仮面の下の笑顔〜1〜

     第1章   〜 受難 〜











 宵闇に支配されつつある戸外は、風が道上の砂を埃のように舞い上げる。
 は足元から忍び寄る冷たさに大きく身震いをした。
 「…寒い」
 誰に聞かれるでなく一人零すと、胸の前で組んでいた腕を解いて傍らに置いてあった箒を手に取った。
 昼間、嵐のような大風が吹きすさび、建物の片隅にちょっとした砂山を作り上げていた。
 その砂山を見つめて「箒じゃ無理かしら」と小首を傾げて苦笑を洩らす。
 街中だったら…ここまで酷くならないのに、と。
 集落の外れでは、風除けも何も無い。
 かと言ってこの砂山を綺麗にするのに手を貸す人など居る筈もない。
 顔いっぱいに苦笑を湛えたままはふぅ、と一つ溜息を吐いた。
 「さぁ、て…頑張って綺麗にするかな」
 自身を奮い立たせ、箒を地に叩きつけるように道を掃き出す。

 ざっ…ざっ…

 掃けども掃けども…砂山が崩れるだけで一向に綺麗にならない。
 は憮然とした表情でむぅ、と一瞬唸るが…手にした箒は止めようとしない。
 砂山を睨みつけながらも懸命に掃き続けた。





 の額に玉のような汗が浮かび始めてから数刻――
 こうなったら…とことんやってやるわ!と頑張った甲斐あって、道はようやく綺麗になり、元の様子を取り戻した。
 額の汗を服の袖で拭い、ふと天を仰ぐと空は既に群青色に覆われていた。
 意外と時間がかかったわね、と少々強張った肩を解すように叩き
 「さぁ、夕食の支度をしないとね…」
 と扉に向かって踵を返した刹那。
 は幾つかの只ならぬ気配に気付き、直ぐにはっと振り返るが時既に遅し。
 一瞬にしてその身が拘束され、鳩尾に拳の一撃を喰らった。
 「あっ………」
 くらり、と目の前の景色が歪んだ。
 掃いて綺麗になったばかりの道が目の前に迫ってくるが…倒れる、と思った瞬間…ふわりと身体が浮いた。
 大男に担ぎ上げられる
 慣れない感覚に意識を持って行かれそうになるが、必死にかぶりを振って自身へと戻す。

 ここで気を失ってはいけない。
 あの時のような事は…もうたくさんだ。

 「………何すんのよっ!」と言葉を紡ごうとするがその思いも虚しく、口が瞬く間に男の手で塞がれた。

 「むっ!」

 男の手の生暖かい感触がの体中に鳥肌を浮き立たせる。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ………っ!!!

 男の肩の上で手足をばたつかせる。
 しかし…そんなの動きを余所に、男共はどんどんと歩を進めていった。
 ぽつり、ぽつりと見えている村外れの灯りが次第に減り、辺りに暗闇を齎す。
 はこれから自分の身に降りかかるだろう災難を予感しながらも、ひたすらもがき続けた。

 それが無駄な抵抗、だと解っていても――。










 鬱蒼と生い茂った叢にの身体が「痛っ!」という声と共に投げ出される。
 あの頃の自分は…この瞬間でも、何が起こっているのかが理解出来なかった。

 覆い被さる男の厚い胸板。
 腕を押さえ付ける物凄い力。
 耳朶やら首筋やら…あらゆる敏感な部分にかかる熱い息。
 そして…自分の中に割って入ってくる異物。

 それらの全てが…に貫き引き裂くかのような苦痛を感じさせた。
 こんな形で自分の操を汚されるとは…。
 少女の頃の経験としては余りにも惨い出来事。

 それが今…再び現実のものになろうとしている…。







 氷のような冷たい草の上に放り出された身体が一瞬の間に複数の男共の手で叢に押し付けられる。
 は地の温度に合わせるかの如く自分の心が冷えていくのを感じた。
 ふと視線を足元に移すと…腰の辺りに跨り、自分の身体を舐めるように見続ける男の卑しい顔が見える。
 「気色悪い…」
 が吐き捨てるように呟いた刹那、男の手掌が頬に飛んで来た。
 「るせぇ! …そんなに痛めつけられてぇのかっ!」
 男の怒声に臆する事なく、は続ける。
 「…本当の事を言ったまでよ。 アンタのモノが私の中に入って来る、って思っただけで反吐が出るわ」
 「何だと! その減らず口、二度と叩けねぇようにしてやるぞ!」
 頬に再び痺れるような痛みが走った後、男の右手に小型の剣が握られた。
 湾曲の先が月光を受け、僅かに光る。
 その光を冷ややかに見つめ、はくくっと喉を鳴らし、笑った。

 「…医者の私が刃物なんかでびびると思ってんの? …本当にアンタ達は本能で動いてるだけの『大馬鹿野郎』ね」

 すると…その自嘲を多く含んだ笑いに、男共が煽られる。
 押さえ付けられる腕に力が加わり、腰の上の男が刃物を振り上げた。
 「お前のような女はな、男を慰めるためだけにありゃいいんだよ!」
 「まぁ…尤も、医者の女に言い寄る男なんて居ねぇだろうけどな!」
 「ははっ! 違ぇねぇ!」
 迫り来る嘲笑の渦に…ついにから笑いが消え、抵抗する力が緩む。

 …そう、やっぱり…。

 は心の中で呟いた。
 唯一愛した男も…最後は離れて行った。
 婚姻の約束も、誓い合った永遠の愛も…結局、世間体には敵わなかったのだ。
 ははぁ、と一つ大きく溜息を吐くと…男を見据えていた視線を余所へと逸らし、顔を背けた。
 「やりたきゃ…さっさとやれば? 尤も…こんな私を満足させる事は出来ないでしょうけどね」
 の口から再び漏れる笑いに余程腹を立てたのか、男共の力が緩む事はなかった。
 日頃自慢にしている黒い髪を鷲掴みされ、顔が強制的に男の方に向けられる。
 「生意気な口、叩くんじゃねぇよ。 …あんまりお転婆がすぎると、本気で刺すぞ。俺達は穴さえ使えればそれでいいんだからな」
 淡々としたその言い草に、男達の婦女暴行への慣れと狂気が垣間見えた。
 刹那――
 の服が大きな音を立てて襟元から下へと切り裂かれる。
 男共の視線と、宵闇の寒さに晒される白い肌。
 そして…服を裂いた短刀がの耳を掠め、地に突き刺さった。
 と、同時にの髪が一房、小さな音を立てて切れた。

 「!!!!!」

 ははっと息を呑んだ。
 今の音…。
 私の、大切な、髪…。
 母が息絶える時「とても綺麗ね…お母さん、好きよ」と言って撫でてくれた。
 あれから、一度も切っていないのに…。
 一房の髪と共に、の心が…ぷつり、と切れた。
 今迄気丈に男を睨んでいた瞳から一筋の涙がこめかみを伝う。

 こいつ等は…。
 どれだけ私を傷付ければ、気が済むの………?

 力を失った瞳から零れ続ける涙。
 は全てに疲れ果てたかのように、その瞳を静かに閉じた。







 刹那、の耳に鈍い音が飛び込んで来た。

 ごっっっっっ!!!!!

 何? 今の…。
 は一度閉じた瞳を見開いた。
 すると、跨っていた男の身体が大きく揺らぎ、地に倒れた。
 …倒れた男の傍らにごろん、と転がる棒のような物体。
 それを見るや、突如辺りが騒がしくなる。
 男の仲間達が一斉にの拘束を解き放ち、棒が投げられた方向に注目する。
 「何が起こったんだ?」と言わんばかりに。
 は自分の身が解放された事にほっと胸を撫で下ろしていたが、突然の事に唖然としているところは男共と変わらなかった。
 肘を突き、身体を軽く起こすと男共が見据えている先に視線を走らせた。







 …の視線の先には、淡い月影で隠された男の姿があった。











                    







 2007.2.2 更新