真に美しきもの










 (この気配は………)

 何時ものように大王の娘・と共に訪れる密林。
 その奥から感じる空気の違いに、虎の琥珀は逸早く気付いた。
 しかも、これは普通の人間が出せるものではない。

 ――その気配に、僅かながら血の臭いを感じたのだ。

 刹那、周囲に警戒を始める琥珀。
 その様子からは己の身を挺してでも大王の娘を護ろうとする想いがひしひしと伝わって来る。
 感じる気配が殺意なのかは未だ定かではない――しかし、少なくとも我々にとって違う土地の人間だという事には変わりない。
 用心に越した事はないだろう、と琥珀は思った。
 しかし――



 「ねぇ琥珀、あっちの方――誰か居るよね?」

 静かに気配の何たるやを探ろうとしていた矢先、に気付かれてしまった。
 これはまずい。
 生来人を疑う事をあまり知らない彼女の事だ、警戒の『け』の字もないままあの気配の元へ直ぐにでも駆けつけてしまうだろう。
 そう思った琥珀はの行動を抑えるべく身体を押し付ける。

 『居るには居るが、誰かは解らん。 ここは相手の出方を探るのが得策だ』
 「え…? でも琥珀、こんなところに好きで来る人なんか居ないよ」
 『だからこそ気をつけねばならんのだ』
 「そんな事ばっかり言って…琥珀は心配性だなぁ。 大丈夫!あの人は道に迷ってるだけだよ!」

 琥珀の嫌な予感、的中である。
 必死になって動きを止めていた琥珀だったが、彼女は難なく琥珀の身体をすり抜けてしまった。
 そして、気配のする方向へ目の覚めるような速さで駆けて行く。
 これぞまさに『電光石火』である。
 瞬く間に小さくなるの後姿を追い駆けながら、琥珀は
 『何が大丈夫なのだか――私は苦労が絶えんよ、
 盛大な溜息と共に小さく零した。










 程なく、は気配を頼りに密林の奥深く――背の高い草の生い茂る場所へと到着した。
 ここは余程現地に熟知している者でなければ簡単に迷い込んでしまうまさに迷宮とも言うべき場所だ。
 そして今、その更に奥からガサガサと不自然な音が聞こえてくる。

 ――あそこだ。

 ここまで来るとも茂みの奥の気配が武人のものだと解る。
 しかし、単身ではこの地を抜け出すのもままならないだろう。
 やっぱり迷ってるだけなんだ、とは一人大きく頷きながら更に近付くべく歩を進めた。
 刹那――



 「あぁっ…寄らないでください! 私の美しい肌を汚すなど、許しませんよ!
 あぁ酷いっ! この有様、醜いとしか言いようがありません!」



 ――は?



 茂みの奥から覗く人の姿と突如上がった声には目を真ん丸くした。
 たった今彼女に漸く追いついた琥珀も、呆気に取られた様子でその姿を見つめる。
 それもその筈――

 あんな格好で戦場に出れば目立ち過ぎて敵の猛攻を喰らいかねないと思わせる程に飾られた露出の高い衣服。
 そこから見える肌は透き通る程白く、生まれてから一度も外に出ていないと言っても疑われないだろう。
 そして、何よりも悲痛の叫びが如く上ずった高い声。



 「――ねぇ、琥珀」
 『何だ?』
 「この人………男かな、女かな」
 『知らんがな………と言いたいところだが、奴はあぁ見えて曹魏の将だ。 名は張コウと言ったか…昔はあのような奴ではなかったのだがな(←史実参照)』
 「へぇ………あんな感じで武将さんて壊れていくんだぁ」



 は変な意味で感心した。
 目前で甲高い叫びを上げている男は………鎧に身をがっちり固めているという、今迄彼女が持っていた武将の印象とははるかにかけ離れている。
 しかも、よく見ると彼の白い肌には戦の勲章とも言うべき傷が一つも付いていない。
 その少々軟弱に見える体の作りは戦場に出るというよりも何処かで舞を披露している方が似合いそうだった。
 しかし、そんな彼でも今は一人。 きっと心細いに違いない。

 ――やっぱり、助けてあげなきゃ!

 意を決したは注意深く草を掻き分けながら張コウへと歩み寄る。
 ここは危険な地――油断をすれば毒を持った生物が直ぐにでも襲い掛かって来るのだ。
 ヘタをすればそこに居る彼も――



 「――ぇ!?」



 、今回二度目の驚きである。
 張コウの近くへ来てみれば――彼の周りに散らばる昆虫や爬虫類の成れの果て。
 そして当の彼は………

 「あぁっ…ここは野蛮ですっ! 実に美しくありませんっ!」

 両手に大きな爪を装着し、並居る敵?を舞い踊るかのように蹴散らしていく。
 その強さは彼が武人だという事を認識させた。
 しかし――



 「ぷっ………ふふ、あは、あははっ! わ、笑えるっ!」



 それを見ていたが彼を助ける目的を忘れて笑い出した――しかも腹を抱える勢いで。
 余程張コウ対外敵?の戦いが滑稽に見えたのだろう。
 その無駄に華麗な動きがの笑いのツボを突き、己が気付かぬうちに大爆笑をもたらした。
 刹那、笑い声で何者かが近付いていた事に漸く気付いた張コウがはたと武を振るう手を止め、を見遣る。



 「………!!!」
 「あはははっ! だ、ダメ………お、お腹痛い…」
 「あっ、貴女はっ!?」
 「あははは、はぁ………ん?」



 ふと顔を上げたと、彼女を凝視する張コウ。
 自ずと絡み合う視線、そして――



 「あぁっ、なんと美しい! 貴女はまるで野に咲き乱れる花のようです!」
 「………はぃ?」
 「その困惑に眉を顰める姿も美しいっ! さぁ美しい人、私と共に参りましょう!」
 「っと………ちょ、ちょっと待って張コウさん? え、何!?」



 に何一つ考える隙を与えず、まくし立てながら詰め寄る張コウ。
 どうやら、彼はを一目で見初めたらしい。
 彼女の手を取りつつ少々大袈裟に跪く様は、場所によっては絵になる光景だろう。
 しかし、ここは南蛮の地――そしては生粋の南蛮娘である。
 直ぐにその手を振り払うとある程度の自由が利くように間合いを取った。
 そして、二人の間に琥珀が立ちはだかる。



 『どういうつもりだかは知らんが、ここでを連れて行かれては困るな』
 「こっ、琥珀!?」
 『気をつけろ………奴はあぁ見えてなかなか強い』
 「う、うん………」

 張コウ自身の言葉や行動から何かを察したのか、と琥珀は揃って身構えた。
 刹那――



 「やはりこの地の人々は野蛮なのですね………直ぐに戦いに結びつける」
 『な、何っ!?』
 「美しい人、貴女もですよ。 そのように獰猛な獣を連れているのはいただけません」
 「ちょ、何よ!? 琥珀はあたしの友達だよ。 琥珀の何がいけないって言うのよ!?」

 「美しくないのですよ………危険が蔓延するこの地も、肌を焦がす容赦ない日差しも、全てが」



 だから貴女をここから救い出すのです、と涼しい顔でさらりと言い放つ張コウ。
 つい先程まで助けて欲しいという雰囲気がありありだった彼とはまるで別人だとは思った。
 しかも、助けようとしていた人から今は自分を救い出すとまで言われている。

 ――こんな気持ち、初めてだ。

 は無性に腹が立った。
 初対面の人に美しいと言われた時には、流石に悪い気がしなかった。
 だが、後が悪い。
 友達の琥珀やこの地で共に生きる仲間、更にはこの土地でさえも美しくないと言い張る男。

 ――ここに住みもしないで、何が解るって言うの!?
   あたしたちの事をろくに見てもいないのに!

 怒りに己の拳を握り締めている間にも張コウの『美しくない』発言が連発される。
 この地の何が彼の気に障るのだろうか?
 目の前で自分を護ってくれている琥珀も、今は身体をわなわなと震わせている。

 ――そうだよね、琥珀も腹が立つんだよね。

 は決心した。
 この失礼な輩をここから追い出すにはただ一つ――





 「この地に居ては貴女はますます野蛮になってしまいます! さぁ、私と共に――」

 「ここや仲間たちの事を悪く言わないでっ!!!」



 つかみっ。

 ぶんっ!!!!!



 「あぁーーーれぇーーー! 宙を舞う私も う つ く し い ぃぃぃぃ………」



 陽に照らされ、眩く煌きながら華麗に飛んでいく男の身体。
 その無駄に美しい軌跡を見送りながら、琥珀は心の中でそっとほくそ笑んだ。



 『今回投げられたのが奴でよかった』 と――。













 朝も早くから気分の悪い出来事に遭遇したと琥珀。
 しかし、それを長々と引き摺るような性分は幸いに持ち合わせていない。
 張コウを遠くぶん投げる事ですっきりしたのか、その後の彼女らは何時もと何ら変わりなく一日を過ごした。

 眩しい日差しの下、仲間たちと一緒に楽しむ遊び。
 時折琥珀にからかわれながらも一生懸命に励む勉学。
 そして、両親や仲間たち大勢に囲まれてする食事――。

 全てがにとって大好きな、そして大切な時間なのだ。







 時は過ぎ、今は夕方――

 と琥珀は何時ものように斜陽に染まる丘の上から暮れていく空を眺めていた。
 その心の中には、容赦なくぶん投げてしまった彼の人――張コウの無駄に華麗な姿が浮かんでいる。

 「ねぇ琥珀。 あれでよかったのかな」
 『どうした、? 奴を投げ飛ばしたのを後悔しているのか?』
 「うぅん、後悔はしてないよ。 でも………みんなやここの事を悪く思う人が居るのがイヤなんだ」
 『仕方あるまい。 今となっては弁解をするにも奴は居ないのだからな』
 「う、うん………」



 どうも腑に落ちないといった様相で再び視線を遠くに巡らす
 彼女は張コウの誤解を解かないまま追い出してしまった事自体を悔やんでいた。

 ――あの人に、見せてあげたかったな。
   あたしの大事な仲間たちも、ここの綺麗な景色も、たくさん――

 の瞳に自然と光るものが浮かぶ。
 それは悲しみなのか、はたまた悔しさなのか――。



 しかし直後、彼女らは背後から只ならぬ気配を感じて振り返る。
 これは血の臭いが混じった武人の、そして――



 「――全て見させていただきましたよ、殿」

 「うわ、ちょ、張コウさんっ!?」
 『!!! あれだけの投げを受けながらも無傷とは………こやつ、なかなかにやりよるな』



 、本日三回目の衝撃の瞬間だった。
 目の前には、今朝方遠くまで投げ飛ばした筈の男が何食わぬ顔をして立っている――それも無傷でだ。
 しかし、それは然程気にする程のものではない。
 何よりもが驚いた事実、それは――

 「獣の皮を素材にする服もなかなか………悪くはありませんね」

 そう、彼の出で立ちだ。
 今は今朝方見た煌びやかなものとは違い、この地の者達が着ている毛皮の服をものの見事に着こなしている。
 あの時は野蛮だ、美しくないと断固否定する勢いだった彼が、何故――?
 しかし、その一人と一頭の疑問は、直後から語られた張コウ自身の話によりあっさりと解決する事となった。



 彼の話では――

 に投げられた後、彼女を諦めきれずにこちらへ戻って来たそうだ。
 その時彼女は琥珀をはじめ、たくさんの仲間たちに囲まれて楽しそうにしていたのだと言う。
 瞬間、彼はの一日を観察しようと決め、この地に潜入したらしい。
 そして次第に、最初に抱いた印象がガラリと変わっていったと言う。



 「張コウさん………あたしね、やっぱりここが一番――」
 「皆まで言わないでください、殿。 今なら私にも解ります…やはり貴女にはこの地が相応しい」
 『やっと認めよったか、この馬鹿め』
 「ちょ、琥珀! ここで暴言吐かないで! …! っとと、ううん張コウさん、何でもないの、続けて」



 琥珀の言葉は張コウに通じる筈がないのだが、理解するにとったら普通に聞こえてしまう。
 思わず入れてしまったツッコミをぎこちない笑顔で誤魔化すと、は張コウに向かって話の先を促した。



 「この地には貴女の笑顔の素がたくさんあります――今日一日でそれがよく解りました」
 「張コウさん………」
 「全ては適材適所、とも言うのでしょうか………この地でなければ貴女の笑顔は美しく輝きません」
 『その通りだ、とっとと帰れ』

 (琥珀!これ以上暴言吐いたらあんたも投げ飛ばすからね!?)



 「なので、私はこれで帰ります。 美しい貴女とお別れするのは些か残念なのですが………。
 では、これにて………去り際も美しくっ!」



 ぶわっ!!!



 数多の花弁と蝶に包まれたかと思えば直後、全てがこの場から消え去る。
 その無駄に綺麗な去り際を唖然茫然と見つめながらも、の心には頭上の空のように晴れやかな気持ちが広がっていた。










 『全く………油断も隙もない』
 「もう、そんなに怒らなくていいじゃん。 張コウさんも納得してくれたんだし」
 『いや、私は納得しておらんぞ。 、お前の美しさを一番理解しているのは私だ』
 「え、ちょ、琥珀………?」
 『二度も言わすな。 私がこの世で一番美しいと思うのは、お前だ』

 「やだぁー! 琥珀ったら何言ってんのぉーーー!」



 つかみっ。

 ぽいっ。



 『あぁ…やはり私はに投げられる運命なのか………』





 斜陽が更に傾き、東の空から群青色が迫って来る。
 ちょっとした事件?から始まった一日も、そろそろ終わりを迎えようとしていた。



 南蛮は、今日も平穏である(ぇ?)――。










 劇終。



 アトガキ

 何だか、アトガキを書くのも久し振りのような気がします(苦笑
 とゆーわけで、蝶ド級大スランプに陥っていた飛鳥です orz

 このシリーズ――
 皆さんご存知の通り、筆者のスランプ救済策として発動しているものなんですが………
 今回のスランプはこちらの話すら書けない程の重症でした orz
 しかぁーーーーーっし!
 これにて大復活ですよアナタっ!(←よく解らん自信

 今回の登場人物はアノ蝶のお方。
 彼に関しては出オチで笑えますよね…史実だと蝶かっちょいいのに。
 何時かは素敵なお話で彼を書きたいとは思っているんですが…とりあえず今回はギャグでwww
 彼の美意識を覆すヒロイン、という設定を書きたかったのでこんな感じになりましたが………
 如何でしたか?

 これを機に、ますます精進していく所存。
 皆さん、改めてよろしくお願い致します orz

 ここまでお読みくださってありがとうございました。

 2009.08.21     飛鳥 拝


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