頭の中に霞がかかったみたいだ。
今の私は、どうかしているのかも知れない。
こんなに…人の心を、人の温もりを欲しているなんて。
今夜は望月。
それは…全てのものを照らすように、満ち足りた光を放っている。
なのに………
こんなに…切ないのは………
………。
私は、何時の間にか廊下を小走りで進んでいた―。
― 悪戯に、想いを乗せて ―
は自室の窓を開け放ち、空にぽっかり浮かぶ月を見ていた。
この地が宵闇に覆われた夜に…月はその存在を懸命に主張している。
丸い、まぁるい月―。
何時もはただなんとなく眺めているだけのものであったが…。
… ひとり …。
どうして、今夜はこんなに辛いの………?
今夜は、の心にこれ以上ない程の寂しさを誘っていた。
まぁるい輪郭の中に見える、霞のような模様も。
床に自身の影を落とす、淡い光も。
今の彼女には物悲しさを助長するものでしかなかった。
刹那。
突如、脳裏に浮かんだのは…
ただ一つの事以外、何でも言い合える『友』、陸遜の姿。
それが、ふっと優しく微笑う。
この、寂しさから。
言いようのない、切なさから…。
救って………陸遜。
の足が、心と同調したように動き出した。
彼の元へと………。
扉の前に佇むその姿を見た陸遜ははっと息を呑んだ。
月光を背に、何かを訴えかけるような瞳をしたに何時もと違う何かを感じ取る。
…放っておいたら…月に攫われてしまいそうだ………。
不意に訪れた友と、それと共に感じた…理解し得ない不安。
昼間の活発な様子からは到底考えられない。
両の手を胸の前で組み、小刻みに震えながら縮こまっている身体。
陸遜は、ほぼ反射的に彼女へと手を差し伸べていた。
徐にその手を掴み、室の中へと導く。
「…どうしたのですか? 早く中へ…」
「………った、の」
「…? 今、何と…」
が放った…陸遜の言葉を遮るように零された言葉に…
陸遜はただただ驚く事しか出来なかった。
………月を見てたら、急に、寂しくなったの………。
無性に…貴方に、会いたくなった、の………。
季節相応の眩しい日差しが降り注ぐその日の昼下がり。
執務室の中でのんびりと書簡の整理に勤しんでいる陸遜にもその明るさが届いていた。
何時になく、穏やかな時間―。
窓から差し込む陽の光に目を細めていると
「陸遜。 …作業は進んでいるか?」
あまり根を詰めるなよ、と彼の上官である呂蒙がその顔に笑顔を湛えながら声をかけてきた。
そもそも…この仕事は呂蒙自身が指示している事であって、今更『根を詰めるな』とは…と言いたくなる陸遜だったが
「大丈夫ですよ、呂蒙殿。 …これもあまり急がない仕事だと仰っていたではありませんか」
少々皮肉を込めて微笑みを返した。
その笑みに呂蒙は
「はは…そうだったな。 ならば丁度良い…そろそろ休憩を取らんか? 陸遜」
妻に茶を用意させる、と掌を陸遜に差し向けた。
…そういえば。
朝、食事を摂ってから何も口にしていませんでしたね…。
今迄の己の行動を省みた陸遜は
「…はい。 それでは呂蒙殿のお言葉に甘えさせていただきます」
今度はにっこりと心からの笑みを返し、呂蒙に付き従った。
呂蒙の自室に着いて早々、呂蒙の奥方から熱い茶と昼食代わりの点心を振舞われた。
その席にて。
点心を美味しそうに頬張る陸遜に呂蒙が思いもかけない言葉を放つ。
「…陸遜。 お前の想い人も呼べばよかったな」
「なっ…!!!」
何を言い出すんですか、呂蒙殿…と陸遜は言いたかったらしい。
しかし、彼の言葉は喉に詰まった点心によって遮られた。
げほげほと噎せ込み、直後呂蒙の奥方に差し出された温い白湯で詰まったものを腹の中へと流し込む。
唐突すぎますよ…呂蒙殿。
あまりの苦しさに涙目になりながら目の前の上官を睨む陸遜だったが。
「おぉ、すまんすまん。 いきなり核心を突いてしまったか」
と屈託のない笑みを零し、悪びれた様子が全くない彼の風体に苦笑を浮かべる。
「は…。 今、修練中の筈です。 邪魔をしたら却って殴られかねません」
眉を顰め、喉から搾り出すように言葉を吐きした。
刹那。
その一言を聞いた呂蒙が更に高く笑い出す。
今あるこの状況が楽しくて仕方がない、というように。
そして
「俺が何時『』の名を言った? …墓穴を掘ったな、陸遜」
唇の端を吊り上げてにやりと笑った。
…呂蒙殿の策に…まんまと嵌ってしまいましたね。
「してやられました…やはり呂蒙殿には敵いません」
陸遜が苦笑を浮かべたまま、大きく溜息を吐いた。
…何もかもお見通しですね、と。
今や孫呉を担う大軍師、呂蒙に隠し事は出来ない…。
陸遜は潔く観念した。
と何でも言い合える仲になってからというもの、陸遜は苦悩の毎日を送っていた。
親友。
その親密さ故に、伝えられない想いがある…。
何故…。
友となる前にこの想いが募らなかったのだろう、と。
友でなければ…。
最初から…と、ただ一人の女性として接していれば…。
何度そう思い、眠れぬ夜を過ごした事か―。
陸遜は目の前に居る…人生の先輩であり、尊敬する策士にこの想いを伝えた。
すると。
「…策士らしくない告白だな、陸遜」
まぁ…その歳では無理もないが、と呂蒙が一転して優しい表情を向けた。
かつて…幼い頃。
父親が自分に向けてくれていたものに今の呂蒙の姿を重ねる陸遜。
「人の心は…何故思うようにならないのでしょうか…?」
彼の表情に安心感を抱いたのか、つい口を突いて出てくる言葉。
しかし、呂蒙はそれに笑いもせず噛み締めるように言い放つ。
「…それが『人』というものだろう。 思うようにならないから故にこの世は乱れる」
「…そうですね」
同じように言葉を噛み締め、陸遜は力なく項垂れた。
暫く、時が止まったような沈黙が続いた。
その静けさを破ったのは、先程目配せで奥方に何かを持って来させた呂蒙だった。
「…陸遜。 そんなお前に朗報だ」
これをやる、と手渡されたのは幾つかの紅い実だった。
「どうしてこれを…?」と訝しげな表情を顔いっぱいに湛える陸遜に呂蒙が更に言葉を続ける。
「これは先程、行商人が置いて行った異国の実だ。
どうやら…この実は媚薬の一種らしい。
悩める若人にはもってこいだろう。
…俺にはこいつが居るから、もう必要ないんでな」
部屋の向こうでかいがいしく動く奥方の方向を指差しながらはは、と笑う呂蒙。
…そういうことか。
陸遜は一つ、思い至った。
普段は陸遜の行動を遮る事のない呂蒙が…今日に限って休憩に誘った事。
そして。
陸遜の心の内を探るような真似をした事。
それは…この実を自分に授ける口実だったのだ、と。
ようやくの事で到達した答えに陸遜は吹き出した。
…これも策の一つ、だったのですね…呂蒙殿。
そして。
媚薬効果のある紅い実を授かった陸遜は―。
早速夕餉にを誘い、その席で紅い実をと共に食した。
それは、呂蒙の言葉に半信半疑であった陸遜が…己と彼女に施した、初めての悪戯だった―。
紅い実の意外な効果に陸遜は驚いていた。
…あの実には、食した人の魅力を引き出す効果もあるのか…?
己が感じる切なさに、今にも消えてしまいそうだった。
その、何時もよりずっと小さく感じた姿に…。
以前よりこの胸に抱いてきた想いが助長されている気がする。
「本当に…私に会いたくなったのですか?」
恐る恐る訊いてみる。
すると。
小さく頷く彼女の口から、目を見張らざるを得ない言葉が飛び出した。
「…ここに足が向いたのは無意識だったけど。
でも、心は貴方に会いたがってた。
何時も…何時でも、貴方と共に居たがってた。
ねぇ、陸遜。
愛する人と、会いたい時に何時でも会える………。
そんな幸せ者に。
私が成っては、駄目………?」
の心から告げられる言葉の終わりを待ってか待たずか…。
陸遜の腕がへと伸び、その身体を一瞬にしてすっぽりと包んだ。
刹那、腕の中の想い人が顔を上げる。
その顔は訝しげに眉を顰めていたが、次の瞬間、口元に何とも言えない可愛らしい笑窪を見せた。
戸惑ったような彼女の潤んだ瞳をしかと見つめ返し、陸遜はこれ以上ない程優しく微笑む。
「…今の言葉、告白と取っていいのですか…?
ならば…私も、貴女が言う『幸せ者』に成っても構いませんね?
…。
貴女を………愛しています」
と、確かめるように言葉を紡ぎながら。
固く繋いだ手の温もりを感じ合いながら。
寄り添い、二人で開け放った窓から覗く月を愛でる。
この時間のなんと穏やかな事か………。
「…陸遜」
「? 何ですか? 」
想い人の名を呼ぶと、直ぐに答えが返ってくる。
その事に…この上ない幸せを感じる。
「…ううん。 呼んでみたかっただけ」
「どうせでしたら…『伯言』と呼んでください」
「えっ…!? 恥ずかしいよ、いきなりは…」
「…私のお願いでも、駄目ですか?」
「………解った。 でも、心の準備をさせて」
己の我が儘を、愛する人は恥じらいながらも受けてくれる。
その事に、これまで与えられたどんなものよりも喜びを感じる陸遜。
しかし。
「え〜…。 えと、は、はく………はくしゅん!」
意を決したの口から吐き出されたのは己の字ではなく一つのくしゃみ。
「…仕方がないですね。 字はまた次の機会に…」
風邪をひいてはいけませんから、と床の掛け布を引っ張り、二人で共に包まる。
そして再び揃って望月を見上げた。
こうして、二人の『初夜』は過ぎていった………。
と…こうして恋仲に成る事が出来た。
しかし。
陸遜は未だ半信半疑だった。
卓に置かれている幾つかの紅い実。
床の上からそれを見やる陸遜は、思いを遂げられたついでに新たな悪戯を考えていた。
今度は、褥で食してみましょうか…。
、貴女と共に………。
劇終―。
アトガキ
リクエスト夢です。
幸か不幸か(笑)、9999という、キリ番のニアピンを踏んだ『月天心』桃瀬杏さんに捧げます。
相変わらず拙くて、陸遜が真っ白ですが(汗
今回のリクエスト内容は
『友達以上恋人未満のオンナノコが夜中、陸遜の部屋を訪れたら…』
という、何とも楽しいものでしたが………。
しかももうすぐ当サイトは2万HITを迎えようとしております orz
我ながらの筆(指!?)の遅さに自己嫌悪に陥っております。
杏さん、ごめんなさい…長らくお待たせいたしました。
相互リンクの記念も兼ねてお贈りいたします。
このような駄文でも…宜しかったらお持ち帰りください。
そして、これからも宜しくお願い致します orz
最後に、ここまでお付き合いくださってありがとうございました!
2006.9.8 御巫飛鳥 拝
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