がこの軍に仕官してから幾年月――

 毎日変わりもなく同じような仕事をこなしている彼女の許にある日、郷里より一通の便りが寄越される。

 その内容に、彼女は驚愕と共に大きな悩みを抱え込んだのだった――










 言の葉にならぬ想い
       ――『仮面の下の笑顔』 番外編 ――










 ――あの方へ、どのように打ち明けたらいい………?

 朝からはそればかり考えていた。
 空は昇ったばかりの太陽を快く受け入れるかのような澄んだ青を見せているのに、彼女の心はどんより曇っている。

 その原因は昨日届いた郷里の父からの便り。
 変わりはないか、とか身体を壊しては居ないか、などという何時も通りの文面の後に書かれていた事柄には心から驚いたのだ。
 要約すると――

 『お前に会ってもらいたい人が居る。
  勿論今のうちならば断る事も可能だがお前もいい歳だ、そろそろ親を安心させてくれ』

 早い話が『見合い』である。
 便りを読んだ瞬間、あまりの唐突さに「はぁ!?」と柄にもなく叫んでしまった程の衝撃。
 だが、これだけならが思い悩む必要はない。
 直ぐにでも父に断りの便りを送ればいいのだから。
 それにも関わらず彼女が行動に移さないのは、心にある人の存在だった。



 ――趙雲、様。



 この軍に来てから直ぐに仕えた人、そして――過去にたった一度だけ、好きだと言ってくれた人。
 彼にとって自分がどういう立場にあるかは自身が一番よく知っている。

 身分不相応の恋。

 しかし、一度自覚した想いはそう簡単に覆りはしない。
 ならば………報われなくともせめて傍に居たいと思うのは致し方ない事だろう。

 「この話を耳にしたら、あの方はどういう反応をするかしら?」

 ぼんやり歩を進めているうちに何時の間にかその本人の部屋の前に辿り着き、扉を目の前に人知れず独り言を零す。
 無意識にそこで足が止まったのがそれだけ趙雲との付き合いが長い事を物語っていた。







 「――が、見合い!?」
 「えぇ、郷里のお父様が是非会って欲しい人が居る、と便りを寄越しまして………」

 案の定なのか否か、朝餉の席で突然女官の口から吐かれた言葉に趙雲は心底驚いたようだ。
 口に運んでいた筈の箸を落としたままを真ん丸く剥いた目で見つめている。
 この反応、は未だかつて見た事がない。
 何時だって冷静沈着、幾ら付き合いが長かろうと心の動きをそう簡単に見せない人が露にした態度に彼女の方が面食らった。

 「あ、あの趙雲様、箸が――」
 「いや………あぁ、すまない。 今までお前にそのような話が全くなかっただけに少し驚いただけだ」

 趙雲が落とした箸を素早く拾い上げ、彼に渡しながらは冷静さを装いながら微笑む。

 やはり一度とはいえ心を重ね合わせた方だわ――これならきっと………。

 の心の中にはある一つの望みがあった。
 それは――



 この縁談、趙雲様に止めてもらいたい。



 どのような口実でも、彼自身に「そんな話やめろ」と言って欲しい。
 身分不相応の想いを抱えるにとって、せめてもの小さな願いだった。

 ところが、そんなささやかな望みは趙雲の言葉によってあっさりと断たれてしまう。

 「わ、私にはお前の行動を止める権利など、ない」

 「………は?」
 「そのような事であれば仕方がない、暇はいくらでもやろう――会うだけでも会って来るといい」

 よい縁談であればいいな、と言葉を続ける趙雲の表情は些か微妙だ。
 微笑を浮かべているようにも見えるが、やはり先程の驚きが続いているのか少々引きつっている。
 その様子を見て、の心に靄のようなものが広がってきた。



 ――趙雲様はそれで宜しいのですか?
    貴方様にとって私は女官――それだけの存在なのですか?



 「いっいえ…………私自身あまり気が進まないのです。 しかしお父様も私を気遣っての事だと思いますし――」
 「ならば尚更だ。 お前は里帰りついでだと思えばいい………それで縁談が纏まれば………言う事ないのだがな」
 「――っ!?」



 ――縁談が纏まれば、言う事がない?



 はとても、哀しかった。
 趙雲が自分を傍に置いていたのは、愛あっての事だと思っていた。
 一度だけ言ってくれた言葉を、私はずっと、固く信じていたのに――

 刹那、の顔から笑みが消えた。
 意を決したように一つ頷くと、再び箸を進め始めた趙雲に向き直りゆっくりと口を開いていく。

 瞳に浮かぶ、涙を必死に堪えながら――





 「趙雲様。
  申し訳ありません………どうやら私は自惚れていたようでございますね。
  貴方様であれば、きっと、止めてくださる、と信じておりました………。

  ………私は、故郷に帰ります。

  今まで、本当に、お世話になりました………」













 「ちょっ、何ですってぇーーーっ!?」

 たった今、趙雲の口から聞かされた話には憚らず素っ頓狂な声を上げた。
 そして、道理でここのところ彼女の姿が見えないと思ったわ、と治療用の道具を片付けながら以前のの様子を思い浮かべる。



 ――私、趙雲様をお慕いしているの。
    でも………。

    、貴女がとても羨ましいわ。



 以前、自分にだけこっそりと教えてくれた事実。
 身分が違うから、という理由で押し殺している感情。
 その気持ち――如何にもらしいとは思うが、ちょっと違うとは思っていた。



 今は乱世。
 相手が戦場に立つ人であれば、何時命を失ってもおかしくはない。
 ならば………後悔しないように生きて行かなければ。

 その結果が、今のを幸せへと導いた。
 想い人――ホウ統との婚姻。
 己の想いを貫いたが故に、ホウ統も彼女に心を開いてくれた。
 だから、きっと――



 「私はと趙雲、貴方があっさりくっつくと思ってたわ」
 「いや、私は………の幸福を思っての事だったのだが」

 「はぁっ!? 何言ってんの趙雲!? アンタ、バッカじゃないの!?」

 ところが、の思惑を他所に趙雲はの幸せを願うがために見合いへ行かせたと言う。
 その事には物凄く腹が立った。
 この軍きっての武将に対して食って掛かる彼女の心には途轍もない悔しさが溢れている。







 「好きなら、何ではっきり言わないの?」

 これは以前、傷の治療の際にが放った言葉。
 珍しく鍛錬で怪我をしたという趙雲の心に何らかの引っ掛かりがあると踏み、やんわりと問う。
 すると、彼の口ぶりから奇しくも二人の想いが同じという事が解ったのだ。

 しかし、方や趙雲は君主の右腕とまで言われている人、方やは小さな村から出稼ぎに来ている女官。
 そして二人とも思慮深く、優しさを兼ね備えているとなっては話はなかなか進まないだろう。

 「難儀な性格ね………」

 だけど、何時かは――

 己の心にあるものを信じて、この時のは余計なお節介をせずに静かに見守ろうと思った。
 だが――





 「貴方はの気持ちが解ってんでしょ? だったら何で――」
 「私は戦に赴く身、何時命を落とすか解らないのだ。 そのような男に、妻を娶る資格があると思うか?」

 「資格、ねぇ………。 の本当の幸せが何なのかも解ってないくせによく言うわね」



 ――本当に、馬鹿だ。

 それきり黙って項垂れる趙雲を目の前には心の底から思う。
 この、何時終わるか解らない乱世の中で人は何を心の拠り所とするのか。
 それは――愛する人。
 護りたい、大事にしたいと思える人が居るからこそ人は強くなれるのではないか?
 は一つ溜息を吐くと、真っ直ぐに趙雲を見つめながら自分に言い聞かせるかのように言葉を放っていく。



 「だったら、死ななきゃいいじゃない」

 「………ん? それは軍医らしからぬ言葉だな、
 「何とでも言いなさいな。 でもね、愛する人が命を落として悲しむのは結ばれても結ばれていなくても同じ事よ」
 「………そうなのだろうか」
 「そ、う、な、の! それにね趙雲、身分の違いって大した問題じゃないわよ――私と士元様のように、ね」



 ――心に固い気持ちがあれば、皆解ってくれる筈よ。

    さぁ、趙雲。 私たちに続きなさいな――



 「――これでも貴方が未だ資格がどうとか言うつもりなら、私は一生貴方の事馬鹿呼ばわりするから」

 傍から見るともどかしくも思える趙雲を遠慮なく挑発する
 しかし、目の前の男はもう俯いてはいなかった。
 の顔をしかと見つめる瞳には既に固い決意のようなものが窺える。

 「あぁ、私はもう大丈夫だ」
 「ふぅん………で、どうするの趙雲?」

 「知れた事!」



 ――私は、を取り戻しに行く!



 ありがとう、と礼を述べて意気揚々と扉へ歩を進める趙雲の背中を見守りながら、
 「それでこそ男だわ、趙雲! しっかりと捕まえて来なさいよー!」
 冷やかすように檄を飛ばす。
 そして、漸く静かになった室で一人――



 「これで一歩………ううん、大分前進するかしらね。 ………はぁ、私もとんだ世話焼きだわ」

 笑みにほんの少しだけ苦いものを含め、溜息を吐いた――。













 は今、男と一緒に居た。
 緑映える広場を並んで歩きながら、表では楽しそうに振舞う。
 しかし――

 「お父上が言っていた通りだ………、やはり貴女はとても素敵だ」
 「ありがとうございます、とても嬉しいですわ」



 ――この人と趙雲様は、とてもよく似ている。



 話す言葉に、心の内にある本音が見えない。
 隙がない、という点ではこの男も趙雲も同じだった。



 ――だけど、違うわ。

    本音を語らない理由も、違う。

    そして何より――差し出される手が、違う。



 刹那、の脳裏に女官として働く自分が過ぎる。
 仕事は決して楽だとは言えない――だが、そこには活気も張り合いもあった。



 ――帰りたい。

 故郷にでなく、軍に。
 報われる事がなくても………あの方の居るところへ――。



 「、どうした?」
 「い、いえ………何でもありませんわ」

 気が付くと、の瞳から透き通る雫が零れていた。
 必死に拭っても、それは己の想いと共に絶え間なくぽろぽろと溢れてくる。
 今迄ここまで逢いたいとは思わなかった。
 それは、彼が何も言わなくともずっと傍に居てくれたからで――



 ――私は、趙雲様の傍に居たい!



 は両手で顔を覆い、心の中で叫んだ。
 想いが通じない事よりも、何より彼に逢えない事が一番哀しいのだと思えた。

 胸が………心が、焼けるように熱い――










 「っ!!!!!」





 ――誰?



   遠くから私を呼ぶのは、誰――?





 は顔を上げた。
 すると、再び広がる視界にはおろおろと慌てるだけの男と――



 「! 私と共に来いっ!」



 颯爽と馬を駆り、物凄い速さで近付いて来る一人の男が居た。
 そして何事?と思う間もない程瞬時にの身体が馬上の男の腕に掬い上げられる。

 「きゃっ!? な、なななな何をっ――」
 「黙っていろ、舌を噛むぞ」

 「え、ちょ、趙雲様っ!?」

 ここで漸くは馬上の男の正体が趙雲だと解る。
 だが、突然の事態に驚き過ぎて口から出るのは言葉にならない声ばかり。

 そんなを他所に趙雲は、駆っていた馬の腹を蹴って方向を変えると――



 「すまない、は常山の趙子龍が貰い受ける!」



 一声張り上げつつ、を抱えたまま元来た方向へと走り出した。










 その馬上にて――

 片手で手綱を自在に操りながら趙雲が腕に抱えている女にそっと語りかける。
 心に今迄秘めていた、ありったけの想いと共に――



 「、このような形ですまない」
 「す、すまないと思うのならば今直ぐに降ろしてくださいませ趙雲様――」
 「それは了解し兼ねるな」
 「えっ!?」

 「今は一刻も早く軍へ戻り――殿に報告せねばならないからな」



 ――すまない
    どうやら、身分に拘っていたのは私の方だったな。
    お前の本当の幸せが何なのか、漸く解った。

    軍に帰った時、改めて言うが――



 「――今後は女官でなく、私の妻として………ずっと私の傍に居てくれ」



 その言葉はあまりに小さく、蹄の音で掻き消されたかに思える。
 しかし、趙雲に抱えられたまま瞳に涙を浮かべるには、はっきりと聞こえていた。





 言葉にならない、想いも――










 劇終。





 ここからはちょこっとだけおまけです(←反転)。



 これは後日談なのだが――

 それまで趙雲にご執心だった琥瑠が身を翻すように手を引いたという。

 「やっぱそうだったかぁ………いいもんねー! もっと素敵な男見つけてやるんだから!」

 友人の相次ぐ縁談に気合を入れ始めたのは、また別の話――。



 第2の終わりv(笑



 アトガキ

 ども、よーやくスランプ脱出か!?な飛鳥です。
 此度は以前に黎明様より戴いていたリクエストを形にしてみました。

 リクエスト内容は
 『品の良い年上の自分付き女官に恋煩いしながら、ウジウジと言い出せないでいる趙雲』
 というもの。
 んで………

 女官? 品のいい? お相手趙雲?

 ちゅーことで、この連載に登場する娘の一人をチョイスさせていただきました。
 構想でお節介な軍医も出す予定でしたのでちょうどいいと(汗

 だがしかし!
 リクエスト内容から少々外れている感が否めません orz
 それでも、苦心!した結果………自分なりに満足な仕上がりだと思いたい(←何故願望!?

 リクエストくださった黎明様、此度は素敵なネタ提供(をいwww)ありがとうございました!
 このような感じになりましたが………少しでも楽しんでいただけると幸いです。



 因みに、時系列的には10章の後半と同時進行という感じでしょうか。
 おめでたい話が続くと、乱世を舞台にしている雰囲気じゃなくなりそうですねぇ(汗



 最後に――
 スランプ脱出のために一役買ってくれた情報屋と共に――
 読んでくださった皆さんに心から感謝いたします。


 2009.12.05     飛鳥 拝


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