My sweet sweet home!










 「………なあ」
 隣に立つに、許チョは、なんだか落ち付かねえだな、と、そっと小さくぼやく。
 「うん。ほんとだね……」
 そう返すの頭は、許チョの目線からはだいぶ下に見える。
 巨漢(横も縦も大きい、という意味で)の許チョと、ちんまりとした小柄ながそうやって並んでいると、まるで作り物の夫婦のようだ、と評される事が多い。先日も、あるじからくすくすと笑われながら、そんなような意味の言葉を寿ぎとして贈られたばかりでもある。
 「おいら、ちょっとだけ、今んとこより広い家に住みたい、って言ったつもりだったんだけどなあ……」
 「曹操さま、奮発してくれたんだね」
 「うーん。それはいいんだけど……ちょっと、広すぎじゃねえかなあ。おいら、自分ちなのに迷子になりそうだあ……」
 そんな事を話す彼らの眼前には、広大な、そして豪華絢爛な邸宅がでーん、とそびえている。
 今日から、ここが二人の新居、であった。
 (お台所、どこ、なのかな)
 慣れ親しんでいた以前の家の間取りを必死に思い出しつつ、は、ゴハンにしよっか、と許チョを誘う。
 「おお、おいら、腹、減っただよ」
 「うん、じゃ、あたし早速、準備してくるね」
 のゴハンは天下一品だからなあ、と満面の笑みを浮かべるいとしいひとに、彼女もまた、にっこりとした。


 基本的に、の夫は物を、欲しがらない。
 戦場で勲功を立てても、褒美というものにとんと、無頓着であった。
 何しろ、美味しい物を充分に食べていればそれだけで満足、といった好漢である。
 そんな彼が初めて、曹操にねだりごとをした。
 住んでいる家が手狭になった。そうお伺いを立てると、曹操は一にも二にもなく、すぐさま、許チョの願いを容れた。許チョ、おぬしにも大切なものが出来たか、と相好を崩して。
 『おぬしには宝をしまっておく新たな入れ物が必要であろう』
 曹操は、そう言ったのだった。
 べつだん、家が狭くなったのは許チョの身体が膨れて専有面積が増えたから、なわけでも何でもない。
 家族が、出来たからである。それも、可愛い可愛い『宝物』が。
 (ここでだったら、沢山、美味しいお料理が作れるかも知れない)
 許チョと別れて家中をさまよいながら、もほわほわと幸せ気分に浸った。
 彼と同じく、もまた豪華な暮らし、立派な住まいには縁がない。願った事もなかった。
 それでも、曹操の好意、許チョの快適な住まいを自分に与えたい、という思いには、純粋に、喜びを感じる。
 「あの、奥様」
 新しい家でも、美味しいものを作ってあげよう。許チョが、もう食べられないだよ、とひっくり返ってしまうくらいに。
 そう考えて厨へと急ぐ途中、背後から、女の声がした。振り向くと、中年の、感じの良さげな女性が立っている。
 「あなたは?」
 「わたくしは、この家の、侍女頭でございます」
 奥様をお待ちしておりました、とうやうやしく礼をされ、はほりほり、こめかみを掻いた。
 曹操は家具付き、侍女付きの豪邸を、自分達の為に用意してくれたらしい。何とも、太っ腹な君主様ではある。
 「何か、ご用でございますか、奥様」
 「う、うん。あの……お台所を探しているの」
 「台所などに、何か?」
 夫の食事を作りたいのだ、と告げると、侍女はまあ、と目を見張った。
 「そのような事は、わたくしどもがいたします」
 「え、でも、いつも、あのひとの食べるものはあたしが用意しているんだけど」
 「奥様はどうぞ、お休み下さい。何事も、お言いつけ下さったら結構ですので」
 「でも………」
 「どうか、わたくしどもに、お任せ下さいませ」
 丁寧に、だが強い口調で言われてしまうと、それ以上、彼女は反論は出来なかった。


 「ご馳走様」
 あー、もう腹がぱんぱんだよお、と、心底幸せそうな顔をする許チョに、はいそいそと、食後のお茶を淹れてやる。
 ふうわりと、やさしい香りが室内に漂った。
 許チョの眼前には、きれいに空になった皿が、まるで小高い塔のように積み重なっている。
 それを見るのが、は好きだった。
 彼が美味しそうに料理を口に運ぶ様も、好きだった。彼そのものがとても、好きなのだ。
 優しくて、誠実で、が嫌がる事、傷つく事は決して彼はしない。いつもにこにこと朗らかで、彼の傍にいるとまるで、お日様の下にいるかのようにあたたかい。
 「、今日作ったゴハン、なんだか味がいつもと違っていただよ」
 「分かる?」
 「うん」
 「…あのね、さっき、侍女頭さんに会ってね、今日のご飯は侍女さん達が作ってくれるって言ったから…」
 許チョのまるい目が、更にまん丸になった。
 「そうなのかあ」
 「ごめんね。明日は、あたしがきちんと作るから」
 「なあんも、謝ることねえだよ。おいらのゴハンが大好きだけど、何より、一緒に食べられる事が一番、嬉しいんだから。なあ、
 「はい?」
 「おいら、もっと、うんと頑張るだよ。そんで、曹操様にもっと褒めて貰って、そんで、にもっといっぱい、美味しいもの食べさせてやるだよ」
 そんな、無理をしないで良いのに。
 今のままで充分、幸せなのに。
 そんな事を言う許チョがいじらしく、愛おしく、きゅうん、と胸の奥が鳴ったような気がして、は思わず立ち上がり、彼にしがみついた。
 「なんだあ。今日は甘えたさんかあ、は……」
 照れくさそうな声と一緒に、大きな、あたたかな手で頭を撫でられる。
 彼の匂いは、やはり、お日様のものと同じ、であった。


 やる事が、ない。
 掃除も洗濯も、食事の支度も、何も、する事がない。
 新居に越してより、は運動不足に悩まされる事となった。
 以前は、許チョの身の回りの事を始め、家事一般はの守備範囲であった。
 それが、今では上げ膳据え膳、床の埃を拾う事すら彼女は許されない。
 すべて、侍女達がしてしまうからである。
 たまには、許チョの好物でも自分でこしらえたい、と訴えても、無駄であった。侍女頭を始め、女達は口々に、彼女にじっとしていろ、好きな事をしていろ、動くな、と言い含める。
 許チョに相談してみたかったが、彼は何やら最近忙しく立ち働いており、朝早くから夜遅くまで、家を留守にしている。
 おいら、頑張るから。
 の為に、もっともっと、頑張るから。
 そう言われてしまうと、家の事で愚痴を言うのも憚られてしまう。
 次第に、は憔悴していった。


 「うわ、出来た…!」
 竈から、ほかほかの焼き菓子を取り出し、は歓声を上げる。
 「奥様、とても、美味しそうです」
 隣で見ていた若い侍女も、にこにこと嬉しそうだ。
 「旦那様も、きっと、喜ばれます」
 「うん、そうなら嬉しいな…このお菓子、あのひと大好きなんだ」
 明日は、許チョの誕生日。
 この世で一番、大切なひとの為に、何か、したい。
 ささやかでも、ほんのちょっぴりでも、喜んで貰えるような、何かがしたい。
 そう願い、は、一人の侍女を拝み倒したのだった。その説得にほだされ、彼女が厨の当番を担当する本日、こっそりと秘密裏に、竈と流しを使用したのである。
 「ありがとね、ホントに」
 「そんな、奥様…」
 お台所を使った事は秘密にしておいてね、と念を押し、は、まるで盗人のように辺りをきょろきょろと窺って、脱兎の如く部屋へと戻っていった。
 ところが、その夜。
 「奥様」
 まさかのまさかで、侍女頭がの許にやって来た。
 その顔に浮かぶ険に、彼女はあの若い侍女がうっかり、口を滑らせたのだという事を察してしまう。
 「奥様、勝手な事をされては困ります」
 「ご、ごめん。ちょっと、竈を使いたくて、それで」
 「奥様。奥様は、わたくしどもから職を取り上げなさるおつもりなのですか」
 「……そんな」
 この家にいるのは、曹操に命じられて派遣されてきた女達である。
 夫婦になりたての若い二人が、何不自由なく、快適に過ごせるようにするのが彼女らの務めなのだ。
 (あたしだって……お台所くらい、使いたいよ)
 我が家なのに我が家でないように、借りてきた猫状態でいなければならぬ理由はどこにもない。にだっていっぱい、言い分はあった。
 けれど、諄々と説く侍女頭を前にすると、結局、何も言えなくなってしまった。
 役目が果たせなければ、彼女らにはこの家にいる理由がなくなる。
 それが引いては曹操の顔を潰して、彼を激怒させる事となる。
 侍女頭の言葉に、の反撃および反論は、瞬く間に出口を失ってただふわふわと空中に漂うのみとなった。
 侍女頭が部屋を出て行った後。
 は焼き菓子を黙って自分の胃の中に収め、ぱんぱんになった腹を抱えて一人、寝台に潜り込んだ。
 許チョの帰りは、今夜も遅い。


 明くる朝、許チョはが起き出す前に、既に食卓に着いていた。
 「はお寝坊さんだなあ」
 食堂に現れたを見て開口一番、許チョはそう言い放つ。
 「たまにならいいけど、あんまり、怠けてちゃいけねえだ。おてんと様に笑われちまうだよ」
 彼の顔はいくぶん浮腫んで疲労が浮かんでおり、目元はしょぼしょぼとしていた。
 一生懸命、自分の為に働いてくれているのだ。
 そう思い、ぐっと、は言い返したいのを堪える。
 「、おいら、明日早いだ。今日はこのまま帰れねえかもしんねえ」
 「えっ?」
 無言で箸を進めていたは、ぱっと顔を上げる。
 「だって、今日、許チョ様のお誕生日じゃ…」
 「うーん。しょうがねえなあ……今日は、ちっと、無理だあ」
 この頃、とっても忙しいだ、と無邪気に笑われ、また今度お祝いして欲しいだよ、という一言を聞き、遂に、の中で何かが、切れた。
 「、今度、あの焼き菓子作って欲しいだよ。おいらあれがすごく好」
 「ゆうべ作った」
 「ほ?ゆ、ゆうべ?作ってくれただか?」
 「食べた」
 「食……」
 「ひとりで」
 「ひ、ひとりで?ひとりで食っちまっただか?全部?」
 見る見るうちに、許チョが萎れた、情けない顔になる。
 「そ、そりゃねえだよ……なんでおいらにも分けてくれねえんだ?そりゃねえだよ」
 「それはあたしの台詞だよ!」
 ばしーん、と音を立てて、は箸を卓の上に叩きつける。
 「あんまりよ…!少しくらいいいじゃない…!少しくらい、お台所使ったっていいじゃない!ここはあたしの、あたし達の家なの?間借りしてるんじゃないの?」
 「な、何を言うだ」
 あたし、この家、いやだ。
 吐き捨てた言葉は、いったん、口から出てくるともう、止まらなかった。
 「あたし、この家嫌い…!ちっとも、自分の家のような気がしない!」
 「…
 「前の家の方が良い!あたし、あたし………!」
 戻りたい。
 前の、狭い、小さな庭のあるささやかな家に、帰りたい。
 そう言うと、許チョの顔が、悲しげにゆがんだ。
 「……おいら、頑張ってるのに……に楽、させたくて頑張ったのに……どうして、そんな事言うだ。どうしてそんなひどい事言うだ……」
 「あたしは!あたしは、ゴハンが、作りたいの!」
 は絶叫した。一言、一言に渾身の力を込めて。
 「お茶が、淹れたいの!お掃除が、したいの!許チョ様の、お洗濯を、自分が、あたしが、したいの!他の、人に、触らせたくなんかないのよ!自分で、したいの!楽なんか、楽なんかしたく、ないのよ!」
 泣きそうな許チョの隣で、これもまた泣きそうなの雄叫びが、朝の食卓に炸裂する。
 こうして、おそらく、彼の人生最大かつ最悪であろう誕生日の一日が、幕を開けたのだった。


 、と、そっと後ろから声が掛った時、彼女は家の裏庭の楡の木に寄りかかり、一人、鼻をすすっていた。
 泣きすぎて重いように感じる目を擦り、振り返ってみると、許チョが所在なげに立っていた。
 「そっち……行ってもいいか?」
 「……ん」
 場所を空けると、のそのそと彼はの隣にやって来る。身体を動かしたはずみに、甘いげっぷが出そうになり、あわてては胸をとんとんと叩いた。焼き菓子の呪いであろうか。
 「さっき、おばちゃんから、聞いただ。、昨日、おいらの為に…その、頑張ってくれてたんだなあ……」
 彼が傍に来た途端、寒々しかった周囲の空気がまるで小春日和のようにほんわりと、温くなる。
 ただそれだけなのに、ほっこりと、暖かくなってくる。まるで魔法を使ったかのように。
 それにほだされ、また新しい涙が湧いてきそうになって、乱暴には袖で目を拭った。
 「おいら、が泣いてるの見るの、ほんとに辛いだ……」
 ぽそんと、許チョは言う。
 「まるで、どっかが怪我したみてえだ。見てるこっちが痛くて、苦しくて、泣きそうになるだ。には、いつも、笑ってて欲しかっただよ……うんと、うんと、幸せにしたいと思っただよ……だから、だから、おいら、頑張っただ。忙しくても、しんどくても、頑張れただ……」
 「そんな……」
 そんな、顔をしないで。
 叱られた子供のような、そんな顔を見たら、また、泣けてしまう。
 我が儘ばかり言う自分が嫌で、悔しくて、腹が立って、泣けてしまう。
 「…おいらもしんどかったけど、も、しんどかったんだな」
 静かに笑って、許チョは、再びぐすぐすと泣き出したの頭を、よしよし、と撫でた。
 「おいら、なんか、勘違い、してたみたいだ。御殿みてえな家とか、綺麗な着物とか、いっぱい、いっぱいにあげたかったんだけど……そんなもんあっても、あんまし、楽しくはねえなあ、って、最近、思うようになっただ。そりゃ、ボロより立派な着物の方がいいし、ちょびっとだけのゴハンより、満腹で動けねえぐらいのゴハンの方がいいけど……けど、それより、もっと大事なもんがあるって、おいら、気が付いただ」
 「うん………うん…」
 「なあ、。おいら、やっぱり、の作ったゴハンが、食べたいだよ」
 「……う、ん……」
 「狭くっても、いつもの顔とか見えて、声とかが聞こえる家に、住みたいだよ」
 「……うん…」
 「…また、焼き菓子、作ってくれるだか……?」
 「……うん…!」
 よっしゃ、と許チョは立ち上がり、腰に手を当てた。
 「おいら、これから曹操様んとこに行ってくるだ」
 「…曹操、様の?」
 「うん。曹操様に、前の家に戻してくれるように、お願いしてくるだ」
 こちらから言い出しておいて、それをまた返却しようというのだから、相手はいい顔はすまい。
 殊に、あの曹操である。かなりの叱責を、覚悟しておいて間違いはないだろう。
 それを言うと、彼は困ったように頭を掻いて、そりゃそうだなあ、と応える。
 「でもおいら、このままのゴハン食べられなかったり、を泣かせたりする事の方が怖いし悲しいだよ。曹操様には、ちゃんと、おいら謝るから。おばちゃん達も怒らないでやってくれって頼むだよ」
 「あたしも、行く」
 「も?」
 「行く」
 許チョだけに、頭を下げさせるわけにはいかない。元はといえば、自分のせいなのだから。
 「じゃあ、一緒に行くかあ」
 「うん」
 ほがらほがらと笑みを浮かべて、許チョはに向かって手を差し伸べる。
 それにつかまって立ち上がり、は、しみじみと、自分の夫運の良さに感謝をした。


 曹操は、折角の好意を返上しにやって来た新米夫婦に、やや、呆れ顔であった。
 そんな彼に、許チョが、だっておいら達、広―い家にいたっていつもくっついてるから使う部屋がねえだよ曹操様、と一席ぶって、横にいたをいたく、恥ずかしくさせたとか、何とか。
 それで機嫌を直したかどうかは不明だが、元の家に舞い戻ったに、曹操は、新品の台所用品一式を贈った。
 これで美味いものでも許チョに食わせてやれ、との事らしい。
 夫婦の危機は去ったが、また新たに、許チョには更なる体重増加の悩みが出来したのであった。






FIN.




 ■ あとがき ■

 飛鳥さんのお誕生日お祝いとして書かせて頂きました許チョ夢、これにて終了です。
 ご希望を伺った時に、「書いた事のない武将さまを」とのことでしたので、このサイト内では登場頻度の少ない魏陣営のどなたかを、と思っておりました。
 最初は違うお相手を考えていたのですが、気が付いたら許チョ書いてました。不思議。

 許チョも大好きです。あの純粋さ、愛嬌、意外と頼もしいところ、知れば知るほど彼の魅力にハマります。書いていて、「ん?この口調で合っているのか…?」は毎度どの武将さんでも思う事なのですが、今回もとても楽しく創作が出来ました。飛鳥さんに感謝、です。


 飛鳥さん、お誕生日おめでとうございます!これからもヨロシク、でございます。
 そして、最後まで読んで下さいました方に、心からの感謝を。ありがとうございました。


09/02/17 (Tue) 新城 拝


 ↓ここからは管理人のアトガキです↓

 …こんな素晴らしい逸品が誕生日プレゼントなんてもったいない!
 いっその事…試験合格とか、ケッコン祝いとか…でもう少し引っ張ってもらうんだった!(←をいをい
 と、現在大興奮気味の管理人です(汗

 ご本人様へのメールにも書いたんですが…実は当方、このお話で、ほろりと泣きました。
 この腐女子人生初、の夢泣きです。
 これまで、悶えたり鼻血出したり笑ったりはしていたんですが…泣いた事はありませんでした。
 しかし、ヒロインの悲痛な心の叫びと、許チョたんのあったかさに…見事ヤられましたよv

 拙宅では絶対に見られないであろう優しく暖かいお話、皆様も堪能されたかと思います。
 私も、ここで語るにはページ数が足りない!って程感動いたしました。

 この場を借りまして、何時もいつもお世話になっている新城さんに――
 心から厚く御礼を申し上げると共に、今後ともよろしくお願いしますとの気持ちを込めて。
 本当に、本当に………素晴らしい夢をありがとうございました!!!!!
 一生の宝として飾らせていただきます!

 2009.02.18   飛鳥 拝礼


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