『太平道』の教祖・張角を討った事に歓声が沸く。
何進率いる連合軍の勝利を以って戦いは終焉を迎えたかに思われた。
しかし――
空だけが見ていた
「畜生! なんでこいつら戦を止めねぇんだっ!」
己の得物を振り上げながら、張飛は悲痛な叫びを上げた。
ここは本陣だった地点に程近い――かつて二つの軍勢が犇めき合っていた場所。
そして、敵の総大将が斃されてから時を経た今…何も意味を成さなくなった拠点である。
しかし、敵の残党は未だ血気盛んに武器を取り、こちらに刃向かってくる。
己の支持していた主君―張角―は既に敗れ去ったというのに――
「太平道の教祖を討ったところで、この者達の怒りは静まらぬか…」
「だけどよ兄者…こいつら、武器を持ってても元は民だぜ。 簡単に斃しちまっていいのかよ!?」
「仕方のない事だ、翼徳。 拙者達は武人…降りかかる刃は止めねばなるまい」
苦虫を噛み潰すような表情をする張飛を余所に、あくまで冷静さを失わない関羽。
彼の言わんとしている事は共に戦う張飛にも解る。 その中にある本心でさえも。
しかし、元は罪もない民だった敵兵を慈悲もなく手にかけたくはない。
出来る事なら、彼らを無傷で故郷に帰したい――そんな気持ちが張飛の心の中を渦巻いていた。
太平道の台頭が先か、民達の奮起が先か――
この地を支配する漢王朝は今や腐敗の一途を辿っていた。
加えて、相次ぐ天災。
これまで自給自足で細々ながらも幸せな日々を過ごしていた民は、次第に苦しめられていく。
頑張れど頑張れど見出せない未来――
そんな世の中に痺れを切らし、ある時彼らは立ち上がったのだ。
奇しくも同時期に台頭し始めた太平道の教祖・張角に導かれて――
「いつまでもお前達をのさばらせてたら、おら達は死んじまう!」
「んだ! 食べ物にもありつけねぇ!」
「おら達はただ平和に過ごしたいだけなんだ!」
二人の武人を前に次々と息巻く黄巾の者達。
生きるために戦っている彼らを、誰が止める事が出来ようか。
敵として対峙する民を目の前に逡巡する二人に、黄巾の残党がにじりにじりと迫る。
これは、どのような強い武人と戦うよりも厄介――誰よりも難敵だ、と張飛は思った。
「くそ! やるしかねぇのかよっ!」
張飛は遣る瀬無い想いに声を上げながらも矛を構えた。
刹那――
ピィーーーーー
この場に不釣合いな笛の音と共に、透き通るような女の声が空に響き渡った。
花開く季節は 生き往く命を祝い
天高き季節には 空を仰ぎ 羽ばたく鳥と歌う
病葉の季節には 落ち逝く命を憂い
雪舞う季節は ただ静かに 萌え出ずる時を待つ
我が愛するものよ 今は何処(いずこ)の空の下――
それは、不思議な力を宿していた。
美しい歌声はその場に居る者全ての心の中にも響き、己の記憶にある優しく、懐かしい歌を思い起こしていく。
ある者は子供の頃、枕元で聴いた母の子守唄を
ある者は求婚した際、恋人が返事代わりとして聴かせてくれた歌を
――そして、田畑で作業している時に女達が歌っていた故郷の歌を――
突如現れた女達に呆気に取られながらも、望郷の念に心を揺さぶられる黄巾の者達。
自ずと得物を持つ手が緩む。
それを視界の端に捉え、歌と共に舞を披露していた暖色の衣に身を包んだ女が口を開いた。
「ご清聴、ありがとう。
宜しければもう一曲、と思うのだが…
そのためには、君達の手に持つ物騒な物を下げてくれればこれ幸い――」
刹那、一旦鳴り止んだ笛の音が再び空へと舞い上がった。
舞姫と対照的な寒色の衣を着たもう一人の女は、口元に自愛を含んだ笑みを乗せながら巧みに笛を操る。
そして舞姫は笛の音をもその身に纏うかのように歌い、舞い始めた。
二人の女が繰り広げる舞台は、相手の返事を聞かず、既に第二楽章へと移っていた――。
その場は何時しか、女二人の独壇場となっていた。
黄巾の者達は歌と舞に聞き惚れ、見蕩れ………それぞれの得物はその手を離れ、次々に地へと落ちていく。
乱を鎮めるべく参じていた張飛や関羽でさえも、その心に懐かしさを抱え込む。
「いいもんだな、兄者。 …ここが酒宴の場だったらいい酒が飲めそうだ」
「うむ、そうだな………」
――あの時のように。
女達とは既に面識があった。
漢王室直属の舞姫・と、その相棒である楽師・。
太平道の信者が起こした暴動を制圧するために決起した者達を集めた酒宴の場に、彼女達は居た。
その時の彼女達の舞や楽曲にはその場に居る者全てに力を与えているようで、自分自身の酒がより美味く感じたのを覚えている。
人の心を揺り動かす力を宿し女達――
だが、討伐軍も今や解散し、漢王朝の出番はもうなくなったに等しい筈なのに…何故かこの場に現れた漢王室直属の人物。
二人の織り成す世界を堪能しつつも、張飛の心の中には一つの疑問が頭を擡げていた。
楽曲が終わり、二人が動きを止めるが…依然呆ける黄巾の者達。
それを目の前に、はと目配せをした直後、彼らに改めて向き直る。
「………君達が本当に護りたいものは何だ?
武器を取るだけが戦いではないだろう。
このままでは…新たな悲しみの連鎖を生むだけだ」
もう一度考えてみてくれ、と己にも言い聞かせるかのように言葉を紡ぐ。
刹那――
「おら達は、一体何をしていたんだ」
「郷にはかぁちゃんが待ってんだ! ここで死んだらなんねぇ!」
「…ありがとう、おかげで目が覚めた」
黄巾の者達が頭に巻いた黄色い布を取り去り、口々に想いのまま目の前の女達に礼を述べつつ踵を返し始めた。
つい先程まで得物を手に息巻いていた者達の怒りを一気に鎮めた二人の舞台は流石としか言いようがなかった。
しかし、張飛の頭に渦巻いている疑問は全く解決していない。
残党が去り、落ち着いたところで
「なぁ…、。 お前らは確か漢王朝に雇われてたんだよな。 …なんでこんなところに居るんだ?」
その場を収めても未だ去ろうとしない女達に問うた。
すると、張飛の思いを余所に二人は顔を見合わせ、子供が悪戯を仕出かす直前のような笑いを零し始める。
「…、そう言えば彼らに話をするのを忘れていたな」
「ふふっ、そうね…でも、このような場になれば、彼らも了承せざるを得ないでしょう?」
「ははっ! 違いない」
…何言ってんだ? こいつら。
張飛の問いは何処へ行ったのか…彼女らは楽しげにくすくすと笑っている。
頭の中が新たな疑問に支配され始めた。
話をするのを忘れていた?
了承せざるを得ない…?
一体どういう事なんだ!と瞳を白黒させながら絶叫に近い疑問を投げかける張飛に、が満面の笑みで返す。
「いや…漢王室は贅沢な生活が出来るが、些か退屈でな。 …この先暫く君達と同行しようとと決めたんだ」
「…え、ちょっ、お前――」
「まぁ、普通に言っても断られるだけだと思ったしな…少々卑怯だが、これからよろしく頼む…張飛殿、そして関羽殿」
正直なところ、彼女達は迷っていた。
漢王朝を勝手に出たのはいいが…女二人の旅は些か危うい。 慣れるまでは誰かと同行するのが得策だと思い至った。
しかし、連合軍というだけあり…戦に長けた者が多すぎる。
そこでの提案した策、それは――戦場での彼らの姿をこの目で確かめ、気に入った者についていく、というものだった。
元は民である黄巾の残党を討つという理不尽な戦いを、武人達はどのように対処していくか。
そして、民の命をどれだけ重く感じる事が出来るか――
そんな中、張飛の心がこちらの思うところと同じ場所にあると判断したは…と話し、此度の行動に移したのだった。
「拙者達は国も名声も持たん。 それでも構わぬのか」
「…物好きだな、もよ」
事の全てを吐露したに、二人の武人が訝しげながらも笑みを零す。
その笑みと、同じような笑顔を向けるを交互に見遣りながら…は満足げに顔を綻ばせた。
「人は富や名声ではない………器ではかるものだと、君達も解っているだろう?」
時は過ぎ――
今日は張飛の娘・星彩が初陣を迎える日。
父娘の最後の会話を終え、己の愛馬に手を添える張飛。
その姿を瞳に焼き付けながら星彩が父に訊ねる。
「…ねぇ、父上。 私の母上は…どんな人だったの?」
「なっ…! いいから早く行け! 遅れを取るなよ!」
星彩の母が、どんな人物だったか。
今迄何度か娘に訊かれた事――
しかし、彼はその問いに答える事はないだろう。
昔も今も、そしてこの先も――。
小さくなる娘の背中を見送った張飛は、高く広がる天を仰ぎ…小さく微笑った。
――
お前は本当に、風のような奴だな――
我が愛するものよ 今は何処(いずこ)の空の下――
劇終。
飛鳥作夢小説第8弾、でございますー!
大変…本当に大変お待たせいたしましたっ!
今回はヒロイン人気投票、第1期ミスT×C+H.Pに輝いた娘がメインヒロインになっております。
飛鳥作企画夢、既にサプライズ発掘現場となっておりますが(をい
今回もやらかしております!
最後なんか設定を完全に捏造してますし(笑
この場を借りてこのネタをくれた情報屋に感謝したいと思います。。。ありがとう!
たくさん詰め込みすぎたお話でしたが…今回も楽しく書かせていただきました。
このお話で少しでも楽しんでいただけたら幸いです。(’08.08.30)
ブラウザを閉じて下さいませwww