…何か嫌な予感がするのだ。
 何が?とは…私にもよく解らないのだが。

 貴方はそう言って帳から出て行った。
 刹那。
 私の胸が ちくり と痛んだ―。










   予感、的中。










 「…鬱陶しいっ!!!」
 私は叫びながら得物を振るい続けた。
 数多の兵の血糊を乗せ、刃が紅く汚れていく。
 行けども行けども…斬っても斬っても、立ち塞がる敵の壁。
 今は戦の最中で、しかもまだまだ余裕があるとは言っても…流石にこれではどうにも動きようがない。

 多勢に無勢。

 孤軍奮闘と言ってもいい程、味方が少ない。
 …いや、少なくなったと言った方が正解か。
 私が得物を振り回している間にも、同じ軍の旗を掲げている兵が次々に倒されていく。
 味方の身を案じつつ得物を順手に構えて改めて敵の壁を見据えた。
 すると。

 「こやつ…女の癖に未だ倒れん…」
 「こんな女、敵軍に居たなんて聞いてないよな…」

 壁の所々から相手を謗るような言葉が囁かれた。
 女の癖に?
 こんな女?
 女に暴れられるのがそんなに嫌なわけ?
 ………本当に忌々しい。
 私は未だ余裕を含んだ表情のままふん、と軽く鼻を鳴らした。
 そして、口角を意地悪く吊り上げながら
 「女で悪かったわね。 何なら…アンタ等もその『女』に斬り斃されてみる?」
 気持ち良いかもよ?と相手を思いっきりからかうように言った。
 これは、挑発。
 女相手に手加減をしているのか、違うのか…全くと言っていい程手応えを感じない敵の闘争心を引き出す、私の術。
 敵の壁を一気に粉砕するのには一番手っ取り早い。

 この壁を抜けて、彼の許へ―。

 私の中にある想いは、これだけ。
 だから、この壁の存在が鬱陶しい…それだけの事。
 彼の傍にはたくさんの護衛が居る。
 私の援護なんか必要ないかも知れない…でも、私はあの人の傍で戦いたい。
 孤立無援、余裕のない状況でこんな事言える立場じゃないけれど。

 すると、目の前の壁に…一瞬の綻びが見えた。

 「こんのぉ…生意気な口を叩きやがって!」
 「っざけんな! お前こそ俺らに斃されてぇのかっ! ヤっちまうぞ!」

 …ほ〜ら来た。
 これだから単細胞の軍団はやり易い。
 私の思惑通り、敵の一部が私の挑発に乗り出した。
 動くなら、今。

 私は得物を今一度握り直し、唇の端を吊り上げたままで敵を一睨みする。
 「そう来なくっちゃ…。 行くよ!」
 視線の先に自らの得物の切っ先を捉えながら敵の壁に向かって地を蹴った。
 振り上げる得物が唸りを上げると、私は得物の重みを利用して一際イヤラシイ顔をした兵士に一撃を喰らわせる。
 刹那、
 「うぎゃぁっ!」
 舞い散る紅い飛沫と共に何とも情けない叫び声が上がった。
 …口程にもない。
 先程まで私の挑発に息巻いていた兵の身体が呆気ない程簡単に地へと斃れ逝く。
 それを軽く一瞥すると、私は更なる一閃を放つべく得物にこびり付く血糊を振り払った。



そう。
今の私には…息をつく間すら、与えられないのだから―。









 思ったより強固な敵の壁を目の前に、いよいよ息が上がってくる。
 強い、というよりは数が多い。
 依然減る事のない敵軍を見据えると、は小さく舌打ちをした。
 どうやったらこれだけの兵を用意できるんだ、と。
 いい加減に腹が立ってくる。
 斃しても斃しても何かのように増殖する敵兵と、これしきの事で息を上げる自分自身に。
 己の意思に反してがくがくと震え始める足に自ら気合を入れるようにぴしゃりと叩くと、再び得物をこの手にしっかり握った。
 「例え一人になろうとも! 私は…退かない!」
 彼の姿をこの眼に捉えるまで―。
 は、敵陣を崩さんがばかりに声を大にして叫ぶ。
 そして、再び敵の壁を突破するべく重くなった腕に力を籠め、振り上げた。

 ―しかし。

 の振り上げられた得物が唸りを上げる事はなかった。
 突如、壁の向こう側から聞こえ始める阿鼻叫喚。
 何事!?とが呆気に取られていると、阿鼻叫喚が次第に近付き…。

 「敵軍の奇襲だーーーーー!」

 誰かしらの叫びと共に、あれだけ強固だった敵の壁があっさりと崩れた。
 その綻びから覗く、見知った面々。
 嗚呼…援軍だ、と安堵した刹那…が場違いだと思える程素っ頓狂な声で
 「なんで!?」
 と吐いた。
 孤立した軍に援軍が来るのは、余程の事がなければ当たり前の話だ。
 ましてや、息の上がってきたにとってはまさに 『地獄で仏』 である。
 しかし、そう叫ばざるを得ない状況を彼女は目の当たりにしていたのだ。

 信じられない―。

 「なんで、殿がこんなとこに来てんのよ!?」

 の視線の先には―。
 彼女が 『殿』 と呼ぶ人物、孫権が…率いる軍の先陣を切るように意気勇んで敵兵を斬り斃していた。








 程なく、本陣からの援軍によっての身の安全は保障された。
 別行動をしている他の軍が敵の本陣を突き、孫呉が勝利を掴むのは最早時間の問題である。
 しかし、安全が保障された筈の彼女の心中は穏やかではなかった。

 幾ら幼馴染とは言え…。
 こんな、軍にとっては下っ端と言っていい程の将に対して…殿自ら援軍に駆けつけるなんて!



 確かに。
 と孫呉の君主である孫権はお互いがよく知った仲である。
 の父が孫堅と親しかった事もあり、二人は幼い頃からよく一緒に遊んでいた。
 だが、それは過去の話で…今や孫権は孫呉を担う誇り高き君主。
 片やは…少数精鋭を率いているだけの武将。
 …今となっては、無邪気な子供の頃のような関係に戻れやしない。
 二人にとっては、微妙な距離がこの事実を物語っていた。
 それぞれの胸にかけがえない想いを抱えているのに―。



 「殿! 何故このような真似を!」
 これでは阿呆の極みです、と穏やかではいられないは心のままに訴えかけた。
 孫権は総大将…ましてや君主だ。
 その彼がつまらない理由で突出し、万が一敵に討ち取られたとしたら…一瞬にして孫呉の歴史が終焉を迎えてしまう。
 そんな事も解らずに、援軍に駆けつけたとは思えないが…。
 の腹の虫はなかなか治まらない。
 孫権が
 「皆が無事ならそれでいいではないか、
 と諭すように言葉を紡いでも、全く聞く耳を持たない。
 相手どころか、周りの者全てに聞こえるような大きな溜息を一つ吐く。
 そして、孫権の少々困惑した顔をぎっと睨みつけると…まるで説教するように言葉を吐き出していった。

 「…私がこの戦で死んだとて、軍の将がたった一人消えるだけの事。
 しかし…貴方はこの軍を率いる総大将であり、孫呉の君主でもある。
 殿の命は、最早貴方一人のものではない!」

 刹那。

 「孫呉の将は一人として欠けてはならん!」

 己の耳を劈く程の大声がその場に響き渡った。
 はっと息を呑み、が恐る恐る伏せていた顔を上げると…紛れもない一人の勇猛な君主に鋭い視線で見つめられている。

 そうだ。
 この人は…戦で父を失い、同じように兄を失っていた。
 それからというもの、どのような時でも味方の安否には気を使っている。
 その事は自身も至極承知していたのに…。
 煮え滾っていた心が、瞬時に冷静さを取り戻す。
 私は、殿に何て事を…!
 「申し訳ありません…殿。 此度の失言、お許しください」
 瞬間、は素直に頭を下げていた。
 だが、再び顔を上げたの視界に飛び込んだのは…先程とは違い、真摯な様相を呈した幼馴染の姿。
 少年とも言うべき真っ直ぐな視線に絡め取られ、瞳が逸らせない。
 刹那、その張本人…孫権が一言一言を噛み締めるように零す。

 「。 お前の言いたい事もよく解る。
 私も、勝手な真似をして皆に迷惑をかけた事、悪かったと思っている。
 しかし。
 軍にとって、お前は一人の将だが…
 という人間は、この世で一人しか居ない」

 …?
 目の前の男が放つ言葉に眼をぱちくりさせる
 私は一人しか居ない。
 その言葉は、改めて言う程、重要な意味を持っているのだろうか?
 いまいち合点がいかず、腕組をしてあれこれ思案するだったが、それを余所に孫権の驚くべき行動が続く。
 お互いに成長してから触れる事もままならなかった孫権の腕がの身体を拘束する。
 そして、改めて触れ合う肌越しに続く言葉がの心を激しく貫いた。

 「…
 私にとって、孫呉の勝利は…
 お前が居なければ、意味がない…っ!」










 「朝方の予感は、この事だったのだな…
 とにかくお前が無事でよかった、と孫権は馬上からに向けて手を差し伸べた。
 朝、帳から出る直前に彼が放った言葉を頭の中で反芻すると、は素直にその手を取って立ち上がりながらくすりと微笑う。
 「殿。 …貴方が昔から勘の鋭い方だと、今迄すっかり忘れていました」

 昔から。
 そう…お互いに無邪気だった頃から、この人の勘の鋭さには何時も驚かされていた。
 かくれんぼをした時、何故か何時も私が最初に見つけられた。
 厨房でこっそり点心をつまみ食いをする時も、何時も彼が途中から現れた。
 …美味い物を独り占めするなど、許さんぞ。 それに、一緒に怒られれば…あまり怖くはない。
 そう言いながら、一緒に点心を頬張ってくれた貴方に…何度言おうと思った事か。
 貴方が、誰よりも好きだという事を―。

 の口から語られる昔話に、孫権は照れくさそうに笑みを返すと
 「はは…私もだ。 ずっと…お前に言いたかったが、結局今になるまで時が流れてしまった」
 すまなかった、と軽く頭を下げた。
 その真摯な一言に、は 「いいえ」 とかぶりを振る。
 時が過ぎても変わらぬ想いを抱いてくれていた…それだけでも充分に嬉しいです、と。



 が馬上に居る孫権の前にひらりと飛び乗ると、優しい視線が自分のものと絡まり合う。
 傾き始めた斜陽の煌きに照らされる二人。

 そして…

 地に落ちる影が今、漸く一つに重なった―。







劇終。






アトガキ

企画夢製作中のちょっとしたインターバルで書いてみました。
ついに、呉陣営第3の男、登場ですwww
(当初は甘さんの予定だったんですが…無双5の権坊に惚れてしまったもので!)

権坊。
実は…4までは私にとって最大の天敵でした(ぇ
しかし…5になって、彼の漢っぷりにすっかりヤられてしまいました。
このお話、もっともっと長くしたかったのですが…
とりあえず今後の練習として書いたので所々割愛(ギャグになってしまうという危惧もあったので)。

今後、増える事請け合いのお相手さんです。
少しでも楽しんでいただけることを祈りつつ…。
(詳しい裏話などは日記にてw)


ここまでお読みくださってありがとうございました。

2007.12.15     飛鳥 拝



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