時の流れに沿って力を取り戻した太陽がこの地を暖かくしていく。
とは言え、朝晩は未だ冷えた空気に支配されているこの季節。
この部屋にいる男女二人も例外ではなく…火鉢がしっかりと機能している中、卓を挟んで向かい合って座っていた。
「ねぇ…」
「………ん」
女の少々甘えたような呼びかけに、短い声のみで返す男。
顔を上げず、己の行為に没頭している姿を見て…女はむぅ、と眉間を寄せるがそれでも懲りずに声をかけ続ける。
「ねぇってば」
「………ん?」
「ねぇ…子龍?」
「…何だ」
しかし何度呼んでも、返ってくる反応に変わりはない。
一向に視線を絡めて来ない相手の鈍感さに、女の堪忍袋の緒が軋み…直後、とうとうぷつりと切れてしまった。
邪魔になるため、一旦卓の下に置いていた書簡を殆ど反射的に引っ掴むと―
「あんたって人は………恋人の呼びかけより、そんなに飯の方が大事なのかっっっ!」
ばっしーん!!!
男の頭へと、力一杯に振り下ろした。
幸せを、探して
の手にした得物!?は、見事に相手の頭に命中し…その刺激で漸く趙雲が顔を上げる。
「何をそんなに怒っているのだ? 」
「貴方の態度に、よ。 ろくな返事をしないから」
「…返事なら、ちゃんとしていただろう」
何故お前が怒るのか私には解らない、と少々盛り上がった頭を擦りながら僅かな苦笑を浮かべて言う趙雲には同じような表情で返した。
勢いよく振り下ろした書簡を再び卓の下へ戻すと、相手によく聞こえるように大きく溜息を吐く。
「あのね、子龍。 私はね…倦怠期の夫婦みたいな反応なんか要らないの」
確かに、二人の付き合いは年を何度か跨ぐまで続いている。
周りの面々の話題は目下 『趙雲とが何時祝言を挙げるか』 という事に集中していたが…そこは多忙な二人の事。
近頃は戦も中休みなのか、小さな小競り合いもなく…一応は安穏とした毎日であったが、方や趙雲は戦火渦巻く乱世の中で己の武を振るう、蜀軍を担う五虎将のうちの一人…方やは怪我人や病人の治療をするため日々城下の町や城内を駆け回る軍医だ。
幾ら固い絆で結ばれているといっても、互いに忙しくてはそこまで話が及ばない。
それでも毎日、僅かな時間でも共に居られるだけで充分だと、二人は思っていたのだが―。
「倦怠期、とは…可笑しな事を言う」
「んじゃさ、何で前みたいに呼んだら直ぐに私の事見てくれないのよ」
は卓の上に箸を置きながら両手を突くと…茶化すような笑みを零す趙雲にずい、と不貞腐れた顔を近付けて言った。
元来、趙雲の性格は一点集中型だ。
一度こうと決めた事はとことんまでやり通したし…一人の女を愛する心は、愛される当の本人ですら容易に理解出来る程一途だ。
しかし、その反面…それが仇となる事があった。
そう…今の場面のように、一つの事に集中すると周りがあまり見えなくなるという事。
かつてを愛し始めた頃は、食事も喉を通らなかったらしい。
しかし、今は目の前にある朝餉に気持ちを奪われているように見える。
たかが朝餉に負けるとは…とが些か八つ当たりのような目で卓を彩る食べ物達を睨んでいると―
「朝餉は、食べてしまったらそれで終わりだが…、お前は飽きる事なく私の傍に居てくれている」
すまない、私はそれにすっかり安心していたらしい。
突如吐かれた、趙雲の心憎い言葉がの心をぐっさりと貫いた。
やれやれとかぶりを振りながらも、先程まで不貞腐れた気持ちが一気に晴れていくのを自覚する。
安心―。
はそれこそ愛し合う二人が必要なものだと思う。
どのような時でも…例え戦乱の地に身を投じている時だったとしても、その人と同じ時を共に生きていると感じる事が出来る。
それが、自分自身をどれだけ安心させてくれているか―。
今、目の前の男がのたまった言葉で簡単に喜びを抱え込む己の心に少々呆れながらも、は思った。
仕方がない…今回は許してあげよう、と。
「ねぇ、子龍―」
自ら淹れたお茶を差し出しながらが呼びかけると、今度は 「ありがとう、」 と視線をしっかり絡めて答える趙雲。
空になった食器も片付けられ、朝餉の時間は終わりを告げようとしていた。
本来ならば二人にはここから別々の日常が待ち受けているのだが―。
「あのさ、今日…何か予定ある?」
卓に頬杖を付き、何処か楽しげに尋ねるの口調は明るい。
それもその筈、今日は本当に久し振りに訪れた二人同時の休日。
そんな日に、部屋で燻っているのは些か勿体無いと思った彼女は…最初からある提案を趙雲にするつもりだった。
しかし、それは相手の予定がなければという話。
自分以上に執務のある彼は、偶に訪れる休日も返上という事が多々ある。
それを考えてか、彼女の提案は少々遠回しな言い方になったのだが…その思いを余所に、相手から嬉しい言葉が直ぐに返って来た。
「私もお前も予定がないから、ゆっくりしているのだろう? ならば、今日は共に過ごそう」
「うん! ありがとう、子龍。 それじゃ、さ…」
卓に再び両手を付き、満面に穏やかな笑みを乗せる趙雲に自らの顔を近付けて語り出す。
その表情は…先程とは違い、新しい遊びを編み出した子供のように純粋で、何の屈託もなかった。
「― 『幸せ探し』 ?」
「うん。 小さくていいのよ…貴方と一緒に探してみたいなって」
「はは、また面白い事を思い付いたな、。 …天気もいい。 偶には散歩でもするか」
「うん、城下を歩きながら小さな幸せを探そう!」
善は急げ、と身支度を整え…意気揚々と外へ出て行く二人。
手に手を取り合い、並んで歩く姿こそ一番幸せに見えるのだが…当の本人達は気付いているのか、否か………!?
の思った通りだった。
何時もは意識しないで通り過ぎるような極々普通の町並みでも、探そうと思えば小さな幸せは幾らでも見つかる。
活気溢れる城下で忙しくも楽しげに働いている行商人達を見ているとこちらも元気にさせてくれるような気がした。
道端でふと見つけた、この季節には珍しい早咲きの花は…その存在だけで自分達の心を癒し、潤してくれる。
そして、通りかかった茶屋の女将に不意に呼び止められ、饅頭と暖かいお茶を振舞われた。
流石に…この時は、傍らに居る趙雲から
「大方、物欲しそうな顔をしていたのだろう」
とからかうように言われ、私ってやっぱり色気より食い気なのかしらと少々凹んだりしたのだが…それでも、饅頭の美味しさで全て帳消しとなった。
つかの間の平穏でも、この人と一緒に街中を闊歩しているという事実も、幸せの一つだとは改めて思う。
それは恐らく…いや、確実に隣の男も同様に感じている事だろう。
太陽が天頂に昇り、茶屋で軽い食事を終えた二人は再び城下の賑わいを満喫していた。
すると―
「おぉ、趙雲とではないか。 丁度いい、少々私に付き合ってくれ」
人ごみの間に大きな隙間が出来た次の瞬間、そこから現れた人物から声がかかった。
何人ものお付きを従え、物々しい雰囲気を醸し出しながら現れたその人は…この地を治める君主、劉備。
お付き以外にもたくさんの町人が嬉しそうな表情を湛えて遠巻きに集まっているところを見ると、流石は仁君といったところだ。
しかし、はその穏やか過ぎる雰囲気と丁度いいという言葉に嫌な予感を覚える。
今日は視察に出ると言っていたが…大方、何事もなく暇なのだろう。
殿の事だ…視察は大勢の方が安全かつ楽しいとでも言って来るに違いない。
自分には何の罪もないといった表情で穏やかさを失わない君主と、何処か困ったように眉を顰める恋人を交互に見遣りながらは大きく溜息を吐いた。
…二人きりの楽しい時間も、ここで終わりか、と。
この場で趙雲が断れる筈などない。
彼にとって、劉備の存在はある意味絶対なのだ…その君主からの願いであれば、無碍にしないだろう。
再び溜息を吐くと、君主の希望に沿うべく口を開くが…刹那、別の声に遮られ、あんぐり開けたまま塞がらなくなる。
「申し訳ありません、劉備殿。 その 『任務』 …本日は休日故、お断りします」
その声に、場がまるで時が止まったかのように凍りついた。
君主の願いを 『任務』 とのたまったのは、驚いた事に…断らないだろうと誰もが思った趙雲自身。
その瞳は真摯ながらも、何処か怒りを抑えているように感じる。
は、恋人が突如吐いた思い掛けない言葉の中に…邪魔をするなという彼の心の声が聞こえた気がした。
刹那、はっと息を呑み…趙雲の服の袖を軽く引きながら 「ちょっ…子龍、いいの?」 と問うが、当の本人は至って冷静だ。
心配そうに見上げるの顔を笑みを含んだ瞳でちらりと見て一つ頷くと、再び劉備の方へ力強い視線を向けた。
すると、目の前の君主は今の無礼を咎める事なく穏やかなままで二人を見据える。
「そうか。 今日は久し振りに二人揃っての休暇だったか…すまぬ、邪魔をしてしまったな」
「いえっ…! 邪魔だなんて、そんな…」
突然劉備から与えられた言葉に戸惑い、二の句が告げない。
そんなに私達の表情が 『邪魔をするな』 という雰囲気を出していたのか、それとも…。
しかし君主は、それを見て声を高らかに笑いながら踵を返し
「はっは、そのように照れなくとも良い、。 …では」
私は大人しく視察を続けるとしよう、と従者と共に二人の横を通り過ぎた。
その一団を拱手で見送る趙雲の背中を見つめながら、も同じように深く拱手をする。
…ここでも 『幸せ』 を見つけた。
一緒に居る私を気遣い、君主たっての願いを断ってくれた趙雲。
断られながらも気を悪くせずに、二人の仲を優先してくれた劉備。
そして、そのお人好しと言っても過言ではない人が君主だという事。
あまりの喜びに心が舞い上がってしまったのだろう…刹那、は先程の趙雲のような驚くべき行動に走る。
「ありがとう、子龍! 大好きよ!」
嬉しい悲鳴が如き声を上げ、趙雲の首にぶら下がるように抱きつくと―
その声に目を白黒させて驚く彼の唇に口付けを落としたのだった。
「今日は、楽しかったな…」
ありがとう、と心から感じる言葉がの耳に心地よく流れて来る。
一日が終わるまで、一緒に過ごせた。
喧騒という言葉が似合いそうな日々の忙しさを忘れさせてくれる人を、今日は独り占め出来たのだ。
…それだけでも、今の私には幸せだ。
そう思いながら、二人は今日一日の出来事を共に振り返った。
そして―
「ねぇ、子龍…。 私、今日一日で解った事があるの」
「…何だ?」
「それはね―」
今日見つけたたくさんの小さな幸せ。
その小さな幸せの積み重ねが―
何れ、大きな幸せになるんだ、って―。
探し物は何ですか?
見つけ難いものですか?
いいえ―
― それは、あなたの直ぐ傍にある ―
劇終。
アトガキ
ども、あまちゃん管理人です(汗
今回は久し振りにサイトを飾って(散らかして!?)いるお題を使用してみました。
『何かを、探して』
このお題、実は浮かんだ瞬間にあの有名な楽曲が頭の中に響き渡りました。
まぁ、最後に歌詞をパクッとしてしまいましたが(汗
久々に完全なベタ甘を書いた気がします。
そして…最近、私の中での子龍さんはお笑い担当らしいです(ぇ
このようなお話でも………少しでも楽しんでいただければ幸いかと。
(詳しい裏話などは日記にて書く予定ですw)
ここまでお読みくださってありがとうございました。
2008.04.23 飛鳥 拝
使用お題『何かを、探して』。
(当サイト「『何(なに)な10のお題』」より)
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