あの復讐に喰らい付かれた怨念を炎で焼き払ってから、いくつかの月日が過ぎた。
雨が多く降る季節を過ぎ、いまは穏やかに晴れる日が続いている。
暑すぎる日照りも収まりかけて、漸くどこかのんびりとした日々が送られていて。

 でも、そんな平和は、いまこの場所にしかないことを知っている。

 ここから出た、遥か北の地ではこの後の権力を決める戦いを控えている。
その場には、この国を代表する多くの武将が出陣していて。
残っているのは、彼らの帰りを待つ、その役目を与えられた人々だけ。

 無事、勝って帰ってくる。

 それを信じて待つしかない身は正直もどかしい。
本来であれば自分も赴いているはずの、戦場。
けれどいまは、戦いの地に立つことよりも重大な役目を仰せ付かっている。
だからこそ、この場に留まっているのだと分かっているのだ。

 無意識に北へと向いてしまう視線を、無理に逸らす。
胸に下げているお守りを、目を瞑って握り込んだ。

 そっと目を開くと、もう気にしないと意識を振り払い、廊下を進んだ。













叶えられた約束










 「も、行けばよかったのよ?」

 蜀との決戦後、その戦で一時の夫を亡くした尚香は笑みが翳ってしまっていた。
こうなることを分かっていた、そんな縁談ではあったけれど。
やはりどこかで裏切って欲しい、という期待だけは誰もが持っていて。

 でも、時世という流れには、勝てなくて。

 あの戦には、彼女も自ら望んで出陣していた。
も彼女に付き従い、護衛として同じく戦場を進んだ。
そして、彼女が夫を亡くす瞬間に立ち会っていた。

 「私は尚香様に付いている、という役目を授かりましたので」

 それから、勢いそのままに始まった魏との戦には出陣していない。
一武将として軍を率いる役目は、もちろんある。
けれど大都督の地位を預かる陸遜から、尚香に付いているようにと命を受けていた。

 戦場で陸遜の手助けをしたい気持ちもある。でも気を落としている尚香も放っては置けない。

 「陸遜はわたしを理由に、を危険な目に遭わせたくないだけよ」

 なんたって相手はあの曹魏だもの。と尚香は可笑しそうに笑う。
その意味が分からないにしてみれば、きょとんとするしかなく。
首を傾げて聞いてみても、本人が帰ってきたら聞きなさい。と尚香は教えてはくれないのだ。

 「ですが、やはり私が尚香様に付いていたいと思っていますので」

 まだ大切な人を亡くしたことのない自分では、何の慰めにもならないかもしれない。
それでも同じ戦場にも立ったことのある武将としての痛みは、分かる。
一人で塞ぎこまれるよりは八つ当たりであっても、何かぶつけて欲しい。
そう思ってはずっと、尚香に付いてこの数ヶ月を過ごしていた。

 「わたしは、こうなることが初めから分かってたもの」

 兄である孫権から、縁談を持ち出されたその時から。
どこかひとつの国が統一するまで続く、この戦い。
いくら同盟を結んだからといって、絶対に信用できる繋がりではないのだと。

 そうだと分かっていて、理解していて、それでも手を取ったのだから。

 尚香は気丈にも、そう周りに言っている。
誰もがそう聞いて、そうだろうと納得している。

 でも、ずっと彼女が泣いていることはだけが知っている。

 「だから、、あなたは絶対に幸せになるのよ?」

 「尚香様が、そうお望みであれば」

 だからこそ、は尚香の望むことを何であれ実現しようと心に決めていた。
























 遠くで起こっている戦いの、その戦況が逐一送られてくる。
尚香の傍に控えて国内の政治を手掛けながら、はそれを受け取っていた。
軍師としての、戦場外での最低限ある仕事だ。

 「どう?」

 「優勢を保っているようですわ」

 もう戦は辛い思いでしかないはずなのに、尚香はいつも状況を聞いてくる。
戦にいい思い出を持っている人などいないとは思うけれど。
彼女の最後に立った戦場は、あの炎の海なのだ。

 どの軍にどれくらいの被害が出た。
一軍を束ねるどの武将が、この日に散った。
分かる限りの現地での情報が、書簡に詰められている。
何を見ても辛く、悲しみはあるけれど統一のためだと割り切っているのだ、いまは。

 「ふぅん。陸遜、頑張ってるみたいね」

 「ええ」

 大都督の地位にある彼は、戦の全権を任されているに等しい。
彼の立てる策が成功するかしないかで、戦況はどちらにでも転ぶ。
被害が多く出るか少なくなるかも、そこで違ってくるのだから。

 陸遜の負担は大きいのだろう、誰か支えていてくれればいい。

 常であれば、自身が補佐として軍師として陸遜の横に居る。
でもいまは遠く離れた城に、尚香の隣に居て。
いま彼が何を思い、どんな策を練っているのかは分からない。
彼の傍には、優秀な補佐が何人もいるというのに。
少し離れただけで、この不安はむくむくと膨らんでいく。

 「・・・は、帰ってきた陸遜を大いに甘やかせばいいのよ」

 ぽんぽん、と尚香がの肩を叩いて笑う。
そうですわね、とも返して同じように笑った。
尚香を元気付けるために残っているが、彼女に元気付けられるのでは逆、と本人も思っていても。
そうして二人で支えあっているから、押し潰されずに立っているのだとも思う。

 「さて、今日は城下にでも下りない?」

 「お買い物ですか?」

 「そう。戦勝を祝う算段でも付けておきましょうよ」

 それに、陸遜帰ってきたらもいろいろ入用でしょ?揶揄するように尚香が言えば、の頬が薄っすらと染まる。
その反応に彼女はにっこり笑うと、の手を引いて部屋を出た。
よく晴れていて、いい買い物日和になりそうな天気で。

 さあ行こう。と張り切って歩き出す尚香に付いて、も隣を歩く。
他愛もない会話を交わしながら、二人には笑みが絶えなかった。


































 魏に勝った、という報告を受けてから何日が経ったのか。
もう凱旋の先頭が見えるか、とは尚香と共に城門に立っていた。
いまかいまか、と待ち侘びているのは彼女たちだけではない。
城に仕えている多くの文官や、守りを任された武官も皆、出揃っている。

 君主である孫権が先頭に見え、その横に陸遜が並んでいるのをは自ら確認した。
大丈夫だ、という報告を受けていても実際目で見て心底安心する。
ほっとして気が抜けたのか、ぽろぽろと涙が流れていくのを止められなくて。

 「陸遜!が泣いてるわよっ」

 「っ、尚香様!」

 もうそこまで来ていた陸遜に向かって、尚香が声を張り上げた。
えっ!?とが止める間もなく、本人にそれは伝わってしまって。
慌てるを余所に、陸遜は馬から降りて駆け寄って来ていた。

 「ただいま戻りました、殿」

 「ご無事でなによりです、陸遜様」

 周りの目を気にすることなく、陸遜はを抱き締めた。
もほんのり頬を染めるものの、腕の中に納まっていて。
孫権を初めとする面々は、これがあるべき光景という風にあたたかく見守っている。
こういう二人を何の憂いもなく見れることこそが、戦いのない国への第一歩でもあるのだと。

 「もう、片時も貴女を離しませんよ―――

 早く婚儀を挙げてしまいましょう。そう呟く陸遜には頷くことで答える。
無事統一することが出来たならば、夫婦としての契りを結ぶ。
それは曹魏との最終決戦へ向かう前、陸遜との間で交わされた約束で。

 いまそれが、叶えられるときが、こうして訪れたのだ。

 「おーい。戦後処理が先だぞ」

 「もう。野暮なこと言わないの、兄様」

 遠巻きに皆が見ているというのに、陸遜はまったく気にしていない。
は視線が気になるのか、陸遜の胸に顔を埋め隠してしまっていて。
見守っていた武将や兵らは経緯を聞くなり、わぁと祝福の言葉で盛り上がっている。

 「そうですね。さっさと片付けてしまいましょう」

 「それくらいはお手伝いさせて下さいね、陸遜様」

 ぼそりと呟かれた孫権の言葉を聞いてか、陸遜はを解放して目の前の仕事へと意気込む。
取り敢えず戦後処理を終えて、国内の混乱を収めてしまわなければゆっくり時間も取れない。
先立って婚儀だけ挙げたとしても、その後が慌しくては意味がないのだから。

 やりますか、と張り切る陸遜の横でも補佐としての顔をする。
戦場では役に立てなかった分、いまから頑張るのだという表情をしていて。
それを見ていた尚香も意気込んで孫権に笑みを見せている。

 「頑張りましょう、兄様。これからが大事なんだから」

 「ああ、そうだな」

 「もちろん、皆さんにも存分に働いていただきますよ」

 にっこりと笑った陸遜に、悲鳴を上げたのは何人居たのやら。
和やかな空気の凱旋は、その後国中に広まり活気を見せた。
























 「もう、本当に片時も離れません」

 夜、二人きりになった部屋で陸遜はを力いっぱい抱き締める。
少し痛いくらいの抱擁でも、は何も言わず黙っていた。
離れていたときに感じていた不安が、こうされていると消えていくのを感じていたからで。

 「というより、離せません」

 出来るはずがありません。と陸遜はくぐもった声で言う。
抱き締めているの肩口に顔を埋めて、ぬくもりを感じて。
いつ失うか分からなかった人を、失う怖さがなくなって改めて確かめる。
この幸せを噛み締めてしまうと、どう頑張ったって離すことなど出来そうにない。

 「離しませんから、離れないで下さいね。―――」

 離れろと言われても、出来ないだろうと自身も感じていて。
どんなときでも落ち着くことのできた、この腕から抜け出すことはない。
これからはこのぬくもりを常に感じて、これからの国を一緒に作っていくのだから。
そうして幸せに暮らしていくのが、自分たちに課せられたこれからの使命ある。

 「離さないで下さい・・・陸遜様」

 「もう、字で呼びませんか?」

 もう夫婦になるのだから、と少し身体を離した陸遜はいたずらっぽく笑う。
いくら恋仲でも頑なに字で呼ぶことのなかった
何を思ってそうしていたのかは知らないけれど、もういいだろうとも思う。
陸遜の提案に、は小さく頷くとふわり笑った。

 「ずっと、離さないで下さいませ―――伯言様―――」

 静かにそう言葉を紡いだ、赤い唇に陸遜は己のものを重ねた。
じっくり確かめるように重ねて堪能して、ゆっくりと離す。
濡れたそこにもう一度軽く重ねると、離れて目を見合わせる。

 二人して、くすりと小さく笑った。

 「幸せになりましょう」

 「ええ、必ず」

 また、影がひとつに重なった―――














 平和な世で夫婦になるのが、二人の約束。

 二人が共に幸せに暮らすことが、二人と尚香との約束。














 ↓こちらは作者:葵さんからのコメントです↓

34200Hit踏んで下さった飛鳥姐さんに捧げます!
お相手りっくんの『叶えられた約束』でした!

リクエスト内容は
めー(明灯)か彗恋のどちらかで夢を
とのことでした
明灯であればお相手は陸遜。彗恋であればお相手は太公望
それはこのサイトでもう固定されているので
話の思いついた方で書かせて頂きました!

いかがでしょう?

ちょっとネタがなかったので
今回実は姐さんのサイトにあるお題を拝借しました
『りっくんに言わせたい台詞10連発』の中から
“片時も離れませんよ”というものです
これ見て今回の話がふと湧き出しましたww
お題、ありがとうございます

さてさて
苦情・書き直し申請は姐さんのみからの受付ですが
その他、何かあれば意見などお待ちしていますー

此度も!リクエストありがとうございましたーっ
また?よろしくお願いします!



 ↓ここからは管理人のコメントです↓

 りくめーのふんわり柔らか仕上げ夢、キターーーーー!

 と、その場で萌え絶叫を上げたのは私だよっ><
 ちゅーわけでキリ番ハンターの名を欲しいままに、お話をいただいちゃいましたv
 御前、ありがとー♪

 此度はお気に入りのカップリングからりくめーをチョイスしてくださって…
 しかもウチのお題を使ったものと来たもんだ!
 これを喜ばずして何に喜べって言うんですか、ねぇwww

 待つ身は辛い、とは良く言いますが………
 この時代の女性達はこんな事が日常茶飯事だったでしょう。
 そんな彼女と、愛する人に先立たれた彼女とのやり取りは切なくも暖かくて。
 世が世なら私もこんな風に、人を大事に思えるような女になれるかな、と(無理か

 とにかく!
 此度は心がホッと休まる、暖かい夢をありがとうございました。
 こちらこそ、今後ともよろしくお願いします!


 
2010.05.11   飛鳥 拝礼



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