―見渡す限りの、紅だった―。





 紅蓮の炎はその場にあるもの全てを灰と化すかのように高く、高く舞い上がる。
 ちり、と髪の先が炎に触れる音がしてはびくっと肩を強張らせた。
 小刻みに震えるその身体は、直ぐそこまでに迫った炎に対する恐怖か、目の前に叩き付けられた現実への戦慄か―。

 「嫌だ、ボクは未だ死にたくないっ!」

 刹那、頬を両の手で叩いて己の心を奮い立たせると燃え盛る炎の向こうを目指して身を躍らせた。



 ―嫌だ。

 真っ赤に染まりながらも、最期まで小さく蹲ったまま動こうとしなかった母さん。
 軍医としての生を全うする夢も叶わずに、呆気なく戦地で果てた父さん。
 罪もない民を巻き込みながら、止む事なく繰り返される戦。
 そして―

 こんな世界で何も出来ないちっぽけな自分が、この上なく嫌だった。

 このまま、為す術もなくこの地の肥しになるなんて真っ平御免だ。
 身体は動く…なら、ボクは戦える筈だ。



 は「戦える」と自分に言い聞かせながら走った。
 そして、家の外に立て掛けてあった長柄の鎌を手に取る。
 これは家の手伝いで何時も使っていたもの―

 ―もしかしたら、お前は医師よりも武の道を目指した方がいいかも知れんな―

 頭の中に、かつて父から茶化すように言われた言葉が甦る。
 こみ上げてくるものに鼻の奥がぐっと熱くなるが、直ぐにかぶりを振った。

 泣いてなんか、いられない。
 ここは…もう住み慣れた場所じゃない。

 何れは焼けて炭になるだけの………戦場だ。





 ―目の前に広がる世界は、どこまでも紅かった―。










 紅―くれない―










 たかが山賊がこれ程までの暴挙に出るとは、誰が予想し得ただろうか。
 まるで一方的な戦を見るような殺戮と奪略…そして、逃げ惑う人々を嘲笑うかの如く燃え盛る炎。
 武器を持ち戦う事を知らない人々の殆どは力なく斬られ、なけなしの農具を持ち抗う人々はその抵抗も虚しく、同じように地へと斃れていった。

 ―これが、乱世の魔手。

 ボクは、無謀な事をしているのかも知れない。
 身体の大きな男達に、鍛錬もろくにしていないたった一人の女が敵いっこないっていうのは…戦わなくても解る。
 軍に所属していなくても、力を持つ者は幾らでも居る…今まさに迫って来ようとしている山賊共のように。
 もしかしたら、ボクも大人しく何処かに隠れていればもっといい未来が待っているのかも知れない。

 だけど、とは自分の手にある得物をぎゅっと握りしめた。

 ―嫌だ。

 先程、炎の中で叫んだ自分の言葉を反芻する。
 こめかみに汗が滲み、背中を冷たいものが走るが…は構わずに、へらへらと笑う荒くれ共の集団へと足を駆った。

 『人を殺めるのは、人を生かす事よりも簡単で、重い事だ』
 幼い頃から教えられ続けた人の命の重さ。
 だけど、自分の命よりも重いものは………今のボクには、ない。

 だから、ボクは――。



 ―ざしゅっ!



 下卑た笑みを浮かべる荒くれた男の首に、紅い一筋を与える。

 「う、わ…何、しやが、る………」

 「…父さんがよく言ってたよ。 油断大敵だ、ってね」

 「て、め………ぐはぁっ!」

 口や喉元から相当量の飛沫を降らせ、どさりと地に果てる男。
 やはり、命の重さを知っているからこそ、その一撃も重くなるのだろう。
 それを見て、今迄突如現れた女に浮き足立っていた山賊共の動きが一斉にぴたりと止まる。
 ごくり、と固唾を呑む音が聞こえて来そうな程、その場は静まり返った。
 は紅く染まった刃を見遣り、軽く息を吐きながら零す。

 「極悪人でも、流れるものは紅いんだね」

 刹那
 「んだとぉっ!? 俺達を何だと思ってやがる! 構わねぇ、やっちまえ!」
 集団の中から大音声が響き、小振りの斧を掲げた男が我先にとに駆け寄った。
 その鈍重な一直線の動きは、今のにしたら避けられないものではない。
 今迄父の元で培った医学の知識―身体の構造―が透けて見えるようだ。

 「…動きが、単純なんだよっ!」

 振り下ろされた斧を身を軽く捻るだけで避けると、長柄の鎌を逆手に持ち替え、体勢を崩した男の身体を掬い上げるように斬る。
 切れ味鋭い刃はいとも簡単に肉や骨を裂き、貫いた。
 目の前に飛び散る飛沫を浴びながら、は次の一手を思案する。

 …今の奴等は、隙だらけだ。
 このまま不意をつけば――前に居る頭らしき男の首くらいは取れるかも知れない。
 だけど―





 「お頭ー! やばいですぜ! 軍からの討伐隊が来やしたー!」



 刹那、の思案を遮るように…突如後方から声と共に大きな足音が近付き、今迄の一撃に唖然としていた山賊共が再び浮き足立つ。
 「どうしやす、お頭?」
 「この女、連れてさっさとずらかっちまいましょうや、お頭!」
 「おっ…俺は逃げるぞ!」
 それぞれが言いたいことを言いながら別々に動き出す。
 頭の命令を待つ者、武器を投げ捨てて逃げる者、どさくさ紛れにを値踏みする者。
 そのうちの一人がの身体へと手を伸ばすが―



 「お前ら、動きが遅ぇんだよ」



 どごっ―



 の目の前に立ちはだかった人馬に、それは阻まれた。
 背中にある得物―大きな戦斧―を手にする事なく、拳一発で大の男をねじ伏せる。
 そして、彼が軽く手を上げた刹那、後ろに控えていた騎馬兵が他の山賊へと襲い掛かり、次々と取り押さえていく。
 瞬く間の行動に、は何時の間にか力なくその場にへたり込んでいる事にも気付かずに茫然としていた。

 ―凄い。
 これが、統率の取れた軍の、力………。

 は戦を知らなかった。
 父が生きていた頃、戦場で傷ついた兵を見る事はあったが、実際に戦っている場面に出くわしたことがない。
 この村落が山賊に襲われても、今迄は数人の腕に自信のある者だけで撃退出来ていた。
 眼前で繰り広げられている光景は、実際の戦からすれば大したものではないのかも知れない。
 だが、にしてみればかなりの衝撃だった。
 あのまま、荒くれ共と一戦交えていたとしたら………。
 突如襲われる恐怖に身体が震え出し、自分の腕を抱きながら小さく蹲る。

 先程の勇ましさは何処へやら、だ。



 刹那、小さくなるの目の前に大きな手が差し伸べられた。
 お前の働きは立派だったぜ、と言うその声に恐る恐る顔を上げると…その大きな体躯に似つかわしくない、はち切れんばかりの笑顔があった。
 その屈託のない表情に、の緊張が一気に解れ
 「あんな奴等に…っ」
 込み上がって来るものに抗う余裕もなく、止め処なく嗚咽を洩らし始めた。

 本当は、怖かった。
 何度も、何度も助けて欲しいと心で叫んでた。
 だけど………

 「お前は、生きたかったんだよ、な」
 「………っ!」
 不意に頭に暖かいものが触れ、ははっと息を呑んだ。
 男の、大きな手。
 その懐かしい感触に、涙が更に溢れてくる。
 「ボクはっ…死にたく、なかった」
 「生きようとする心は、時に己の限界以上の力を引き出す」
 殿の受け売りだけどな、と笑い飛ばしながらの頭をポンポンと軽い調子で叩く男。
 見た目こそ無骨で、視線の向こうで取り押さえられている荒くれ共と変わらない出で立ちをしているが…この手は、間違いなく優しい。
 …この人が、あの 『悪来』 か。
 刹那、母から聞いていた話を思い出した。

 ―典韋様はね、見た感じは怖いけど…実はとっても優しい方なのよ。

 成程、とは改めて典韋を見上げる。
 すると…もう泣くな、と言いながら頭を撫で続けるその笑顔が少々困惑したように崩れている。
 どうやったらコイツは泣き止むんだ?とオロオロしているその様子を見ているうちに、の涙は何時しか止まっていた。



 が落ち着くのを待って、漸く典韋が話しかける。
 「お前、この村の者だな。 名前は?」
 「…、です」
 「そうか。 わしは―」
 「『悪来』 典韋様、ですよね。 ボクの村にも名は知れ渡ってましたよ」
 典韋の言葉を遮るようなの切り返しに、二人から自然と笑いがこみ上げてくる。
 周りを見ると、何時終わったのだろう…荒くれ共は、一人残らず典韋が引き連れてきた騎馬兵の馬に括りつけられていた。
 兵達は揃って所定の位置につき、上官の命令を待っている。
 「。 この村の生き残りは、お前だけか?」
 「…多分。 アイツらの勢いは半端じゃなかった。 瞬く間にそこら中を焼き払い、抵抗するしないに関わらず…皆斬ってった」
 典韋の問いに、視線を伏せながら答える
 その再び迫り来る涙を堪える様子に、典韋は一つ大きく頷くと―

 「そうか――お前ら、半分はここに残れ。 残りの半分は…わしに続いて生き残っているヤツを探せ!」

 並み居る騎馬兵の前に立ち、檄のような声を上げた。
 刹那、騎馬兵が一斉に動く。
 本当に半分…兵が馬から降りて典韋の前へと並び、残りの兵は馬と括りつけた山賊の見張りに入る。

 「うーん、お前とお前は北の方を探せ。 お前は…そうだな、あっちの大きな建物の方へ行ってみろ」

 はてきぱきと兵を動かしている典韋を目を瞬かせながら見つめる。
 ただ豪快なだけでは、ここまで統率は取れないだろう。
 それが彼の人徳でもあり、彼の一軍を率いる将たる所以なのだ。
 「、わしらも行くぞ」
 「はい」
 再び差し伸べられた手をその手に掴み、は典韋に導かれるまま、歩き出した。










 「やっぱり、皆死んじゃったんだ…」
 案の定、この炭の山になってしまった村には、生き残りと言える者は居なかった。

 この場に居る以外に―。

 すると、目の前の大男がその身を小さくして首を垂れる。
 「…すまねぇ。 わしらがもう少し早く着いていたら…もっとたくさん助けられたかも知れねぇ」
 本当にすまねぇ、と何度も詫びる典韋に…は笑顔を返した。
 「止めてください、典韋様。 貴方は、ボクを助けてくれた…それだけで充分です」
 「でもよ、それじゃぁお前が…」
 「平気です。 ボクはたった一人の生き残り………だけど」

 ―目標が、出来たから。

 典韋を真っ直ぐに見つめるの瞳には、既に強い光が宿っていた。
 「、お前―」
 「典韋様、一つだけお願いがあります。 ボクを…貴方の軍に、連れて行ってください」



 貴方の人となり、そして軍を動かす力。
 それには到底敵わない、けれど―

 貴方の近くで、ボクは自分の出来る事を探す。
 これが、たった一人生き残ったボクの使命だと、思うから―。



 「よしゃぁ! その心意気、気に入った! 後はわしに任せろっ!」
 典韋はそう言いながらの身体を片手でひょいと持ち上げ、自分の馬へと乗せた。
 そして、その後ろにひらりと跨ると、己の拳を天に突き上げ、大声を発した。

 「よっしゃ。 お前ら、帰るぞ! 貴重な戦力を連れて、なぁ!」





 馬から振り落とされないように自分を支える逞しい腕。
 それに心地よく感じながらも、は先程典韋の発した言葉にちょっとした疑問を感じる。
 「ちょっ…典韋様、今戦力って…」
 「さっきのお前の鎌捌き…遠目だったけどよ、なかなか気合入ってて格好良かったぜ!」
 「あの…ボク、武の道よりも医学の方に通じてるんですが…」
 「心配ねぇよ! わしが教えてやる! 戦える医者ってのも、悪くねぇだろ」
 がはは、と豪快に笑い出す後ろの人に苦笑を浮かべる



 さっきのボクの戦い方が、そんなに気に入ったのだろうか?
 それより、ボクは未だ…医者じゃないんだけどな。



 心の中で反論しながらも、彼の大笑いにつられて笑みが零れる。
 そして、ふと前を見据えると―





 ―夕陽に照らされた大地は、何処までも紅かった―。







 劇終。





 アトガキ

 お久しぶりの管理人です。
 近頃、企画との並行につき少々本館の更新頻度が落ちておりますが…
 今回、発奮材料として………

 第4のヒロインをデビューさせますっ!(←ここ、拍手処ですっ
 詳細設定は後日、アップさせていただきますので…そちらも乞うご期待ということで(何

 このお話、実は最初お相手さんを出さない予定でした。
 なので…この前置きの長さになったんですが…(汗
 しかし、それじゃ夢ぢゃねぇだろ、と急遽コッパゲさんを出してみました。
 意外にしっくり来たと思っているのは…管理人だけでしょうか!?

 このようなお話でも………少しでも楽しんでいただければ幸いかと。
 (詳しい裏話などは日記にて書く予定ですw)


 ここまでお読みくださってありがとうございました。

 2008.06.21     飛鳥 拝



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