仮面の下の笑顔〜序〜
私、前を見て歩き出します。
それは…貴方から言われたからでなく。
自分の意志で。
だって…。
その勇気を、貴方が………くれたから――
序 章 〜 穢れと誇り 〜
「くれぐれも…気をつけてくださいね」
今日最後の患者を送り出す。
早足でそそくさと帰っていく後姿を見送りながらは自身の腰に手を当て、身体を捻った。
あの人も…最後は何も言わないのね。
しょうがないか、と独り言を零す。
父も言っていた。
「医師は死や病を穢れに携わっている故、誰も係わり合いを持ちたくないのであろう」と。
それなのに、病や怪我…生命の危機に瀕した時だけは自分達を頼ってくる。
理不尽だ、と以前から彼女は思っていた。
自分達はこの仕事を『穢れ』だとは決して思ってなどいない。
寧ろ誰かの命を救う事が出来る…その事に誇りすら感じているのに………。
俯き、かぶりを振る。
――そうよ。
他人の言葉に『誇り』を汚されてたまるもんですかっ!
はきっと睨むように茜色に染まった空を見上げ、一つ頷いた。
ここは集落の外れにある古ぼけた住居。
の父――深怜がこの集落に赴いた時、長から与えられた極々小さな建物。
「ここで『医師』の仕事がしたい」と口にした途端、長の態度が一変した。
当初は街中に居を構えるつもりだった深怜は長の変化に「やはりな…」と思ったようだ。
「すまんな…本当はお前にこんな気持ちを味合わせたくはなかったんだが、な…」
事ある毎に何度も父から聞かされた言葉。
は聞く度に何度も病に侵される目の前の人を見殺しにしたい気持ちに駆られた。
しかし――
数年前、母が病でこの世を去った時
「自分のような思いを抱く人が少しでも居なくなるように」
と思い、亡き母に『医師』としての人生を全うする事を誓ったのであった。
この小さな住居兼施設。
病や怪我で倒れる人々を全て収容し、治療行為を施すにはとても充分とは言えなかったが、それでも父娘は挫ける事なく…長い間このような生活を送っていた。
「父上、今夜は軍の人が来るんでしょ?」
「あぁ…。 何事か知らんが、私達に話があるということは…ただ事ではないだろう」
「そうね…」
が後ろで束ねていた長い髪を解きながらふぅ、と一つ溜息を吐く。
先日この施設を訪れた患者の一人から「軍に決まった医師が居ない」という話を聞いていた。
今宵、その軍から使者が来る事になっている。
大方、お偉い武将さんあたりが病か何かで倒れたのだろう…と彼女は思った。
「厄介な事にならなきゃいいけど…」
「。 …私達はそのような事が言える立場ではない」
困惑の様相を呈したを深怜が諭す。
ここで話を断ったりなどしようものなら…この集落はおろか、領地にさえ居る事が出来なくなるだろう。
解っているからこそ、夜に訪れる軍の使者を受け入れる事を拒めなかったのだ。
医師は生かす命を選んではいけない、ということか…。
「因果な商売ね…」
「敢えて選んだ道だ。 仕方あるまい…」
父娘はお互いの顔を見合わせ、力なく項垂れる。
――それでも、『その時』は刻一刻と近付いていた。
次第に力を失っていく落陽を窓越しに見つめる。
足元を吹き抜ける冷たい風に身をぶるっと震わせる。
「今夜は…底冷えがしそうね」
は「外、綺麗にしてくるね」と父の背中に声を掛けると…上着の襟元を寄せながら扉を開け、外へと身を躍らせた。
これから自身の身に降りかかる事を知る由もなく――
2007.1.26 更新