己の眼が開ける事を躊躇うような夜明けの日差し。

それは…一つの寝床に身を寄せ合っている二人にも届き、否応なしに目覚めを誘った。



男が傍らの女に笑みを向けると。

女は男の腕の中ではにかんだ笑顔を返す。

その…何とも穏やかなひとときが。



………突如、女の一言で破られた。





「ねぇ…元譲。

前から思ってたんだけどさ…。



貴方の眼帯、ちょっとボロくない?」















やさしくつつんで















「…何だ? 藪から某に」

夏侯惇は片肘を突いて身を起こすと、眉間に皺を寄せてに問う。

刹那。

「ふぎゃっ!?」

枕代わりにしていた腕が解かれての頭がドスッと寝床に打ち付けられた。

が後頭部を撫で擦りながらしぶしぶ起き上がる。

「いたた…。 もう、いきなり起きる事ないじゃない…」

「…お前が唐突に可笑しな事を言うからだ」

「だって私、その眼帯しか見た事ないし…」

替えとかないのかなって思って…とは心にあった疑問を率直にぶつける。

何故、夏侯惇は同じ眼帯しか着けないのか。

今一番近くに居ると言っても過言ではない彼女でも、夏侯惇が他の眼帯を着けているのを見た事がない。

それどころか、軍医であるが彼の目を定期的に診る時以外に外すのを見た事がなかったのだ。

眼帯の中身を他人の目に晒すのが嫌なのは解る。

しかし…始終同じ眼帯では、幾らなんでも衛生的によろしくない。

そこで、冒頭の台詞と繋がるわけだ。

「だからね、そこまでボロい眼帯だと心配なのよ…解る?」

薄布一枚の腰に手を当て、説教をするように語る

「うむ…替えとは、考えもしなかった」

己の頭を頻りに掻きながら夏侯惇はぼそりと零した。

その一言が天然なのか、はたまた何かを狙っての発言なのか…判断しかねるが。

は夏侯惇の言葉にがくっと肩を落とす。

「もう…自分の事なんだから、ちゃんと考えてよね…」

「すまん。 しかしな…今迄何事もなかった故、替えなどなくても良かろう」

「そういう問題じゃないの。 …自分で作らなくても、誰かに頼めばいいじゃない」

「…面倒だ」

の言葉や提案にもいまいち煮え切らない態度を取る夏侯惇。

その様子にの胸中は猜疑心に満ち始める。

夏侯惇がここまで一つの眼帯に拘る理由…。



もしや、昔の恋人が贈った物で…未だに忘れられなくてずっと身に付けてるとか…?

…そうなの?  …そうかも。  …そうだ。  …そうに違いない!



一度疑い始めると埒が明かなくなるのが恋する乙女心(!?)というところか。

は腰に手を当てたままふい、と背を向けると

「…いいわ。 後で殿に聞くから」

夜着の上から上着を羽織り、さっさと寝床から離れて扉へと一直線に歩いて行く。

その背中に

「何で…そこで孟徳が出てくるんだ、

という夏侯惇の言葉が降りかかったが…時既に遅し。

は既に扉の向こうへと消えていた………。














夏侯惇の過去を知る人物と言えば…曹操その人だろう。

彼に聞けば…何か解るかも知れない。

そう思ったはその晩、曹操の自室へと足を向けていた。

本当は直ぐにでも訪ねたいところだっただろうが、彼女にも『軍医』という仕事がある。

秒単位での仕事を終え、気が付いた時には既に夜の帳が降りていた。



あの態度は…私に何か隠しているに違いない。



恋する乙女心は何処まで突っ走るか…と思わんでもないが、今の彼女は必死だった。

恋仲である夏侯惇の事は何でも知りたい、と思うのは当然だ。

それが…己にとって辛い事であっても。

は唇を引き締めた。

目の前には曹操の自室の扉が聳え立っている。

君主の部屋を訪れるのはこれが初めてではなかったが…やはり多少の緊張感はある。

心の中で「よしっ!」と気合を入れて、は扉を叩いた。










トントン…。





です。 殿…ご在室でしょうか?」

「うむ。 入るがよい」

「…失礼いたします」

扉を開け、静々と中に入ると…曹操は机の前に座り、何らかの書簡に目を落としていた。

「…! 申し訳ありません…お忙しいようでしたらまた後程…」

「よい。 これは明日でも構わん…何用だ? 

曹操はそう言うと徐に書簡を閉じ、遠慮がちに立つを見る。

「えーと、あの…」

君主に「何用だ?」と言われて恋する乙女の突進がやっとの事でぴたり、と止まる。

…どうやって切り出せばいいんだ?

いきなり本題じゃ不味いよね…流石に。

うーん、と腕を組み、考え込む

ここまで来て、ようやく何も考えず行動した自分に後悔する。

…既に手遅れだが。

すると、曹操の方から本題を投げかけられた。

「もしや…夏侯惇の事ではないのか?」

「…! そっ…そうなんです! 彼の事で訊きたい事があって…」

曹操の助け舟に乗った形になって再び恋する乙女心が加速し始める。

は息せき切ったように今までの経緯を曹操に語った。







「うむ…成程。 奴の眼帯、か…」

の事情を聞いて。

なかなかいい所を突いて来るな、と変な方向に感心する曹操。

その発言に 「何処が!」 と突っ込みたくなる気持ちを抑え、は更に言葉を重ねる。

「…何故、彼が一つの眼帯に拘っているのか…殿ならお解かりになるかと思いまして」

「うむ」

必死なに曹操が尤もらしく頷いた。

彼の中に何か思うところがあったのだろうか、机の前からすっくと立ち上がると徐にの腕を掴んで言う。

「奴の事が知りたいのならば…こちらへ来い」

「えっ? あの…殿? どちらへ…」

いきなり腕を取られて戸惑うに 「…来れば解る」 とだけ言い、ぐいぐい奥へと導いていく。

歩く二人の視界に程なく映るは曹操の寝床。

刹那、曹操の真意を見抜いてか…は引かれる腕をぐっと引き返して声をかける。

「殿…」

「…? 何だ」

己の手に急な抵抗を感じ、曹操は振り返って訝しげに尋ねたが。

刹那、その振り返った目が焦燥の色に染まった。

「殿…お戯れを」と言いながら微笑むの瞳が笑っていない。

いや、それどころか…その瞳の奥にこの上ない怒りが潜んでいる。

それを全身で感じた曹操の心に戦慄が走った。

「いや…これは冗談だ。 実は…わしも知らんのだ」

と動揺を隠すのも忘れ、の腕を掴んでいた手を離しながら今更ながらに気付く。

…今のには冗談が通じん、と。

刹那、恋する乙女街道をまっしぐらに突き進むの怒りが爆発する。

「殿…。 幾ら貴方様でも、やっていい事と悪い事があります。 …お解かりですね!?」

曹操の腕を先程されたのと同じようにがしっと掴んで極々静かな声で言い放つと…。

部屋の入り口から死角になる所へ曹操の体を引っ張り込んだ。










数回の打撃音と破壊音が部屋に響き、そして再び静かになった。

不埒な冗談に走った曹操への制裁が終わったのか、満足げな様子で死角から出てくる

その手をぱんぱんと叩きながら

「…殿も解らなかったか…。 話は振り出しね」

割り切ったようにぽつりと零す。

すると。

その背中に曹操の声が降りかかる。

「…

「………まだ何か?」

その声に振り向き、床に這い蹲る曹操を鋭い視線で見下ろしながら手の関節をポキポキ鳴らす。

そんなを「まぁ待て」と制すると、曹操は身体を動かす事なく先を続けた。





…。

奴ほどの男が…おぬしに嘘を吐くと思うか?

おぬしが何を疑ってるのかは知らんが、夏侯惇の事を信じてやれ」





諭すように語る曹操の格好はとても威張れるものではなかったが。

その台詞は確実にの心を突き、貫いた。



本当に…殿の言う通りだ。 何を疑っていたんだろう?



恋する乙女の思い込み(暴走)は怖ろしい。

一瞬にしての心はゲンキンな事に、他の方向へ走り出す。

曹操への挨拶もそこそこに部屋から外へと躍り出る。

宵にも関わらずドタバタと廊下を駆けながら、思案を続けた結果。

の心は一つの答えに収束していった。



そうだ。

今の元譲に…私が出来る事。

それは………!













先程の制裁で発せられた大音声と、勢いよく出て行ったの様子に反応して衛兵が駆けつける。

と。

依然床に倒れ込む曹操の姿。

大丈夫ですか、と訊く衛兵に曹操はその顔いっぱいに苦笑を浮かべ、独り言のように呟く。

「認めたくはないものだな…『若さ故の過ち』というものを」

その一言に。

全てを悟った衛兵は君主以上の苦笑を洩らしながら力いっぱい突っ込んだ。



「もう、そんなに若くないでしょう…殿」














それから数日。

の空き時間は全てある作業に費やされていた。

殆ど毎日訪れていた夏侯惇の自室にも行かず、己の作業に没頭しているを周りの人間達は訝しんだ。

『もしや、仲違いでは?』と。

しかし、問い質そうにも…とても話しかけられる雰囲気ではない。

片やは作業を邪魔しようものなら物凄い形相で睨み返し。

片や夏侯惇はが逢いに来ない事に苛立ちを露にしていた。

そして…周りの人間が導き出した『結論』。



それは、『君子危うきに近寄らず』だった。










更に数日。

ようやく作業が終わり、袋を抱えたは夏侯惇の部屋を訪れていた。

「…何故、来なかった?」

腕を己の胸の前で組み、眉間に皺を寄せて夏侯惇が問うた。

彼女はその眉間に指を沿えて皺を伸ばすように撫でる。

そして。

「そんなに怒らないの。 …ちょっと元譲を驚かせたかったのよ、ごめんね」

言いながら抱えていた袋から中身を出す。

夏侯惇の視界に晒されたそれらは…お手製である大量の眼帯達だった。

「貴方の事だから…照れくさくて人に頼めなかったんでしょ? だから私が作ったの」

と言うの顔は満面の笑み。

しかし、夏侯惇は同じ笑顔でも…その中に苦いものを含めていた。

眼帯の群れの一部を手に取り、の目の前に晒す。

「…全部俺が着けるのか?」

「全部、とは言ってないわよ。 気に入ったものだけでいいわ」

くすり、と笑ってが手を広げる。

そして。

「ささ…まずは試着、ね!」

と元気よく声を発し、夏侯惇が持っていた眼帯を一つ残して全て回収した。










から渡される眼帯を次々に試着し、鏡を前に百面相を繰り返す夏侯惇。

その様子を楽しげに見つめる

その会話は…傍から聞いていたら笑いの席に居るように感じただろう。



☆   ☆   ☆



虎の毛皮で覆った眼帯を着けた夏侯惇。

「…これは派手すぎる…というか似合わん」

「…いいと思ったんだけどなぁ…野生的で」

「そういうものは内面から出すものだ」

「へぃへぃ…殆ど毎晩見てるから私も充分ですぅ。 …これも却下、と」

何やら、恥ずかしい台詞を簡単に言ったような…。



☆   ☆   ☆



今度の眼帯は着用して鏡を見た瞬間、夏侯惇の動きがぴたりと止まった。

「どうしたの?」

「眼帯に目を書いても気持ちが悪いだけだろう」

「えー!? 本物のように書いたんだよ? 結構可愛いと思ったんだけどなぁ…」

「可愛くないわ!!!」

夏侯惇、好ツッコミ!



☆   ☆   ☆



花柄や格子柄の眼帯を着けさせられて辟易している夏侯惇。

「…これらは明らかに女性向きではないか?」

「あら? 知らなかったの? これが今年の流行…」

「この乱世に…流行もクソもないだろう…」

尤もだが…『クソ』って貴方…。



☆   ☆   ☆



トドメ、と言わんがばかりに渡された蝶の仮面。

着用した途端鏡の前の夏侯惇が爆笑する。

「はは…これは何と。 如何にもあいつが喜びそうなものだな」

「ん? 何が?」

次のを探しているのか…夏侯惇の方を見ないでが訊く。

「蝶の面だ。 これに反応してあいつが出て来そうだ」

「ん? あ! ごめん…これ、あの方に頼まれて作ったものなのよ…何処で紛れたのかしら…」

顔色一つ変えずに夏侯惇から蝶の仮面を奪う

刹那、夏侯惇はその場で力なく膝を折ったのだった…。










「…。 もっとましなものはないのか?」

いい加減疲れてきたのか…夏侯惇はの肩に手をやり、苦笑を洩らす。

それもその筈。

の持参した大量の眼帯を一つ残らず試着したのだから。

しかし。

断ればいいものを…それをご丁寧にしてしまうところは惚れた弱み、というところか。

すると、は袋を持っていた手を自身の前で組んで俯く。





「…これは流石にやりすぎだったわ…ごめんね。

でも。

最近、戦続きで…お互いに気を抜く事が少なかったから。

たまにはこんなのもいいかなって…あれから考えたの。

あとね。

戦の時…私が従軍したとしても貴方の傍に居られない。

だから…私の作ったものを身に付けてもらえば、貴方と一緒に居られるかなって…」





の言葉は、夏侯惇にとって一番嬉しいものだった。

これは…自分を想ってしてくれた事。

夏侯惇はに逢えなかった数日を帳消しにする程の気持ちを受け取った気がした。

ふっと小さく笑いを零す。

そして、の手を引き、己の腕の中にその身体を収めると。

顔を上げ、今にも泣きそうな瞳を向ける愛しい人にお礼と言わんがばかりの優しい口付けを贈った。







数刻後。

夏侯惇が傍らのに笑みを向けると。

はその腕の中ではにかんだ笑顔を返す。

その…何とも穏やかなひととき。



それを再び破ったのは…またしてもだった。

床の傍らに置いてある袋を手に取ると…中から一つの眼帯を取り出した。

一瞬夏侯惇の表情が凍りつく。



…まさか、あのうちの一つを!?



しかし。

が夏侯惇に差し出したのは今迄とは全く違うものだった。

夏侯惇がこれまで始終身に付けていた眼帯をそのまま模ったもの。

それを手渡しながらが言葉を紡ぐ。

「やっぱり…貴方にはこういうのが一番似合うわ」

最初から渡したら面白くないでしょ?と悪戯っ子のようにてへ、と笑うの身体を夏侯惇は再び抱きしめた。

直後、を腕に収めたまま器用に眼帯を着け替える。

そして…遠目に鏡を覗き、満足そうに頷いた。





「うむ…これがあればお前を傍に感じられる。

…。

これからは共に戦場を駆け抜けよう!」





今度はが夏侯惇の言葉に幸せを感じた。

は彼の言葉にしっかりと大きく頷くと。

「はい!」

夏侯惇の視線に自身のそれを絡めた。










目の傷も、心の傷も…。

私の気持ちで。





やさしく、つつんであげる………。













劇終!!!








アトガキ



リクエスト夢。
『二枚舌』の管理人である新城まやさんへの献上物です。

まずは大きく謝罪します(あれ?
惇兄お相手でギャグ、という事だったんで…。

おもいっきり遊んじゃいました!!!(汗

ギャグネタは言うまでもなく情報屋とのやりとりで得たもの。
名付けて『着せ替え惇兄』☆(別に名付けなくても…
それを飛鳥ちっく(ちっく、て…)にギャグってみました。
そしたら…思い切り遊んじまった!という結果に。

それでも最後は甘く仕上げたつもりです。
(別にボケ倒してもよかったんですが…その辺はもぐもぐ)
少しでも楽しんでいただけたら幸いかと。

新城さん☆
此度はリクエストありがとうございました!
つまらないものですが(粗品かっ!)。
宜しかったらお持ち帰りください(汗


最後に、ここまでお付き合いくださってありがとうございました!



2007.4.28     御巫飛鳥 拝



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