――見渡す限りの草原に、二人の子供が居た。

 未だ見ぬ未来に思いを馳せ、瞳を輝かせながら言葉を交わす。



 「ねぇ、惇兄………あたしのこと、すき?」
 「あぁ…好きに決まってるだろ?」
 「あははっ! んじゃね…あたし、おっきくなったら惇兄のお嫁さんになる!」



 しかし、後にこの地も乱世の渦に巻き込まれる事を――彼らは未だ知らない――










 真実は心の底に










 これは神が起こした運命の悪戯なのかも知れない――

 乱世の波は、の住むこの地にも押し寄せようとしていた。
 両親が恩義を受けていたかの家が孫策の攻撃を受け、呉郡へと逃げ延びたというのだ。
 これは由々しき問題、と両親はこれを機に正式な従者となる。
 その旅立ちの日――

 「ほんとに、行かなきゃだめなの?」
 「すまない。 この恩に背く事があれば、我々…いや、我々一族の存亡にも関わる事になるのだ」

 解ってくれ、と苦悩した面での両肩を掴む父親。
 彼も本当はこの地を定住の地としたかったのだろう。
 その父の歪んだ表情を見て、は納得できない気持ちを隠しながらこくんと一つ頷いた。



 せめて最後に、もういっかい惇兄にあいたかった、な………



 でも惇兄、私は………
 
 生きていれば、必ずあえるって信じてるからね――










 ――それから幾年もの時が流れた――















 今日も鍛錬場では金属音や土を蹴る音が後を絶たない。
 たくさんの兵や将が来るべき時に備え、己が武を磨き合っている。
 その中心には今、己の得物を鮮やかに操る長き黒髪の女が居た。

 「はっ!」

 頭上に降りかかる剣撃をいとも簡単に弾いた刹那、膝を突く相手の喉下に刃の切っ先を向ける。
 「はい勝負あり、ね」
 笑みすら浮かぶその顔には、疲労など微塵も感じられない。
 鍛錬をする事が心から楽しいといった風体だ。

 そんな彼女の背中に、突如涼やかな青年の声が響く。
 「…やはりここでしたか、。 そろそろ夕刻です…程々にしませんと、夕食を食べ損ねますよ」
 「あっ! もうこんな時間なのね…直ぐ支度するわ、伯言」
 「ふふっ、焦らなくとも大丈夫ですよ。 …私は部屋で待っていますね」
 の慌てた様子を尻目にそう言うと、彼は冗談めかした柔らかな微笑みを残しつつ踵を返した。
 何処か達観した――人の心を覗き込むような微笑み。

 私の心は、どこまで彼に見抜かれているのかしら――

 は部屋へ戻る背中を見つめ、流れる汗を袖で拭いながらふぅと軽く溜息を零した。



 この地――呉郡を定住の地としてからどれくらいの時が流れたのだろう。
 両親と共に陸家に仕官したは幼少の頃から鍛えられた剣の腕が買われ、当主となった陸遜の護衛を任された。
 今では一軍を率いる孫呉の将であり、そして――



 「――愛しています」
 「クスッ…何を今更」

 夜――
 恋人達の深い語らいは床についても続く。
 しかし、今は乱世。 この甘い時が長くは続かない事を二人は知っている。
 今宵も目前にまで迫っている戦の話に、場の甘さが半減していた。

 「――どうして私が出ちゃいけないの? 戦う前から敵に背中を向けたくはないわ」
 「いいえ、そういう問題ではありません――私は軍師の一人、そして貴女の恋人として話をしているのです。 此度の戦、貴女にだけは出て欲しくない」
 「敵軍に………あの人が出るという噂があるから?」
 「えぇ、悔しいですが…その通りです」

 唇を噛み締めながら瞳を逸らす陸遜。
 その時、恋人の目の前で己から『あの人』と口を出してしまったの心がちくり、と痛んだ。



 これは突きつけられた現実への切なさか、はたまた良心の呵責からか――
 この戦に関する噂が持ち上がった時から、の心には一つの確たる想いが呼び起こされていた。
 忘れていた筈――いや、忘れようとしていた想い。
 未だほんの子供だった頃に抱いていた気持ちは、時を経た今でも彼女の心に潜んでいたのだ。

 生きてさえいれば、必ず会える――

 しかし今では、彼は敵君主の右腕と呼ばれるまでになった人。
 二人の間にある障壁はあまりにも厚い、とは思った。
 それでも――

 「大丈夫よ、伯言。 私は今や孫呉の一軍を任されている将――そして、あの人は敵」



 ――私は、惇兄に会いたい。
    たとえ、刃を交える事になったとしても――



 心の葛藤を表に出さずにきゅっと唇を引き締めると、真摯な光を宿した瞳を真っ直ぐ陸遜に向ける。
 「私は貴方を護りたいの。 だからお願い――」
 「…解りました、貴女には敵いませんね――ですが、その言葉…決して忘れないでくださいね」
 「えぇ――」
 突如己を拘束する陸遜の腕に身を委ねながら、はふっと笑みを零した。



 しかし、その肩越し――
 陸遜が唇の端を妖しく吊り上げたのを、彼女が気付く事はなかった――。










 ――そうか、やはりは出るか。

 「えぇ、私の思った通りでした」

 ――ならばこの戦、益々優位に事が運びそうだな。

 「はい、その手筈は既に。 事の次第によっては、彼女を囮にして奴の首を――」















 戦前の張り詰めた空気は、この場にも既に及んでいた。
 己の愛刀――滅麒麟牙を手入れしている夏侯惇の元に慌しい足音が近付き、扉が勢いよく開かれる。

 「惇兄、聞いたか!? 今度の戦に、陸家の当主が出るってよ」

 その足音と声の主は従兄弟の夏侯淵。
 敵軍の偵察に行っていた兵からたった今話を聞いたばかりらしく、その様子は見るも明らかに狼狽していた。



 それもその筈――
 陸家の当主といえば、近頃孫呉の下で台頭し始めている知将・陸遜。
 そして………彼には今、子供の頃離れ離れになった幼馴染が仕えている。



 「落ち着いてる場合じゃないぜ、惇兄。 陸家の当主が出るって事は、アイツも一緒って事じゃねぇか」
 「…あぁ、解っている」
 「解ってるって………なぁ惇兄、俺はアイツと戦いたくねぇよ」

 長い廊下を必死に走って来たのだろう、顔中に滲む汗を拭いながら夏侯淵が詰め寄って来る。
 しかし夏侯惇は眉一つ動かさずに彼の言葉を静かに聞いていた。



 これは、目の前に立ちはだかる現実に対する覚悟の表れか――
 陸家が孫呉の支配下にあると知ってから、夏侯惇の心の中には一つの固い決意が首をもたげていた。
 揺るがない――いや、誰にも揺るがす事の出来ない決意。
 未だ少年の頃から抱いていた気持ちは、時を経た今でも彼の心を常に強くしていたのだ。



 「なぁ惇兄………戦うよりも他にいい方法はねぇのかよ?」
 夏侯惇の内心を知らずか、依然訴え続ける従兄弟。
 夏侯淵が見せる態度も、所謂彼女への慈愛の表れなのだろう。
 その必死な様子に夏侯惇はここで漸くふっと幽かな笑みを零す。
 そして――

 「…淵。 後は俺に任せろ」

 夏侯淵の肩を軽くぽんと叩くと、己の中にある決意を確かめるかのように一つ大きく頷いた。










 戦前夜――

 は夢を見ていた。
 遠い昔、懐かしい子供の頃の記憶――



 「ねぇねぇ惇兄、どこにいくのー?」
 「そんなに服の裾を引っ張るな! 伸びるだろ!?」
 「まぁまぁ、細かい事は気にすんな、惇兄!」
 「きにすんな惇兄ー!」
 「…頼むから淵の真似だけはするな」










 ――そして、決戦の時が訪れた――















 先陣を切るの軍は、破竹の勢いで後続を先へ先へと導いていた。
 並み居る敵兵も彼女の速い進軍にはぐぅの音も出ない。

 「こ、この女――」
 「戦に、男も女もないわ………残念だけどね」

 力なく地に斃れ行く兵を一瞥し、冷たく吐き捨てる
 己が刃に今しがたこびり付いた血糊を振り払いながら、瞬時に次の一閃へと動く。
 息つく暇を与えないの勢いは、最早誰にも止められない――この場に居る誰もがそう思った。
 刹那――



 視線の先に身の丈程の棍を肩に担ぎ、こちらへとゆっくり近付いて来る一人の男を捉え、の動きがぴたりと止まった。
 昔――一緒に居た時と何ら変わらない雰囲気を持つその姿に視線が釘付けとなる。
 だが、の動きを止めたのはそれだけではなかった。
 彼の持つ得物が、かつて見ていたものとあまりにも違いすぎるのだ。
 次第に大きくなる足音に、は我に返りはっと息を呑んだ。

 得物は違えど、この人は紛れもなく私の逢いたかった男(ひと)――

 熱いものがこみ上げ、の瞳がほんの少しだけ滲む。
 しかし懐古の記憶を振り払うように一瞬だけ瞳を閉じると、今迄共に戦ってきた陸遜へと真っ直ぐに向き直った。

 「下がって、伯言――ここは私が」
 「しかし――」
 「私はもう、何も失いたくない。 だから………」

 ――ごめんね。

 最後の言葉を飲み込み、踵を返す
 しゃんと背筋を伸ばしたその姿は、死を覚悟した戦人(いくさびと)そのものだった――。







 逢いたかった人が、目の前に居る。
 しかし――戦は再会を懐かしむ余裕すら与えてくれない。

 今、ここに対峙する二人の胸中や如何に――





 「久し振りね、惇兄。 逢いたかったわ………とても」
 「あぁ、俺もだ」

 鞘から抜いた得物を利き手に携えたまま、はふっと笑みを零した。
 対峙する男も、同じような表情をその顔に浮かべている。
 その笑顔も、あの時のまま――
 しかし、得物を手に構える二人には最早それ以上の言葉は必要なかった。
 穏やかだった瞳を鋭いものに変え、隙を与えないよう身を低くしていく。

 「しかし、今の私は孫呉の将。 …私を投降させたくば、この刃を受けよ」
 「言われなくとも、そのつもりだ――

 夏侯惇の言葉を合図に、二人の緊張の糸がその場に張り巡らされていく。
 そして――



 「孫呉が将、――参る」



 決戦の火蓋が今、静かに落とされた――





 は、彼の強さを知っている。
 子供の頃から頭角を現していたその武――かつて自身も幾度となく手合わせをしてきた。
 動きや癖は成長しても変わらないだろう、しかしそれはお互い様だ。
 ならば――

 勢いよく足を駆り、間合いを詰める
 そして懐に入る直前、身を低く構えて後ろへ回り込む。
 ――身軽さと鍛えた足腰を利用した素早い動き――
 しかし、相手も百戦錬磨の将。そう簡単に背中を取らせはしない。
 の繰り出した一閃が棍の一振りで瞬時に弾かれた。

 「くっ――」

 一撃が、重い。
 今の衝撃をまともに受け、利き手が思い切り痺れる。
 これでは、再び鋭い一撃を放つまでには少々時間がかかるだろう。
 は、夏侯惇の追撃を警戒しながら間合いを取った。
 しかし――

 何故か、彼は動かなかった。
 棍を肩に担いだまま大きく構える姿は、の次なる攻撃を待っているようにも見える。
 刹那、は身体中の血が沸騰しそうな勢いで熱くなるのを感じた。
 ぎり、と唇を噛み締めて夏侯惇を睨む。

 ――バカにしやがって!

 「貴様、やる気があるのかっっっ!」
 手の痺れに、躊躇などしていられない――いや、この沸き立つ血潮で最早気にならなくなっている。
 先程よりも速い動きで夏侯惇の懐に入り、そして――



 ざくっ!



 「………え!?」

 気付けば、の一閃がいとも簡単に夏侯惇の肩口を貫いていた。
 あまりの呆気なさに開いた口が塞がらなくなる。
 どうして………?と心に戸惑いが渦巻き、思わず夏侯惇の顔を見上げた。
 すると――







 ごいんっ☆――





 己の頭に、かつてない程の衝撃が走った――。










 力を失い、地へと崩折れる女の身体を掬い上げるように抱える夏侯惇。
 その心には最早、敵軍へ向かう戦意はなかった。

 俺は、乱世に奪われたものを己の手で取り戻しただけだ――

 の身体を担ぎ上げると、夏侯惇は自軍へと戻るべく悠然と踵を返した。
 刹那、その背中に何処か焦ったような大声が掛かる。

 「お待ちください!」

 動きを止めて視線だけを声の方に移すと、そこには台頭し始めたばかりの知将の姿が見えた。
 彼にしてみればは貴重な戦力であり、想い人なのだろう。
 しかしその一生懸命な様子に構う事なく、夏侯惇は再び歩き出す。
 そして――

 「は俺のものだ――ガキは引っ込んでいろ」

 相手が萎縮する程、凄味のある低い声で言い放った。










 不思議だった。
 あの一撃は、この人にとって決して避けられないものではなかった筈だ。
 それなのに――

 「…惇兄、何故…避けなかった、の…?」

 失いかけている意識に抗いながら、は己の身体を運ぶ男に問うた。
 すると――

 「『投降させたくば、この刃を受けよ』…お前はそう言った」

 自分の言った事を、実行したまで――

 真の想い人からの言葉に満足をしたのか、は心から安心したような笑顔を浮かべながらその意識をゆっくりと手放した。







        信じていた――

        生きていれば、必ず出逢えると。



                そして、心の底にあった真実も――







 劇終。


 作者 : 御巫飛鳥     サイト : Take It Eazy



 アトガキ

 ども、漸く5万打記念フリー夢を完成させるに至ったヘタレ管理人です orz
 (と言いつつも…早くも57000打を超えているんですが)

 今回のお話は――
 アンケートの集計結果、同率一位だった夏侯惇と陸遜をお相手にという、初めての試みを実行してみました。
 そして、これも初めて………ヒロインに惇兄、と呼ばせる事と惇兄との戦闘?シーン。
 いやぁ、ここまで悶えるとは思いませんでした…自分が!(をい

 一つの戦に対する想いは人それぞれ。
 登場する人物それぞれの心の中に潜む真実がしっかり表現されていればいいのですが…(汗
 あまりにも素敵!?なネタだったんで、少々長くなってしまいましたが――

 こちらはフリーとなっております。
 もし、お気に召しましたらお持ち帰りいただけると嬉しいなと思います。
 (ついでに、申告していただけると尚嬉しい!←こら)
 ※ お持ち帰りに関する詳しい注意事項は、企画のページをご覧ください。


 皆さんのご支援もありまして…当サイトも延べ5万というたくさんの方のアクセスをいただきました。
 非常に嬉しく、幸せに思っております。
 今後も、ヘタレ度は変わりないと思いますが――末永くよろしくお願い致します!


 最後に――
 ここまでお読みくださった皆様、そしてこのネタと素晴らしい演出を与えてくださった情報屋に………
 心から深く御礼を申し上げます! ありがとうございました!


 2009.03.10   御巫飛鳥 拝



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