静かな、風の流れる音だけが響くその地で、少女は上を見ていた。
喧騒とは掛け離れた場所で、聳え立つ大きな木の頂上。
そこに躊躇いもなく立っている彼女は、ただ上を見ている。
青の中に紛れている白を目で追っているのか、それは分からない。
けれど、ただただ静かに、太い枝に立ち、がっしりとした幹に手を付いて。
長い髪が風に流されるのも厭わず、佇んでいる。
ふ、と少女の視線が動いた。
ぐるりと辺りを見渡した後、ある一点に集中する。
そっと目を瞑って、暫し動かなかった。
木の下を移動していた誰かが、少女の姿を見つけた。
のと同時に、ゆらり、ゆっくりと彼女の身体が前に傾いていく。
そのまま体勢を立て直すことなく、引かれるままに。
少女は宙に投げ出され、遥か先の地へと落ちていった―――
時を越えて
涼しげな風が心地良い空気を作り上げているところに、少女の姿があった。
生い茂る木の一つに背を預け、目を瞑っている。
長い漆黒の髪は流れるままにさせていて、自由に遊んで。
それさえも楽しんでいるように、少女は微笑んでいた。
彼女の座っている先には、色とりどりの花が咲いていて。
そこから少し行ったところには池と、小川がある。
喧騒から離れて暫し寛ぐにはとてもいいところだ。
少女がふいに口を開いた。
そこから紡ぎだされるのは、きれいな旋律の、歌。
どこか異国の感じがする、ゆったりと、和めるもの。
木々の間から日が零れ落ちてきて、幻想的な舞台にもなっている。
その雰囲気に誘われたのか、次第に小鳥達も集まってきていた。
少女は周りを気にすることなく、ただ歌っている。
一曲終わると暫し擱いて、また違う一曲を口にする。
暫くその場に穏やかな声が途切れることはなかった。
ザザッ、と音がして少女は歌うのを止めた。
音のした方を見れば、日差しを遮っている影を見つける。
上から見事に木を避けて、落ちてくるそれ。
その正体を考えている間にも、影は少女の目の前に降り立っていた。
少女が目を丸くして影を見詰めていると、背後から誰かが駆け寄ってきた。
恐らく、大きな音に気が付いて。
その人は少女の前に出ると、影との間に立ち前を睨み付けている。
「大丈夫ですか?」
「ええ。何も起きていませんわ、陸遜様」
振り返った人の言葉に少女は、何事もないように返す。
陸遜、と呼ばれた少年は前に向き直り、また影を見た。
「陸遜?―――じゃあ、貴女が、?」
そう、急に訪ねてきた影が、ゆっくりと二人に近付いてくる。
名を尋ねられた少女が頷くと、相手はにこりと笑った。
水色と白銀の二色を併せ持つ、髪を靡かせて。
自室で至極のんびりと寛いでいた太公望の元に、慌しく駆け込んできた人物が居た。
彼にとっては顔見知り程度で、名も知らぬ人が。
何事か、と扉の方を見ると、息を切らし青褪めた訪問者が居る。
「何用だ?」
「様がっ―――」
「?」
俗に言う幼馴染の名前が出てきて、太公望は盛大に顔を歪めた。
彼女に関わると碌なことがないのは、長年の経験で分かっている。
また何の厄介事を、と思っていると些か彼でも驚く言葉を聞いた。
「様が木の頂上より落ちられて、行方知らずにっ!」
「―――は?」
あまりに思っていたこととは違った内容を聞かされて、太公望はぽかんとした。
何か危険なことでも起したのかと思えば、木から落ちた。
その上、どこに行ったのかも分からない、行方知らず。
驚愕を通り越して、呆れてしまうことだ。
「分かった」
短く言って、手を振れば用件を伝えた人物は部屋から出て行った。
どうしてそんなことを己のところに伝えに来るのか、太公望は不思議で仕方がない。
彼女のことに関して、何かがあれば必ず自分のところに報告が来る。
その連絡経路を誰が作ったものなのか、とも考えたくなって、止めた。
彼女は己の弟子でも何でもない、同等の地位を持つ仙人だというのに。
(考えるのも頭が痛いな)
武芸に秀でている彼女が木から落ちたところで無事だろうとは、安易に想像できる。
それでも報告が来るのは姿が見えないからだ。
何が起こっているのかは予想が付いている。
けれど、その後の対処をどうするか、それを決めなくてはいけない。
(面倒なことだ)
一つ息を吐いてから、太公望は立ち上がった。
行く場所は一箇所しかない、そこへ。
「では、様も仙界の方なのですね」
突如空から現れた少女・と共に城まで引き返してきたは、お茶を出しながら瞬いた。
彼女の横に居た陸遜も、不思議そうだった表情が納得顔になっている。
「そう。一度でいいから人界に来てみたいと思ってたの」
にこりと笑ったは、出されたお茶を啜った。
目の前に腰を降ろしたを見て、更に笑みを深める。
「では、太公望殿ともお知り合いで?」
「望?」
仙界の人だと聞いて陸遜達が思い浮かべるのは、彼の魔王との戦いの際関わった仙人。
中でもいろいろと直接的な繋がりがあるのは、太公望くらいで。
自然とその名前が口を吐いて出た。
「様は遠呂智討伐のとき、どちらに?」
望とは幼馴染なのよ、と語ったには訪ねる。
あの時、数人の仙人が遠呂智討伐に参加していた。
けれどの姿は、見ていない。
これほど目立つ容姿ならば、闇と化していた世界でも見付け易いものだ。
「わたしはね、留守番だったのよ」
かなり不服だったけどね、とは苦笑する。
仙界でも最高位の三人が揃って遠呂智討伐へと出るため、逆に手薄になる場所を守るために。
それが必要なことで、とても大事なことだと分かっていても、どうしても納得できなかった。
「だからね、還って来た望に暫く当り散らしてたの」
今度は楽しそうに、ころころと笑う。
その様子を想像した陸遜とは苦笑気味だ。
あの冷静で冷徹な太公望が、この幼馴染に八つ当たりされる。
なんとも奇妙な光景だと、思わずにはいられない。
「でも、遠呂智がいなくなって、清々したわ」
苦手だったのよね、妲己も。とは小さく零した。
フッキとジョカのところにのことを報告した太公望は、心底疲れきっていた。
本当に厄介事ばかり起してくれるものだ、とも思う。
木から落ちたが、人界に行ってしまっているだろうということは、予想が付いていた。
そのことを、しっかり二人にも伝えた。
ならば然程心配することもないだろう、と結論が出たのだ。
それですべてが収まれば、太公望は知らぬ振りで通せたものを。
(放っておけばいいではないか)
いくら武術ほど達者ではないとはいえ、も仙人を名乗る者なのだ。
多少の術は使えるし、人界からなど自力で還って来れる。
だというのに、過保護な二人は万が一を考えて、太公望に迎えに行くように命じた。
ただし、擦れ違いを起さないために、数日経ってから、だが。
しかしそうなると、どこに、どの時代にが落ちたのかを調べなくてはいけない。
時間の流れが人界と仙界では違うために、妙なところへ落ちる場合もある。
力の弱い者ならば、その狭間に嵌ってしまって還って来られなくなるくらいだ。
(あれほど言うのであればジョカが行けばよかろう)
迎えに行け、と言ったのはジョカだ。
そこまで、お嬢と可愛がるの心配をするのならば、自ら行けば早い話で。
けれど=太公望という方程式があるせいか、誰もそれを覆すものはいない。
面倒だ、面倒だと思いながらも、太公望の足はが落ちたという木へと向かっていた。
「遠呂智に、狙われてたんだってね?」
「・・・・・・ええ」
望に聞いたの、とは言った。
討伐から戻ってきた彼に、時間があればどんな風だったのか、いろいろ聞いた。
その中には、や陸遜に纏わる話もいくつかあって。
「それで私達の名前を知っていたのですか?」
「そうよ」
森の中で顔を合わせたとき、は陸遜の名を聞き、のことを当てた。
それがとても不思議で仕方がなかったのだ、二人にしてみれば。
見覚えのない人に、名乗ってもない己の名を知られていたことが。
「望がね、わたしの血縁者と会った、って言ってて」
それまでも人界に興味はあったけど、それを聞いて余計に降りてみたくなったの。は笑った。
同じ血を引く人間が、人界に暮らしているなんて、どの仙人を捜してもいないだろう。
そんな稀有な存在が己にいると知ったら、居ても立ってもいられなかった。
「いつか会いたい、って思ってたの」
だから、会えて嬉しいわ。そうはを見て微笑んだ。
その言葉を向けられたは目を見開き、隣で聞いていた陸遜も呆然としている。
「わ、私、ですか?」
「殿が?」
信じられない、といった表情をしている二人に、は頷く。
太公望から名前やどういった人なのかは聞いていた。
けれど、実際に顔を合わせると、直感的にそうだ、と分かったのだ。
「歌、歌ってたでしょう?」
「ええ」
まだ事実を飲み込めていないに、は問うた。
どこか異国を思わせる、雰囲気の異なる歌を、確かには歌っていた。
言葉ではなく、旋律だけで。
あの混沌とした世界で、違った時代より来ていた人に教えてもらったそれを。
「それがね、聞こえてきて。目印にして木から飛び降りたのよ」
違ったところに落ちなくて良かったわ、と殊更楽しそうには笑った。
の行方知らずを聞いてから、五日が経とうとしていた。
とはいっても仙界での五日であって、人界ではまだそんなに経っていないかもしれない。
いろんな時間を移ろっている仙界では、そもそも時間に関する概念が低いものだ。
ともかく、それくらい日々が過ぎてもは還って来なかった。
まだ楽観的にどうってことない、と思っているのは太公望だけらしい。
ジョカは初めから、当初は暢気だったフッキさえも、心配し始めていて。
特に、の飛び降りを見てしまっていた者は、気が気でないらしい。
遂に、太公望に捜索願、基、迎えに行けと命令が下った。
調べたところでは、特別危ないところには落ちていない。
寧ろ平和そのものの場所に行っていて。
遠呂智の時のような天変地異が起きない限りは、心配などいらない。
たとえ戦場の真っ只中に落ちていても、彼女ならば軽く切り抜けているだろう。
(仕方がないな)
どんな理屈を並べても、あの二人に行けと言われた以上、太公望は行くしかない。
己の得物でもある―見た目は―釣竿を肩に担ぎ、あの場所へと行く。
が落ちたという、この仙界でも一番の高さを誇る、木へ。
ひょいひょいと難なく枝を飛び移り、頂上まで上る。
そこに暫く佇んで、機を窺っていた。
と同じ場所へ降りるためには、無闇に降りるわけにはいかない。
丁度いい拍子、というものがあるのだ。
目を瞑って風を感じていた太公望は、それが一瞬止んだ時、木の枝を蹴った。
が現れてから、二日、三日と経っていた。
時を越えた姉妹だと言われたときは困惑していたも、いまは普通にしている。
事前に太公望から祖先に仙人がいる、と知らされていたから、納得も出来ていて。
いまはどこか本当の姉妹のようにと接していた。
突然の彼女の出現に、訝しむ者など、孫呉にはいなかった。
と関わりある人だと、そして仙人だと言えば、驚きながらもあたたかく迎え入れる。
そういう、みんなが家族感覚の穏やかな国だからかもしれない。
「―――――あ」
「どうかされました?」
いつものようにお茶を淹れようとしてたは、ぽつっと呟いたに顔を向ける。
急に舞い込んできた執務を片付けていた陸遜も顔を上げていた。
二人の視線を向けられたは、どこか苦笑している。
「迎えが来ちゃったみたい」
「お迎え、ですか?」
どこに?と陸遜が首を傾げる。
少し気を張り巡らせても、近くに人の気配はしない。
でもは確実に気付いていたし、暫くするとも反応した。
「あら―――」
ね?と呟いたに対して、が肩を竦める。
一人陸遜が分からない、といった表情をしていたが、それもすぐに晴れた。
少し遠いところから、こちらに向かってきている気配。
どこか懐かしい、けれど確かに覚えのある、それ。
「陸遜様、お客様が―――」
「失礼する」
取次ぎなのか、扉を叩く音がした直後兵の声を遮って聞こえてきた、それ。
返事をする間もなく押し開けられた扉の向こうにいたのは、白銀に紫玉を覗かせた少年。
「望」
「何をしている、」
が彼を呼べば、ため息混じりに太公望が彼女を呼んだ。
ちょうど仕事を終えた陸遜は取り次ぎで来ていた兵にそれを渡して。
はというと太公望に気が付いた時点で、もう一つお茶を淹れていた。
「お久しぶりですわ、太公望様。お話は後にして少し休まれませんか?」
「そうですよ、太公望殿」
にこりと笑ったと涼しい笑みを浮かべている陸遜に薦められて、太公望は腰掛ける。
それを見ても座り、お茶を置いたも座した。
「余計な手間を掛けさせるな」
「あはは、ごめん」
心底うんざり、といった声で呟いた太公望に、は笑った。
「じゃあ―――」
広い庭の中央に、は太公望と並んで立っていた。
その二人を見送るために、と陸遜が居て。
お別れだね、と言ったに二人は頷く。
「短い間だったけど、本当に楽しかったよ。降りてきて良かった」
「私も、お会い出来て嬉しかったです」
最後に笑い合って、どちらからともなく、手を差し出した。
しっかりと握り合って、そっと離す。
「危険だから離れていたほうがいい」
何やら準備を終えた太公望にそう言われ、は陸遜と共に出来るだけ離れた。
すると、太公望とを囲むように、円を描いた光が輝く。
「じゃあね、」
「さようなら、様」
陸遜殿とお幸せに、という言葉は二人に聞こえたのか。
それは分からないけれど、別れの挨拶を交わすと、光が一層増す。
そしてそれが収まると、太公望との姿は、どこにもなかった。
「還ってしまわれましたね」
「はい―――」
数日の、本来なら会えることのない人と会っていた時間は、終わると夢のようだった。
どこか現実味のない、けれど確かに本当だったのだという証拠は残っている。
それは、互いの手の中に。
「きっと、見守っていてくれていますよ」
「そうですわね」
手を取り、寄り添った陸遜とは、晴れ渡った青い空の向こうを眺めた。
その先にある、と太公望の居る世界を夢見て―――――
↓こちらは作者:葵さんからのコメントです↓
まずは・・・・・・3万打、ありがとうございます!!
何というか―――こんな辺境極まりないところにそれほどのお客様が来て下さったこと
本当に嬉しく思います♪
さて、今回、フリーとして用意させてもらった夢はですね・・・
特殊も特殊すぎる設定でして(汗)
まず、夢祭典『ふらりふらり。』様に提出させて頂いた連載
『繋がれし絆』とその続編『咲き誇る心』(どちらもOROCHI設定)
そして、それの延長上のような仙界での話『垣間見た仕草』(こちらはキリリクの捧げもの夢)
それらから続いて、今回の話、となります
これ1つでも読める!と胸を張って言いたいのですが
些か難しいかも?
恐らく先に上げた3つの話を読んでからの方が分かりやすいかと思います
ので、興味を持たれた方は、すべて同じサイト内にupしてありますので、そちらもどうぞv
何で3万打記念のフリーがこんな特殊クロスオーバー(ちょっと違うw)な話になったかといえば
先に書いていたイラストが原因です orz
それに呉のヒロインに仙人の血が流れている、という設定はここだけのものなので
仙人ヒロインがその血縁者という設定も然り
なので、ちょっと二人が関わる話を書いてみたい、という自己満足でもあります
読まれる方には本当に申し訳ないですが
こんなものでも良ければ、フリーですので、どうぞお持ち帰り下さい
報告は任意で。ですがご連絡頂ければ嬉しいです
最後に―――これからもよろしくお願いします!!
↓ここからは管理人のコメントです↓
まずは…御前、3万打おめでとう!!!
ご本人には(多分)その時にお祝いの言葉を送ったんですが…改めてv
んでですね………此度のフリー夢、早速頂戴したわけですが………
ん?あれ?これって………
ちょ!待てwwwこれ私のためにあるよーな話っ!?
※少々勘違いな発言をしておりますがどうぞスルーしてやってください。
って感じで大いに悶えさせていただきました。
だって、ねぇ…
まずは私が別名で運営している企画サイトに投下してくださったお話。
そして…私が踏んだ地雷(ちょwww)に対するリクエスト夢の続編(番外編?)だってゆーじゃありませんか!
それだけでも嬉しく、強奪の価値アリですよ御前www
※そして、ヒロインイラストも強奪! こちらからどうぞ。
お話の内容も、やっぱり悶えずにはいられません。
大好きなヒロインが二人して登場してくれているだけではなく、その二人の違った美しさ(可愛らしさ?)が見られる!
振り回される望ちゃんにも、落ち着いて女二人のやり取りを見守っているりっくんにも萌えが溢れてますな!
いやいや…どうしたらこんな風の『ふんわり柔らか仕上げ』が出来るんでしょうか(笑
爪の垢を煎じて飲んでみようかなと思う今日この頃(をい!
っつーわけで――
此度も素敵な、優しい夢をありがとうございました!
こちらこそよろしくお願いします、って事でひとつv
2009.09.16 飛鳥 拝礼
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