まるで平和を絵に描いたような、あるひと時に。
さわさわと微かな風に靡いた木の葉が鳴っていて。
また燦々と降り注ぐ日の光に、目を細めて。
目を閉じて、すべてを肌で感じて。音のするものは、耳だけで何か判断して。
風の音、木の葉の歌、小鳥の囀り―――――
自分の世界の中に感じて、手にしていたものをそっと口へ当てた。
今日の行方は感じるまま
息を吹き込めば、音がして。
指で押さえる箇所を変えれば、また違う音色を出して。
繊細な糸を紡ぐかのような動作を、繰り返す。
目を閉じているから、感じるのは音だけ。
見えるものも素晴らしいけれど、見えないほうが素晴らしいものもある。
そう知っているのは、また自分が音を操る人間だからに他ならない。
いまこの場に歌ってくれる人は居ないけれど、その代わりはいくらでもあった。
普段とは違う声、歌、響き、すべてが彩ってくれる。
いま奏でている、物語を。
横笛を口に当て、一曲紡いでいた彼女は、それを止めると目を開けた。
その前には、つい先ほどまでと何ら変わらない景色。
でも少しだけ、何かが違う光景。
「見事な音色ですね」
きらきらと光る葉を宿した大木の幹に凭れるようにして立っている男の人。
穏やかな声音で話し掛けられ、は身を細めた。
「ありがとうございます。いつからそちらに?」
「庭に居ましたら、笛の音が聞こえたので」
あちらの、と示したのは回廊の向こう側にある庭だった。
己の出す音が聞こえたからと言って来た彼は、その腕に何かを抱いている。
「失礼ですが・・・貴方様は?」
「ああ、すみません。私は趙雲、字は子龍と言うものです」
その名を聞いて、は驚きに目を見張った。
確か、この国を支える五大将軍の一人ではなかっただろうか。
けれどいま目の前に居る彼からは、まったくそんな感じはしない。
とてもやわらかな笑みを浮かべていて、腕には赤子を抱いている。
「趙雲様、ですか―――私は宴の一興に呼ばれた楽師・といいます」
殿からお聞きして知っていますよ、と彼は言った。
「確かお二人だと聞いていたのですが・・・」
「ええ、舞手と共に。いま彼女―は所用で出ていまして」
今度開く宴を盛り上げるために城に入って欲しいと頼まれたのは、二日ほど前だった。
ちょうどこの城下へと入ったその日に。
との二人は、ずっと共に各地を回りながら歌と踊りを披露してきた。
その評判を聞きつけたこの国の君主が是非、と二人を呼んだのだ。
「そちらの赤子は趙雲様の?」
「いえ。こちらは我が殿・劉備殿の御子、阿斗様です」
趙雲の腕の中で、すうすうと気持ち良さそうに寝息を立てている赤子は、どこか嬉しそうだった。
安心して眠っているのも、抱いている腕を頼っているのも、すぐに分かるくらい。
「実は、阿斗様を寝かせるのに苦戦していたら、貴女の笛が聞こえてきまして」
苦笑しながら話す彼は、とても偉い将軍には見えない。
鎧などを一切付けていないからかもしれないけれど。
五虎将軍なんて言われてるくらいだから、もっと怖い人だと思っていた。
「そうしていると、寝息を立てておられて。子守唄に聞こえたのではないかと」
「あら、それは・・・お役に立てて良かったです」
二人目を合わせると、くすくす笑った。
それから宴が開かれるまでの数日、同じ場所で二人は顔を合わせていた。
大抵はが一人笛を奏でているところに、阿斗の世話をしている趙雲が現れる。
笛を口にしているとき、彼女は目を閉じていて。
一曲終わり、そっと目を開けると彼の姿がある。
そんな繰り返し。
珍しく相棒のも共に居たことがあって。
羅列する音に合わせて、が言葉を紡ぐ。
彼女は舞うことが常だが、時にの音色に歌う。
とても稀な場面にも、趙雲は居合わせていた。
何日かの間にすっかり馴染んでしまったと趙雲は、微笑みを湛えて会話している。
その二人と並ぶようにして座っているは眺めているだけ。
時々話を振られては、一言二言返して。
横から見ているは、何か二人に違う空気が流れている感じがしていた。
「」
ずっと黙っていたが、手招きでを呼ぶ。
軽く首を傾げながら、顔を寄せた。
「私、お邪魔みたいだから部屋に行ってるわ」
耳元で落とされた小さな声。
言われたことの真意が分からず、疑問符を飛ばしているに笑いかけると、は立ち上がった。
そんな彼女の行動を見ていた趙雲と目が合えば、会釈して廊下の奥へと消えていく。
「殿は何と?」
「いえ・・・用事が在るので戻る、と」
「それは残念ですね」
実際が言ったことと、違う言葉を趙雲に伝えた。
そのまま言えるはずもなく、また自分でも意味が分かっていないから。
その日暫く、は上の空での言葉を考えていた。
また時には―――
「こんにちは」
「こんにちは、趙雲様」
この日はがいつもの場所へ行くまでに、趙雲が既にそこに居た。
腕に彼の御子を抱いているのは同じで。
ただ、が腰掛ける、庭へ降りるための階の横、柱に寄り掛かるようにして彼は座っていた。
「阿斗様はお休みですか?」
そっと腕の中を覗き込めば、ぱっちりと目を開けた赤子がこちらを見ている。
くすっとが笑えば、同じようにその子も笑う。
「今日はまだ眠くないようで」
「そのようですね」
そう言う趙雲の顔は少し疲れていて。
それもその筈だと、は納得した。
見たことはないけれど、将軍職は大変だと聞いたことがある。
兵の訓練や、己の武を極め、政治の一端を握る執務をして―――
それだけでも仕事が多いのに、加えて趙雲は阿斗の世話もしている。
それが連日続けば、疲れないわけがない。
「一曲、お聞かせ願えますか?」
「はい」
その趙雲から頼まれて、は持っていた笛を口に当てる。
そうっと息を吹き込み、なめらかに指が笛の上を流れていく。
たったそれだけのことで、とても心地良い音が紡がれて。
不思議な気分で趙雲はを見ていた。
少し長めだった曲を終えると、は趙雲が居るほうへ向き直る。
すると目を閉じて眠っている彼が居て。
目を瞬くと、ふわり笑った。
(余程、お疲れのようですね)
いつも彼女の笛で眠るのは、阿斗だ。
趙雲はずっと起きていて、曲の感想や世間話をする。
しかし今日はその逆で、阿斗は眠る様子もなく、起きている。
趙雲を起こさないようには阿斗を抱き上げた。
慣れない人間の腕では泣くかと思ったがそれもなく。
赤子を抱いて座り直すと、は静かに歌い出した。
とても安らかな気分になる、子守唄を。
そんな二人、否、三人の様子を遠くから見ていた者がこう言っているのをは聞いていた。
曰く、「一枚の絵のような、平和な家族のようだった」と。
それから無事宴も終わった翌日、やはりは同じ場所に居た。
今日でこの場に居られるのも最後。
明日には城を後にして、また違う場所へと旅に出る。
「殿」
そうしてまた、趙雲もここに来た。
ただ今日はその腕に何も抱えてはいない。
「趙雲様」
二人は何をするでもなく、じっと座っていた。
沈黙も重たいものではなく、風の流れる音だけを聞いて。
初めて会った日のように、いい日和だ。
「また、旅に出られるのですか?」
「ええ。ずっと、そうしてきましたから」
沈黙を破ったのは趙雲で、その質問には頷いた。
ここへの滞在期間は終わって、また当てもない旅が始まる。
はもう部屋でその準備をしていた。
「いつか会えますか?」
聞かれて、戸惑った。
会えるかもしれないし、会えないかもしれない。
女二人の旅は、危険と隣り合わせなことが多くて。
それに彼もまた、戦があれば出向いて行くだろう。
「また私達がこの土地へ来て―――喩え違う土地でも、呼んで頂ければ」
彼女達の旅は気侭に行き先を決めている。
今回のように偉い人の華やかな宴の席に呼ばれることもあれば、無償で偏狭の地に居るときもある。
自分達を必要としてくれる人達に呼ばれて、移動するのだから。
その道中でたくさんのものと出会い、いろいろな縁が繋がれて。
「では・・・・・・また何れ、貴女の笛を聴かせてください」
「ええ―――――風の便り、お待ちしています」
何も言わない、何も聞かない。
それでも二人は何かを聞いたように、手を重ねた。
微かに揺れる木の葉も、その枝で囀る小鳥の声も。
庭の池で水が跳ね、誰かが石の上を歩く音も。
それらを運んでくる、風に身を委ねて。
この胸にある、でも言わない心を、全部風に乗せて。
重なる手から伝えて。
その日その日で少しずつ違う風の如く。
―――今日の行方は感じるまま、に―――
葵作、第3弾です
企画始めた当初2つ載せて、それから音沙汰なくてスミマセンでしたw
初め2つは戦国だったので、今回は三国です
ブログでも書いてたように途中で煮詰まりまして
おかしな方向に行きかけてたのを慌てて軌道修正しました
ので、途中、ん?ってなってしまう箇所があると思いますが
スルーでお願いします orz
またも夢か?って感じの作品になりましたが
お題的にあっさり収まってしまうのもどうかと思ったので
このような終わり方ですが
読んで頂いて、ありがとうございました!
08.06.24
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