遙か地平まで続く青き空。
そして、境界を融かすかの如く広がる蒼き大地。
何もかもを透き通すような、この青を―
―私は、護るために、生きる―
彼方へと続く蒼
「…来なよ、。 俺が相手になってやるぜ」
修羅の勢いで並み居る手合わせの相手を完膚なきまでに叩きのめし、得物を片手に尚も息巻いているに…目の前の男が言葉を投げて寄越す。
ここは、模擬とは言え戦場の筈だ。
だが、この男は街中で寂しそうにしている女を誘うかのように飄々とした態度でに手を差し伸べた。
…信じられないけど、これは紛れもない事実。
一見軽そうな男が、あの猛将の誉れ高い方の…
私の憧れていた、あの方の…
息子、なのよね…
は手に持つ得物を身体の横へと垂れ下げ、がっくり肩を落とすと、やれやれとかぶりを振りながら目の前の男に一瞥をくれた。
「公績…。 そんな態度を見せられたら、血筋を疑いたくなるんだけど」
遡る事、が未だ知る事のない恋を夢見る、少女の頃。
彼女は賊によって焼き払われた村落で、たった一人―
死に物狂いに足を駆りながら、泣いていた。
突然、天災の如く襲ってきた奴等は罪もない人々を―まるで赤子の腕を捻るかのように―何の躊躇いもなく斬っていく。
目の前で自分を庇い、身体中斬り裂かれながら屍となった両親。
瞳を潤ませたまま動けないで居る少女を護るように
「お前は生きるんだ! 何があっても!」
力では決して適う筈もない荒くれ共の魔の手からを遠ざけるべく、盾となった。
助けを請いながら走り続ける。
聞きたくもないのに、次々と耳に飛び込んでくる阿鼻叫喚。
駆けながら辺りを見回すと、容赦のない魔の手は…親しかった者達に様々な恐怖を与え続けていた。
…あんなに優しかった小父さんが、怖い顔をして鉈を振り回しながら抵抗している。
…私に勉強を教えてくれたお姉ちゃんが、男の身体の下で身体を揺すられながら泣き叫んでいる。
…「長生きしてね」って言ったばかりだったのに…お婆ちゃんが真っ赤に染まって、動かなくなっている。
なんで、こんな目に遭わなきゃならないの?
怖い。
怖い、怖い、怖いっ!
恐怖心に襲われる。
それは、子供達も決して例外ではなかった。
抵抗をしなければ、攫われる。
抵抗をすれば、その子に待つものは………暴虐と、確たる死。
力なく奴等の手にかかる友達の姿を目にする。
しかし、幾ら仲の良かった子であっても…今や振り返る事すら許されなかった。
そして―
息が上がり、足が縺れ…の身体が遂に地に突っ伏した。
少女の体力は既に限界点を突破し、もう起き上がる術もない。
力なく顔を伏せる。
私も、お父さんやお母さん達みたいに…ぐちゃぐちゃになっちゃうんだ………
涙で霞む視界に、闇が訪れ…
………賊の持つ刃が、の頭上高く振り上げられた―
―刹那
「…遅くなってすまなかった」
骨を叩き割るかのような鈍い音に続き、静かながらも重みのある低い声がの頭に響いた。
次の瞬間、身体がふわりと持ち上がり…声の主の手によって地に座らされる。
未だ自分の身に何が起こったのかが解らずに混乱していたは初め、この男も奴等の仲間かと思った。
「こっ…こない、で…」
男の赤く彩られた鎧と、彼が持つこれまで見た事もない武器に視線を釘付けにしながら…小刻みに震える身体を引き摺るようにして後ずさる。
今の彼女には、武器を持つ者全てが敵に見えていた。
しかし―。
「案ずるな。 …私は、お前の味方だ」
地にへたり込むを見下ろす男の瞳は、屍と灰に支配されたこの地に不似合いな笑みを湛えていた。
視線に飛び込む…穏やか過ぎる、笑顔―。
そして…次の瞬間、傍に見知った面々の姿と声を捉える。
自分はもう、一人ぼっちだと…みんな、奴等に殺されたんだと思っていた。
だけど、今ここには…少ないけれど知っている人が居る。
私が知っていて、私の事を知っててくれる人が―。
目の前の男に助けられたんだと理解するまでには少々時間がかかった。
漸く訪れた安堵に、再び瞳が潤む。
「みんな、めちゃくちゃに、なったかと、思った…」
しゃくり上げながら言葉にならない声を上げるの頭に、刹那暖かいものが添えられた。
大きな、手―。
頬を流れる涙を袖でぐしぐしと拭うと、は再び男の顔を見上げる。
すると、男は彼女を一瞬だけ先程と同じ笑みで見つめると…さっと踵を返してしまった。
「この者達がおれば、もう心配する事はない」
「あ…」
行ってしまう…
は、初めて感じる切なさに胸を締め付けられた。
かける言葉も見付からず、ただただ目の前に手を差し伸べるだけ―。
そんな彼女に…背を向け、去り往く男の手が振り上げられ、そして―
―達者でな―
一瞬だけひらり、と動いた。
後に、は自分を助けてくれた人物が凌操と呼ばれる孫呉の将だと人づてに聞く事になる。
あの人は強く、そして優しかった―。
彼の広い背中を見た時に感じた切なさは、恋心に近い憧れの成せる業だとこの時気付いた。
直接…お礼を言いたい。
受けた恩を、この手で返したい。
そして…少しでも、あの人に近付きたい―。
彼女の決心は固まった。
手に持つものを、筆から彼が振るっていた武器に変えると…自ら修羅の道を選ぶ。
男達と同じような…過酷な鍛錬であっても、彼女にとっては最早辛いものではなかった。
己の意志の下、より強い自分を目指す。
何時か、孫呉に仕官する事を夢見て―。
「また、父上の事を思い出してたのかい? 」
落胆の意を示すの瞳を覗き込むようにして尋ねる凌統の瞳は、父親譲りなのか…とても穏やかに見えた。
その瞳を見ていると、直ぐさま前言を撤回したくなる。
しかし―
「思い出さざるを得ないわ。 だって、私の憧れだった人だもの」
「それは、俺よりも父上の方がいい男だったって言いたいのか?」
「はっきり言いたくはないけど…当たらずとも遠からず、ね」
「ちっ…手厳しいねぇ」
のからかうようなきつい一言に、軽い舌打ちで答える凌統。
それを見て、からからと笑いながら…心の中でごめんねと舌を出す。
確かに、醸し出す雰囲気は段違いで、先程口にしたように血筋を疑ってしまいそうだ。
しかし、は知っていた。
見た目とは裏腹に、心には強い意志を持っているという事を。
彼女が仕官して暫くの後、その尊い命を戦場にて散らした凌操の想いを継ぐという…確かな意志を―。
不意に…己の心の中に淡く、暖かい何かが過った。
それは憧れの人がもたらすものではなく…目の前で拗ねた表情をする男によるものだ、と確たる思いを抱くだったが―
「なら、凌操様から受け継いだその技で…私を納得させてみたら?」
彼の父親に憧れて手に取った得物を一振りして束ねると目の前に晒す。
まるで…心に過ったものを隠すかのように―。
―カツン
刹那、それに答えるように…凌統の得物が晒されたものに重なる。
一時、絡まる二人の視線―
「…凌公績、行くぜ」
彼の一声で、今朝最後の手合わせが始まった―。
が努力の末、漸くの事で凌操の下に仕えるようになったその日―
「あんたが父上の…ふぅん…まぁ、お手柔らかに頼むよ、お嬢さん」
憧れの人の息子に開口一番、こう言われて…腹が立たない人が居たら会ってみたいと心の底から思った。
その後も挑発じみた言葉を軽い調子で何度も言われ、堪忍袋の緒が切れた彼女は…遂にその相手の頬を思いっきりひっぱたいていた。
「貴方が…凌操様の息子だなんて、絶対に信じない!」
全身をわなわなと震わせ、瞳に大粒の涙を湛えながら―。
最悪の初対面だった二人の距離を縮めるというのは至難の業で…当然の事ながらその後、は凌統を目の敵にしていた。
面と向かえば悪態ばかり、手合わせでは手加減をしないという本気に近いものとなった。
自分に近しい人物同士が、その仲を違えている。
そんな二人の行き先を懸念した凌操は、ある日…同じ場所に二人を呼び出した―。
釈然としない心を抱えたまま、二人がその場所へ向かうと…凌操は、蒼い大地が眼前に広がる小高い丘の上に立っていた。
彼の傍らに立つと天頂にまで上がった太陽の光が大地を照らし、青々とした草原が何時もより輝いて見える。
はこの時、視界に広がる蒼い世界が特別なものだと感じていた。
このように意識しなければ…戦乱の世ではこの蒼い大地も土煙と数多の血で汚れているようにしか映らないから。
隣で眺めている凌統も同じ事を考えているらしく、その表情には感嘆の気持ちが含まれているようにも思えた。
特別な景色を何とも言えない表情で見つめる二人。
それを横目で一瞥すると、凌操は二人の気持ちを読んだかのような言葉を与える。
「…綺麗だろう。 しかし、ここも戦場と化すると…一瞬にしてその色を変えてしまう。 悲しい事だ」
悲しい事―。
一度始まれば日常のように繰り返される戦を、この人は悲しい事だと思っている。
それでも、敢えて手に武器を持ち、戦い続ける…。
少々矛盾している事を言うために、この人は私達をここに呼び出したのか。
彼の意図が掴めない。
腕を胸の前に組み、小首をかしげながら思案しているの頭に…あの時と同じく、暖かい手が添えられる。
「…しかし、この景色は特別なものではない。 戦乱の世でなければ、な」
だから私は戦い…そして生きる、と視線を遠く地平へと遣りながら己にも言い聞かせるように言い放つ凌操。
その横顔を見ていると、彼がどれだけこの地を…この地に生きるものを愛しているのかが解る気がした。
強い意志を持ち、己の信念のもとに武器を手に戦う。
それは…今蒼き平原を見つめている男二人だけではなく、戦乱の渦中に身を置く全ての戦人に言える事だった。
―戦とは、ただの殺し合いではなく…意志と意志とのぶつかり合いなのだ。
仕官して間もなく、彼から言われた言葉を思い出す度に、その重みと己自身にも持つ意志をも感じる。
今は何も掴んでいない手を地平に差し伸べ、何の気なしに見つめる。
すると、心の中で語られた言葉に続くように
「お前達は互いに同じ意志の下、戦っていると私には見えるのだが…」
と軽い笑い声と共にの思いもかけない言葉が吐き出された。
…こんな人と同じ?
毛嫌いしているこの人と、同じ意志を持っている…
私は信じたくありません、と直ぐさま反論する。
しかし、凌操は彼女の反論を聞き流すかのように…知らぬは本人ばかりだな、と小さく何度も頷きながら笑い続けた。
彼が何を言いたいのか、ますます見当がつかなくなる。
不本意ながら、もう一人の張本人に助けを請おうと視線を向けると―
―凌統が居た筈の場には、温かい風が吹き抜けるだけの空間が広がっていた。
「え…凌統? 何処行っちゃったの?」
「くく…奴め、逃げたな」
きょろきょろ視線を泳がせるを楽しそうに見つめながら、凌操が己の拳を口元に当てて喉を鳴らした。
そして、空いた方の手で再び彼女の頭をぽんぽんと叩き、言葉を続ける。
「…いい加減意地を張るな、。
奴はあれで、結構頑固なところがあってな…扱い辛いと言う周りの声に聞く耳を持たず、私と同じ武器を取った。
そして、私が気付くと…何時も傍で私の戦いぶりを見ていた。
今のお前を見ていると、その時の奴を思い出すのだ。
きっかけは違えども…お前達には同じ意志を感じる。
最後に一つだけ言っておく。
…
奴は、お前が思う程飄々としてはおらんぞ」
何時かお前にも解る時が来るだろう、と凌操は笑みを湛えたまま再び地平へと視線を走らせた。
身体が僅かに動き、腰に差した彼の両節棍が陽の光に晒される。
その鈍器特有の鈍い輝きを見つめながら、は己の頭に浮かんだおぼろげな確信を小さく零した。
凌統、貴方も………。
「結局、私達は同じ人に憧れてたって事なのよね」
「…そうだな」
何時ものように、二人は幾度となく打ち合った。
本気に近い、手合わせ―。
しかし、それは以前のように鬼気迫るものではなく…互いに高み―凌操―を目指そうとするものだった。
言うまでもなく体力の限界まで手合わせは続き、今二人は人気のない鍛錬場のど真ん中で背中合わせに座り込んでいる。
そして、どちらからともなく語り始める…今は亡き憧れの人との思い出。
同じ意志を持っていれば、何時か解り合える時が来る。
人は、その本質を隠そうとするものなのだ―。
「―そう思うと、凌操様は私にとっては大きい存在だったわ。 私にたくさんの事を教えてくれた」
「俺よりも存在が大きい、って事もか?」
「ふふ…それはどうかしら?」
父の大きさを認めながらも、己を主張する凌統に曖昧な返事をして微笑う。
実のところ、彼の言っている事は真逆だった。
凌操は、に凌統の本質を解ってもらいたかったのだ。
その思いの裏に何があったのかは、存在が失われた今となっては知る由もないが…一つだけ確かな事がある。
それは―
「―ねぇ、公績。 今から、あの場所に行かない?」
「あぁ? もうそろそろ昼餉の時間だぜ? 後にしないか?」
「だぁめ! 今がいいの…貴方と一緒にあの景色を見たい」
昼餉、食いっぱぐれちまうぜ、と小さな文句を言う凌統の腕を掴み、ぐいっと引っ張った。
そして、しょうがないねぇ、と言いながらも…最後は自分の我が儘に付き合ってくれる凌統に、はち切れんばかりの笑顔を見せる。
先程まで、あれだけヘトヘトになっていた身体が軽くなる。
あの時、心の中に棲む蟠りをすっかり払拭してくれた場所。
凌操の話をする度に、思い浮かぶ…今でもはっきり思い出すことの出来る光景。
それを、今は共に戦う人と眺める。
その事に、の心は高揚感と共に確かな想いを抱え込んでいた―。
志半ばでこの世…乱世を去った人の遺志を継ぐ。
一人では不可能だと思える事も、二人ならば容易い事かも知れない。
は、共に平原を見つめる横顔を見遣りながら…確たる誓いを、天上に居る筈の憧れの人に捧げた。
私は、この人と…眼前に広がる蒼を、護る。
―遙か彼方へと、続く蒼を―。
劇終。
↓ここからは反転でおまけをお送りいたします↓
「なぁ、」
「…何?」
「実は父上な…あれで俺にも勝る女たらしだったんだぜ」
「えっ………えぇぇぇぇぇぇ!?」
は愕然とする。
しかし、同時に…納得はしたくないが、確かなものを掴んだ、気がした。
………やっぱり、血は争えないって事か………。
ホントの劇終。。。
飛鳥作、夢第1弾です。
すみません、いきなり気合が入りまくっちゃいました(汗
更に、彼女の設定が完全に固まってしまいそうな… orz
当初、このお話に限らず…超短編仕様で行くつもりだったんですが…
あまりにも親父さんが格好良くなったんで…楽しくなっちゃいましたwww
(その親父さん、設定を大幅に捏造してます!)
此度の話、凌統夢というよりは親父さん夢といった感が否めないですが…
少しでも楽しんでいただけたら幸いです。(’08.04.08)
ブラウザを閉じてくださいませwww