それじゃぁ後はよろしく、と私は我が本拠を後にした。
仕事を離れ、訪れた場所は何時ものところ。
だけど、今夜は特別――今回の事に決着をつけるべく、私は 『あの日』 と同じ服を着て扉を開ける。
「よく来た、」
何時もと違う声に出迎えられて、奥に歩を進めていると不意に震える携帯電話。
ディスプレイに並ぶ文字に、自然と笑みが零れる。
『作戦成功!検討を祈る!』
そう、そもそもの首謀者は私。
普段から色気の欠片もない彼の人に微妙な女心?を解って欲しくて仕組んだ作戦は、頼もしい友人を巻き込んで順調に進んでいる。
だけど、未だ 『完全成功』 じゃない。
私はメールの画面を切り替えると、ある場所へ簡単な一文だけメールを送った。
――この結末は未だ、誰も知らない――
知らぬは奴ばかりなり 〜煌きは心の中に〜
「とりあえず、ここまでの成功に」
奥にある何時もの席に着くと、二人は既に用意されていたノンアルコールのシャンパンで乾杯をした。
今夜の指名相手――店長の曹操も至極満足げに杯を上げる。
「これが同伴であれば更に面白くなったのだろうがな、よ」
「いやそれは遠慮しといた方が正解だと思うよ、店長さん?」
流石に店先で痴話喧嘩?なんて嫌だし、と苦笑を浮かべつつ店の扉をちらりと見やる。
先程のメールから数分、彼が飛んで来るのならそろそろのタイミングだ。
すると、の予想通り――
バンッ!!!
「いらっしゃいま――って惇兄? 今日は休みじゃ――」
「……………淵、は何処だ」
「いやいやいや惇兄、そんな顔してたらお客さんが――」
「今日は非番だ、俺が何をしようと勝手だろう――は奥だな」
程なく店の扉が勢いよく開き、渦中の人が現れた。
案の定、苛立ちを隠せない様子でこちらに向かってずかずかと歩いて来る。
彼の只ならぬ様子に出迎えた夏侯淵はただただ動揺するのみ。
しかし一瞬目の合った自身から笑顔でウインクされると、やれやれと手を上げつつ引き下がった。
そして、奥の席に座るの前に、彼の人が立ちはだかる。
「………」
「どうしたの惇兄? 今日は非番じゃなかったっけ」
「話は聞いたぞ」
「話?」
「とぼけるな。 俺が知らぬところで孟徳に誑かされたそうだな」
先程バーで聞いた話を殆どそのまま語る夏侯惇の顔は不機嫌そのもの。
それもそうだ――今迄自分にしか興味を示していなかった筈の上客?が突然他の者に鞍替えしたのだから。
しかも話では互いにまんざらではない様子。
彼の心の中はどうしてこうなったのか疑問に思う前に、裏切られたという想いの方が強いらしい。
と、この元凶と思われる曹操の顔を交互に睨みつつ夏侯惇はどういう事だと更に詰め寄った。
すると――
「すまぬな、夏侯惇。 はわしがいただいた」
「なん………だと?」
「はもっと大人の付き合いがしたいそうだ。 おぬしも今後は肝に銘じておいた方が良いな」
そのものズバリ言い切り、曹操はソファに身を沈めたままふんぞり返る。
更に隣を見れば、本来接待される側であるが曹操の杯に酒を注いでいるではないか。
その、何とも自然な光景にどうやら夏侯惇の怒りが最高潮に達したらしい。
得意げな店長にずいっと近寄ると、徐にその胸倉を掴んで乱暴に立たせた。
「俺を愚弄する気か………孟徳、幾ら貴様でも許さんぞ」
突如、この場が緊張感に包まれる。
幸いなのは、店の奥である事と夏侯惇の怒りが怒号になっていない事。
しかしこのままでは下手をすれば大惨事にもなりかねない。
と、ここでが二人の間に入り、夏侯惇の腕をがっしりと掴んで二人を引き離す。
そして――
「待って、惇兄。 今回の事は私に非がある。 責められるのは私の方だよ」
「っ! 、お前は――」
「話は後。 とりあえず外に出よう………これ以上皆に迷惑はかけられない」
腑に落ちない様子の夏侯惇と、未だ意味深な笑みを残す曹操の背を押しつつ裏口から外へと歩を進めた。
程なく、三人は人気の疎らな河原に到着した。
この場所なら、幾ら怒号を響かせても少々荒事になっても何ら差し支えはないだろう。
はさり気なく携帯電話で時間を確認すると、今にも曹操に殴りかかりそうな夏侯惇に満面の笑顔でごめんねと対峙する。
「………、何故ここで笑う」
「あは、だって惇兄が本気で怒ってるから」
「当然だ。 お前がいつの間にか孟徳と逢引していたのだからな」
「え?言ってなかったっけ? 曹操はただ、前の事件のお礼にって私を食事に誘っただけだよ」
「………? しかし、お前はその後孟徳目当てで通いつめてるとたちが――」
「それ、つい何日か前の話だよ? 昨日の今日でどう通いつめられるんだっての」
「いや、現に孟徳を指名していたではないか」
「あーもう!! とりあえずネタバレするから大人しくせーや!」
「……………ネタバレ?」
どうやらの返答で夏侯惇の思考がぴたりと止まったようだ。
言われるまま黙し、話の続きを待つ彼の様子を見ながらは優しく微笑む。
彼は解り易く、本当は可愛いところのある人なんだよね、と思いながら。
そして彼の様子に免じてこれまでの経緯を事細かに説明していった。
事の発端はかの事件の後、漸く時間の出来た曹操が店主としてをお礼の食事に誘った事。
そして、その話を聞いていた張コウが 『和服で行く』 というに待ったをかけたのが話を大きくするきっかけであった。
偶にはお洒落なデートがしたいと思う可愛い?女心を自分も持っているんだと教えるために仕組んだ、大掛かりで小さな悪戯。
二人のデート現場を押さえ、バーで写真を夏侯惇に見せながら彼の気持ちを煽る役目はと成実。
ある事ない事を吹き込むというのはある程度予測してはいたが、それはの想像の遥か斜め上を行っていた。
怒りを通り越してがっくりと肩を落とす夏侯惇を宥めつつ、は笑みに少々苦いものを加える。
「知らぬは俺ばかり、か………ふっ、まんまと謀られたわ」
「ごめんね惇兄、私もここまで話を大きくするつもりはなかったんだけど………」
「………その割には大層楽しそうだが?」
「あ、あはははは………でもね惇兄、これだけは聞かせてもらっていい?」
夏侯惇の指摘には流石に謝るしかない。
しかし、は一度確かめておきたかったのだ――彼にとっての自分の立ち位置を。
もしかしたら自分の考えとは違うかも知れないが、それでも。
先程とは逆に、今度はが夏侯惇に詰め寄る。
「ねぇ惇兄、今回の事で嫉妬した?」
「………それを聞いてどうする?」
「いやぁ、返答によったら今後の予定がガラリと変わるからね………で?」
「その様子ではもう解っているだろう、?」
「ふふっ、本当は惇兄自身の口から聞きたかったけど………今回は勘弁してあげるよ」
がウインクをしつつニッと笑顔を向けると、夏侯惇はもう既に何時もの調子に戻っていた。
満面ではないが、変わらずに向けてくれる笑顔。
店に来た時の様子と、今の笑顔――にしてみればこれだけで彼の心中が理解出来て大満足である。
ところが――話はここですんなりと終わらなかった。
「ねぇねぇホストさん達ぃ? こんな所で綺麗なお姉さんの取り合いですかぁ?」
「見苦しいですねぇ〜どっちか決着つかなかったら僕達が取っちゃいますよぉ〜?」
「まぁ決着つかなくても〜? 取っちゃう気満々ですけどぉ〜?」
酔っ払いなのか、はたまたただの馬鹿なのか。
数人のごつい男が軽口を叩きながら三人に近付いて来た。
そして、ボスらしい男がの腕を掴んでその顔にいやらしい笑みを浮かべる。
まさに、見るからに、ならず者の軍団。
だがしかし。
恐らく、彼らは数分後、盛大に後悔する事になるだろう――いろんな意味で。
「俺達に喧嘩を売った報いを受けろ、愚か者が」
「ナンパするのが悪いとは言わない、けど………相手が悪かった、ねッ!!!」
「んどぐぉぁっ!!!!!」
夏侯惇の拳とが隠し持っていた居合刀(模擬刀)の餌食となり、一瞬にして地に伏せる大男。
そしてはその背を追い討ちと言わんがばかりにハイヒールで踏ん付けつつ上着を脱ぎ、一本の紐を解いた。
はらり。
その瞬間、この場の誰もが目を見開いて呆気に取られた。
ドレスのふんわりとしたスカート部分が取れ、タイトなスタイルに変貌する。
ここにはもう、しっとりとした大人の女の姿はなく、好戦的な女戦士が立っている。
「………、その格好は――」
「あーごめん惇兄、また話は後だわ。 とりあえずこいつらを何とかするのを手伝って」
「………応!」
ニッと口角を吊り上げながらが二振り下げていた居合刀の片方を差し出す。
そして、それをさっと受け取っての背に己のそれを合わせる夏侯惇。
二人の間には最早、何の蟠りもなく。
その瞳には突如現れた共通の敵に向かう楽しげな光が宿っていた――。
数分後――
累々と積み上げられたならず者を見下ろしつつ、不敵に笑い合う夏侯惇と。
しかし、次の瞬間――
「お疲れ様、惇兄。 いい前菜になったでしょ」
「………? どういう事だ、?」
夏侯惇の問いには答えず、は今迄すっかり忘れ去られた存在の曹操に向き直る。
「さて、と………待たせてごめんね、曹操」
「ふっ、これまでの経緯、わしも楽しませてもらったのでな。 これは貸し借りなしであろう」
「では………と言いたいところだけど、ついでにあと幾つかごめんねって言っていい?」
「ん?――あぁ、これからの話か。 仕方ない、此度は夏侯惇にその座を譲ってやろう」
「やったー♪ って、実は最初からそのつもりだったんだけどね」
「な、何っ!?」
「ごめんねー店長♪ 私、もうこの先惇兄としかデートしないから!」
今回は本当にありがとね!と色々な意味での謝罪にしっかりとお礼を加え、悪戯っ子のような笑みを浮かべつつ夏侯惇に再び視線を移す。
勿論、何が起こっているのか解らずに戸惑う夏侯惇の手をしっかりと握って。
踵を返す背後で店長が何かしら声を上げているが、ここまで来たらもうの耳には届かない。
「孟徳が何やら言っているが」
「むふっ、気にしない気にしない! さて、時間もないから早く着替えてリベンジデートするよ!」
「リベンジ、だと?」
「うん! 曹操と一緒に行ったレストランに今夜2人で予約入れてるから〜」
「………成程、お前は孟徳すら騙していたのか………ははっ、見上げた奴だな」
ここに来て、どうやら夏侯惇もの思惑が解ったようだ。
曹操は言わばダシ――この作戦が完全に成功したらアフターにでも何でも付き合ってあげるといい顔をして巻き込んだのだろう。
だが、結局は元の鞘におさまった二人。
今彼女が着ているドレスの料金も今夜のレストランの代金も全て曹操が払っているのだから、にしてみればホクホク、曹操にしたら泣きっ面に蜂である。
半分呆れたような笑い声を上げる夏侯惇の手を引きながら、これからのデートに胸を躍らせる。
この先彼の態度が変わろうが変わるまいが、今の彼女にはどうでもいい事だった。
「えーと、スーツは更衣室に一着はあるよね〜それでいいか。 これ以上彼女に迷惑をかけられないし」
「彼女?」
「いやいや、こっちの事。 惇兄、早く早く!」
「お、応!」
それは簡単な事――オトナのデートがしたければ、自分から誘えばいい。
特別なものなどなくても、二人はそのままが一番なのだ。
だから――
「あ、もしもし? そっちは大丈夫?――うん、こっちは大成功♪――ありがとう、野郎共の労いは頼むね〜」
夏侯惇の支度が終わるまでの間、は自分も身支度をしながらある場所に一本電話を入れる。
この悪戯、仕上げはこれにて終了。
流石に誰も結末は予想していなかっただろう――そう、首謀者ともう一人――氏康を除いては。
「待たせたな、」
「いやいや! うん、惇兄決まってるぅ〜♪」
「………お前もなかなか似合っているぞ、そのドレス」
「言うのが遅ぉぉぉいっ!!! ………って、しゃーないか」
夏侯惇の左側に陣取り、文句を言いながらもちゃっかりと腕を組む。
会話だけを聞くとこれから大人のデートに向かう雰囲気ではないのだが、これも二人の仕様。
「では改めて、しゅっぱーーーっつ!」
こうして二人はリベンジデートをすべく、夜の街へと消えた――。
おまけ(オチ)に続く♪
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