時に愛は
その場に居る人々の注目を浴びながら、私は宴の中心へと歩を進めた。
視線を泳がすと、楽師が所定の椅子に座り、既に楽器を構えている。
そして…私はこの場が鎮まり、楽器が美しい音色を響かせるまで己の目を伏せ、翼を閉じる―。
私はこの瞬間が好きだ。
あらゆる感覚を遮り、ただ来るべき楽器の音と己の身体に精神を集中させる。
…何人たりとも足を踏み入れる事を許さない、私だけの聖域―。
今宵はどのような舞いを披露しようか。
己が手に持つは雅やかな扇か、それとも切っ先鋭い剣か。
全ては気持ちの赴くまま―。
しかし、今宵は何時もと勝手が違っていた。
いや、違い過ぎていた………。
私がその報告を受けたのは…昼餉を食し、宴までの間を好きな舞いに費やすか相棒と過ごすか迷っている時だった。
―様、たっ大変です! 様がっ、おっ、お倒れになられました!―
一瞬、己の耳を疑った。
ついさっきまで共に昼餉後の茶を堪能しながら私と談笑していたというのに…
「一体、どうしたんだ?」
必死の形相で息も絶え絶えに訴えて来る女官に尋ねた。
この女官、私達がこの軍に留まるようになってから何かと世話を焼いてくれる。
何でも自分でやってきた私達にとってはありがたい以上の何ものでもない。
私が話の先を促すと、彼女は自分の胸に手を当てて息を整えながら
「今、早急に…軍医様の治療を、受けておいでです。 …恐らく、食べた物に当たったのではなかろうか、との事でしたが」
途切れ途切れだが、はっきりとした口調で教えてくれた。
…成程。
だが、それは 『当たった』 のではなくただの 『食べすぎ』 だ。
は食が細い。 それ故に、私が 「楽師も体力勝負だ…しっかり食べろ」 と常に言っていたのを気にしていた。
それでも、急に食欲が上昇するわけでもなく…そして此度の昼餉だ。
私に心配をかけまいと思ったのだろう…今考えれば確かに何時もよりずっとたくさんの量を腹に収めていた。
…全く、しょうがないな。
「解った。 君も忙しいだろう…もう下がっていい。 私も追っての許へ行く」
「承知いたしました。 それでは…失礼いたします」
深々とお辞儀をし、部屋からそそくさと出て行く女官の背中を見送りながら私は改めて身支度を始めた。
…さて、どうしたものか。
医務室の寝台に身を横たえていたは、思いの外元気そうだった。
しかし、一度壊した腹が何時騒ぎを起こすか解らない。
私は 「その時になったら意地でも起きるわ」 と言い張る彼女を軍医と強制的に寝かしつけながら
「…あまり無理をするな、。 今宵の舞は君が居なくても大丈夫だ」
任せておけ、と笑顔で言い残して来たのだが………。
…どうしたものか。
確かに、私には何時もと違う楽師でも…たとえ音が無くとも充分に舞える自信と実績がある。
加えて…今宵の宴は大した名目がなく、限られた者だけが楽しむものだ。
あまり気を張る程ではないのだろうが…。
「何か難しい顔をしているな…どうした、?」
不意に扉が開き、一人考え込んでいた私の思案を声がいとも簡単に遮った。
床へと落としていた視線を上げ、聞き慣れた声の方向を見遣る―
「こんな時間に珍しい来客だな、仲達」
「今更、構う事もあるまい。 …何やらが大変な事になっているらしい、と女官から聞かされたのでな」
「…そうか」
…あの娘か。
先程、私とが話をしている途中で慌しく室を出て行ったのを見かけたが…どうやら彼女は仲達のところへ出向いていたらしい。
大方 「様が大変なんですっ!」 とでも言って無理矢理引っ張って来たのだろう。
幾ら気心知れた間柄だとは言え…あまり詳しい話をして、余計な心配をかけたくない。
「すまない、仲達。 いや、大した事ではないんだ」
とりあえず手を顔の前でひらひら振りながら軽く笑顔を見せる。
すると―
「そのような顔をしても私には全てお見通しだ、。 さぁ言え、何があった?」
不意に卓を挟んだ向こう側から身を乗り出され、私は思わず後ろへと飛び退けた。
しかし、詰め寄られる私に最早言い逃れる術などない。
…この人は、こういった時は特に見た目よりも遥かに強引だからだ。
仕方ない、とかぶりを振りながら…私は仲達に事の始終を話してやった―。
「…成程、それでお前は悩んでいたのだな」
私の話で漸く合点がいったのか、仲達の表情が僅かに和らいだ。
その顔は、普段日中では見る事の叶わないもの。
難しい顔をしているのは、私よりも寧ろ仲達の方が多いだろう。
心の片隅で少々得したな、と思いながら私は仲達に言葉を返す。
「いや、悩む程のものでもないんだが…違う楽師というのも、音がないというのもな―」
「物足りないか」
「あぁ。 偶の道楽だろう? どうせだったら私も楽しみたい」
―そう、今宵の宴は限られた者だけの所謂 『道楽』 。
このような事、民が聞いたら怒り狂うかも知れないな。
だが、彼等―戦場に身を置く人々―にしてみれば、日々を必死に戦い、生き抜いているからこそ必要な物なのだ。
…息抜き、と言えるような物が。
その一時の息抜きにでも花を添える事が出来るのならば、と思い…私達はこの軍に留まる事を決めたのだ。
まぁ、他にも理由があると言えばあるんだが、な。
「―そうか。 ならば、此度の事は案ずるな…私に考えがある」
一時の後、神妙な面持ちで思案に耽っていた仲達が漸くの事で口を開いた。
…考え?
たった今聞かされた言葉の一部を反芻してみる。
仲達は、この短い時間でどんな策を編み出したのか…。
脳の内を覗いてみたいと何度も思う程、この人の頭の回転は異常に速い。
出会ってから、何度驚かされた事か―。
だが、目の前の男はそんな私の疑問にはお構いなしといった感じだ。
視線を合わせて一瞬だけにやりと笑い
「まぁ、私に任せておけ」
そうと決まれば早急に準備をせねば、と私に指一本触れる事なく踵を返した。
室を出て行く仲達の背中を唖然茫然と見送る。
…これが想い人への態度だと言うのだから性質が悪い。
まぁ、仲達の性根は私自身がよく知っている事だから文句は言わないが―
―私にとって舞は…彼等にとっての戦と同じだ。
その言わば 『戦』 へと赴く私に、他に何か言う事はないのか―?
私は、心の底にあるちょっとした不満を、広く感じる室内に響かせた。
今宵の宴もまた、盛況らしい。
私の出番を告げに来た従者の足取りも少々軽く感じる。
「殿、出番です。 殿が 『を呼べ』 と―」
「承知した、直ぐに向かう」
椅子から立ち上がり、既に身支度を整えていた私は手に一枝の花を持つ。
つい先程、同じ従者に
「楽師殿から 『今宵の舞にはこの花を持て』 との言伝を預かっています」
と言われ、手渡されたものだ。
何故、楽師自身が出向かないのか。
疑問が私の中で頭を擡げるが、ここまで来たら私には何も考える事はない。
不在である筈の楽師が既に居るという事は…大方仲達が手配してくれたのだろう。
何時もと違う楽師が奏でる音で舞う―
心に沸き起こる大きな高揚感が、次第にほんの小さな疑問を掻き消していった。
大広間の扉の前で足を止める。
…この向こうには、私の舞を待っている人々が居る。
高揚感を舞への力に変えるべく、私はそっと瞳を閉じた。
そして、僅かな音を響かせながら…扉がゆっくりと、開いた。
その場に居る人々の注目を浴びながら、私は宴の中心へと歩を進めた。
視線を泳がすと、楽師が所定の椅子に座り、既に楽器を構えている。
だが―
「ちょっ…仲達! 何で君がそんなところに居るんだっっ!?」
この場が大事な舞台だという事も忘れる程、私は呆気に取られた。
楽師のために設えられた席には…昼間 『私に考えがある』 と言って素っ気無く室から出て行った仲達が胡弓を持ち、座っている。
これが、仲達の言う考えなのだろうか?
しかし、おかしい事に仲達の表情がこの上なく硬い。
余程緊張しているのだろう…額には珠のような汗が浮き、私の顔を凝視するように見つめてくる。
その様子が全てを物語っていた。 「話は後だ」 と。
刹那、私の意識は楽師と一体になる。
花を持つ手が柔らかく動き出し、香りを振り撒くように広げながら身を低くした。
私の好きな、翼を閉じる瞬間―。
視覚を遮り、仲達の胡弓から奏でられる初めての音を待つ。
そして―
少々調子外れの音を響かせながら、曲は始まった―。
始め、人々の反応は様々だった。
胡弓どころか…音楽に疎い仲達の奏でる音は普通に聞けば拙く感じるだろう。
しかし、私にはこれ以上ない名曲に聞こえた。
此度の楽曲は、楽師自身が選んだという恋を詠った曲。
私は必死の形相で胡弓を操る仲達の姿を時折見遣りながら舞い続けた。
経緯は解らないが、今は私のためだけに奏でられる胡弓の音色。
―それが、名曲でないとしたら…何を名曲とするんだ?
刹那、私は仲達の心配をするよりも舞に集中する方が大事だと気付いた。
仲達が想いを音に託すのと同じように、私も舞に想いを乗せよう。
君に…今あるこの想いが、迷わず届くように―。
そして…何時もより熱く、充実した時間が終わる。
始めは様々だった人々の心も何時しか一つになっていた。
大きく、絶え間なく響き渡る喝采。
ただただ一生懸命に胡弓を奏でていた仲達の想いは、私は勿論、人々の心をも掴んだという事か。
私は満足げに微笑み、客席に向けて丁寧にお辞儀をする。
そして―
「仲達、ありがとう。 君の胡弓が私をこの上なく熱くしてくれた」
冷やかしに変わった喝采と…仲達がやらかしたのだろう、何かが床に落下した音にさっと背を向けて足早に大広間を出た。
少々紅みが増した頬を、誰にも悟られないように―。
「あははははっ!!! それは傑作だったな、仲達」
私は、中庭のど真ん中で声を高らかに笑い出してしまった。
大広間を出た後、直ぐに仲達が私を追って来た。
そして、その場で聞かされた事の真相、それは―。
酒宴の前、仲達が提案した 『賭け』 を拒む者は誰一人として居なかったという。
仲達が集めたのだろう、枯れ枝の束。
それを各々が一本づつ引き、先に印が付いていた枝を持っている者が今宵の楽師の任を請け負うという 『賭け』 。
その賭けに…持ちかけた仲達自身が負けた、と―。
「そこまで笑う事はなかろう、」
「…ならば君は、あの必死な姿は演技だった、とでも言うのか?」
「ふん。 私には…あれ程の事、造作もない」
「はは。 …そういう事にしておいてやろう」
今宵の舞は一風変わっていて私も楽しかったからな。
独り言のように呟きながら私は不貞腐れたようにそっぽを向く仲達の隣に腰を掛ける。
天を仰ぎながら大きく息を吸い込むと…群青色の空にぽっかりと浮かぶ白い月が瞳に飛び込んできた。
少し端の欠けたその姿を何の気なしに見つめていると―
「。 …お前に頼みがある」
縁側についていた私の手が暖かいものに包まれると同時に仲達の声が耳元に届いた。
仲達がこのような態度を取るのは珍しい。
今宵の事は、流石に堪えたのだろう…本当に心底疲れた時にしか見せない表情を私に向けている。
やはり、慣れない事は頭の回転の速いこの人にもついて行けなかったか。
「何だ? 改まって」
少しだけ身を乗り出し、上目遣いで仲達の表情を更に窺う。
すると…仲達は間近に迫った私の顔に一瞬だけ逡巡したが直後、ふ、と微かな笑いを零しながら重そうな口を開いた。
、今度は私のためだけに舞って欲しい。
…胡弓に集中していて、お前の舞を半分以上見損ねてしまったのでな。
中庭に降り立ち、私はたった一人の観客―仲達―のためだけに舞う。
音のない、楽曲を―。
しかし、私達二人…いや、全ての恋人達には大層な音楽など、本当は必要ないのかも知れない。
時に愛は―
心を響かせる音を奏でるという事に、気付く事が出来た今なら―
劇終。
飛鳥作小説、第6弾です。
何時もはお題をチョイスしてからお話を書き始めるんですが…
今回は珍しくお題が後からついて来ました(汗
またしても初挑戦のお相手だったのですが…
(本館の連載はギャグなので勘定に入れませんっ!)
シバチュゥさんが少々ヘタレです(汗
どうやら…優秀な人をコケさすのが好きみたいです、アタクシ。
因みに…今回、あの名言!?である 『馬鹿めが!』 を完全封印しましたw
ちょ〜っとばかり偽者っぽくなってしまいましたが、そこはご愛嬌という事で(←逃 げ る な
やっと舞姫が書けましたwww
これも一つの願望だったんで…今回も楽しく書かせていただきました!
このお話で少しでも楽しんでいただけたら幸いです。(’08.06.14)
ブラウザを閉じて下さいませwww