――今年のこの時期は、特に暑い。
 ついさっき外で鍛錬していた兵があまりの暑さにやられて、今傍の寝台で頭を必死に冷やしている。
 手拭いを濯ぐために溜めていた盥の水に手を入れてみたけれど…どうも生暖かくて気持ちが悪く、直ぐに手を引っ込めてしまう。

 「、ちょっと悪いけど…水を入れ替えて来てくれないかな」

 私は後ろで書簡と睨めっこしている筈の義妹に声をかけた。
 だけど――



 「水は時間が経てば生温くなる。 この暑さだし、仕方ない事じゃんか…我慢しなよ、姉さん」
 「私の眼を盗んでサボってるアンタに言われたくないわっ!!!」



 あのねぇ………。

 視界に飛び込んだのは床に大の字になって寝そべっている義理の妹、のぐったりとした姿。
 こんな格好を見たら、百年の恋も一気に冷めるぞ。
 この暑さで勉強する気が削がれるのは解る…でも、はちょっと落ち着きがない。
 本当は凄く負けず嫌いで、頑張り屋さんなんだけどね。










 暑中お見舞い、申し上げます。










 ちょっと目を離すと…何をしでかすか解らない義妹、
 流石にこの軍に来た時は小さな身体を更に縮ませて今迄居た村が壊滅させられた衝撃を引き摺っていた。
 医学の知識がある、って事で…お人好しの父上が引き取ったんだけど………

 「姉さん、今日の勉強…もう終わりにしていい?」

 半身を重たそうに起こして訊いてくるこの娘には、暗い事実の欠片すら感じない。
 それは、彼女の前向きな性格からなのか、はたまた未だ癒えぬ心の傷をひた隠しにしているのかは私だけが知っている事。
 …仕方ない、か。
 この暑さじゃ、無理矢理勉強しても頭に入るわけがない…私もかつてそうやって父上から逃げてたりしたし。
 私はたった今頭に浮かんだちょっとした企みを実行すべく義妹に笑顔を返した。
 この企みの中に潜む、私の狙いを悟られないように――。

 「いいわよ。 今日は特に暑いし…何か涼しくなる事でもしよう!」

 今日は珍しく何事もない日。
 それなら、あの方達も………。













 「孫権様、です」

 程なく、私は孫呉を担う君主の下へと赴いていた。
 さっき思いついた企みを、彼と一緒に…と思ってね。
 もともと彼は思慮深い人で…自分から考えなしに動くような人じゃない。 その傾向は君主になってから特に強くなった。
 だから、偶に私が外へと連れ出すんだけど…。



 今日も、彼は部屋の中で執務に励んでいた。
 「か…入って構わんぞ」という言葉と同時に部屋へと足を踏み入れた私は、汗だくになりながらも必死に書簡へ目を落としている彼を見て微笑うと
 「暑い中お疲れ様です、仲謀様。 …ですが、集中出来ないご様子。 ここはひとつ、お体を診て差し上げましょう」
 何時も持ち歩いている救急用の籠を大袈裟に掲げながらからかうように言ってみた。
 すると――

 「お前には敵わんな、。 この暑さでは何をしても頭に入らん」

 徐に書簡を閉じ、私に向かって手招きをしながらかぶりを振る君主の顔には焦りも怒りもなく…屈託のない笑みが零れている。
 その笑顔に近付くべく歩を進めて傍に座ると、直ぐに彼の腕が私の身体を力強く拘束した。



 君主の身体を気遣い、往診する――
 これは、私達にとって単なる口実に過ぎない。 こうでもしないと…昼間から彼の元へと足を運べないから。
 父上は全て見越した上で私の言う事に黙って頷いてくれる…ありがたい事にね。
 そして今、彼とつかの間の逢瀬を楽しんでいる。



 「どうしたのだ、? 未だ昼過ぎだ、お前がこの時間に顔を出すとは…もしや何か企んでいるな」
 「流石は仲謀様、よくお解かりで。 …実はですね――」

 一頻り二人の時間を堪能した後――
 肌を触れ合わせたまま視線を絡めると、私は先程思いついた一つの案を想い人に話し始めた。



 「――水浴び?」
 「えぇ。 この暑さで倒れた者も居ます………なので、少々涼もうかと思いまして」
 「それは解るが…何故ここで甘寧や凌統も出てくるのだ?」
 「…お察しください、仲謀様。 彼らは…以前より何かとに絡んで来ます。 義姉として彼らの本当の気持ちも知りたいのです」
 「成程…解った。 では、従者に声をかけよう」



 こうして私の企みは難なく形となった。
 私の狙い、それは…甘寧と凌統二人の、に対する気持ちを知っておく事。
 前から気にはなっていたんだけど…何かある毎にを連れ去っていく彼らの様子が、ただの遊び相手ではないという感じなのよね。
 なんか、お気に入りの物を一緒に取りに来ているような…。
 だからこれを機に、どっちがを好いているのか…確かめようと思ったわけ。
 まぁ、これが私の思い違いだったら…それはそれでちょっと安心なんだけど。



 「ありがとうございます、仲謀様。 …では、後程」

 私は、愛する人の嬉しい答えに口付けと共に感謝の意を述べると、そっと室を出た。













 空には未だ力を失っていない太陽がその存在を露にしている。
 日差しが地を照りつけ、飛び散った水滴が直ぐに蒸発してしまいそうだ。

 そんな中、私の提案した水浴びが始まった――。





 動きやすい軽装に身を包んで逸早くその場に赴いた私と仲謀様は…大きな盥に満たされた水に足を浸し、仲間が来るのを待ちながら涼んでいた。
 「、お前はこういった遊びを思いつく才能もあるようだな」
 「くすっ…私も実はかなりのお転婆ですから。 …って、仲謀様もお解りでしょう?」
 「はは…違いない」
 先程まで静かだった場に私達の笑い声が木霊する。
 やっぱり、仲謀様を連れ出して正解だったわ…こんなにも楽しそうな顔が見られたんだもの。
 と、ほのぼの幸せに浸って二人の顔に締まりがなくなった刹那――



 「あーっ! 姉さんに殿! 抜け駆けは許さないぞ!」
 「うへぇー暑ぃ暑ぃ! 俺にも入らせろっ!」
 「甘寧さんよ…殿も居るんだから少しは遠慮しろっての」



 けたたましい声と共にやって来た三人が本格的な水浴びの幕開けを知らせた。
 物凄い水飛沫を起こしながら飛び込んで盥の端に思い切り頭を打つ甘寧と、それを制しながらも勢いで水の中に引き摺られる凌統。
 そして、一瞬にして濡れ鼠になった二人の様子を見て
 「あはは! キミ達ががっつくからそうなるんだ! おっかしいの!」
 心底楽しげに腹を抱えて大笑いする
 この三人にかかれば…どんな事も楽しくなりそうだわ。
 二人のあげた水飛沫を全身に浴びながら私は釣られるように笑った。
 隣に居る仲謀様も怒る気配もなく…寧ろ大笑いしながら傍にあった手桶を手に取る。



 「おのれ、まさかここで不意打ちを食らうとは…。 甘寧、凌統! 覚悟せよ!」
 「うわ、ちょっと待ってくださいよ殿! 俺はこいつに引っ張られただけで――」
 「…ってて、と、おい凌統! お前だけ逃げるなんて卑怯じゃねぇかっ!」
 「えぇいっ、問答無用! これでも食らえっ!」



 仲謀様の手桶に満たされた水が思い切りぶち撒けられた。
 ところが、あまりの勢いに二人はおろか、私やにも被害を及ぼす。
 濡れた顔を手で拭いながら
 「やってくれましたね…孫権様」
 「どさくさ紛れにボク達も狙ってたんですね、殿…。 もう許さない!」
 私達は同時に笑みを含んだ瞳で仲謀様を睨むと、揃って手桶に水を汲んだ。
 そして、それに乗じて同じように手桶を掴む甘寧と凌統。



 こうして男女入り混じった水の攻防は、暫くの間続いた――。





 でも、この状況を楽しみながら、心の隅で私は考えていた。

 うーん。
 楽しいのはいいんだけど…肝心の事が掴めてない。
 彼らの気持ちを知るには…もう一押し必要かしらね。

 と、そこで…かつて父上の熱心な指導から逃げるべく使っていた悪知恵を久し振りに働かせる。
 これに失敗したとしても、大事には至らないでしょう…私も居る事だし。
 私は一つ大きく頷くと、盥のど真ん中に陣取っているの背後に回ってこっそりと足を軽く払ってやった。
 すると――



 「…っ! うわぁっ!!!」
 「「っ!?」」



 足を滑らせ、倒れそうになるに二つの声が重なる。
 そして、すんでのところで耐えたを余所に、二人が縺れるように盥の中へと倒れ込んだ。

 あら、これは意外な展開。
 どちらか…が好いている方が逸早く助けるかと思ってたのに、まさか二人同時に庇うとは思わなかったわ。
 これは、もしや………。

 私が推測している間に、この考えが次第に確たるものに変わる。
 漸く咳き込んだ後の放心状態から解放された途端、二人の口論が始まったから。



 「なんでお前が出て来るんだっ!?」
 「それはこっちの台詞だっつの! あんたが来なくても、俺一人でを護ってやれたのにさ」
 「何だと!? を護るのは俺だけで充分だぜ!」



 盥の中に座り込み、今迄水浴びを楽しんでいたのを忘れたかのように言い争う二人。
 それを見てやれやれと盛大に溜息をつくと仲謀様。
 そのちょっと滑稽な様子を眺めながら、私は思わず声を上げて笑ってしまった。



 こんなにあっさり肝心な事が見えるなんて…彼らは本当に解りやすい。
 お気に入りのものを取りに来ているような感覚…それは、二人それぞれから醸し出されていたものだった。
 二人の想いは計らずとも同じところに向いていたんだわ。

 でも、当の本人の気持ちは未だ固まってないみたいね。
 だって………

 「あのねキミ達? ボクを護るとか護らないとか…そんなのどっちでもいいじゃん」

 あの二人の折角の好意を全く無にしている言葉を投げつけているんだから。
 これはある意味酷いぞ、………。







 その場に三人を残し、こっそり抜け出す私と仲謀様。
 「、あれでよかったのか?」
 私は楽しかったが、とちょっとだけ心配そうに私の顔を見つめてくる仲謀様に、私は満面の笑みで返した。



 えぇ。 私は満足しました。
 彼らの気持ちが本物で、共にを好いてくれている事が解りましたから。

 ――後は、彼らの頑張り次第でしょうね。










 暑中お見舞い、申し上げます!

 皆さん、偶にはこんな涼み方を試してみては如何?
 思わぬところで…誰かの本音が掴めるかも知れないわよ!



 「、誰に向かって話をしているのだ?」
 「ふふっ………ただの独り言ですよ、仲謀様」





 この様子じゃ、明日も暑くなりそうだわ――。







 劇終。




 アトガキ

 ども、管理人です。
 えー、今年の夏も暑い日が続きますねぇ…ということで。

 暑中お見舞い、申し上げます!

 このお話のタイトルも同じ………ボキャ貧困でスミマセン orz
 といったわけで…勢いだけで綴られたこのお話。
 当初は軍医ヒロインに暑中お見舞いのメッセージを言わせよう!と書き始めました。
 しかし…おまけで出すつもりだったボクっ子とあの方達にオイシイところを持ってかれた感が否めません(汗
 それでも、少々涼しくなってくださると信じながらアップいたしますw

 
このようなお話でも………少しでも楽しんでいただければ幸いかと。

 ここまでお読みくださってありがとうございました。

 2008.08.07     飛鳥 拝



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