝った気持ちを胸に、は困惑いっぱいの表情で硬直している典韋の頭をぺん、と軽い調子で叩くと
「典韋…ありがと。 詫びも何も…貴方のそんな態度を見たら怒る気も失せちゃうわ」
だから顔を上げて、と柔らかい笑みを含んだ表情で花を受け取った。
手にした花に顔を近づけると…その可憐な風合いや爽やかな香りをより一層感じる事が出来る。
はそれを己の髪に飾り、典韋に向き直ると改めて「ありがとう」と告げた。
…可愛らしさ、という点ではこの花と貴方は同じなのかも知れないわね。
と、心の中でこっそり思いながら―。
「…わしの思った通りだ」
小さな贈り物を髪に飾り、微笑むをじっと見つめながらふと呟く典韋。
その声は彼が自分で気付かない程自然で、よく聞いていないと解らない程低かったが…目の前に居るは聞き逃さなかった。
にっ、と口角を上げて笑顔の色を変えると
「何? 典韋…何が『わしの思った通り』なの?」
心底嬉しそうに瞳を明るく輝かせて典韋に詰め寄る。
には直ぐに解った。
彼の言わんとしている言葉が自分にとって物凄く照れくさい一言だという事。
そして、目前で顔を頭まで紅潮させる典韋も同じように照れくさく感じている事が。
照れくさいけど、貴方の口から聞きたい―。
しかし、の思惑はあっさりと裏切られた。
「いやっ、何でもねぇ! …、早く行こうぜ! 一日は短いんだからよ!」
典韋は軽くかぶりを振ってこう言うと徐に彼女の手を引っ掴み、身体を立ち上がらせた。
直後、ぐいぐいと引っ張りながら街の人ごみの中歩を進める。
これは、明らかに 『照れ隠し』 だ―。
思惑は見事に外れたが、にとってはこれでも充分だった。
しかし、心の片隅に意地悪な気持ちが沸き起こるのも事実。
先程見せた笑いを更に屈託のないものにすると
「ねぇ、何て言ったの?典韋? …ねぇってばぁ!」
手を優しい力で引きながら頭まで赤く染まっている後姿を言葉で更に攻め立てた。
ちょっと、やりすぎかな…?
己の手を握る大きな手に汗が滲んでくる。
それを彼の気持ちと共に直接感じながら、は典韋の歩幅に合わせるべく足を早めた。
そんな二人を。
街の人々は物珍しいものを見るような雰囲気を湛えつつ、暖かい視線で見送っていた―。
城を背にするような形で、それはある。
鬱蒼と草木が生い茂る、山と見紛うような小高い丘。
ここは軍の人間も街の人々も殆ど足を運ぶ事のない場所だったが、二人のお気に入りの場所でもあった。
二人の時間が出来る度に足繁く通っているのだが―。
「。 例の場所よ、ぼちぼち実が生る頃じゃねぇか? 明日一緒に行こうぜ!」
昨日、夕餉の席で典韋にこう言われて…改めて約束をしていたのだ。
行き当たりばったりではない、ちゃんとした逢引きの約束。
これが恋する女の気持ちなのか、にとっては特別のように映っていた。
典韋の予想通り、丘の木々には今にも零れ落ちそうな程熟れた実がたくさん生っていた。
赤々と食される時を待つような実を一つもぎ取り、口に運ぶと…何とも言えない甘さと清々しさを連れてくる。
「…美味しいっ! 流石は典韋、鼻が利くわね!」
「おうよ! 今年もいい陽気が続いたからな、ぜってぇうめぇと思ってたんだ!」
満面の笑顔で感嘆の声を上げるに向かって典韋が満足げな返事をした。
そして、が一つ味わいながらじっくり食べるているのと対照的に「本当にうめぇよ!」と言いながら次々と実を手に取っては口に放り込む。
それをしっかり視界に捉え、はちょっとした疑問を胸にしまいながらくすりと微笑った。
確かに…美味しそうに食べてるけど。
…そんな食べ方で、本当に味、解ってるのかしら?
甘く熟れた実は、程なく小腹の空いていた二人を満たした。
少々膨れた腹を擦りながら典韋がを見やり
「ふぃ〜食った食った。 、そろそろ…」
と語りかけたが
「…ねぇ、典韋。 最後にあれ、食べたいんだけど」
言葉の最後まで言わせず、遮るようにの声が重なった。
が見上げ、指差しているその先には…太陽の光を受け、より一層美味しそうに輝く紅い実があった。
少々高いところにあるそれは、の手に届かない。
その場でぴょんぴょんと飛び跳ねるが、所詮は無駄な抵抗。
それを見て僅かに笑みを零しながら典韋も手をいっぱいに伸ばすが…
よりもはるかに上背のある彼でもあと僅かというところで届かず、直後はぁ、と二人同時に溜息を零す。
しかし、その落胆は一瞬で終わった。
典韋は顔ににっと屈託のない笑みを浮かべると
「しゃぁねぇな。 ほら、…俺の肩に乗れ」
これなら届くだろ?との目の前に己の背を晒した。
それは何時だって変わらない。
戦の時、私を信頼して預けてくれる…私の護るべきもの。
そして、戦場でも…何時如何なる時も私を支え、護ってくれるもの―。
「ありがとう、典韋。 本当…これなら届くわ」
同じような笑顔をしたがひらり、と彼の肩に乗る。
その身のこなしは流石は一軍を率いる将といったところか、彼の肩に重みを感じさせる事がなかった。
刹那、それを合図に典韋の身が伸び上がると、程なくは視界のど真ん中に標的を捉える。
そして、紅い実に手を伸ばしながら眼下の人に心底嬉しそうな、それでいてちょっと冗談めいた言葉を放つ。
「目標確認! これより捕捉いたします!」
「おう! って…いいから早く取れっ! 落とすぞ!」
「はいはい…」
典韋の不完全燃焼的な反応に少々不貞腐れながら一際美味しそうな香りを放つ実をもぎ取るだったが―。
心では簡単に諦めず、さりげない優しさを向けてくる彼に感謝していた。
「本当に美味そうだな…」
「半分こしようよ! 二人で取ったようなもんだし」
二人の力で手に入れた 『戦利品』 を見ながら呟く典韋にが満面の笑みを返し、その実を二つに分かつべく両手で持ち直すが…。
刹那。
「手で分けるこたぁねぇよ! …こうすりゃいいんだ」
の手を制し、依然彼女の手にある実にそのままかぶりつくと耳を劈くような感嘆の声を上げる。
「美味い! 本当に美味いぜ、!」
「あ〜! 酷い! 私より先に食べた!」
「はっは! これはわしの功績でもあるからな! 先に食って当然だ!」
「むぅ〜! 見つけたのは私なのにぃ…」
自慢げに胸を張りながら声を空に響かせる典韋へ頬を膨らませながら抗議する。
しかし、その表情には楽しげな色がありありと浮かんでいた。
負けじと実を口にする。
そして、先程まで食していた実の味が霞む程の甘さと香りを存分に…口いっぱいに感じた。
「本当………凄く美味しい!」
「殿が言うには…わしは 『晴れ男』 なんだとよ」
「ふぅん…そう言えば、今迄二人で出かける時に天気が悪かったって事なかったもんね」
「だろ? だからわしの功績だ、これは」
「ふふっ…まぁ、そうしときましょ」
鬱蒼とした木々の並びがぽっかり空いたような草原に寝転ぶ二人は、暖かく差し込む午後の陽光に照らされながら他愛ない会話を交わす。
今が乱世でなければ、日をおかずに…毎日でも訪れるであろう、何気ない光景。
はそれすらも楽しく感じていた。
そして、それを教えてくれたのは…他の誰でもなく、何時でも傍に居てくれる典韋だという事に胸を熱くする。
しかし。
そんなの気持ちを余所に、典韋の様子に変化が訪れた。
「ここまで暖かいとよ…眠くならねぇか、? …悪い、ちょっと寝かせてくれ」
気だるそうな欠伸と共に放たれた言葉。
そして、に「へっ!?」と返事をする間すら与えずに寝息を立て始める。
はそろりと身を起こし、眼下で眠る愛しい人を見据えると
「さっき 『一日は短い』 って言ってた張本人がこうなんだから…もう」
本人が寝ている事をいい事に一言悪態を吐くが、その顔には笑顔が覗く。
しょうがないわね、と己の膝を抱え、何時もの彼とは段違いの可愛らしい寝顔を見下ろしながら―
この胸にある熱い気持ちを独り言に乗せて、人知れず零した。
「…ねぇ、典韋。
時の流れが心地いいのも。
こんな小さい出来事でも心から 『楽しい』 と思えるのも―。
―貴方が一緒に居てくれるから、だよね」
彼が傍に居る限り、の心が曇る事はない。
まるで…空で最高の微笑みを見せつける、太陽のように―。
劇終。
↓反転でオチが見られます(見ない方がいいかも!?)
が独り言を放った刹那、眼下に眠る人の顔が頭まで紅く染まった。
「………!!!」
「………」
目を大きく見開くと細目を開ける典韋の視線が言葉もなく絡まった。
すると。
の表情がじわじわと驚きから照れに変わっていく。
そして…それが頂点に達すると
「私の独り言をこっそり聞くなんて…いい度胸してるじゃないのっ!」
真っ赤な顔を典韋に向けながら、彼の頭を渾身の力でばしっと叩いた。
ひでぇ…。
ひりひり痛む頭を擦りながら彼は思った。
何故なら。
タイミングがいいのか悪いのか…彼女が独り言を呟くその瞬間に起きたのは…
本当に、偶然だったのだから―。
退却しながら終わります(汗
アトガキ
やりましたっ!魏陣営第4の男、登場です(笑)。
(実は捧げもので1回書いているんですが)コッパゲさ〜ん、出番ですよ〜w
わし同盟、見事大復活です(こらっ!
今回の作者の意図は。
『極々普通のデートがしたいっ!』
しかし、ベタベタな相手(誰だ!?)だと面白くないなぁ…と―
お相手に悩んでいた私にツルの一声を与えてくれたのが情報屋。
そこで第4の男登場、となったわけです。
当時のデートがどんな感じだったのか、想像しながら書けて物凄く楽しかったです。
この楽しさが、皆様にも届きますようにと祈りながら…。
ここまでお読みくださってありがとうございました。
2007.11.01 飛鳥 拝
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