敵でなければ、もっと解り合えたかも知れない―。










 光に抱かれるもの、闇に抱かれるもの










 「ようやく…油断してくれましたね、妲己」
 丞相である諸葛亮の一言が静まり返った城内に響いた。
 大阪城。
 本来は違う世界にあるべき土地。
 得体の知れない力が及ばなければ、見る事も叶わなかったもの。





 三国の群雄が犇めき合っていた世からこの歪んだ世界に飛ばされ、気がつけば一家離散の如く皆が離れ離れになっていた。
 そして、途方に暮れる間もなく襲い来る異形の者共。
 流石の諸葛亮も全てを把握するのに時間を要したが、その後の彼の行動力も然るものだった。
 早速敵陣へと赴き、いとも簡単に敵の懐というところまで入り込んでしまったのだ。

 敵を欺くには、先ず味方から―。

 同士討ちとも言うべき戦の数々を最小限の被害で進め、その間に趙雲達の軍を大きくする。
 彼の思惑はほぼ理想的な形で今、目の前にある。





 諸葛亮の足元に跪くは…妖艶な空気をその身に纏った異界の者。
 彼の渾身の策により力を奪われた身体を重たそうに起こし、羽扇を携えた男を見上げている。
 「今迄…我慢していたの? 諸葛亮さん」
 「全ては妲己…貴女を欺く為の策です。 さ、観念してください」
 「………」
 力なく項垂れる妲己。
 その心中は穏やかではないだろう。
 思うように戦が運ばない中…殆ど苦し紛れに彼を信頼したため、遂には自分自身も敵に捕らえられてしまった。
 悔しさにぎり、と唇を噛み締める。
 「信用するんじゃなかったわ。 諸葛亮さん、あなたなんか大嫌いよ」
 捨て台詞のような言葉を零しながら妲己は蜀軍の縄にかかった。





 これで最終決戦に向けての駒は全て出揃った―。
















 妲己が捕らえられている牢は大阪城の片隅にあった。
 頑丈な木材で設えられてあるその扉は、戦国の世で作られた錠によってがっちりと閉じられている。

 妲己…。

 牢の前に立ち、は背を向けたまま微動だにしないその姿を扉越しに見据えた。
 女であるですら眼を見張る程、美しく…それでいて妖艶な風貌。
 しかし、ここ数日の牢の生活に堪えているのか…その後姿には少々影がある。

 …幾ら異界の者であっても、流石にまいるわよね。
 ここは、敵陣だから―。

 こちらの気配に気付いたのか、牢の中の華がゆるりと振り向いた。
 「…誰?」
 気だるそうに吐き捨てる言葉にも、今迄の勢いはない。
 はふっと溜息に近い笑みを零し、妲己へと更に近付く。
 「貴女は覚えてないかも知れないけど…よ。 成都ではどうも」
 「…あぁ、諸葛亮さんの腰巾着に付き従ってた武将さんね。 覚えてるわ」
 男勝りの武勇にちょっと驚いたから、との軽い挨拶に妲己が少々からかうように答えてくる。





 成都―。
 孤立無援だった姜維と共に南中の地で趙雲と合流してから…そこで妲己と初めて対峙した。
 様々な策を以って人間を操り、次々と混乱に陥れる…。
 は初め、そんな彼女に戦慄すら覚えていた。

 その残虐ともいえる策は、本当に彼女の性格所以なのか―。

 しかし。
 一戦を交えた後、
 「それなりに楽しめたかな…じゃね」
 と吐き捨てながら敗走していく彼女の後姿から 『何か』 を感じ取った。
 それは水を掴むような漠然としたものだったが、はその 『何か』 が自分の中にあるものと同じだと感じた。
 だから今、彼女と再び対峙している。
 彼女の 『心』 が己の想いと同じか否かを、確かめるために…。





 「…何か用? もしかして諸葛亮さんから悪態の一つでも吐いて来いって言われた?」
 に改めて向き直り、見上げながら厭味の一つを吐き出す妲己。
 その一言に軽く笑うと、は牢の前にどっかと腰を下ろす。
 「ううん…ここに来たのは私の勝手。 妲己、貴女とゆっくり話がしたいと思ってね」
 「物好きなんだ、さん。 …いいよ、丁度退屈してたところだし」
 「…ありがと」
 は妲己の言葉に短く返し、優しく微笑むと…徐に懐の中から自分の首にかけていた首飾りを取り出した。
 「何? それ」
 「勾玉よ。 丞相が私に、最初の戦へと赴く時にくださったの」
 「ふぅん…。 で、それが何?」
 の行動に素っ気無い返事をする妲己の表情は訝しげだ。
 何を言い出すかと思えば…私に関係ない事じゃない、と小さく呟く。
 しかし、妲己の答えに気を悪くするでもなくは笑顔を揺るがせない。
 いや寧ろその笑顔を更に強くする。
 「これを丞相に戴いた時、凄く嬉しかったのを覚えてる。 …ここだけの話、その頃から丞相の事が好きだったから」
 「へぇ…さんって諸葛亮さんの事、好きだったんだ」
 「…うん」
 妲己の意地悪い笑みにはにかんだ笑顔で答える。
 直後、今迄の笑顔とは明らかに違うものを向けるに妲己は余計に意地悪く唇の端を吊り上げた。
 妻の居る男を愛したところで…その想いが報われる筈ないでしょう、と。
 「意地でも奪い取ろうと思わないわけ? さんてば物好きに加えてお人好しなんだ」
 「お人好しで結構よ。 私はあの方と一緒に居られるだけでいい」
 「…私には解らない。 そんな気持ちのまま、配下で居られるなんて」
 両手を広げて少々大袈裟に呆れてみせる妲己だったが。
 牢に向かって身を乗り出したの表情が一瞬にして変わったのに驚いた。
 今迄自分がに向けていた意地悪い笑みをそのまま返されたような表情に…。
 「なっ…何よ、さん。 私の言った事に文句でもある?」
 心の動きを隠すように直ぐ声を発する妲己。
 だが、牢越しに座るはその一瞬の狼狽を見逃さなかった。
 直ぐにでも悪戯を仕掛けるのではないか、というような笑いをその顔に浮かべると
 「文句なんかないわよ。 ただ…妲己、貴女も同じような気持ちを持ってるんじゃないかなぁ、と思って」
 恋する女の勘なんだけどね、と目の前で自分を見据えている異界の女に詰め寄った。



 あの時。
 捨て台詞を吐いて退いて行く妲己から感じた 『敗走する悔しさ』 とは違うもの。
 それはきっと…。
 『想い慕う人の期待に応えられなかった』 という哀しさじゃないのか、と。
 そして。
 その想いが決して報われる事のないものだ、と…。



 「…さん、深読みし過ぎ。 もう…これだから人間って面倒!」
 「まぁまぁ…。 そんな事言いなさんな」
 半分切れたような風に声を荒げる妲己を笑いながら宥める
 この妲己の様子から自分の言った事が 『図星』 だと解った。

 やっぱり。
 異界の者だとしても、所詮中身は女。
 その胸に抱える想いは、同じなんだね…。

 「でもさ、何で貴女はあの人を手に入れようとしないわけ? 少なくとも私より状況は悪くないのに」
 「………」
 先程、自分自身が発した問いをそのまま返された妲己は言葉を失う。
 かの人を想っているのか…何かを思案するように天井を仰いだ。

 そして…一時の後。
 妲己は視線を下げ、再びの笑み溢れる顔を見据える。
 「あの人は…一番近くて遠い人。 私が幾ら想っても、それよりずっと高いところを見ているような人なの。 私の事なんか少しも見てくれない」
 「ふぅん…。 やっぱり私と同じじゃない、妲己。 手の届かない人を想う気持ちが、ね」
 「あはは…やられた。 さんにばれちゃった」
 揺すらんがばかりに牢の木枠に手をかけて更に詰め寄るに妲己は観念したのか、漸く心から笑い声を放った。
 それに合わせるようにも声を上げて笑う。
 「あはっ…いいじゃない。 そっちの軍にはこういう事話せる人って居ないでしょ?」
 「確かにね。 …あなたにはお礼を言わなくちゃいけないかな。 ありがとう、さん」
 妲己の、心から放ったお礼の言葉。
 しかし、は一瞬「ん?」と疑問の表情を浮かべた直後おどけるように両手を広げて天井を仰ぐ。
 「あら、妲己が珍しく素直になったわ…。 明日、天から槍が降って来なきゃいいけど」
 「ひっど〜い! 人が折角お礼を言ってやってるのにっ!」
 「「あはは…」」



 暫し、その場は二人の笑い声に包まれる。
 それは、彼女たちの間にちょっとした 『友情』 が生まれた事を祝うように空へと響き渡った―。










 笑いの波が引いた二人は再び言葉を交わし始める。

 抱えた膝の上に顎を乗せるようにして妲己がを上目遣いで見やる。
 「でも、さん…好きな人に対する気持ちがあなたと同じだなんて、何だか不思議」
 「そう? 私は不思議だと思わないわ。 だって…心を奪われたものが 『光』 か 『闇』 かの違いだけでしょ?」
 牢の扉に半身を寄りかからせて妲己と視線を合わせながら、は当たり前のように言い放った。

 そう。
 人を想う気持ちは二人とも同じ。
 ただ、その相手によってお互いの明暗が分かれているだけだ、と―。

 「そう考えれば納得。 …でも」
 「…でも?」
 納得しながらも未だ何か言いたげな妲己にが問いで返した。
 彼女の中に、この気持ちを否定したいところがあるのだろうか…?
 少なくとも、今の自分にはそのような蟠りは存在しないのに…。
 すると、そんなの独り言を余所に妲己が先程見せた意地悪い笑みを復活させながら詰め寄る。
 「さんが『光』 で 私が『闇』 。 …あなたの言いたい事は解ったけど、案外諸葛亮さんの方が 『闇』 かも知れないよ?」
 「お!? …成程」
 は妲己の一言に感嘆した。
 確かに、彼女の言葉は言い得て妙だ。
 自分の目的を成すためには味方をも欺くような策を容赦なく巡らす丞相は、ある意味黒い。
 そこまで思い至ったは再び笑い声を響かせた。



 「あははっ! 丞相が 『闇』 か…。 ある意味正解だわ、妲己」










 「…、何処で油を売っているんですか? 軍議が始まりますよ」
 遠くから聞こえてくるが想い慕う人の呼び声。
 それに合わせては「どっこらしょ」と重い腰を上げる。
 「楽しい時間をありがとう、妲己。 …そろそろ行かなきゃ」
 「ねぇ、さん。 …また、あなたと話がしたいな」
 「じゃね」と手を振るを制するように妲己が名残惜しそうに声をかける。
 しかし、はさっと素早く振り返ると
 「そうね。 でも妲己…貴女、どう足掻いてもあの人の許へ戻るつもりなんでしょ?」
 かぶりを振りながら唇の端を軽く吊り上げた。
 刹那、妲己が同じような笑みをに投げかける。
 「あら、ばれちゃった。 …さん、今度会った時は容赦しないからね」
 「こちらこそ」
 はそう言って諸葛亮の声がする方へ踵を返したが…何歩か足を進めた刹那、不意にその足を止めた。
 そして、再び妲己へと振り返ると…改めて手を振りながら言葉を投げつけた。



 「妲己。 それじゃ、またね!」







 走り去る 『つかの間の友人』 の背中を黙って見つめ続ける妲己。
 その心の中には、間違いなくと同じ気持ちが存在していた―。










 劇終。







 アトガキ
 ふぅ…疲れました(年寄りかっ!)。
 これも初挑戦、女性(!?)武将との友情夢♪
 舞台は蜀の第7章…大阪城の戦いの後でのお話。
 諸葛亮さん(あ、ダキちゃんの口調が伝染った)が隠れたお相手です(汗

 前から書きたかった友情夢なんですけど…。
 今迄いいネタに出会えませんで…遂にはこのような形で実現 orz
 しかし。
 ダキちゃんの中に『女』を感じるのは私だけでしょうか?
 それがこの話で出せたらいいな、と思いぺそぺそしました。
 少しでも楽しんでいただければ幸いです。

 ここまでお読みくださってありがとうございました。

 2007.10.16     飛鳥拝


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