優しさは静寂と共に










 今宵も天頂に月が昇る。
 この月を今、どれだけの人が見ているのだろうか………。



 夜、この世界は静寂に包まれる。
 音もなく過ぎ行く時を肌で感じていると…過去の自分だけでなく、今日あった事でさえもこの静寂に溶け込んでいくような錯覚に陥る。
 ―何も、なくなる。
 言いようのない空虚感に私は軽く身を震わせた。
 だけど、それは無に還る事ではなく…新たな時を刻むためのものであると思う。
 こうして…私は時折月を眺め、去り逝く魂に労いの意を示す。
 一生懸命に生を全うしたならば、再びこの地を自らの足で踏みしめる事が出来るでしょう…と。



 戦が支配するこの地では、毎日のように数多の血が流れ…星が落ちていく。
 理不尽な世界では、私達医師の力も到底及ばない。
 失われる寸前の命を救う術を持っていながらも、それを充分に振るえない今の自分を恨む事がある。
 その憤りとぶつかる度に、私は宵の中庭に降りる。
 これは、私にとって一つの贖罪なのかも知れない、と思いながら―。










 「…
 不意に私を呼ぶ、聞き慣れた声が背中越しに届いた。
 それと同時に私の背をふわりと暖かいものが覆う。
 …これは…元譲の外套。
 私ははっと息を呑み、この肩にかかる外套の持ち主の姿をこの目に捉えるために座っていた縁側に片手をつくと半身を後ろへ捻る。
 心では既に誰なのかが解っていたけれど、やはり視界に入ってくれないと気がすまない。
 振り返り、傍らに立つ人の姿を漸くの事で見る。
 すると
 「。 宵は冷える…そのような格好では、身体を壊してしまうぞ」
 私を見下ろす微かな笑顔がぽつり云うと、「ありがとう」と返す私の隣へ徐に陣取った。
 「綺麗な月だな」
 「うん。 僅かながらの光でも、月はちゃんとこの地を照らしてる」
 人の命と同じだと思わない?と私が届く筈もない月に手を差し伸べながら尋ねると傍らの人は同じように手を月に向けて
 「一人の力は小さいが、それでも必ず誰かの心の支えになっている…そう云いたいのだろう?
 視線だけで私を捉えて問いで返してきた。
 「…その通りよ、元譲」
 流石ね、と軽く感嘆する。
 この人は何時も…私が皆まで言わずとも解ってくれる。
 始めは愛する人に心まで見透かされるのは少々気恥ずかしかったけれど、元譲も同じように包み隠さずに全てを見せてくれた。
 それが物凄く嬉しく思え、今となっては感謝すらしていた。
 勿論、このようにしばしば月を眺めている事も知っている。
 それが、贖罪を含んでいる事も―。
 だけど…それを笑うでもなく、かと言って咎めるでもない。
 静かに私の事を見守ってくれる…そんな彼が、私は好きなんだ。



 「元譲は、寒くないの? 私に外套、かけちゃって…」
 「構わん。 俺にとっては寒さなど辛いものではない」
 それに…と元譲は私の問いに答えながら微妙に離れていた二人の距離を縮めると
 「…こうすれば、俺もお前も寒くはない」
 鍛錬で見た時のような素早い動作で外套の中に手を差し込み、私の肩を抱いた。
 ぐい、と身体が引き寄せられて思わず「うわっ」と声を上げてしまう。
 大きな外套の中、元譲の広い胸に頭を寄せる形になり、私は慌てて崩れた体勢を整える。
 …どくん、どくん…
 今迄静寂に包まれていた私の耳に届く元譲の胸の鼓動。
 それが私にとって新たな時間を刻む音、だと思う。
 私一人の時間を待ってか待たずか…彼は必ず私に逢いに来て、二人の鼓動を重ねながら残った時間を共に過ごす。
 この時間には、たくさんの言葉は必要ない。
 静寂が時と場を包む中…私達は触れ合う肌、重ね合う心で言葉を交わしていく―。










 一時の後。
 「医師がこんな事してたら…皆笑うかな」
 暫し月を眺めていた私が小さく零した刹那
 「否、笑いはしないだろう。 …もしも笑う奴が現れたら、その時は…」
 俺がそいつを殴ってやる、と元譲の拳が硬く握られた。
 ………そんな物騒な…。
 「それだけは止めて、元譲」と半分笑いながら振り上げられた拳に私の手を添える。



 人の命を救う事が出来るこの生業だけど…それにも限界があり、父をはじめ他の医師は割り切って人の命と向き合っている。
 私も見習わなければ、と思う。
 日々落ちていくたくさんの命をいちいち考えていては、何時かはこちらが壊れてしまう。
 解ってはいるけど…命の終わりが全ての終わりだとは思いたくない。
 その人が何を想い、何を抱えて生きていたかまでは解らないけれど…せめて全うした生に敬意を、と思うのはいけない事なのか―。
 何時か、元譲に心のままに訴えた事がある。
 その時も彼は静かに私を抱きしめてくれた。
 「、お前のしている事は間違いではない。 寧ろ…奴等は最期にもたらされた大きな優しさに感謝していると思うぞ」
 一つだけ、付け加えて。
 私は、元譲の腕の中で零れるものを抑えられずに嗚咽を洩らしながら思った。
 優しいのは…私じゃなく元譲の方じゃないの、と―。



 「…これは私の自己満足だもの。 笑われても返す言葉がないわ」
 漸く力の緩んだ拳にほっと息を吐くと、私は元譲に視線を合わせた。
 戦の時には、味方が畏怖する程の修羅の形相になるのだろうけど、今はそんな雰囲気が微塵も感じられない。
 「だが、お前の優しさは俺が一番良く知っている。 …誰にも笑わせやしない」
 私を見つめる瞳や肩を抱く腕…その全てから暖かさを感じる事が出来る。



 空を見上げると、天頂にあった筈の月が何時の間にか僅かに西へ傾いている。
 …どれだけの時間、ここに居たのだろうか?
 元譲がくれる優しさに、時の流れさえも忘れていた。
 「。 俺は、そんなお前を愛しているからな」
 「ありがとう、元譲。 私も、愛してる―」
 私は微笑と共に元譲の想いに応えると、少し縮こまっていた身体を伸ばして元譲の唇に自分のものを寄せた。










 今宵も、静寂と共に貴方は来てくれた。
 ちょっと不器用な笑顔と、この外套の暖かさのような大きな優しさを以って―。







劇終。






 アトガキ

 言うまでもなく、短編です(汗
 本当に短く、管理人自身「短っ!」と叫んでしまいました orz

 久し振りに惇兄を書いた気がします。
 クールな雰囲気の彼を、ちょっと暖めたくて(ぇ
 彼は、愛する人の主張を受け入れつつ見守るというでっかい器を持っているのでは?
 という自分勝手な思い込みだけで書いたブツです、はい。

 仕事(本業)柄、去り逝く命を多く見ています。
 その魂をも浄化するような優しいお話が書けたらな、と思い…出来上がったものです。
 少々切ないですが…

 少しでも楽しんでいただけることを祈りながら…。
 (詳しい裏話などは日記にてw)


 ここまでお読みくださってありがとうございました。

 2008.1.26     飛鳥 拝



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