切り札はここにある 〜6〜
六 ―親友―
陽が地平に沈み、群青色がこの世界を支配する宵――
昼間は鍛錬や執務で忙しない人々も、今はそれぞれに安穏とした時間を過ごしていた。
それはここに居ると陸遜も例外ではなく、床に寝転がりながら二人の世界を堪能している。
筈、なのだが――
「――というわけなのよ。 どう思う、伯言?」
「が、ですか………少々厄介ですね」
今夜は少々勝手が違っていた。
の語る話の内容は勿論、態度がおかしくなった親友の事。
これまでは何があっても包み隠さず、言いたい事を言い合っていたと。
しかし、あの一件――街でのひと悶着以来、彼女は度々考え込むようになった。
何か悩みがあるのだろう、とが声をかけても「いや、私は大丈夫だ。心配するな」の一点張り。
本人がそう言うのならこっちが口出しする事じゃないけど、とは困ったような笑顔を陸遜に向ける。
「は貴女よりもずっと大人ですからね」
「何よ〜その言い方〜」
「はは、いい意味で、ですよ。 貴女が見せる子供の部分と大人の部分、それがいい均衡を保っているんです」
「………何か上手く言いくるめられてる感じだけど、まぁいいわ」
とが親友となる前から二人を見てきた陸遜だ、放つ言葉は実に的確だった。
その辺はも至極理解している。
は大人でしっかりと地に足が着いているが、その強さゆえに脆いところもあるのだ。
そう、あの時――恋仲だった男が命を落とした時のように。
確かに表向きでは執務も鍛錬も、親友とのやり取りも何時もと変わらなかった。
しかし数日後、はこっそりと見てしまったのだ。
想い人と揃いに作らせたという剣を抱え、涙する親友の姿を――
心の傷はそう簡単に癒えるものではない。
親友にかける言葉が見付からず、その時は時が解決するのを静かに見守っていたのだが――
「でも、が一人で思い悩むのは見ていられないわ………あの時とは違うもの」
「うーーーん………原因が掴めない事には何とも言えませんね」
「原因、かぁ………」
二人揃って腕を組み、思案に耽る。
どうやら流石の知将も個人の心の奥底までは読む事が出来ないようだ。
そして――暫く沈黙の時が流れた。
沈黙の中、はと共に過ごした時間を思い付くまま遡る。
蜀漢との戦いを奇策で切り抜けた時。
処罰を強いられている自分に、毎日のように付き合ってくれていた時。
街に出た際に遭った事そして――それからの親友の様子。
「………あ」
「何か解りましたか、?」
「うん………ううん、何でもないわ」
ここで一つ思い当たるものが見えたは声を上げたが、続く陸遜の質問には答えずに言葉を濁した。
いや………濁さざるを得なかったのだ。
心の中に、何となくだが嫌な予感が過ぎる。
まさか………ううん、そんな筈などないわよね。
しかし否定しようと思えば思う程、その予感が大きく膨れ上がっての心を支配していく。
ここまで来てしまっては黙って見守るなど出来るではない。
訝しげに見つめてくる陸遜を尻目に、立ち上がって扉へと踵を返す。
そして――
「? こんな時分に何処へ――」
「ごめん伯言! おやすみ!」
己を引き止めようとする恋人の手をやんわり振り解き、廊下へと身を躍らせた。
「………今夜はおあずけ、ですか………」
が去り、その場に取り残された陸遜はぼそっと独り言を零す。
しかしその顔には残念そうな色は全くない。
いや寧ろ、今のの態度に笑みすら浮かべていた。
――どうやら、も何かを掴んだようですね。
それだけでも、今宵はよしとしましょうか――
――言えるわけ、ないじゃない。
廊下を小走りに進みながら、は心の中で呟いた。
先程から膨れ上がる嫌な予感は、未だ不確定要素。
更に言えば自分の親友に限ってというご都合主義な感情もある。
しかし、だからと言ってもあの人に言える事と言えない事があるのだ。
自分の中にある仮説が、本当だとしたら――
――ううん、考えたって仕方ない。 とりあえず本人に確認してみなきゃ。
己の中に潜む負の部分を振り払うようにかぶりを振る。
どちらにしても親友が思い悩んでいるのなら、力になりたいと思うのは当然。
思い立ったら、相手が寝ているだろう時分でも直ぐに行動してしまうところは彼女の長所なのか短所なのか。
はの部屋へ向かう足を更に早めた。
「、こんな時間に悪いけど入るわよ」
程なくは親友の部屋の前に到着し、当たり前のように声をかけつつ扉を開けた。
返事がないところを見るとどうやら寝ているようだが、それでも構わずに部屋の奥へと歩を進める。
何時ものならば、人の近付く気配で直ぐに姿を見せるのだが――
「………あれ?」
は部屋の様子を見回しながら小首を傾げた。
整然と片付けられた質素な部屋は何時もの通りなのだが、問題は寝床だ。
そこはが寝ているどころか、寝ていた形跡もない。
寝ている途中で『もよおした』のであれば、一々綺麗にして部屋を出るような面倒な事はしないだろう。
だとしたら――
「………何処、行ったのかしら」
部屋の真ん中に立ったまま、は思考を凝らした。
が一人で足を運ぶ場所は幾つか知っているが、こんな時分に行けるような場所はない。
それに、今は乱世――迂闊な行動は命取りだ。
無鉄砲な自分はともかく、慎重なが軽はずみな行動を起こすなどには考えもつかなかった。
一時の後――
は一応外を一回りし、再びの部屋に戻って来た。
途中で会った付きの女官の話では
『ここのところお疲れのご様子で、早い時間にお休みになる事が多くなりました』
との事。
更には、その先の時間は朝まで部屋に入らないよう言われているそうだ。
女官の話と今ある状態を併せて考えると、はしばしばこっそり抜け出しているとしか思えない。
「………っ」
先程まで心の奥底に押し込んでいた気持ちが再びこみ上がる。
親友としてはこのままを放っておいた方がいいのか、事の真意を突き止めた方がいいのか。
質素な作りの椅子に腰をかけ、考え込む。
その心境は、まるで帰りの遅い夫をやきもきしながら待っている妻のようだった。
この世が乱世であっても、明けない夜はない。
大いなる力を帯びた太陽が地平から顔を出し、群青の空は鮮やかな朝陽色に塗り替えられていく。
そして、一際早起きな鳥が囀りを始める頃――
は、漸く帰って来た。
誰にも見られないよう、細心の注意を払いながら自室の扉を開ける。
すると――
「っ!!!………………」
部屋の中央、この部屋に相応しい地味な卓に突っ伏して眠っている親友を見つけ、僅かに声を上げた。
夜通し馬を駆って来た疲れが何処かへと吹っ飛ぶ。
どうしてがここで眠っているのか。
いやその前に、こうも早く自分の行動がばれた事に狼狽した。
何時かはばれると思っていた。
己の愚かな行動を、親友に責められる時が来るのは解っていた。
だが――
「――っ」
は親友を起こそうと手を伸ばしたが、直ぐに止めた。
その手はぎゅっと握られたまま、行き場をなくして下ろされる。
――今、を起こしたところでどうなる?
こいつの事だ、間髪入れずに詰め寄って来るに違いない。
その時、私は一体何を語ればいいんだ?――
何処までもお人好しな親友。
彼女はきっと、の心境を察して辛い思いをするだろう。
それでも――
――私は、話さないでは居られない――
かぶりを振り、親友の冷え切った肩に上着をかけてやる。
そして壁に掛けていた得物を手に取ると、は優し過ぎる寝顔を尻目に扉へと踵を返した。
誰にも聞こえない、言葉を残して――
「馬鹿だな、君も………………私も」
クンの行動の真意は――!?
………まぁ、大体お解りでしょうが(汗
しかし、どーなるんだこのカップリング(←他人事
2011.12.20 更新