切り札はここにある 〜間奏〜






 ――もしかしたら――

     あの時から、二人の運命は変わり始めていたのかも知れない――










 始まりの剣歌(けんか)
     〜 『切り札はここにある』  間奏 〜











 遠くの地平が見渡せる、小高い丘――

 ここには哀しくも戦地で散った兵の亡骸が多く眠っている。
 その一つ――美麗な二本一対の剣が突き刺さる場所に、一人の女が立っていた。

 「またしても久しく来る事が出来なかったな――すまない」

 女は墓標代わりの剣を地から抜き取ると、慈しむように手入れを始めた。
 時を経ても剣が美麗なままなのは、彼女が手入れをしているからに他ならない。
 こうして、女は時折この地を訪れる。

 ――かつて恋仲だった男と、対面するために――





 「――やっぱりここだったのね、………お邪魔?」

 手入れの終わった剣を鞘に収め、瞳を閉じている彼女に突如かかる聞き慣れた声。
 振り返ると、そこには思った通りの笑顔があった。

 「………か。 いや、いい………君もこいつと話でもしてやってくれ」
 「ありがとう、………じゃ、遠慮なく」

 が立ち上がると、と呼ばれた女がその場にしゃがむ。
 墓前に手を合わせるでなく、静かに瞳を伏せる親友にはふっと微笑んだ。



 ――あの時と、同じように――













 ここ、鍛錬場は何時来ても暑い。
 日差しが容赦なく照りつける季節は勿論、雪がちらついても可笑しくない陽気でもこの場は熱気に包まれている。
 今日も太陽が昇りきる前からたくさんの兵が思い思いの方法で己の武を磨いていた。
 そんな中――

 「さぁ、この私にかかって来る人はもう居ないの!?」

 ちょっとした人だかりの中心、地に膝を付く兵を尻目に大きく吼える女が居た。
 彼女は女の身でありながら一兵卒より武将へと見事に昇格した兵――である。
 はじめはこの大抜擢に周りの者から『色目を使った』との声も上がったのだが――

 「………貴女が強すぎるんですよ、

 傍で見ていた陸遜の言うように、一度でも彼女の武を見れば誰も文句は言えなかった。
 その勇ましくも明るい女戦士に、勝負を挑もうとする勇猛果敢な兵は少なくない。
 しかし、彼女を倒す事が出来るのは名だたる武将のみであった。



 と、その時――



 「ここにも君のような女が居たか――安心した」



 の武勇を遠巻きにして眺めていた人だかりの中から現れた一人の女。
 彼女は微かな笑みを浮かべながらに真っ向から対峙する。

 「………あら、貴女見ない顔ね」
 「ここは初めまして、と言っておこうか………私は、本日付で孫呉の将となった」
 「新入りさん?」
 「まぁ、そんなところだ」

 の問いに短く返すと、と名乗る女は直ぐに剣を鞘から抜く。
 そして、緩んでいた頬をきゅっと引き締めつつ得物の切っ先を相手に向けた。

 「殿、手合わせを所望する」







 数刻後――

 結局、二人の手合わせは引き分けで終わった。
 互いに体力の限界まで打ち合ったがそれでも勝負はつかず、二人の身を案じた陸遜が「そこまで!」と止めに入ったのだ。
 仕官して直ぐだというのにと互角の勝負をしたに、周りの者たちは目を白黒させながらも感嘆の息を漏らす。
 その様子を知ってか知らぬか、息を切らしながらその場にへたり込む
 背中合わせに座る二人の顔には、何処か清々しいものが感じられた。



 「………やるわね」
 「………君もな。 どうやら君となら上手くやれそうだ」
 「それは、どういう意味かしら?」

 「そのままの意味だ。 これから宜しく頼む、
 「ふふっ………こちらこそ! 宜しくね、!」





          





 方やは私設傭兵団の参謀出身、方やは小さな村から出稼ぎのような形での仕官。
 過ごしていた環境から性格まで違う二人だったが、親友となるには然程時間がかからなかった。
 共に戦い、背中を預け合う――二人にはこれだけで充分だったのだ。
 そして二人の友情は何時しか、恋人との絆よりも深い結びつきとなっていった。

 そんなある日の事――



 「………ちょっといいか」

 いつもの鍛錬が終わり、自室へ帰ろうと思っていたの背中に声がかかった。
 声の主は、かつて傭兵団の団長をしていた男での恋人――楽陵である。

 楽陵はの目のないところへを呼び出すと、開口一番思いがけない事を口に出す。
 「と、婚姻したいんだ」と。
 彼らの付き合いは数年――と陸遜が恋仲になってからの付き合いよりもずっと長いらしい。
 は何も言わなかったが、はてっきり二人は既に婚姻を済ませていたものと思っていた。

 「今更、と言えばそれまでなんだが………何か、けじめをつけたいと思ってな」
 「ふぅん………で? 何でそれを私に言うわけ?」
 「………っ! お前な、少しは察してくれよ」

 が少々意地悪く率直に返すと、直ぐに顔を赤らめてそっぽを向く楽陵。
 それを見ては本当に解りやすいわね、とクスクス声を上げて笑った。

 この楽陵という男――
 が「直ぐに顔に出る、面白い奴なんだ」と楽しそうに語るように、物凄く解りやすい男だった。
 今の彼の様子を見ると、大方言い難いから背中を押してもらいに来たんだと容易に察する事が出来る。
 恋仲になってから数年――本当に今更のような感じだが、にとっては物凄く喜ばしい事だ。
 親友には一番幸せになってもらいたい、と思うのは当然なのだから。
 しかし――

 「何でまた、よりにもよって戦の前に決心したのよ?」

 そう、今は戦の前の大事な時期。
 一軍を率いる将たるもの、身体は勿論の事、精神的にもしっかりとしていなければならない。
 それなのに、今婚姻の話をに持ちかけたら――



 「いや、今だからこそ、約束したいんだ………共にまた、帰って来るために」
 「ふふ………死なないためのお守り代わり、って事ね」



 それならば納得がいく。
 婚姻の約束があれば、絆も武も更に強くなるだろう。
 普段は冷静で心の動きをあまり見せないも、きっと喜ぶに違いない。

 「だったらその事も含めてはっきり言ってやんなさいな。 決める時に決めるのが男ってもんよ!」
 「あぁ! に言ったら吹っ切れたよ、ありがとうな」
 「どういたしまして」



 意気揚々と去っていく後姿を見送りながら、は嬉しさに目を細めた。
 未だ婚姻の『こ』の字も出て来ない自分の事はどうあれ、親友がどんどん幸せになっていく。
 今のには、先の見えない乱世でも幸せは何処にでもあるんだと思えた。



 そう、この時までは――





          





 その戦は、苛烈を極めた。
 敵も味方も同じような勢いで進軍し、また同じように斃れて行く。
 乱戦の連続で、我が軍も疲労困憊の感が否めなかった。
 そして――



 「――楽陵!」



 ついに、その時が訪れた。
 決してあってはならない、否――あるなんて思いもしなかった事――



 がその声に気付いた時には、もう遅かった。
 視線の先にあるのは、鮮血を吹き出しながら倒れる男の体躯と、それを愕然と見下ろす親友の姿。

 「、楽陵が………楽陵が、私を、庇って………」
 「解った! 解ったから今は楽陵の傍に居てあげて! アンタたちの軍は私が貰い受けるわよ!」

 はこう言うと、直ぐにと楽陵の護衛兵へ指示を出していった。



 ――冷たい奴だ、と罵られても構わない。
    どんな事があろうとも今は戦の途中なんだ。
    大事な人が倒れた事に心を動かしていいのは――



     ――今は、貴女一人だけだから――










 この戦は、苛烈を極めたまま痛み分けで終わった。
 長期戦となり、両軍ともに疲弊しきった軍を退かざるを得なかったのだ。
 勝利を掴む事が出来なかったと落胆するか、はたまた敗戦とならなかった事に安堵するべきか――
 これは、誰にも答えが出せるものではなかった。



 「――とりあえず終わったわよ、
 「………あぁ………あの時は取り乱してすまなかった」

 医療班が待機する拠点に着くと、は直ぐにと楽陵の元へと通された。
 親友に声をかけると、彼女の返事を待たずに楽陵の傍に跪く。
 鮮血を吹き出した傷は綺麗にされ、ぱっと見ただけでは眠っているようなその姿。
 しかし――

 「………やはり、間に合わなかった」

 の言うように、青白い彼の顔からはかつて見せてくれたどんな表情もすっかり失われていた。
 生気も、何も感じられない身体。
 人は――命を失うとこうも変わってしまうのか――



 医療班の面々が気を利かせてくれたのか、天幕の中は今がらんとしている。
 冷たい静けさが支配する中、楽陵の亡骸をじっと見つめるだけの
 その瞳は先程まで泣いていたのか、赤くなっていた。

 「………泣き足りなかったら、無理しなくていいのよ」
 「はは、涙はもう打ち止めだ。 これ以上泣いたら、こいつの身体が早く腐ってしまうからな」
 「ふふ、貴女らしいわね」

 の冗談めかした言葉に、は僅かに笑いを零す。
 しかし、目の前で愛しい人を亡くしたの心は計り知れない。
 本当はもっと、泣きたいだろう。
 いや、それよりも………自分の所為で命を失ったという罪の意識に苛まれているのかも知れない。
 彼女は強い――だからこそ脆い女、だから。

 だが――



 「楽陵は………彼は、愛する貴女を護って、戦って死んだ………立派だった、と言うべき、よね」



 は哀しい気持ちを抑えながら口を開いた。
 しかし、こみ上がる気持ちは留まる事を知らず、ついには涙として溢れてくる。



 ――貴女の恋人が死んだから悲しい、それだけじゃない。
 こんな時、親友に掛ける言葉が見付からないのが、哀しいんだ――



 「君が泣いてどうする」
 「………っ、だっ、て………、がっ………」

 「………ありがとう、



 はこう言うと、微かに笑いながらの頭を撫でる。
 これでは立場が逆だ。

 それでも、二人の心は少しづつ元の静けさを取り戻しつつあった。



 「………奴がな」
 「うん」
 「楽陵は最期………私の顔を見て微笑ってくれたんだ………」



 ――私はもう、それだけで充分だ――













 「昔から君は泣き虫だったな、
 「ちょ、ひどーいその言い方っ!? 否定はしないけどっ」
 「………でも、君のおかげで私もここまでやって来れた」

 楽陵、君も感謝しなくてはな………



 あの時から――
 親友が恋人を失ってからも、の態度が変わる事はなかった。
 陸遜との仲を見せびらかすでもなく、遠ざけるでもない。
 そして、彼女は気が付くといつも傍に居た。
 以前よりも、ずっと――



 「さぁさぁ、昔話はこの辺にしときましょ。 私は先に帰るわね」



 あとは彼とごゆっくり、と手をひらひらさせて踵を返す
 見る限りではどうやら挨拶がてらの様子を覗いに来たようだ。
 大方、ここ最近の態度が気になったのだろう。
 何処までもお人好し………その辺は君と同じだな、とは墓前で笑った。





 次の戦いも遠くない。
 その時、自分はどんな気持ちで戦に赴いているのだろう。

 この、不安定な心を抱え込んだままで………



 「楽陵………君に、合わせる顔がないな」



 かつて愛した人が携えていた剣を再び地に刺すと、はぽつりと呟いた。



 揃いの剣に、そっと唇を寄せながら――










               












 アトガキ

 こちらは、続いているようで続いてないような休憩的なお話なので、本編の中に混入www
 (でも、外伝っぽくアトガキを特別に書きます)

 こちらの連載を開始した当時、実は彼女らの詳細設定がはっきりしていませんでした(汗
 そんなに重要性もないと思っていましたので。
 しかし、そんな時にある方から『二人の過去が気になる』との声を頂戴しまして。
 そこで浮かんだのがこのタイトルとお話です。(Mさん、ありがとう!)

 『腐れ縁』てのは特に意味はありません(本人達の談、なので)。
 それでも、ヒロイン二人の繋がりが少しでもお解りいただけたでしょう。
 私自身も更に彼女らに感情移入出来るかとv

 因みに――
 の彼氏の名前(楽陵:がくりょう)は変換ナシの方向でひとつ。

 次章からはしっかりと軌道修正します〜(笑


 2011.06.10   更新