曹操軍の馬房で、一際目を引く深紅の馬。
赤兎馬は、ずっと想っていた。
亡き主の事を――
龍哭 人の章
――何故わらわも共に連れて行ってくれなんだ!
わらわを御することが出来るのは、奉先様、お主のみじゃぞ!
わらわでは…わらわでは黄泉の旅路へ馳せて逝くには不服と申すのか!!
自分の馬は赤兎のみ、と申したのは嘘であったのか!!
怒りで馬房の壁を蹴り続けたこともあった。
悲しみで柵に身体をぶつけたこともあった。
曹操と呼ばれた男がわらわに跨ろうとしたこともあった……が、投げ飛ばした。
自暴自棄……心が制御できず、張り裂けそうな時……そして涙が出尽くし、呆けたようになっていた時……。
――そんな折、あの男が現れた……。
「この馬、愁いの眼をしておるな…。」
わらわは珍客の到来に、それにさえも興味なさげに一瞥するのみであった。
「呂布が死んでからずっとこのような状態よ。…だがそれでも馬の中の赤兎には違いない。どうじゃ関羽、わしの配下にならぬか?」
曹操の声にはすでに耳を傾けてなく、関羽と呼ばれた男はわらわの首筋を叩きながら言った。
「この馬…この赤兎ならば兄者の居場所が解っても、すぐさま馳せ参じられる!」
曹操がいくら語りかけても、関羽は上の空。
やむなく曹操は馬房を出て行った…。
「……が、さりとて先ずはこの赤兎の愁いを解いてやらねばな。」
(……何じゃ、この男は……?)
「これ、赤兎。何故そこまで自らを痛めつけておる。」
元より赤い体に出来た擦り傷を、薬を付けた手で撫で始めた。
「呂布はそうしろとでも言ったのか?」
(う、五月蝿い! お主に、お主に奉先様の何が解る!!)
「主に先立たれて辛いであろう……。そして何故共に死ねなんだ…とも思っているのではないか?」
(……な…何故わらわの心を……。)
「呂布は赤兎のことを愛しておるからこそ、共に死なず、生きて欲しかったのであろうよ。」
主が死んでから、外界に開いたことのなかった心の扉が、開いていくのを感じた……。
「……だから赤兎、悲しいのは解る……だが自傷するのは止めよ。今の赤兎を見たら、呂布も嘆くぞ……。」
気がつけば、関羽の胸の中に顔を埋めていた。
泣いていた。
何時の間にか、人の姿で泣いていた。
少女と女性の間ほどの姿となりて、泣いていた。
大声を張り上げて、泣いていた。
夜の帳と静寂が辺りを支配していた……。
「……わらわの、人としての記憶を呼び覚ますでない!」
「…いや、その様なことを言われても困るが…。さりとてよもや赤兎が……ええと何だその……その様な人の姿になるとは思いもよらなんだぞ。」
「ははは、わらわが美人で驚いたか。」
カラカラと笑い飛ばす赤兎。
先ほどの涙で眼も鼻も真っ赤で、馬の時を連想させるのはご愛嬌というものだろう。
後ろで白い布で一つに束ねた長い艶やかな黒髪を振り、勝ち気な眉と愁いを讃えた双眸を真っ直ぐ拙者に向けて言った。
「わらわはの、元は人じゃ。水害を治める為の人柱じゃったがの。」
「なっ…!!」
「それで気がつけば……龍になり、馬になっておった。」
月が照らし出す丘陵地帯。
我等は馬房の外に出て、辺りの草叢に座り話していた。
そして眼前の赤兎は、にわかには信じられぬことを……そしてその双肩にはあまりにも荷重であろう事実をさらりと口にしていた。
「…信じられぬ…が、信じるしかあるまいな。」
「ははは、わらわも今だ信じ得ぬわ。」
「……辛く……ないのか?」
しまった…と拙者は思った。
辛さを思い出させる……口に出してはいけない言葉であった。
赤兎は、一瞬ふと寂しそうな表情を見せたが、それを伏せ眼がちな微笑みで掻き消し……
「辛さは……お主の胸の中で消えた……」
頬を赤く染め、呟いた……。
自分の心臓がどきりと鳴る。
不覚……そう思えども、動悸は覚めやらぬ。
「……馬であったわらわを、人同様に扱いおって……。……もう一度その美髭覆う胸に顔を埋めねば気が治まらぬわ……。」
赤兎が体を預け、拙者の胸にコツンと頭を軽くぶつける。
……拙者は何時の間にか赤兎の頭を抱きしめていた……。
……何時の間にか関羽が頭を抱きしめていた……。
「関羽……?」
「おっ、す、すまぬ……その、何だ……。」
関羽が抱きしめていた腕を頭から離そうとする。
その腕をとっさに抱きしめ、
「離すでない! …切ないのじゃ…。…このまま…このままで……。」
わらわは、そのたくましくも暖かい腕の中から顔を上ることは出来なんだ。
……恥ずかしかったのじゃ!
だが、気持ちとは裏腹に口は勝手に言葉を紡いでいた。
「わらわに…人の温もりを思い出させてたも……。お主の温もりを感じさせてたも……。」
……唇に触れる、唇の感触。
強張っていた心が、柔らかく溶け出していく……。
氷が溶ければ水となる様に、自然と涙が頬を伝った……。
劇終。
管理人によるアトガキ
待ちに待った情報屋ぷれぜんつ☆です!
めっ……………っちゃ感動です!!!(←タメすぎです
こちら、前作の『地の章』に続くお話となっております。
相変わらずの素敵な作風に…管理人自身アップする喜びに満ち溢れておりますw
今回は関羽と赤兎による人と人の繋がりを書いたもの…なので『人の章』。
人柱となった姫が龍や馬となり…そして人に返る。
この素敵な設定に終始ドキドキしながら読ませていただきました!
偉大なる情報屋殿に、この場をお借りして大いなる感謝の意を表します!
本当に…本当にありがとうっ!
ここまで読んでくださってありがとうございました。
2008.11.07 飛鳥@管理人 拝
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