切り札はここにある 〜5〜
五 ―胎動―
「――悪い、今日は一人で出かける」
数日後――
作成を手伝っていた兵器が予定の数に達し、は漸く処罰から解放された。
早速休みを貰い、街へ行こうとを誘う。
しかし、彼女から返ってきたのがこの一言だった。
………おかしい。
の様子が何時もと違う事に、は訝しげに小首を傾げた。
今日は――いや、今日だけではない。
ここ数日のは、何をしていても何処か上の空なのである。
楽しげに話をしていたかと思えば、直ぐに考え込む。
そしてが声を掛けると、思い出したようにかぶりを振りつつ作り笑顔を見せるのだ。
これは何かに悩んでいる、って事よね?とは勘繰った。
付き合いも数年となれば、自ずと相手の心中を察する事が出来る。
それが親友となれば尚更の事だ。
しかし、悩みの原因が何処にあるのかがには思い当たらない。
実家が何者かに襲われた?………いや、それはないわね。
親兄弟は健在だって言ってたし………
の兵は、皆従順で頼もしい人ばかりだし………
う〜ん………
「ねぇ………どうしたの?」
こちらが悩んでいても仕方がない。
そう思ったは、即行動と言わんがばかりに訊く。
元々、互いに隠し事をしない間柄だ。
今回も直ぐに答えが聞けるだろう、と笑顔で相手の返事を待つ。
しかし――
「いや、大した事ではないんだ。 じゃ、行って来る」
の思惑を覆し、何とも曖昧な答えを残して踵を返す。
しかもその背中にはこちらに有無を言わせない何かが感じられる。
「ちょっと………んもう、帰ったらただじゃおかないからね!」
あっという間に小さくなる親友の背中に、は敗者のような台詞を投げかける。
腕を組んで不貞腐れるその心には、少しの怒りと共にを心配する気持ちが混在していた。
が街へ足を踏み入れて直ぐ、少々大粒の雨が降って来た。
街の人々は通りすがる人の事も気にかけず、足早に家路を急ぐ。
しかし、突如忙しなくなる街の様子を他所には広場の休憩所からのんびりと街並みを眺めていた。
雨か………これは好都合だな。
の顔に僅かな笑みが零れた。
これだけの雨ならば自分の正体も隠してくれるだろう。
先日の一件で街の人にも面が割れてしまっている以上、迂闊には動けない。
しかしは一人、危険を覚悟でここを訪れた。
それは何故か――?
は、確かめたかったのだ。
この心に芽生え、胎動し始めた気持ちが何なのかを。
――かつて己が愛した者と、とてもよく似た男。
戦の邪魔になる、と拒み続けていた想いが思い起こされたのか、否か。
そしてそれが、再び自分の心を傷つける事になるのか――?
何となく、ここに来れば解るような気がした。
思いがけなかったが、ここは彼と自分が再会した場所。
はあの時、理屈では語れない何かを感じていたのだ。
そして数刻――
が帰ろうと腰を上げた時、それは訪れた。
突如通りの向こうに見える影。
護衛を引き連れている様子のないそれは、雨を避けるでもなくゆっくりとこちらに近付いて来る。
刹那、の心臓が跳ねるように脈打った。
遠くからでも解る。
奴は――
しかし一方での心は揺れ動く。
待ち人来たりとて相手は敵将。
しかも今は雨降りで街の人々も居ない。
もしかしたら出会い頭に斬り付けられるかも知れない、とは咄嗟に身構えつつ太腿に隠し持っている武器の感触を確かめた。
だが――
「そんなに警戒しないでくれ、殿。 私も此度は視察で来ているわけではない」
揺れるの心を他所に、待ち人は更に歩み寄りながら両手を挙げる。
よく見ると、と同様に得物を携えていない。
体の何処かには何かしらの武器を持っていると思うが、目の前の様子を見る限りでは自分と戦おうという気はないらしい。
ここでは漸く己の構えを解き、口を開いた。
「このような雨の中で散歩か、姜維殿?」
心なしか声が震えているように感じる。
これは敵将と対峙した時の緊張か、それとも己が恐れているものによるものか。
は平静を装いつつ相手の反応を覗う。
すると――
「………ここに来れば、貴女に逢えると思っていた」
一瞬の間の後、相手から伏し目がちに語られる言葉。
それは奇しくも、がここに来た理由と同じものだった。
思いもかけない一言に、は一瞬言葉を失う。
目の前に叩きつけられた、偶然というものでは括れない事実。
「………実は私もそう思っていたんだ、姜維殿」
やっとの事で喉から声を絞り出しながら、は更に高鳴る胸の鼓動を感じていた。
それから暫く、二人は時の経つのも忘れて語り合った。
家族の事、鍛錬の事、そして親友の事。
はじめは互いに警戒していたのかぽつりぽつりとしたものだったが、次第に楽しげなものになる。
それでも、軍の内情にまで話が及ばなかったのは流石だが。
最早二人の間に仕える軍の違いなど関係なかった。
だが、心の何処かに燻るものがあるのも事実。
――この人は何故、敵軍の将なのか――
は、己の気持ちを知ってしまった。
頭の中で恐れていた事がどんどん現実となっていく。
あれだけ恋をしないと誓っていたのに、よりにもよって敵将に心を奪われるなど――
これは報われない想いだと解っている。
何時か、この人を討たねばならない事も。
だけど――
今だけ。
今だけは――
空は何時しか晴れ上がり、斜陽が力を失っていくのがよく見えるようになった。
そろそろ、別れの時――
「………すまない、姜維殿。 こんな時間まで付き合わせてしまって」
「いや、私も殿と話が出来てよかった」
どちらからともなく手が出され、握手を交わす。
――一瞬だけ、繋がれた手――
はそれだけで充分だった。
これで、何時もの私に戻る事が出来る、と。
これは、ひとときの夢物語。
恋を忘れた女が見た、一瞬だけの夢――
しかし、運命の歯車は既にを巻き込んでしまっていた。
踵を返すその背中に、男の声が響く。
「また、こうして私と逢ってくれるか――」
それは、極上の媚薬だった。
ついさっきまで諦めて、強制的に消そうとしていた心の炎が再び燃え盛る。
しかし、それをは辛く感じていた。
痛む胸に手をぎゅっと押し当て、そして………
差し出された媚薬を惜しむように唇を噛み締めると、は姜維に背を向けたまま一気に駆け出した。
「! 私はここで、待っている――」
背中に響く声に、何も返さず――
続く。
の方がメインヒロインぽくなってる希ガス(汗
さて、次はちょいと外伝的なお話になります。
休憩がてら、読んでくださいね。
2011.03.23 更新