私の生活は仕事中心に回っていた。
何時、何処に居ても…寝ている時でさえも私の傍らには相棒であるカメラがあった。
日々、並み居る男達に雑じってスクープを追い求める毎日。
そう、あの時も―。
―これは、スクープだ!
私は、担いでいたバッグから愛用のカメラを取り出すと、その場所に急いだ。
遠くから聞こえた爆音………あれは、間違いなく交通事故。
大方、エンジンに引火したのだろう…二次災害になっていなければいいけど、と自分のこれからする事と些か矛盾している事に自嘲的な笑いを零しながら走った。
そして、現場に立ち…人々の阿鼻叫喚の中、シャッターを押した直後―
私の視界が大きく歪み、暗く反転した―。
あなたのいる景色
あれからどれだけの月日が流れたんだろう―。
物凄い長い間、ここに居るような気がする。
は中庭に面する縁側に座り、透き通るような青い空にぽっかりと浮かんだ白い雲を見つめながら一人、思っていた。
膝の上に乗せられているのは、向こうの世界に居た名残………絵心もある彼女が気分転換にと常に持ち歩いていた画用紙と、様々な色が並ぶ色鉛筆。
彼女は今日も、絵を描こうと中庭に訪れていた。
短いようで、長く感じる…時の流れ。
その中で…私は、今貴方に何が出来るかを考える―
彼女の視界が再び開けた時に飛び込んで来たのは…奇しくも屍が空気をも支配する惨劇の跡。
ここが今迄自分が居た世界と全く違うと気付くのに、最早時間は必要なかった。
多少の違和感は感じたが…次の瞬間、仕事の虫だったの血が騒ぐ。
これこそ最大のスクープじゃないの…これで日頃私を鼻で笑う男達にギャフンと言わせてやれるわ、と。
次々に押されるシャッター。
は今持っているありったけのフィルムをその惨状や、対照的な程綺麗な遠くの景色を捉えるのに費やした。
そして、いよいよそれが尽きたと思った瞬間―。
一人の戦人に、出会った。
武人らしい装束に身を固めたその人は、馬上から積み重なるように斃れている屍達を見下ろしていた。
まるで、これまで自分が犯してきた罪を詫びるかのように…。
ファインダー越しに見える斜陽に照らされた馬上の人は、彼女が今迄撮ってきたどのような写真よりも美しく映えていて、シャッターを押す事も忘れる程、彼の姿に釘付けになっていた。
その瞳を見ていると…この人の手が戦場で数多の血を流させているとは到底考えられない。
…なんて、憂いを帯びた瞳をしているんだろう―。
刹那、は自分のしていた行為を省みた。
…これは、こんな一端のカメラマンが立ち入るような領域じゃない。
それだけじゃない…惨状に身を置く人にしてみれば、悲しくも受け入れなければならない事実なんだ。
私は、そんな人達に…なんて酷い事をしていたんだ…。
こみ上げる気持ちに、思わず溢れ零れる涙。
その喉から漏れる小さな嗚咽が聞こえたのか、はたまた気配を察したのか…暫くして男が馬から降り、の隣に立った。
「そなたは…この者達を思い、涙しているのか」
そなたは優しいな、と表情に僅かな微笑みを浮かべて語りかける男に、は首を横にぶんぶんと振る事で答える。
「私はっ…この人達を、あの人達の命を…軽んじてた。 私は、酷い人間、だわ…」
「…しかし、そなたは今それを認め、涙している」
それだけでも充分にこの者達は救われる、と彼は云って視線を屍の群れに戻した。
憂いの中にも、僅かに光る優しさ。
その視線を潤んだ目で追いながら、優しいのは貴方の心だとは云う。
彼は、この世の中や戦場を立ち回る己の身を憂いながらも、何かを思い、武器を手に戦っているのだろう。
余程の覚悟、確たる信念がなければ…そう、が居た現代日本の人々には到底為し得ない事だ。
今迄出会った事のない事実と、目の前に居る強い意志を持つ男に…の心は複雑にざわつき始めていた。
突如訪れた珍事は…が拍子抜けする程あっさりと簡単に受け入れられ、順応した。
この乱世で生き抜くには、何事にも動じない強い心も必要なのだろう。
そういった意味では、彼女はある意味適任だった。
あの場所で出会った馬上の君…張遼に殆ど拾われるといった形で、彼女の新しい生活が始まる。
全く知らない世界での生活は、正直なところ不安だらけだが…それをくよくよ考える弱気な心は、には生憎存在しなかった。
これまで自身と共に生きてきたカメラを潔くバッグの中に封印し、がらりと変わった環境を楽しむかのように過ごす毎日。
ホームシックにならないと言えば嘘になるが…彼女の心には別の気持ちが大きく膨れ上がり、それが望郷心に勝るものになっていた。
緩やかに流れる時を感じる、余裕。
物語でしか見聞きしていなかったものに触れる、新鮮さ。
そして―
気がつくと何時も自分の傍に居てくれる人への、想い。
私が、想いをこめて見つめたら………彼も同じように見つめ返してくれた―
恋の駆け引きなど経験する間もなく、何時しか二人の距離は心を繋ぐまで縮まっていた。
この場が何時戦火に包まれるか解らない緊迫した中で生まれた感情は、もしかしたらただの生殖本能なのかも知れない。
しかし彼等にはそのような理屈など大した問題ではなかった。
伝わる気持ちに、言葉が必要ないように―。
らしくもない…私が感傷に浸るなんて。
そうだ………今日は、中庭の緑と空の青を描こう。
は徐に色鉛筆を手に取ると、真っ白な画用紙に様々な色を乗せていく。
絵を描いている間は、集中しているのか他の感情は見え隠れしない。
自分の心も、無になれる時間―。
だが、中庭に居る今のには…その時間は長くは続かない。
「」
画用紙を彩っていくの手が、背中に届く声でぴたりと止まった。
直ぐに声のした方へ笑みを含んだ顔を向けると、傍らに立つ声の主も同じように微笑んでいる。
「今日は、どのような絵を描いているのだ? 」
「ここ、よ」
今日は中庭も陽に照らされて綺麗だわ、とは完成間近の絵を中庭と重ねるようにして翳した。
すると…ただの緑と青だけではない、そのものの影や色の濃淡まで再現された絵を眺め、男が感嘆の息を洩らす。
「うむ…見事だ」
「ありがとう。 貴方が言ってくれると喜びも一入だわ、文遠」
短くとも心がふんだんに織り込まれている賞賛の声を笑顔で受け入れながら、は隣に座る張遼の姿を再び視界に捉えた。
ここが戦場でなくても、充分な存在感を周りに与えている張遼。
その存在感が、彼の武人たる所以なのだろう。
何時か、彼の姿をこの画用紙に描き留めたい、と彼女は思う。
自分の傍らに居る姿だけではなく…戦場に立つ、あの時のような雄々しい彼の姿を、描いてみたい。
しかし―。
周りの者達からきな臭い話を聞く度に、この世界が乱世なのだと思い知らされた。
には想像もつかなかったが、あの時に見た惨劇の跡を思い出すと背筋が凍る。
自分が今、愛する人も…戦地に立てば、何時あの中に加わるか…。
しかし、そんなの心を余所にこの居城にはその惨状の欠片すら感じる事がない。
変わる事なく…彼は日々の大半を私と共に過ごしてくれる。
でも何故、彼は戦に参じないのか―。
は彼が傍に居てくれる事に喜びを感じながらも、一つの疑問に心を悩ませていた。
彼が武人であるのならば、戦場に立たないのはその誇りを汚している事に他ならない。
戦地に赴かない今の彼は…心に何を思い、描いているのだろう。
そんな矢先、疑問を抱き続けるの目の前に…思いもかけない現実が、叩きつけられた。
彼は………再び戦場に立てない程の病に侵されている―。
直接、彼の口から聞かされたわけではない。
ふと訪れた調理場の扉を挟んだ向こう―女官達の詰め所―からの耳に飛び込む彼の話。
…の病は、軍医さんもお手上げらしいわよ。
じゃさ、あの方はもう戦には出陣しないの?
周りの人達はそう言って必死に止めてるんだけどね…
間もなく始まる戦には張遼様自身が病を圧して出る、と言ってるらしいわ…。
まさに青天の霹靂だった。
殆ど毎日笑い合い…共に不透明な未来を語っていた彼からは病の影など微塵も感じられなかった。
加えて、この地にいよいよ迫って来た戦の存在も―。
これは全て張遼の配慮だろう。
平和だった異世界から来ただろう彼女に…この厳しい現実を受け入れさせるのは酷だと感じて、彼は明かすのを止めたに違いない。
しかし、間もなく彼は改めて思い知らされる事となる。
が、全ての真実を見なければ気がすまない気性を一面に持ち合わせているという事を―。
「―戦に、出るのね」
「あぁ。 此度の戦は、どうしても私が出なければならないのだ」
「なら、聞かせて? 何故そこまでして出陣しなきゃならないのかを」
暫くの沈黙の後、は何気ない様相を気取りながら張遼に問いに近い言葉を投げかけた。
本当は…病を圧してまで戦場に出て欲しくない。
今迄と同じように、ずっと私の傍で笑っていて欲しい。
だけど、彼が武人であるならば…それは至極当然の事。
私が入り込む余地は、ない………。
それでも、は知りたかった。
彼の全てを…彼の中の何が戦へと駆り立てているのかを。
すると、目の前の武人はの心を察してか…神妙な面持ちでゆっくりと言葉を紡いでいく。
「此度、相対する軍は…孫呉。 先の戦で私の率いる軍が本陣近くまで攻め入る事を叶えた、軍だ。
あれ以来…かの君主、孫権はどうやら私の事を恐れているらしい。
私の出る戦では迂闊に手を出さなくなった。 私が病だとしても、だ。
故…此度の戦では、私が必要なのだ。
我が軍も、かの軍も…被害を少なくするためには」
も、同じ表情で彼の話を真摯に聞いていた。
貴方の決意はそう簡単に揺らがない…私が止めても無駄なんだ、と思いながら。
そう思いながらも、彼女の心には大きな不安が渦巻く。
これが元で、彼の病が悪化したら…。
いや、それどころか…二度と帰って来ないかも知れない。
しかし、彼女はそれを振り切るかのようにかぶりを振った。
何て不吉な事を。
私がこんな気持ちでは、却って彼の心労を増やしてしまう。
そう思った彼女は、足元に置いてあった大きなバッグからカメラを取り出した。
「解った、私は止めない。 だけど…一つだけ、私のお願いを聞いてくれる? 文遠」
中庭に降り立ち、張遼と距離を置きながら―。
昨晩の事…何気なくバッグの中に封印していたカメラと久し振りに対面した時、は重大な事実に出くわす。
あの時、夢中になっていた彼女は…持っていたフィルムをすっかり使い切ったと思っていた。
しかし、の視界に突如飛び込んだのだ。
『1』 という、残り枚数を表示する数字が―。
「何だ? それは」
「…内緒! ちょっとだけ動かないでいてくれればいいから」
「それが、そなたの願いか? 」
可笑しいものを見るように笑う張遼。
その少々滑稽にも見える素振りをファインダー越しに捉えながら―
「いくよ! 文遠、笑って」
は、残り一枚のシャッターを、押した。
貴方に、「さよなら」も言えなかった。
貴方に、もっとたくさん「愛してる」って言いたかった。
だけど―。
私は、戻って来てしまった。
再び視界が開けた時に飛び込んで来たのは…あの屍の山ではなく、黒い煙を天高く立ち上らせる事故車と、まるで他人事のように騒ぎ立てる野次馬の群れ。
ここは、私が元居た場所だ…と判断するのに、最早時間は必要なかった。
はっと息を呑み、慌てて自分の身の回りを探る。
…ない。
私がたくさんの絵を描いていた、スケッチブックも。
削りすぎて、もう殆ど残っていなかった色鉛筆も。
そして…優しかったあの人の、愛しい笑顔も―。
刹那、言いようのない大きな空虚感が私の心を苛んだ。
あの、世界には
………もう、戻れない………。
私は、一目を憚らずに…声なき声を上げて、泣いた。
あれから、私は仕事としてカメラを使う事がなくなった。
今迄一緒に生き抜いて来た事に感謝しながら、長年の相棒を愛する人と居た世界を収めたフィルムと共に買ってきた金庫に封印した。
あれは、スクープじゃない。
私の身に起こった出来事は、私とあの人が一緒にいた…紛れもない、証。
それを、何人たりとも汚す事は…許さない。
こうして今日も私は真っ白なキャンバスに様々な色を添えていく。
今、目の前に広がる世界は―
あの人と共に居た世界に、到底及ばないけれど…違う瞳で見れば輝くものがきっと見付かる筈だから。
だけど。
私はこの先も…何があったとしても、決して忘れる事はないだろう。
「。 私は、そなたを―」
心の中に…今でも確かに在る―
あなたのいる、景色を―
劇終。
飛鳥作、夢小説第2弾です。。。
ここまで切なくするつもりはなかったんですが…
スミマセン、やっちまいました(汗
連載以外では初となるトリップ夢。
些か中途半端かな、と思わざるを得ないですが………
少しでも楽しんでいただけたら幸いです。(’08.04.17)
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