それは、嘘ではなく………




 もういい加減になされませ、とがなだめても、無駄なようであった。
 茶釜から威勢良く吹き出る湯煙の向こうで、兼続はむっつりと、眉根を寄せて口をへの字にしたまま、押し黙っている。
 は溜息を吐き、止めていた茶筅の手をふたたび、動かした。
 「もう、良いではありませんか。そろそろ、ご勘気を解いて下さいませ」
 兼続はそれには応えなかった。
 さっきまで怒濤のように文句を並べ立てていたのが、今はこうして貝のように口を閉ざしているところを見ると、少々、彼も疲れたのかも知れない。
 男の(いや、女でもそうかもしれないが)癇癪ほど質の悪いものはない、とは心の中でうそぶき、茶を点てる行為に専念した。
 腹を立てている人間の相手をするには、それが長時間になればなるほど、骨が折れる。そう、無言の兼続同様、彼女だって疲れているのだ。
 開け放した茶室の障子から、むせかえるような緑のにおいが入ってくる。
 昨夜の小雨の所為か、普段より濃厚なものになっているそれを、ゆっくりと鼻の奥に入れて気を落ち着かせてから、は静かに茶碗を畳の上に置いて数度回し、兼続の許に押しやった。彼は仏頂面のまま、それでも目顔で礼を言って、それを口元に運ぶ。
 しゅんしゅんと、釜から吹き出る湯の音だけが、室内に響いている。
 その中で、数度に分けて兼続は茶を飲み、そして、ふう、と吐息と一緒に肩を落とした。
 「…
 「はい」
 茶杓を竹筒におさめ、兼続に向き直ったに、彼は、私が悪かったのだろうか、と呟いた。
 その声音は、もそもそと、籠もったように聞き取りにくい。
 「何か、私は…気に、障るような事を、言ってしまったのだろうか」
 「兼続様…?」
 「何ぞ、彼らを怒らせるような真似を、私はしてしまったのか……だから…だから、あのような……」
 「存じませぬ」
 一服の茶は、の目論見通り、兼続を落ち着かせる効果は、あったようだ。
 あったが、今度は違う感情に襲われたようで、しきりに、情けないぼやきを連発している兼続に、は素っ気なく、そんなものは知らぬ、と突き放した。
 「そのような事、わたくしにお尋ねされずとも。気になるのでしたら、わたくしになどではなく直接、お二方にお訊きなされませ、兼続様」
 「馬鹿を言うな」
 萎れた顔のまま、それでもきっ、とを睨む、という器用な芸当をしてのけながら、訊けるかそのような事、まるで私が拗ねているように思われるではないか、と兼続は詰る。
 「拗ねておられるではありませんか。実際」
 「う…」
 「仲間はずれにされた、と。あのような、友達甲斐のない奴らだとは思わなかった、と。先ほど散々、仰っておられたではありませんか」
 それを、世の中では『拗ねている』と言うのですよ、と、は柄杓をくるくると回し、歌うように節を付けた。
 「お訊きになればよろしいのでは?お二方に」
 「!」
 「何故、黙っていたのか、と。自分を置いてきぼりにして、自分をのけ者にして、楽しんでいたのはどうしてか、と。三成様と幸村様にお伺いなされませ、兼続様。そうですわ、是非、そうなされませ」
 苦虫を千匹あまり噛んだような面持ちのまま、顔を隠すかのように再度茶碗に口を付けた兼続に、は穏やかに、お代わりは如何ですかと問うた。中身は既に飲みきっていて空だ、と当たりを付けていたからである。
 それは正しかったようで、ずい、と椀は差し出された。
 まったく、この男は手が掛る。
 嘆息し、それでも、なんだか気の毒なような、おかしいような気もして、は笑いを堪えるのが精一杯だった。
 茶が出来上がるのを温和しく待っている、その頬に落ちる睫毛の影は、おどろくほど長い。
 白皙の顔貌の中央には、りゅうと通った鼻筋。口元は女性であるから見ても、見とれるほどの艶っぽさ。
 そんな、客観的に見ても女のが見とれてしまうほどの美形であるのに、直江山城守兼続は、の切り盛りする茶屋の中では、芳しい評判を聞かない。彼女が手足の如くにたくみに使いこなす店の女の子連中も、彼の名を挙げると、ああ、と何だか気の抜けたような声を出し、目交ぜ袖引きをしてくすくすと笑う、という微妙な反応をして寄越す。
 兼続は大切な店の常連客、それも上位の口である。そんな女の子達の無礼な所作を目にするたびに、はきっぱりとたしなめてはいるのだが、心のどこかではしょうがない、だってあんなにお綺麗なのに中身は素っ頓狂なのだもの、と思う。
 堂々たる美丈夫でありながら、見ているだけでもどこか笑いを誘うのが、直江兼続という男だった。おかしいにはおかしいのだが、不思議と、は店の女の子達のように、彼を煙たがりはしなかった。それは店の女あるじとしての心得、というよりも、放っておけない、という気持ちからであった。
 「どうでも良い事なのだ」
 茶を点てているに、兼続はぼそりと、花見などどうでもいい、誘われなくても構わない、と言った。
 「この時勢に呑気に花など愛でている余裕はない。それを、三成も幸村も分かっていない……だからこそ、腹が立つのだ」
 「さようでございますね」
 「それに、私は桜など好んで見はしない」
 「さようでございますか」
 「それを……この…こんな時に……遊山など……」
 「ご自分も行きたかった、と。さように仰せになりたいわけでございますね」
 すました顔で、臍を曲げ続ける兼続をあしらい、は言葉に詰まる彼に向き直り、残念でございますと、わざとしおらしくうなだれて見せた。
 「な、何が残念なのだ」
 「しそびれたのですよ、花見を。店も忙しかったですしね。わたくしもお二方に、誘って頂きたかったものですわ」
 「何を言う」
 「兼続様が、桜がお嫌いとは、残念でございますね。今年は見逃しましたが、来年は絶対に行こうと、予定を立てておりますのよ。お誘いしようと思っておりましたのに」
 「え?誘う…?誰を?」
 「貴方様を」
 花見は無理だったけれど、と楽しげに、は山の緑を愛でるというのも悪くはないと言ってやった。
 強がっているばかりの兼続の反応を、ちらり、ちらりと眺めつつ。
 彼の表情が、どう変わっていくのかを、どこか、面白がるように。
 「そうだわ、たまには店の女の子達も遊びに連れて行かないといけないし…そうしましょう。初夏の山遊びも乙なものかもしれませんし」
 「!」
 「残念ですわ、それにしても。兼続様が山遊びをお嫌いとは」
 「嫌いとは、私は一言も言ってはいないぞ!」
 「そのような遊び事をする余裕などない、と仰っておられたでしょう?お気を遣わずとも良いのですよ、残念ですけれど、わたくし達だけでのんびり、遊んで参ります」
 みるみるうちに、兼続の整った眉間の間に険が浮かんでいった。
 そこに、どこか悔しそうな、子供が地団駄を踏みそうになる一歩手前、のような色が交ざっているのを、は確かめた。
 「……は…意地が悪いな」
 「さようでございますか?」
 「意地が悪いだけではない。性格も、悪い」
 「あら。そのようなこと、貴方様はとうに、ご存知の筈かとは思っておりましたけれど?」
 兼続の恨み言を何処吹く風と聞き流し、は、取り繕うからいけないのですよとぴしり、と言った。
 「わたくしごとき者に、構えて体裁をお作りになられたとて、得はございませんよ。正直に、残念だった、仲間はずれにされて口惜しい、と愚痴の一つも仰って下さいましな。そうしたら、非力ではございますがお力添えも出来ましょうに」
 「どういう事だ」
 「そうですわね。お二方に、ぎゃふんと言わせる…とまでは行かなくても、ちょっとした仕返しの真似事など」
 「そのような…」
 卑劣な、子供めいた行為は出来ないと言いつつも、身を乗り出してきた兼続に、は今度こそ、本当に笑いそうになった。
 彼の沈んだ心を、少しでも浮かせるきっかけを作れただろうか。
 変梃な、ちょっと困ったひとだけれど、あまり哀しませたくないと思う、この自分の願いは、天に届いただろうか。
 結局、兼続との密談(二人の友への意趣返し計画)は、およそ二刻ばかりを費やして後、お開きとなった。
 「すっかり長居をしてしまったな」
 来た時とは別人のように、晴れ晴れとした、清々しい顔つきで、兼続は手間を取らせて済まなかった、と律儀にに頭を下げた。
 「ご機嫌は、直られましたか?兼続様」
 「うむ、いや、始めから私は機嫌など損じてはいなかったぞ」
 「まあ、そうですか」
 きっと、兼続は仕返しなど、しないであろうとは思った。
 その気持ちのまま、立ち上がった彼を見上げると、答えは訊かなくてもには分かった。
 「……兼続様」
 お幸せですね、と呟くと、彼は一瞬、唇を真一文字に結んだ。
 些細な、ちょっとした事で不満を持ち、文句を言いたくはなっても、それでも、同じ志を分かち合い、共に生き抜ける相手がいるという事は、どんな幸にも勝る。
 これぞ、と見込んで、また見込まれた相手との交わりの深さには、きっと嘘はない。
 「そうだな」
 また兼続も、驚くほどの素早さで、の胸中を読み取った。次いで、にこり、と笑んだ。
 「私は、良き友を持った」
 「はい」
 「三成と幸村の事だけではない。そなたも、だ」
 「え?」
 「…そなたも、私には得難き友だ」
 予想もしていなかった言葉を聞いて、は完璧に虚を突かれた。
 急に慌てたように、本当だぞ、嘘ではないぞともそもそ言って、別れの挨拶もそこそこに茶室の狭い戸口から抜け出していった兼続を、呆気にとられて見送るしかなかった。
 (……本当に…)
 何をするにも、言うにも、人の度肝を抜いてくれる男ではある。
 もう少し、しっとりとした、情緒のある表現をしてくれても良いのに、と呆れながらも、は、そう言って去っていった兼続の背中が、どうにも照れていたように思い出されて、ひとしきり、狭い茶室の中で身を折って、くすくすと、笑うしかないのだった。





 劇終




 ☆ あとがき ☆

 「Take It Eazy」の飛鳥さんに、サイト二周年の御祝として、書かせて頂きました。タイトルを飛鳥さんからご指定を頂いた直江夢、でございました。

 いつも、思い描くにもちょろっと書くにも、変人(失礼…!)みたいに脳内で表してしまっているので、たまには、素敵な男性として書いてみよう、と思ったのですがこういう結末になりました。ハミゴにされた、と拗ねているだけの話に……あれ?こんな筈では……

 作中に出てくる主人公は、茶店というか、料亭(あの時代に料亭があったかどうかは相変わらずリサーチ不足で不明)の女将、という感じで。個人的には小野のお通さん的なイメージ、でしょうか。
 時期的には花見が終わった五月、ちょっとばかり季節外れな感もあり、それでなくてもお茶の作法なんてかじったこともないので、所々怪しげな箇所がありますが、広いお気持ちで読んで下さると有り難いです。

 最後に、いつも良くして下さる大好きな飛鳥さんに、感謝と、これからもどうかよろしくお願いします、の気持ちを込めて、結びとさせて頂きます。
 読んで下さった方が少しでも楽しんで下さる事を、心から祈ります。最後まで読んで頂き、ありがとうございました。


08/11/25 (Thu) 新城 拝


 ↓ここからは管理人のアトガキです↓

 こんな素敵な夢を戴いていいのでしょうかアタクシっ!
 もう嬉しすぎて心が舞い上がって笑いがあはははっ!(←壊れた!

 7月に晴れて2周年といった節目を迎えた管理人なんですが…
 その際に夢を書いてくださるという新城さんのお言葉に甘えてリクエストしました。
 お題は『それは、嘘ではなく………』、そしてお相手はあのイカ…もとい、直江様。
 私の中でもかなーりのギャグ路線を突っ走っているお方なんですが…
 彼も新城さんにかかればこんなにカッコ可愛くなるんですねーv
 初夏の空の下、茶の湯を一服…
 というシチュエーションが大好きな私としては非常にツボでした。
 ヒロイン像も、私の書く女性とはタイプが違うので嬉しいですね!
 とにかく! この素敵な夢を当サイトを飾れるだけで幸せですアタクシ!

 最後に、世知辛い世の中(汗)を共に戦っている戦友・新城さんに…
 こちらこそ末永くよろしくお願いしますとの愛を込めて(笑)!
 此度は素敵過ぎるお話をありがとうございました!

 2008.11.25   飛鳥 拝礼



 ブラウザを閉じて下さいませ☆