――今は乱世。
 たとえ戦に出ずとも、何時この命が落ちるか解ったものではない。

 だからこそ、伝えるべき時には躊躇いなく伝えなければ――



 ――己の心にある、ありったけの想いを――










 唇よ、熱く愛を語れ










 「では――怪我人が出た時は頼むぞ、
 「貴方も鍛錬、気をつけてね………元譲」
 「あぁ」

 短く言葉を交わし、元譲と呼ばれた男が長い廊下を歩いて行く。
 その後姿を見送りながら、は小首を傾げて軽く溜息を零した。



 何時ものように繰り返される素っ気無い会話。

 彼の気持ちは手に取るように解る。
 夫婦になってから幾年月、長い付き合いになるのだからそれは至極当然。
 しかし、やはりも女。
 偶にでも言葉にしてもらわなければ寂しくなるというものだ。

 唯一つ、口にするのが簡単なようで難しい言葉を――







 「あーぁ。 相変わらず愛想がないな、惇兄さんは」

 夫の姿が見えなくなってもその場で思案に耽っていたの背中から不意に聞き慣れた声が届く。
 突然の事にきゃっと軽く肩を震わせ、声の方へ振り返ると――

 「ちょ、! 何時からここに居たのよ!?」
 「何時もの事じゃんか。 気付かない姉さんが悪いんだ」

 少々小柄で活発そうな娘が額に手をかざしながら夏侯惇の消えた方向を見ていた。
 彼女は、似ても似つかないがとは姉妹になる。
 怒声に近い姉の言葉にも臆する事なく、唇から真っ赤な舌を出して軽く悪態を吐くところは流石妹といったところだ。
 その妹が、何やら言いたそうにしているの顔に視線を移して訝しげに言葉を続ける。

 「よくそんなんで満足出来るね、姉さん。 もっとこう…『行ってらっしゃい!チュッ!』みたいなのとかないのか?」
 「放っとけ! これでも心はしっかり通じ合ってるものなの、夫婦は」
 「ふぅ〜ん………の割にはちょっと寂しそうだったぞ」
 「………!?」

 妹の遠慮ない一言にははっと息を呑む。
 日頃、周りの者たちから解りやすい性格だとは言われているが、まさか今も心情が表に出ているとは思わなかった。
 やだなぁもう、と己の頭を掻きつつ苦笑を浮かべる
 それを見て何かを思いついたのか、はにひひ、と少々いやらしい笑いを零す。
 そして――

 「やっぱり図星だ。 鈍感だなぁ………何時もはボクが説教食らってるけど、今度は姉さんの番だね」
 「へっ?」
 「ほらほら、何時までもそんな顔してないでちょっと付き合いなよ、姉さん」

 不得要領とした姉の腕を徐に掴むと、殆ど引き摺るように廊下を進み始めた。

 一体、は何を企んでいるのか――。










 「おーい典韋! 居るか?」
 「おぅ、か!?」

 自分に何をされるのか釈然としないまま、が連れて来られた場所――そこは典韋の自室だった。
 今は夏候惇も行った鍛錬へ向かう準備をしているのだろう、中から彼らしい大きな声だけが聞こえる。
 だが、直後――

 ドタバタバタッ!!!

 何かがひっくり返るような音がしたかと思えば、扉が勢い良く開かれ――

 「嬉しいじゃねぇか、朝からわしのところへ来てくれるなんてよ!」
 「へへへ〜! だって早く典韋に逢いたかったんだもん」
 「おぉぉ、可愛い奴め! 愛してるぞ!」
 「うん! ボクも愛してる!」

 人目をはばからず熱い抱擁を交わすと典韋。
 そう、彼らは婚姻間近と噂される程の恋仲である。
 一見、大柄の男に小柄な少女――実に凸凹な二人なのだが、余程性格的な相性が良かったのだろう。

 「そんなんでよく飽きないわね………こっちが恥ずかしくなるわ」

 何時にも増してベタベタとくっつき合う二人に、は盛大な溜息を吐く。
 かつて自分にも夏候惇と恋仲だった時期もあった。
 何時でも傍に居たい、戦であっても共にありたいと思っていた――けれど。
 自分はここまで熱くなっていただろうか?

 見ている方が赤面しそうな二人のやり取りをぼうっと眺めつつ、は思考を巡らしていく。
 はただ二人の仲を見せ付けるだけにここへ連れて来たわけではないと容易に判断出来た。
 恐らく、妹は自分にもこのような気持ちを持って欲しいと思ったのだろう。
 確かに………先程の様子を傍から見れば倦怠期を迎えた夫婦だと思われても仕方がない。
 誰に対しても態度を変えない夫。
 そして夫の態度に合わせるかのような自分に、はもどかしさを感じているのだ。



 ――寂しいと思うのならば、先ず自分から――



 「ふふっ………こんな簡単な事を妹に教えられるなんてね」
 「何時も『今は乱世だから後悔しないように生きなきゃ』って言ってるじゃんか、姉さん。 その本人が悩むなんて可笑しいよ」
 「そうね。 ありがとう

 「それだしよ、案外旦那もお前の言葉を待ってるかも知れないぜ?」



 表情がぱぁっと明るくなった女二人に典韋が口を挟んできた。
 男だって気持ちは解ってても言ってくれると嬉しいもんだぜ、と続けながら屈託のない笑顔を見せる。
 それは悪戯を思いついた子供のようであり、子を諭す親のようでもあった。



 「要は言葉にしなきゃ伝わらない気持ちもある、って事ね典韋」
 「おう、そういう事だ!」
 「だったら今夜早速実行だね姉さん! ………今夜は熱くなりそうだなぁ………」
 「ちょ、! 朝っぱらから何言ってんのもう!」



 陽が更に高くなった空に、三人の笑い声が木霊する。
 まるで、これから訪れるであろう暑い季節を予感させるように――。















 その夜――
 夕餉を終えたと夏侯惇は並んで床に座り、今朝起こった妹や典韋との出来事をお茶請けにしながら談笑していた。

 「典韋が鍛錬に遅刻したのはお前の所為だったのか、

 続く夏侯惇の話では、典韋に対して遅刻した罰だと鍛錬場の清掃を科してしまったらしい。
 最初から事情を説明してくれれば良かったのだとぶつくさ言う夏侯惇に
 「貴方の事だから問答無用!とか言ったんでしょ………相変わらず手厳しいわね、元譲」
 白い歯を出しつつからかうように返す。
 これは互いに解り合えるから交わせる遠慮ない会話。
 しかし――



 「付き合いが長くなると言い辛くなるのかしら」
 「ん?」
 「……………さっき出た話の事」



 肝心な時になってもなかなか口に出せない一言。
 心では何時も叫びたい程想っている――元譲を愛している、と。
 だが絶対に言ってやる、と先程まで思っていたのにまるで喉元に張り付いたかのように言葉が詰まる。

 ――あの時、どうやって元譲に想いを伝えたんだっけ?

 最初に想いを告げた時の事を思い出しながら思い悩む
 うーん、と腕を組んで首を傾げる様子が少々滑稽にも映る。
 刹那、それを笑いながら見ていた夏侯惇の腕がの首に回った。

 「何をそんなに悩んでいる、?」
 「えっ…いやその何? ほらやっぱりこういうのって言葉にしないと――」
 「あいつらはあいつら、俺たちは俺たちだ………無理をする事はない」
 「だって――寂しいじゃない、何もないと」

 元譲もそうじゃないの?とは夏侯惇の腕の中で呟いた。
 この身を包む腕の温かさや力強さは、確かにの心を安らぎに導いてくれる。
 愛にはいろんな形があるのは自分自身もよく解っている。
 だが、複雑な女心が時に邪魔をするのだ――そう、今のように。



 ――言葉に、したいの。
    言葉に、して欲しいの………

    心を支配する、ありったけの想いを――



 「やはり、そういう事か」
 「えっ?」

 「今朝の様子から大方見当はついていたが………全く、相変わらず解りやすいなお前は」



 夏侯惇はそう言うと、顔を上げたの唇にそっと己のそれを重ねた。
 そして直ぐに赤面するの耳元へ移すと、照れくさそうに言葉を続ける。



 ――肝心な事に限って、言葉は出ないものだ。
    俺も、同じだから良く解る。
    しかし………お前が望むなら、幾らでも言ってやる――



 「………愛している」
 「元譲………」



 あれだけざわついていたの心が、夏侯惇の一言ですぅっと落ち着いていく。
 言葉とは、心を乗せるとこうも力を帯びるものなのか。



 「ありがとう元譲………私も………愛して、る」



 だから、難しいのかも知れない。
 想いのたけを、言葉にするのは――。















 「ねぇ、元譲」
 「何だ?」

 「………とても嬉しいけど、幾らでもっていうのは訂正して」

 「何故だ? 望んだのはお前だろう」
 「だって………こっちの方が照れくさいんだもん」



 夏侯惇の腕に抱かれたまま、は頬を紅く染める。
 その様子を見て夏侯惇は再びと唇を重ね、微かに笑いながらゆっくり言葉を連ねた。



 ――今は乱世だ。
    たとえ戦でなくとも、何時何処でこの命が落ちるか解ったものではない。

    だからこそ――伝えるべき時には躊躇いなく伝えよう、――










            ――己の心のままに――



           ――唇よ、熱く愛を語れ――















 劇終。



 アトガキ

 ども、久し振りの短編投下となります。
 いやぁ…急に軍医ヒロインと惇兄の話が書きたくなってですね(をい!

 このヒロインははっきり言って照れ屋ですはい。
 そんな彼女の不器用さを、ある楽曲のタイトルをちょこっとだけパクって書いてみました。
 恐らく、彼女と惇兄の様子って客観的に見ると万年倦怠期のような………(汗

 同時に、妹と典韋という対照的なカップルを出してみました。
 何時もと逆な立場の話になりましたが…如何でしょ?
 妹を書くのもホント久し振りだったので書き手は楽しかったですけどwww

 こんなお話ですが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。

 ここまでお読みくださってありがとうございました。

 2010.06.10     飛鳥 拝


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