読んで字の如く
何時もと変わらない一日が漸く終わろうとしている。
傾き、遥か地平に沈んでいく太陽の光が力を失い始め…東の空には群青の闇が手を拱いているようだ。
そんな中…は鍛錬を終え、己の得物を利き腕に携えつつ廊下を歩いていた。
すると、遠くから女達の楽しげな笑い声が耳に届いてくる。
その中心に居る人物の声まではよく聞き取れないが、あの様子から凡その見当はつく。
…あぁ、またか。
誰に聞かせるでもなく、はやれやれと大きく溜息を吐いた。
果たして 『いい男』 とは、どんな男の事を指すのだろう―。
仲のいい女官達や武将仲間などと話をすると…必ずと言っていい程話題に上がり、決まって盛り上がるのが男の話。
その中で
「ねぇ、はどんな男が好みなの?」
と尋ねられると何時も明確な答えを出せずに終わる。
言い辛い、というわけではない…本当に解らないのだ。
には好いている男が居るし、その男とは相思相愛で、所謂『恋仲』である。
しかし、彼女達の
「理想と現実って、大体は違うものよ。 何事にも妥協が必要だわ」
といった考え方が解らない。
周りには同じように恋仲の男を持つ女も居るのだが…何故かそういった人物に限って 『いい男』 論議に積極的に参加している。
長く付き合っていると…愛情も何時しか冷めてしまうのか、それとも惰性になってしまうのか。
確かに、彼女達と話をするのはとても楽しい。
しかし…この話題になると、少々寂しい気持ちになってしまう。
私の心も何時か変わってしまうのかな、と。
声が大きくなり、人の輪もの視界に捉えられる処まで近付いて来る。
…やっぱり。
女達の中心に居るのは案の定、の想い人…現在、彼女の頭を悩ませている元凶であった。
「悪い。俺…そろそろ行かないと」
そいつが一言女達に告げると―
いやぁ〜ん、もう行ってしまわれるの?
まだまだお話していたいのにぃ〜
―彼の取り巻きが口々に猫を撫でるような甘い声を上げた。
彼女達には悪いが、こういう声を聞いていると背中に毛虫でも這っているのではないかと思う程総毛立つ。
自分ではとても出来ない芸当だ。
苦々しい気持ちをそのままに視線を投げかけていると…刹那、輪の中心人物がの姿を捉え、視線が重なった。
その目は少々困惑を含め、に助けを求めているようにも見えるのだが―。
「あらあら…楽しそうね、公績。 私の事は気にしなくていいからごゆっくりどうぞ」
凌統からの無言の援軍要請に意地悪い笑みで答えると、呆気に取られて口をぱくぱくさせている凌統を余所に反対方向へと踵を返しながら頭の上で手をひらひらと振った。
―面白くない。
別に凌統が他の女達と親しく話していたからといって、それが直接浮気の原因になるわけではない。
ましてや自身、彼の気持ちを充分に解っているつもりだ。
それなのに…。
西日が未だに煌々と差し込む自室に入り、卓に頬杖を付きながら呆れたように溜息を吐いた。
「人の気も知らないで…あいつったら…」
先程凌統を取り巻いていた女達の中に、顔見知りの友人が居た。
彼女曰く 「凌統様はいい男」 らしい。
あれだけ素敵な方と恋仲なんですもの…しっかり掴まえておかないと何時かするりと逃げられちゃうわよ、と少々勘違いな忠告を受けたこともある。
いまいち釈然としないが、男を見る眼が肥えている彼女の言うことだ…それは強ち間違いではないだろう。
自分の好いている男が素敵だ、と言われる事に抵抗はない…いや寧ろ誇らしくもある。
しかし、面白くない。
それは…凌統が暇さえあれば女達に取り囲まれるという事だけではなく、彼の事にいちいちやきもきしている己の器の小ささが面白くないのだ。
どっしりと腰を据えて構えていればいいのに…妙に気持ちがざわついて、腹立たしくなる。
…これは紛れもなく、嫉妬だ。
ここまで思いを巡らせると、は苦笑を浮かべながら卓に付いていた肘を伸ばしてその場に突っ伏した。
あ〜あ…
さっきは、可愛くない事しちゃったな…。
時は過ぎ、今は夜。
窓の外から聞こえるのは木々のざわめきのみで、ほんの僅かな月明かりが二人の影を部屋に落としている。
漸く訪れた二人の時間は、緩やかに過ぎていく。
ここには煩わしいものが何一つない。
生傷をこさえる程の厳しい鍛錬も、降ったように舞い込んで来る執務も、姦しい女達も―。
少々汗ばんだ身体を褥に横たえ、二人同じ天井を見つめていると…夕方、殆ど日常茶飯事のように起こった事も夢の中だったのではないかと錯覚してしまいそうだ。
しかし、の心の中には未だもやもやとしたものが残っていた。
半身を起こし、掛け布を胸にまで引き上げると
「…貴方が、冴えない男だったらよかったのに」
溜息交じりの言葉を独り言のようにぽつり零す。
隣に居る男、凌統が…もしも女達に注目される程の存在でなかったとしたら、このような嫉妬心に駆られることもなかっただろうと。
すると
「…で? …あんたは、そんな冴えない男の何処に惚れるんだ?」
既に隣で寝息を立てていた筈の凌統の声が背中に届いた。
あまりの唐突さに驚き、後ろを振り返ると…その本人が自分の腕を枕代わりにして少々意地の悪い笑みを浮かべている。
まるで、の答えを楽しみにしているように―。
大方夕方見せた態度から、が女達に嫉妬していると察したのだろう…人を挑発している感のあるその表情を見て、は眉間に僅かな皺を寄せた。
…コイツ、私の事をからかってやがるな。
若しくは…試しているのか。
それは本人にしか解らないので、はとりあえず最初に頭に浮かんだ言葉をそのまま返す。
「さぁね」
「それじゃ、あんたも…あの娘達みたいに俺の外見だけを見て惚れる、っての?」
「…彼女達には悪いけど、一緒にしないで。 私が貴方の外見に惚れたわけじゃないって…公績も解るでしょ?」
「はは…確かに」
…初めの内は、あんたに見向きもされなかったもんな。
が返した言葉の中に確たる真実を掴んだのか、凌統は浮かべていた笑みに苦いものを乗せた。
二人の出会い、それは奇しくも―。
古くから孫呉に仕えている女達にとって新参者…特に名立たる若い武将は興味の的で…
その日は仲のいい女官に言わば無理矢理といった形で仕官したばかりの彼の元へと向かっていた。
そこで見た光景が………今で言う 『日常茶飯事』 だった。
凌統様は、どんな女性に魅力を感じますぅ?
この中で選ぶとしたら、どなたかしら?
「…来たばかりだし、流石に判断に苦しむなぁ」
きゃぁ〜ん!
それじゃ、私達にも可能性があるのね!
凌統様、素敵ぃ〜
誰だ、あの女垂らし…物凄く腹が立つんですけど。
………最悪。
これが、の第一声だった―。
当時の事を思い出し、枕代わりにしていた腕を外して己の頭をばつが悪そうに掻いている凌統。
それを見て、は初めに見せられた意地の悪い笑みを返す。
「あの頃は…貴方の所為でヘンにやきもきする事になるなんて思ってもいなかったわ」
そう考えると、自分はおろか…人とはなんと面白いものか。
最初、は仕官した当日から女達に注目され、ちやほやされている彼を軽い男だとしか見ていなかったが…恋仲になり、彼の事を深く知っていくにつれて彼女の中にある凌統の印象ががらりと変わった。
父と生死を共にすると誓いながらも、それが適わなかった故に今でも胸に残っている想い。
その父を死に至らしめた、仇というべき甘寧と…今では蟠りを捨て、いい好敵手であり親友であり続けようとする心。
そして…誰よりも、愛情に対して一途だという事。
戦場にて幾度となく背中を護り合った自分のみにしか理解し得ない、貴方の素性―。
深く愛され、愛さなければ…知る由もなかった。
もしもあのまま、貴方の事を拒み続けていたとしたら………。
刹那
「………きゃっ!?」
独り言のように続いていたの言葉が、凌統の腕によってちょっとした叫びと共に止まった。
腕が優しく引かれた、と思った次の瞬間…刃を鞘に収めるが如く身体が凌統に拘束される。
「…俺は、あんたしか見ていない。 ―前も、今も」
「公績………」
「嫉妬、してくれてたんだろ? …嬉しいんだぜ?これでも」
何時の間にか優しく色を変えた笑顔が間近に迫っていた。
以前…何時だったか、二人で掌を合わせた時
「公績の手って、意外に大きいんだ」
と心から思ったその頼りがいのある手が自分の髪を梳いてくれる。
その手も。
私だけを真っ直ぐに見つめてくれる、その真摯な瞳も。
裏表なく、本音を曝け出してくれるその心意気も―。
全て、私の好きなものだ。
何故、今迄気がつかなかったんだろう…。
『好き』 という言葉、そのものに―。
「ありがとう、公績。 これでやっと…今度あの娘達に答えを返せるわ」
表情をぱっと華やいだ笑顔に変えると、は突然の言葉に目を丸くする凌統の唇に己のものを重ねた。
「ねぇ、はどんな男が好みなの?」
女友達から何時もの如く訊かれる言葉に、はもう迷わなかった。
心のままに、答えを導き出す―。
「読んで 『好き』 という字の如く、よ。
私にとって、好みの男とは―
一番好きな人の事だって、やっと解ったんだ」
廊下の向こうから、女達の甘ったるい声が聞こえてくる。
…あぁ、またですか。
は何時ものようにかぶりを振り、呆れたような溜息を大きく吐いた。
そして、心に言い聞かす。
公績の気持ちは、私が一番よく知っている。
あれは…ただの日常だ、彼にとっても自分にとっても大した事ではない、と。
しかし―。
得物を利き腕に携えて廊下を大股で歩き、ちょっとした人だかりにずかずかと近寄ると…これも何時もの如く中心人物からの援軍要請が無言でかかる。
だが、は己の握り拳に力をこめると、それに膨れっ面で返した。
そして…凌統をはじめ、一同が注目する中…心の中で再び頭を擡げたものを一気に吐き出した。
「やっぱり………
面白くなぁーーーーーいっっっ!!!」
劇終。
アトガキ
ども、ツンデレ管理人です(ぇ
今回は久し振りに凌さんをお相手にしてみました。
彼は物凄いモテ男だと思うのは私だけなのでしょうが…
それにヤキモキするヒロインちゃんと、思い至った心を書きました。
が…甘いままで終わらせないのは管理人最近の仕様(何
少しでも楽しんでいただけることを祈りながら…。
(詳しい裏話などは日記にて書く予定ですw)
ここまでお読みくださってありがとうございました。
2008.03.01 飛鳥 拝
ブラウザを閉じてくださいね☆