仮面の下の笑顔〜3〜

     第3章   〜 優しさに、触れる 〜











 ホウ統がを見たのはこれで二回目だった。
 自分の護衛兵を施設に連れて行った時、彼女は他の患者に治療を施していた。
 一見、その場が暖かい雰囲気に包まれているように見えたが…彼女と患者との間に深い、深い溝がある事に気付いてしまった。
 「医師は死や病を穢れに携わっている」
 という話を民から聞いたことがある。
 『穢れ』とは…。
 民も残酷な事を言うもんだねぇ、と彼は思っていた。
 人の命を救う事も出来るこの生業を、崇高だとは思えないのかねぇ、と。
 しかし、それでも彼女は耐え忍びながらもその仕事に対しての誇りを持っている。
 ホウ統はそんな彼女の姿に自分と同じものを感じていた。
 その彼女と、再会の機会が訪れた。
 先日、殿から直々に勅命を受けたのだ。
 「お前が以前寄ったという集落の医師の所へ行ってくれ」と。
 瞬間、彼の心が今迄ない程に躍った。
 そして「あっしらしくないねぇ」と苦笑しながらも、集落へと勇んで赴いたのだが…。





 まさか…このような形で再会を果たすとは、流石のホウ統自身にも予測不可能だった。
 心身共に傷ついているだろうその姿の傍らに腰を下ろすと、はびくっと肩を震わせ、ホウ統と距離を置くように身体を反対側へ傾けた。
 そして、ゆっくりと項垂れながら言葉を途切れ途切れに紡いでいく。
 「ホウ統様…。 貴方は、私を医師だと…知っていて、助けたのですか?」
 医師と係わり合いを持つ事が嫌われる世間の風潮故にの心に植えつけられた猜疑心。
 それを垣間見たホウ統は、一瞬腰を上げるとと距離を置いて前に座り直した。
 この娘の心を開かすのは至難の業だねぇ、と考えながら。
 さて…どうしたもんかねぇ。
 胡坐をかき、腕を組んで軽くう〜んと唸ったが…とりあえず、と口を開く。
 「勿論、知ってるよ。前にあっしの護衛兵が世話になった時…近くで働いていたじゃないか」
 目の前に座っている恩人の一言にはあっ、と小さく声を上げる。
 私の事…覚えていた?
 あれ程護衛兵を心配していたのだから…私の事など視界の隅にも居なかっただろう、と思っていた。
 ましてや医師の娘など…。
 それが、今…目の前に居る人は極々普通に言ってのけた。
 ………。
 両手で口を押さえたまま目を瞬かせるを見てホウ統はふふっと覆面の中で笑った。
 「そんなに不思議な事ではないだろう? まったく…お前さんは面白い娘だねぇ」
 「面白い? 私が…?」
 ホウ統の言葉にが更に目をぱちくりさせ、ホウ統も笑い声を更に高める。
 「そうさ。 お前さんは親から教えられなかったかい?『困った人が居たら助けてあげなさい』ってさ」
 「!!! …確かに、言われました…でも! 医師という仕事は………」
 目の前に居る人に伝えるべき言葉を探しながら次第に項垂れていく
 その様子を笑みを含んだ視線で見つめながら、ホウ統は言葉を続けた。



 「困っている人を黙って見過ごしたら…それこそ『人の道』から外れてる、ってもんさ。
 だったら…お前さんの仕事はどうだい?
 傷や病で倒れる人は、『困っている人』だって言えないかい?
 お前さんは立派な事をしている。
 医師の仕事を…誇りを持って続けているんだろう?
 そんなに自分を追い詰める事はないんじゃないかねぇ…」



 『自分を追い詰める』。
 ホウ統から言われた事にははっと息を呑んだ。
 世間の風潮に一番踊らされていたのは…実は私自身だったんじゃないか?
 医師の仕事に『誇り』を持っている、と自身に言い聞かせながら…実は自分で自分を卑下していただけなんじゃないか、と。
 かぶりを振り、改めて顔を上げてみる。
 すると、目の前に座っていた筈の人が既に立ち上がり、自分の方へ手を差し伸べている。
 「立てるかい?」と。
 はそれを見ると…今度は心のまま、素直にその手を取ることができた。







 「さて、そろそろ行くとするかね」
 ホウ統が立ち上がったの身体を改めて外套で包み込む。
 そして外套の前を合わせるように組まれた手を取り、前を歩き始めた。
 ホウ統の外套や手が意外と暖かい事に驚いていたは殆ど反射的に問いを投げかける。
 「えっ…? ホウ統様…。 行くって…何処へ?」
 「決まってるだろう? お前さんの家さ」
 「私の、家…?」
 「あぁ。 お前さん、親父さんから聞いてないのかい? 今夜の事を」
 父上から…?
 あっ!!!
 はやっと思い出し、自身の反応の悪さに可笑しくなって笑い出した。
 「あはっ…忘れていました。 貴方が、今夜軍から来る『使者』だったのですね」
 「…やっと解ってくれたかい」
 の口から漏れる笑いに、ほっと胸を撫で下ろすホウ統。
 このまま一生この娘の笑い声を聞かずに終わるかと思ったよ、と。
 そして施設へと歩を進めながらに向かって今夜の用件について語り始めた。





 「…私達を、『軍医』に?」
 「そうさ。 お前さん達の耳にも入っているだろう? あっし達の軍に決まった軍医が居ない事を」
 ホウ統はの訝しげな表情を湛えた顔に向かって頷き、更に続ける。
 「親父さんがあっしの護衛兵を助けた後、殿に報告したら…殿が痛く感激されてねぇ」
 「父上の仕事で、殿が感激された…」
 は自分の心に一筋の光が差し込まれたように感じた。
 私達のやっていた事は…決して『間違い』ではなかった、と。
 そして、それによって齎された『軍への仕官』。
 それは、の父が常に言っていた事だった。『何れは軍のために働きたい』と。
 願ったり叶ったりじゃないの…。
 は心の中で思いながら、その隅で新たに視界が開けた気がした。





 施設の前に着き、二人向かい合って立つ。
 ホウ統はに裏口の方を指差し、相変わらずの緩やかさでに指示をする。

 「その格好…親父さんに見せたら心配するだろう。
 お前さんの事はあっしの方で上手く言っておくから。
 とりあえず直ぐに部屋に戻って着替えと…、あとその髪をなんとか隠してから来るといいよ」

 「また後で会おうや」と手をひらひらさせるホウ統に深く、深くお辞儀をし、裏口からそぅっと自身の部屋へ戻る



 は部屋に入るや否や、破れた服をさっと脱ぎ、屑篭へ勢い良く放り投げる。
 それと共に、は過去のくよくよした心を捨てた。
 そして、大部屋で父親と話をしているだろうホウ統に向かって…自分の決意を、ようやく口に出した。







 「私、前を見て歩き出します。
 それは…貴方から言われたからでなく。
 自分の意志で。

 だって…。
 その勇気を、貴方が…くれたから………」











                    







 2007.2.10 更新