仮面の下の笑顔〜2〜
第2章 〜 救いの手と戸惑いの手 〜
…月光を背にした男が冷たい風を外套で避けながら、黙ったままゆっくりと近付いてくる。
目を凝らしてもその顔はおろか、姿までもはっきりとは映らない。
それを見るの心は何時しか元の落ち着きを取り戻していた。
誰かしら…?
こんな立場の私を助けたところで、何の特にもならないのに…。
再び自嘲気味に笑いを零し…視線を男の影から逸らすと、その逸らした視界に入ってくる複数の男の姿。
その男達は…倒れた大男の子分なのだろう。
一人は大男の身体を揺さぶりながら
「おかしら!大丈夫すか! しっかりしてくだせぇ!」
と大声を響かせ、他の男達は
「くっそぉ〜…おかしらをこんな目に遭わせやがって! タダじゃおかねぇ!」
「とっとと来やがれぃ!」
とその場に立ち上がり、得物を片手に息巻いている。
それを一瞥し、は「やれやれ…」とかぶりを振る。
タダじゃおかないんなら…さっさと私から離れてあっちに行ってよ、と。
の身体は大男の束縛から解放されたものの、強い力で押さえ付けられていたためか下半身にかなりの痺れを感じる。
…少しの間は動けない、か。
は仕方なく上半身の力のみで起き上がると切り裂かれた着物の前を合わせて晒されていた肌を隠した。
そして、再び助けてくれた恩人の姿を見ようと顔を上げた。
すると――
その男は既に近くまで来て、を襲った男達の顔を見渡していた。
…早い。
彼は確かにゆっくりと歩を進めていた筈だ。
少なくともにはそう見えていた。
これも、彼の雰囲気が成せる業なのか…。
は訝しげに恩人を見つめる。
しかし、その姿は…身体全体を外套で覆い、頭は兜を目深に被っている。
そして、顔も覆面で隠されていて、表情すら捉える事が出来ない。
見ただけでは誰なのかが全く解らなかった。
…誰?
誰なの…? 貴方は…?
は疑問を声に出そうとした。
刹那――
その恩人の重い口が、ゆったりとした雰囲気と共に開いた。
「おやおや…。
娘さん一人に大勢が寄ってたかって…情けないねぇ。
お前さん達は何時もこんな事してるのかい?」
はその声に聞き覚えがあった。
以前、急病に倒れた護衛兵を自ら抱えて施設を訪れたのを見ていたからだ。
治療を受ける兵に心配そうに付き添っていた姿が強く印象に残っている。
その時は彼が何者かが解らなかったが、後に父から教えられた。
この人…いえ、このお方は…っ!
その人物が今またこの集落にいる、その事実に驚いた。
まさか…! こんなところに…?
身を乗り出し、目が疲れる程凝らして…改めて恩人の姿を見つめる。
なんとなくだが先程よりはっきり映るその出で立ちに、の予感が確信に変わった。
心を僅かに騒がせながらもようやく言葉を吐き出すが――その声は余りにも低く、誰にも届く事はなかった。
「………貴方は…。 『鳳雛』と謳われるお方…」
覆面に包まれた口から放たれた言葉に憤慨する男達。
「何だと! この期に及んで言いたい放題言いやがって!」
「なぁ…てめぇはどうされたい? 斬られたいか? それとも殴られたいか?」
「お、俺に斬らせろ! 殴らせろ!」
「いや、お前は黙ってろ! …いいから、やっちまおうぜ!」
口々に騒ぎながら一瞬にして周りを取り囲む。
彼はその様子を変わらない雰囲気で見据えていたが、ようやく外套から両腕を出す…片手に彼の得物『豪風神杖』を携えて。
そして、男達に冷たい視線を投げつけながら言い放つ。
「やれやれ…。 荒っぽい事は苦手なんだけどねぇ…。
まぁ、放っておくわけにもいかないからね。
お前さん達がやる気なら仕方ない。
ちょ〜っと痛いかも知れないけど…」
「我慢できるかねぇ?」と得物をしっかり構えるの恩人。
刹那、一斉に斬りかかって行く男共。
それを見るや、は恩人の身を案じた。
身を案じる余り、放つ言葉に力が加わる。
………それは、が今迄発した事のない激情を含んだものだった。
「いけない…っ! ホウ統様っっっ!」
刹那――
その場に一陣の旋風が起こった…いや、吹き荒れたという方が確かか。
目を覆いたくなる程に砂嵐が巻き上がり、一瞬の後に治まる。
すると、先程まで荒く息巻いていた男共が瞬く間に四散し、バタバタと倒れていった。
えっ…?
…物凄く、強い…。
見た目の雰囲気とはかけ離れた武勇に、は呆気に取られた。
この方…ホウ統様、だよね…?
父から話を聞いたとき、彼は策士だと言っていた。
知勇と武勇は相反するもの…そう思っていたは今ある現状をなかなか受け入れられない。
訝しげに小首を頻りに傾げるの姿を見て、『彼』はくすっと笑い声のような息を洩らした。
「…そんなに信じられないかい? まぁ、無理もないけどねぇ…」
「立てるかい?」と手を差し伸べてくるホウ統をは訝しげな表情のまま見上げる。
「あのぉ…。 助けていただいて、ありがとうございます」
差し出された手を取るか取らないかまごついてるうちに、呆けたような表情になっていた。
「いや…何。 あんな場面を目の当たりにしたら、普通は放っておけないだろう?」
ホウ統は差し出した手を戻し、自らの外套をとるとの肩にふわりとかけた。
「でも…」
はホウ統から齎される優しい態度と言葉に顔を伏せ、声を詰まらせる。
今迄…特にここ数年の間、父以外の者から優しい言葉をかけられる事はなかったし、苦しい時に助けてくれる手もなかった。
それが今、初めて…。
再びこみ上げてくる激情には唇を噛み締める事で抗う。
いけない。
人を頼ってはいけない、と父上も言っていたもの…。
脚の上にあった拳をぎゅっと握りこみ、かぶりを振る。
『ホウ統様…。 貴方は、私が医師と知っていて助けたのですか?』
初めての事に戸惑いが隠せないが心の中で反芻する言葉は猜疑心に満ちたものばかりであった。
2007.2.7 更新