心の中の住人










 かしゅっ…。



 私の愛用品、ピンクシルバーのライターから心地いい音がして、火が点った。
 僅かに鼻腔を擽るオイルの香りと、程なく立ち上る紫の煙。
 私が、この味を覚えてから…長い間馴染んでいるもの。
 それを唇の端で支えたまま部屋の天井を見上げる。



 でも、これは私自身が起こしてる行動じゃない。
 目の前の男が、している事。
 本来はこの世界に居る筈のない人がこんな事…と最初は流石に思ったりもしたけど…。
 見れば見る程『カッコイイ』その仕草に、私は釘付けになる。
 無双の武将さんで、ここまで煙草の似合う人は居ないだろうな…なんて考えながら―。





 『あの時』から、だだっ広い1LDKの一人住まいに大きな住人が増えた。
 三国時代で名を馳せた…隻眼の猛将、夏侯元譲。
 どうして彼がここにやって来たのかは未だに解らない。
 彼が、元の世界に帰る方法も………。
 時折、それを話題に出す私に
 「今更じたばたしても仕方がないだろう。 今は…お前が居れば充分だ」
 と、どっしり腰を据えて私に言ってくれる元譲。
 流石は百戦錬磨の猛将、といったところ。
 かの人と離れた場所に居る彼の心中は穏やかじゃないだろう。
 でも、それを億尾にも出さずに私を安心させてくれる。
 私を、愛してくれる。





 何時かは離れ離れになるかも知れない、何とも不安定な関係。
 だけど…
 私は感謝せずにはいられない。

 今、目の前に…傍に居てくれる男(ひと)と。
 あの日…どん底だった私の心を救ってくれた、あり得ない出来事に―。











 その日は…私にとって人生最悪の日になる筈だった。
 チェーンの居酒屋の店内、オヤジ達の下品な笑い声やら合コンらしき盛り上がりを尻目に…
 私は、彼氏にフラれた。
 「。 お前は強いから、一人でも生きていけるよな」
 って…最高で最低な捨て台詞まで吐かれて。


 今更、一人で生きていけって?
 「俺と、共に生きていこう」
 って、甘い言葉で私をオトしたのは誰だっけ!?


 居酒屋に一人取り残された私は、それから自棄酒を煽った。
 自分で「危なっかしいなぁ」って思うくらい足元をふらつかせながら部屋に帰って…。
 買い置きの赤ワインを片手に、ほとんど無意識にゲームのコントローラーを握ってた。
 私のストレス解消アイテム『三国無双』。
 かなり酔っ払ってたから操作がメチャクチャだったけど、そろそろクリアというところまでこぎつけた。
 でも、私が操作してた陸遜が夏候惇を撃破した瞬間。
 煌々と点いていた部屋の明かりが落ちて、暗転した―。





 停電の時間はほんの数秒だった。
 再び部屋に明るさが戻り、ほっと胸を撫で下ろす。
 まぁ、停電が長く続いたらそのまま寝ればいいんだけどね…。



 …おい。


 ん?
 今、惇兄の声がした気がするんだけど…。
 空耳?

 …今夜は流石に飲み過ぎたみたいね………。


 「おい、返事をしろ」


 今度ははっきり聞こえる。
 …あれ?
 こんな台詞、無双にあったっけ…?


 直後。
 「いい加減、気付け」
 何者かの手が私の肩をぐっと掴んだ。
 反射的にその方向を見やる。


 「………う、ううぇぇぇっっっ!? とっ…ととと惇兄っ!?」


 ぐらぐらになっていた私の酔いが一気に醒める。
 思わず、後ろに飛び退きながら日頃呼んでいる名前を喉から押し出してしまった。
 だって…。
 今迄ゲームで散々斃したり、操作したりしてた人がそのまんまの姿で私の肩を掴んでいたから。



 目の前に居る男が私に言う。
 「そんなに驚くな」
 …あの、この状態で驚かない人が居たら会ってみたいです、私。
 「その名で呼んでいいのは淵だけだ」
 …あの、今はそんな事言い合ってる場合じゃないと思うんですけど…。





 実感のない現実に、本当に飲み過ぎたんだと思い至る。
 これは、酔いが生んだ夢だ、と。
 そう思ったら醒めていた酔いがまた回ってくる。
 私は目の前の男に、傍らに置いてあったワインの瓶を差し出し
 「…こっちの世界のお酒は口に合わなさそうだけど…とりあえず、飲む?」
 ほわん、とした頭で酒を勧めていた。





 部屋にはテーブルもソファもあるのに、床にどっかと胡坐をかいて私が差し出すグラスを当たり前のように受け取る夏侯惇。
 そして、私が瓶の中身を注ぐと…鼻をグラスに突っ込み、徐に臭いを嗅いだ。
 「ふん…。 このような物では、とてもじゃないが酔えんな」
 「でしょうね」
 「何故、お前に解る?」
 「うん…なんとなく。 だって、武将さんて皆お酒に強そうな感じがするから」
 想像だけの私の台詞に「そうか」と短く答えて、夏侯惇はグラスに入ってるワインをぐい、と一息に飲み干すと
 「甘いな…しかし飲めないものではない」
 とちょっとだけ顔を顰めて苦い笑みを零した。
 やっぱりな…と思いながら私も同じような表情を浮かべて自分のグラスを手に取る。
 すると、夏侯惇は私が頼みもしないのに黙ってワインを注いでくれた。
 見ず知らずの者同士(いや、私は知ってるけど)、静かに酒を酌み交わす―。
 不思議と、居心地の悪さは感じない。

 暫く空気に晒されたワインは、さっきよりちょっと甘く感じた―。





 ワインが空になり、冷蔵庫の中を見ていた私は「これだ」と冷酒を取り出した。
 ほんのりピンク色に染まる瓶に詰まったそれは行き付けの酒屋さんでしか売ってない代物で、私のお気に入り。
 味が混ざるといけないから、新しいグラスを夏侯惇に手渡す。
 すると、キンキンに冷えた冷酒をグラスに注ぐ私に向かって彼が不意に口を開いた。
 「未だ、お前の名を聞いてなかったな」
 「…? あぁ、名前ね。 私は。 よろしくね」
 「…、か。 なかなかいい名だ」
 夏侯惇から言われた意外な一言。
 私は照れくさくなりながらも目の前の人に微笑みを向ける。
 「ふふ…ありがと」


 と、ここで私の頭の中に一つの疑問が持ち上がった。
 直ぐに気付いたままの疑問を夏侯惇にぶつける。
 「ねぇ、貴方の事は何て呼べばいい?」
 「俺、か。 ………、この世界ではどのように呼ぶのが常なんだ?」
 「う〜ん、微妙…。 人によって違うし…」
 私が迷いながら「どうしようか?」と言うと、同じように首を傾げながらグラスを弄んでいた彼が一つ頷いて口を開く。
 唇に、微かな笑みを乗せて。
 「ならば、お前の好きなように呼ぶといい。 流石に『惇兄』は遠慮して欲しいが」
 「了解。 …じゃ、字(あざな)で呼んでいい? 結構好きなんだ、貴方の字」
 私が身を乗り出してこう言った直後、夏侯惇の様子に変化が現れた。
 僅かに紅潮した顔は酒の所為ではない、と思う。
 ポリポリ、と自分の指で頭を軽く掻きながら
 「初対面の女に字を言われるのは…流石に気恥ずかしいが。 これも何かの縁だ、構わんぞ」
 逸らす事のなかった視線をちょっとだけ外して私のワガママを聞いてくれた。
 やっぱり。
 こういうワガママも通用するのも…夢たるが所以、だわね。





 「…深酒ではないのか?」
 他愛のない話に混じるような自己紹介も既に終え。
 もう何本目になるかな…。
 新しいお酒を持って来ようとしてふらっと立ち上がった私に夏侯惇…もとい、元譲がぽつりと問いかけるように言った。
 私を見るその目は最初見た時から変わらない。
 だけど…。
 ゲームで何時も見ていたクールな雰囲気が少し影を潜めてるみたいだ。
 なんとなく、優しく感じるのは…私の思い込みかな。
 それとも、戦を離れれば皆こんな感じなのかな…?
 そんな事を考えながら
 「まだ大丈夫だと思う。 アタマははっきりしてるし、呂律もしっかり回ってる」
 足には来てるけど、と答える。
 すると
 「それを『深酒』と言うのだ…。 『自称・酒豪』の癖に、そんな事も解らんのか」
 呆れたように立ち上がって私の肩を抱く元譲。
 驚くほど、スマートな動き…。
 それは多分…足元が覚束無い私のためにしてくれた、何気ない行動なんだと思うけど。
 何処か勘違いする自分が心の中に居た。
 顔が紅潮し、心臓が高鳴るのを自覚する。

 …いいよね、これは夢だから。
 一時の、情に溺れても………。

 「だって、今夜は我を忘れるくらい酔いたい気分なんだもん」
 私はこう言うと…





 ↓ 中編へ続く ↓





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 (但し、一つ目は裏仕様となります。 ウザイと思いますが…分岐ページが開きます)




 元譲の厚い胸板に身を寄せた。
ちょっとだけ、甘えるつもりで………。




 元譲の視線から逃れるように下を向いた。
自嘲気味な笑みを含んで………。






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