+++それは、最高の贈り物だった。+++













明らかに、様子がおかしかった。

遠征に出かける前の出来事。
は自分の体調がおかしいことに、気づいていた。

「……何か、体がだるい……」

水面に己の顔を映してみても、どこか自分ではないような気がする。
それどころか、何かくらくらと、眩暈のような。

「…………ええい、しっかりしろ! 私は蜀の女武将、そして…………」
。」

ハッとしてぶんぶんと頭を左右に2,3回振り、自分に言い聞かせたところで、背後からの名を呼ぶ声がした。

「……子龍様。」


…………趙、子龍の、妻。

「何をやっているんだ?」

優しくに微笑みかけ、桶に水を張って己を覗き込むの隣に立った。

「いえ、…………ちょっと、紅でも差してみようかと。」

はも趙雲ににっこりと微笑みかけた。







もともと、は西涼のとある名家の出。戦略にも優れ、気品が高い。
優れた女武将としての評判が高く、魏・呉・蜀の名のある男武将は、誰もが彼女を側室として欲しがった。

当時のには「自分は政略結婚さねばならぬ」という覚悟こそあったものの、顔すら知らぬ男の元へ嫁ぐのはやはり嫌だと感じていた。
それも、正室ではなく、側室として。

どうせなら、愛する方のすぐ傍でおつかえしたい。
ただ、跡継ぎの道具や慰み者だけの存在にはなりたくない。

捨てきれぬプライドを抱えながら、父が参戦する戦に加わり、腕を磨き上げてきた。
そして、

「まだまだ学ばねばならぬことが多くあります故、もう暫しの間、嫁ぐのはお控えしたいのです。」

と、やんわり断ってきたのである。


それが、一年前。



。蜀の諸葛亮様がお見えだ。お前を正室として迎え入れたいと言っている。』
『なっ……お父様。あの……諸葛亮様が? …………ご冗談も程ほどになさってください。
 第一、諸葛亮様には月英様という正妻がおられるでございましょう?』

いきなり部屋に入ってきて言い放った父の言葉に、お茶を飲みながら書物を読んでいたは絶句した。
すると、父の後ろから一人の軍師が頭を下げて中へ入って来た。
すぐにそれが諸葛亮であると気づいたは、慌てて深々と頭を下げた。

『……いいえ。あなたを正室に迎え入れたいのは私ではございません。
 あなたを正室に迎え入れたいと申しているのは、我が蜀の五虎将の一人でもある、趙雲殿です。
 さぁ、趙雲殿、こちらへ……』

がいきなりの出来事でぽかんと口を開けていると、諸葛亮の背後より、一人の精悍な顔つきの青年が顔を出した。

『初めてお目にかかります。蜀の武将、趙雲、趙子龍と申します。
 兼ねてよりあなたの噂は聞いております。
 …………私のすぐ傍であなたに仕えていただきたく思い、諸葛亮殿に引導願い、馳ぜ参じた次第でございます。』



初めて、「正室として」求婚されたは、驚く父をよそに二つ返事で承諾した。
後に月英からが話を聞いたところ、趙雲も始めはを側室に迎えようとしていたようであった。
しかし、それを諸葛亮が

「あのような高貴且つ優れたお方は、そうございません。
 初めての妻であれば尚更のこと、殿を正室へ迎えるべきです。」

と助言したようだった。



政略結婚ではあったものの、はとても幸せだった。
時折「わが娘を側室に」と申し出が来るものの、趙雲は丁寧にそれを断った。
劉備も側室を娶ることを進めていたし、もしや自分に気を使っているのかと尋ねてみると、

「妻は後にも先にも一人で十分だ。」

と微笑み返す。
諸葛亮もそれに賛同していたため、それ以上はも何も言わなかった。

優しく、時には厳しく接してくれる。
時には夫として、また時には一人の武将として、励ましあいながら戦を切り抜けてきた。







「何だ? 敵将を誘惑する気か?」

くすくすと笑いながら、趙雲がの顔を覗きこむ。
端正な顔に見つめられ、の顔は真っ赤になる。
妻と言えども出会ってそう長くも無い2人は、まだ、初々しかった。

「いいえ? ……私が誘惑したいのは、子龍様だけでございます……。」

そう、しとやかに微笑むと、趙雲は愛しそうに目を細め、の髪を撫でた。

水面には、2人の姿が重なる影が映って揺れていた。













「退けっ! 命が惜しい者は早々に下がれ! 趙子龍が妻、、罷り通る!!」

馬に乗り、自慢の戟で相手を次々に薙ぎ倒すは、まさに「女武将」であった。
劉備の護衛を仰せつかっている趙雲と同じ地を踏むことはあまりなく、先陣を切ってゆく姿は、勇ましくも美しい。

しかし、その勇猛果敢な姿との心は裏腹だった。

「(…………おかしい、明らかに、おかしい…………どうしたっていうの?……)」

体に違和感を感じるのだ。
馬に乗るとぐらつき、気分が悪くなる。
上手く腕にも力が入らない。


「……おい、おい! !」
「………………え、あ、ああ…………何?馬超……」

敵陣への道を切り開くことが役目であったが、後ろから追いつく味方勢を待って待機していると、いち早く馬超が兵を連れて現れた。
馬超とは出身が同じであるということもあり、もともと趙雲へ嫁ぐ前から顔見知りであった。
そのため、戦においても私生活においても、月英や星彩とはまた違った、気を許せる仲間であった。

「お前、顔色が悪いな。……どうかしたのか?」
「いや、そんなことはない。…………腹でも減ったかな?」

が笑いながら自分の腹をさすると、馬超の表情が真剣なものへと変わった。

「嘘をつくな。戦場では少しの慢心でも命取りだ。馬を置いて近くの拠点へ行け!
 ここから先は俺がお前の代わりになる。」
「なっ……、ホント大丈夫だって!
 それに、ここから先は伏兵が多数潜むから注意を怠るなって、諸葛亮様に言われたでしょう?
 馬超一人でも十分危険よ!」

慌てて馬超に言葉を返すと、馬超は自分の馬から下りてのもとへ行き、の手を掴んだ。

「……ばっ、ばちょ……」
「お前のことを心配しているのは趙雲だけじゃない。」



は動揺した。
「どういうこと?」と尋ね返そうとしたとき、


「伏兵だぁぁぁぁ!!!!」


という、味方兵の叫び声と共に、喧騒が大きくなった。

「チッ…………待てというのに、先に進みやがったな……! 、お前はここにいろ、動くな!!」
「嫌よ、私も戦います!」
「馬将軍、様!!お逃げ下さっ……」

その時走りこんできた味方兵が何かに近づき、地面に伏した。
その足には矢が刺さっている。

「……あなたっ、大丈夫!?」

がその味方兵に駆け寄り抱き起こすと、

「わ、私は大丈夫ですっ、構わず、はっ、早くここから引き返して別の道を−」
!下がれっ!!」

兵卒の言葉と馬超の言葉が重なり、は腕に兵卒を抱えたまま勢いよく飛び跳ね、後退した。
すると、それまでがいたその場所に4,5本の矢が突き刺さった。



「いたぞっ!蜀の将だ!!」
「まとめてかかれ!!」

という声と共に、多くの兵が向い側から攻め入ってくる。

「下がるより戦った方が速い!」
「無茶をするな!」

言うが速いか否か、は戟を手にして向ってくる兵に立ち向かった。

「はっ……!」

一振りしては飛び跳ねて後退する。それと共に多くの兵が切られ、地面に伏す。
遅れて馬超がの前に立った。



その時。



の視界が、揺れた。




「あ、れ…………?」


手に持っていた戟がすとんと離れ、がらん、と音を立てて地面に落ちる。
そして、の体もがくん、と片膝を地面に着いて崩れ落ちた。

「……おかしい、何故……」

このような場所で武器を手放すことは死に繋がる。
そう認識はしていても、既に腕に力は入らなかった。


「!? !?おいっ、、しっかりしろ! ………………」

敵兵の刃を食い止めながら後ろを振り返る馬超が目に焼きついた。
そして、その焦りを含む声を聞きながら、は意識を手放した。

















「………………」

それからどれくらい経ったか。

はは何か冷たいものが額に触れる感覚に気がつき、うっすらと目を開けた。

「…………?……!」
「…………ん…………」

意識が完全に戻るには時間がかかったが、見慣れない天井と自分を包む温かい布団に、はハッとした。

「良かった。気がついたのね。」
「月英……殿……」

声のした方に視線を逸らすと、優しく微笑む、まるで母親のような月英の姿があった。

「……あたしっ」
「起きるな。…………全く……だから言っただろう、無理をするなと。」

呆れたように溜息をつくのは、…………愛しい人ではなく、一番の仲間だった。

「…………馬超、……あれから……」
「一人じゃなくてよかったな。あの後月英殿も駆けつけてくれて、なんとか切り抜けた。遠征も成功だ。」

の額にのせられた手ぬぐいを桶に入れて絞る。
その度に、兜を脱いだ短い銀髪がさらさらと揺れた。

そのさらさらの髪を見て、愛しい人が髪を束ねる様子を思い出し、は切なくなった。

「…………申し訳ない、私の所為で−」
「ばーか。」
「ひゃっ!?」

ぺちん、という音と共に、額には冷たい手ぬぐいがぶつけられた。

のおかげで俺らの場所に伏兵が集中し、軍師殿が手配した関羽殿と関平の伏兵が相手本陣を突いて形勢逆転だ」

呆れたように言い、立ち上がる馬超に、は慌てていった。

「あっ……馬超、ありがとう!!助けてくれて……」

すると、馬超は何かを考え込み、去り際に言った。

「悪かったな。愛する人の助けじゃなくて。」
「…………え!?////」
「ちょっと待っててね、趙雲殿を呼んで来ます。」

そう言うと、無愛想に不機嫌な顔の馬超と、対照的ににこやかな月英が部屋から出て行き、驚くをよそに、戸は静かに閉められた。
















が倒れた!』
『……なんだって!!??』

が倒れた後、馬超は左腕にを抱きかかえ、右腕で槍を振るい、馬を走らせて蜀本陣へと戻った。
それまで劉備の元で待機していた趙雲が、血相を変えて駆け寄ってきた。

、おい、!!』
さん、しっかり……!』

馬超の手から趙雲の手へが渡され、趙雲が必死に声を掛ける。
その傍では、を姉のように慕う星彩が心配そうにの手を握る。

『頼む、見てやってくれ!』

そこへ、劉備が直々に軍医を連れ、の元へやってきた。

『……これは、一体……』
『顔色が優れなくてな、下がれと声を掛けたのだが、急に倒れた。』

馬超が兜を脱ぎながら険しい表情で早口に言った。

『急に…………?』

医者が訝しげな表情をしてを触診する。
そして、何かを考えるようにして、急に表情を明るくさせて微笑んだ。

『?』

その場にいた誰もが軍医の表情に首を傾げる。
軍医は穏やかに、趙雲に言った。

様の夫は、趙将軍でしたな?』
『? 如何にも。』
『……様は……』




















「おい、待て趙雲。」

が寝ている部屋の外……近くの廊下で、馬超は足早にのもとへやってきた趙雲に話しかけた。

「!馬超殿、が目を覚ましたと聞き−」
「お前、何故の体調がおかしいのに気がつかなかった。」

少し怒気を含んだ馬超の声に、趙雲は目を細め、眉間に皺を寄せ、顔を少し伏せた。

「…………これは私の不徳と致すところ。」
「……全く。」

不機嫌そうに兜をガラガラと弄る馬超に、趙雲は続けた。

を助けてもらった。礼を言う。」

すると、馬超はじろりと趙雲を睨みつけた。

「阿呆。本来ならお前の仕事だろう。」
「…………確か−」
「そのまま『確かに俺はの夫失格だ』なんてぬかしたら…………本当に俺が攫っていくからな。」

趙雲が言葉を続けようとしたとき、馬超がそれを遮った。
そして趙雲の肩にぽん、と手を置くと、趙雲がやってきた方に去っていった。

趙雲は、馬超が去った方向に黙って頭を下げた。


















「あ……子龍、様…………」

部屋の戸が不意に開いたため、そちらの方に視線をやったは、愛しい人の姿をようやく見ることができたのと、自分が失態を見せたことの恥ずかしさで俯いた。

「具合はどうだ?」

しかし、そんなことを気に留めるでもない趙雲は、穏やかに微笑みながらが寝ている寝台に腰掛けた。

「もっ、もう平気です!
 先日の戦では至らない姿をお見せしてしまい…………本当に申し訳ございません。
 子龍様の足手まといになるようなことを…………」
。」

どんどん俯きがちになりぼそぼそと言葉を紡ぎだす唇に、趙雲は人差し指をそっと当てた。

「気にすることじゃない。誰一人として、君のことを責める人はいないよ。」
「でも……」
「……それに、帰ったらまずはお祭り騒ぎだからな。」
「…………?」

苦笑する趙雲に、は首を傾げた。

「……ああ、そうでございますね。
 先程馬超より遠征成功とのご報告を頂きましたもの。」
「……いや、それもあるんだが……」

は再び首を傾げた。
他に、もう思い当たることが何もない。

「…………豊作祭りでございますか?」

もう何も出てこない、と踏んだは手当たり次第に聞いてみるが、趙雲は優しく笑いながら首を横に振るばかり。

「……………………辛かっただろう、。」
「……?…………??汗」
「……その様子だと何も気づいていないようだな。」

くすくすと笑いながら、趙雲は優しくを抱き寄せた。


「!しっ、子龍様…………?////」

「名付け親を決めないとな。」

「……え?」

「やはり、偉人の名前を一つ頂くとしよう。」

「………………それ、って…………」

「君が暴れても、死ぬことなく強く息づいていた命だ。きっと、一番強く逞しい、蜀の未来の担い手になる。」

「……………………子龍様っ!!!!」


の目には涙が溢れ、思わず趙雲に抱きついた。
趙雲は優しくの背中を撫で、抱き寄せる。




一組の夫婦に、最高の贈物が届いた時だった。

















おまけ。


「そう膨れっ面をするな、馬超。」
「…………張飛殿。」
「好いた女は逃がしたけれど、今回の遠征でお前は“錦馬超”の名を三国中に轟かしたじゃねぇか。」
「…………そんなものより、好いた女の笑顔が見たかった、な。」

馬超が本陣へ戻る途中、抱きかかえたが呟いていた言葉は…………

『…………子龍、様…………』。





「お前もきっと、もうじきだ。」

大きく溜息をつく馬超と、声を立てて笑う張飛の影が、ゆらゆらと揺れていた。






劇終。









アトガキ。


当サイト10000HIT記念に紅河XIちゃんから届いたお祝い夢ですw
(ありがたやありがたや…)

この作品を見て…あまりの感動に
「お見事!」
と思わずおパソの前で叫んでしまった不審人物はこの私です、はい。


リクエストを受けてくださる、とのことで。
またしてもお題を提供しました。
ナレーター調?10のお題の中の『9.それは、最高の贈り物だった。』
お相手は誰にしよう…と迷った末、最近何気に気になっている子龍様をチョイス。
私自身書き辛いキャラなので…ちょいとお願いしてみましたら…。

あら、なんと!
物凄く悶えるお話で返してくれたではありませんかっ!
勇ましいヒロインにまず萌え。
優しい子龍さんとの夫婦設定にも萌え。
ヒロインに片想いするばちょんにも萌え。
更には。
最後にばちょんを励ますオトンのような張飛にまでも萌えを感じましたよ、お姐さんは!
(とりあえず逝っとけ。アスカ君)

XIちゃん!
此度は素敵なぷれじぇんとをありがとう!
お姐さん、大事にするからねw
そして…これからも末永くよろしく!ということでv


ここまでお付き合いくださってありがとうございました!

2007.6.5   飛鳥 拝礼



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