「アタシは小間使いじゃないっての………ったく」



 足の踏み場もない程散らかった部屋を片付けながら、は盛大な溜息を吐いた。
 彼は何時だってこんな調子だ。
 兵法や学問など、何かに集中していると自分の事がおろそかになる。
 はその度に悪態を吐きつつも彼の世話を焼いているのだが――



 ――ま、アンタのそういうところが、ね――



 ふと言いかけた言葉をぐっと飲み込んで、は優しく微笑んだ。










 
忍ぶ女、今こそ心に誓う時!










 時は昼下がり。
 天気もよく、穏やかな陽気であれば大概の人は眠気に誘われるだろう時分。
 そんな中、は天井裏で一人、こっそりと眼下の部屋を覗いていた。
 しかし彼女にはこの部屋の主の秘密を知ろうとか、弱みを握ろうなどという邪な考えはない。
 一言呼ばれれば直ぐにでも参上できるよう、目の届くところに控えているのだ。

 そう――
 は忍――主のために働く影、である。





 「、居るかい?」

 主に呼ばれ、即座に天井からすっと音もなく降りる。
 何時もの如く現れる影を確認すると、部屋の主は楽しげに声を上げて笑った。

 「あっはは、今回は天井裏からの登場、か………うーん、私の読みが外れたね」
 「そう毎回当てられてもこっちが困るってもんさ………で、何か用かい?」
 「いやぁ………特にない、って言ったら君は怒るかな?」
 「……………殴るよ、元就」

 緊張感のない主――毛利元就の態度に拳を握り締め、目の前に突き出す
 突然呼ばれ、何事かと現れてみればふんわりと切り返される。
 それでもはこの瞬間を心地よく思っていた。
 昔から幾度となく交わしたやり取りでも、毎回同じような展開では怒りを通り越して笑いさえ出て来る。

 ――あぁ、コイツは変わんないね、と――





 「実はね、君に買い物を頼みたいんだ」

 一時の後、冗談はさておき、と前置いて元就は話の本題に移った。
 彼が言うには、新しい菓子が食べたいとの事。
 それは恐らく、近頃城下で流行っている茶屋のものだろう。
 も兵から話を聞き、近いうちに食べたいと思っていたのだが――

 「――で、何でアタシに頼むんだい?」

 了解しようとしてふと思い留まる。
 元就はの主ではあるが、未だ完全なお殿様というわけではない。
 ならば買い物など頼まず、直接食べに行けばいい事。
 それなのに、何故?

 すると元就はの問いには一切答えず、その顔に笑みを湛えたまま包みを差し出す。
 そして――

 「これで二人分買って来てくれ、
 「え、ちょ、待っておくれよ元就――」
 「いいかい、二人分だよ………あ、それとつまみ食いも駄目だからね」

 私はこれから用があるから、と言い残してさっさと部屋を出て行ってしまった。
 全くもって理解不能な主の態度。
 はじめのうちの緩やかさは何処へやら、に用を頼んだ途端に慌しくなった元就。
 その滅多に見せる事のない動きに疑問ばかりが過ぎるだったが――

 「ま、急なお客さんでも来たんだろうね」

 彼女らしく、あまり考えずに主の部屋を後にした。













 ――あぁ、思ったより時間を食っちまったね――



 は群青色に変わりつつある空に視線をやり、帰路を急ぐ。
 あれから直ぐに出発し、程なく目的の茶屋に着いたのはいいが問題はそこからだった。
 元就が所望した菓子は人気が高いらしく、行った時には既に売り切れ。
 代わりのものをとも思ったが、店主の『直ぐに出来る』との一言を受け、待つ事にした。
 しかし――

 「あぁ、心配してるだろうな………元就」

 結局、漸く菓子がの手に入ったのは、傾いた陽が地平に隠れそうな頃だった。
 元就は目的の遂行が遅れる事にいちいち難癖をつけない。
 寧ろ何かあったのか、と却ってこちらの身を心配してしまうような人だ。
 だから、急ぐ。
 主に――元就に、余計な心配をかけたくないから。





 「……………た、ただいま。 遅れて、ごめんよ」
 「お帰り、

 が息を切らしながら急いで元就の自室に入ると、書物の山に囲まれた主が笑顔で出迎えた。
 その、何時もと何ら変わりない様子には再び頭に疑問を浮かべる。

 出かける前に言っていた用事は終わったのか。
 自分の遅い到着に心配してなかったのか。
 そして、そもそも買い物を自分に頼んだのは何故か――。

 しかし、時間はかかったものの目的の菓子は手に入った。
 はその場に跪くと、大事に持って来た菓子折りを主の前に差し出す。
 すると――



 「言い訳になっちまうけど、これ、城下で物凄い人気らしくてね――」
 「手数をかけてすまなかったね………じゃ、行こうか」

 「え、ちょっ、元就! 一体何処へ――」
 「それは行ってのお楽しみ、さ」



 菓子折りを手にした刹那、徐に立ち上がっての手を取る元就。
 その横顔には何処か勝ち誇ったような清清しい笑みが見え隠れしている。

 引っ張られる手に温もりと少しの湿り気を感じながら、は展開の速さについて行けずにいた。










 「どうかな、なかなか綺麗だろう?」
 「………城内にこんな場所があったなんて、知らなかったよ」

 程なく元就に手を引かれ、が連れて来られたのは敷地の外れ。
 建物の狭い隙間を通らないと足を踏み入れられないこの場所は、城内の明かりも届かない。
 その代わり、星の瞬きや月の形が暗い空で鮮明に映える。
 何時もよりずっと広く近く見える空、そして――



 「………これ、元就が用意したのかい?」



 小さな空き地に美しく散りばめられた白い花びら。
 それは月の光を浴びて淡く輝き、時折吹く風が穏やかに揺らしている。
 まるで異世界に誘われたかのような、幻想的な風景だった。

 「凄い………綺麗だよ元就!」
 「感動してくれるのは嬉しいけど、何時までもそこに居ないで―――こっちへおいで、

 空き地の中心で手を差し伸べる元就と、素直にその手を取る
 その手も仕草も、昔と何処も変わりはない。
 ただ、互いに成長して大人になっただけの事――





 「そう言えば昔………アタシが修行に行きたくないって泣いてた時も、こうしてくれたっけね」
 「はは、そんな事もあったかな」
 「あぁ、あの時もアタシが泣き止むまで、アンタはこうして手を繋いでいてくれた」



 ――その手が凄く、嬉しかった。
    落ち込んだ気持ちを前へ、前へと押しやってくれた。

    あの時から、アタシは――



 幼馴染が恋仲になったのは、何時からだったろうか。
 離れ離れになっていた時も、心には何時でも幼馴染の笑顔があった。
 そして修行から戻ったは元就の隠密になり、やがて――

 「考えてみれば、長い付き合いだねぇ」
 「はは、それは腐れ縁、とも言うがね」
 「………アンタが言うか」

 流れた時の長さが、二人の絆を強くした。
 毎日交わされるやり取りは同じようなもの――だが想いは深く互いの心を繋げていく。
 主従の壁さえもを超え、誰にも切る事が出来なくなる程に。
 そして――



 「、これからも宜しく頼むよ」
 「何だい、改まって」
 「今日はそれが言いたくて、君をここに誘ったんだ――」



 意表をつくような言葉と共に元就から不意に渡された櫛。
 その柄は添えられた花と、空き地に散りばめられた花びらと同じものだった。
 これはと元就の一番、好きな花――



 「元就、これっ――」
 「この季節になるのを、私はずっと待っていたんだよ――君を妻に、と告げるためにね」

 「………え?」

 「未だ解らないかな? 私は今日、――君に婚姻を申し込みたくて、一人でこっそりと用意したんだ」



 は櫛と花を手のひらに乗せたまま固まった。
 湧き上がる喜びと突然の事態への戸惑いとで混乱しかかっている頭の中で必死にあれこれ考える。



 婚姻、って………。
 そのためだけにこれだけの花を一人で準備したのかい?
 労力も、時間もかかったろうに………。



 ………。



 ………ん?



 「………あぁっ! アタシを買い物に行かせたのはコレが理由かっ!?」
 「ご名答だよ。 因みに、茶屋の店主に時間をかけるよう指示したのも私さ」
 「くっそ、つくづくアンタは腹黒いねっ! 急いで帰って来たアタシが馬鹿みたいじゃないのさ………もう」



 求婚された喜びも何処へやら、は頬をぷぅっと膨らませて不貞腐れる。
 しかし、これで全てに納得がいった。

 わざわざ自分に買い物を頼んだのも。
 菓子の完成に時間がかかったのも。
 自分の帰りが遅くても、元就が心配しなかった事も――

 「君がそんなに怒るなんて思わなかったよ………すまなかった」
 「………いや、元就は悪くないよ。 ただ、アンタの策を見抜けなかった自分に腹が立っただけさ」



 ――こんだけ付き合いが長いのに、さ――



 「簡単に見抜けられるようじゃ、策って言えないさ」
 「まぁ、ね」

 「で、――さっきの返事を聞かせてくれないかな」



 の怒りが静まったのを確かめると、元就はゆっくりと問いながら彼女が買ってきた菓子折りを開ける。
 その中身は、奇しくも二人の好きな花を模った菓子だった。
 これも元就の巧妙な策か、それとも――



 「「………あ」」

 「ねぇ元就、これもアンタの策かい?」
 「いや――店主も粋な計らいをしたもんだね………恐れ入ったよ」

 「あっはははー! 流石のアンタもこの策は見抜けなかったみたいだね!」










 二人の笑い声が、群青色の空に高く響き渡る。
 戦乱の予感が心を不安にさせる今、だけど――



 「………こちらこそ、これからも宜しく頼むよ――元就」





 ――元就、アンタとならどんな世の中でも生き抜けるよ。

    いや、一緒に生き抜いて往こうじゃないのさ!





           ――誰よりも、強く――










 劇終。


 ↓ここからはおまけ(タネ明かし)です。 反転してどうぞ。
 (夢のままで終わりにしたい方はご遠慮ください)


 ――お疲れさん、。 今回はどうだったかな?

 「いやぁ………何ていうか、くすぐったかったよ」

 ――あはは、流石に私も書いていてむず痒くなったよ。

 「でも、アンタの割には穏やかないい話だったじゃないのさ」

 ――あのな、一言余計だ(汗)。 でも、これで指令達成かな。

 「有終の美を飾れたかは微妙だけど、飛鳥もお疲れさん♪」

 
――だから一言余計だっつの!



 本当に終わりwww



 アトガキ

 暖かい拍手連打、本当にありがとうございます!
 シリーズ『筆者の秘密指令!?』もいよいよこれでラスト!
 丸一年、頑張って来れたのも皆さんのおかげです!

 最後の指令内容は…ただ単純に 『穏やかに〆てくれ』 と。
 彼女は戦闘要員として参上した娘ですが………
 今回ばかりは戦闘なしに、比較的大人しく?してもらいました。

 しかし………やはりこういった話は御前には敵いませんわ orz
 ちょいとドタバタしちまいましたが、私なりにしっかりと書けたと思います。
 お相手も初挑戦でしたが、上手い具合に動いてくれましたし(笑
 このお話で少しでも楽しんでいただければこれ幸い!


 最後に――
 この一年、拍手お礼にばかり力を入れた感が否めませんでしたが………
 それでも、このシリーズが無事に完了した事をとても幸せに思っております。

 あなたが押してくださった拍手と、ここまでお付き合いくださった事に――
 心の底から、厚く御礼を申し上げます。

 本当に、ありがとうございました。



 
2011.03.26 御巫飛鳥 拝



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