切り札はここにある 〜4〜
四 ―機転―
「きっ………貴様!? 孫呉の………っ!?」
の挑発紛いに吐かれた言葉で、この場は瞬時に緊張感に包まれる。
それもそうだ――今、この場に敵将が現れたのだから。
未だ物陰に隠れてと姜維の様子を見ていたにも、この緊張感がひしひしと伝わって来る。
しかし――
――面白い事をしてくれるな。
突如相棒が危機に陥ったにも関わらず、の顔には笑みが零れた。
彼女の頭には、一体どのような考えがあるのだろうか。
こうしている間に、この場は一触即発の雰囲気に呑まれていく。
挑発された張本人も顔色をすっかりと変え、姜維に従っている兵たちは挙って得物に手をかけた。
「貴様、我が軍の地で姜維様を侮辱するような行為、許すまじき事なり!」
「そこへ直れ! 成敗してくれる!」
跪いたままのに敵兵の得物の切っ先が一斉に向けられる。
が首を僅かでも動かそうものなら、その刃の一つが間違いなく肉に食い込むだろう。
それでも、は動じずにその顔に笑みを浮かべる。
すると――
「待て」
「待ってくれないか」
緊張の糸が張り巡らされたこの場に、二つの声が重なった。
一つは兵を率いる姜維の、そしてもう一つはのものだ。
物陰から何時飛び出したのか?
は素早い動きでの傍に立つと刃を向ける兵を警戒しつつ姜維に語りかける。
「連れが失礼な事をした。 すまないが、先ずはこの人たちの得物を下げさせてくれないか」
「貴様は――」
「君と会うのはこれで二度目だな、姜維殿。 私は、君の言うように孫呉の将だ」
「敵将を目の前に、得物を下げてくれとは………少々都合のいい考えだな」
目の前に、奇しくも先日刃を交えた軍の将が丸腰で居る。
この状態で得物を下げるような輩が居る筈はない。
今こそ、労せずして敵将を捕らえる好機なのだ。
こちらが低姿勢になっても変わらない敵の態度。
緊張の面持ちで得物を構える敵兵を見回し、は軽く溜息を吐く。
「やはり………簡単には見逃してくれないか」
「当然だ。 抵抗すればここで斬るだけだぞ、殿」
「そうか。 ならば――」
刹那、女武将二人の瞳が光った。
一瞬の目配せで全てを察したのだろう、が敵兵の一人に足払いをかける。
そしてが体制を崩した敵兵の得物をぶん取ると、目の覚めるような速さで敵兵を捕らえた。
奪った得物の切っ先はしっかりと首筋に当てられている。
が見遣ると、一方のも足払いをかけた後、更に一人を軽く倒して得物を奪っていた。
これで形勢逆転、か――?
「さぁ、どうする姜維殿?」
「くっ………」
この瞬く間の出来事に、姜維は声を上げる事も出来ない。
だが自軍の兵が捕われたとしても、所詮は多勢に無勢。
捕われた兵を犠牲にすれば、彼女らを捕えるのは容易い事だ。
しかし――
「………やはりな、仁君の下に居る将だけの事はある」
敵兵を人質にしながら、は優しく微笑んだ。
――彼女の考え、ここにあり――
誰でも、平穏な地で無駄な殺生は起こしたくない。
それが仁君の治める地であれば尚更だろう。
この、敵軍の甘さを逆手に取る事をは考えたのだった。
「貴様………卑怯な」
「卑怯、とは? はは、丸腰の私たちに得物を向けたのは君たちの方が先だぞ………笑わせるな」
「くっ………ならば殿、此度の事は見逃そう………その得物を下げてくれないか」
案の定、目の前の男はこの状態に観念せざるを得ない。
他の兵たちに得物を下げさせ、にも同じ事をするように言う。
そして自分たちの身に危険がなくなった事を確かめると、ここで漸くは捕えていた敵兵を解放した。
「協力、感謝する………殿」
「敵の領地とはいえ、私も民の目の前で本格的な戦闘はしたくないからな。 それに――」
「それに?」
「君の優しさも見る事が出来た。 ありがとう」
「殿――」
「では、また会おう………姜維殿」
踵を返した刹那、一瞬だけ振り返って姜維の姿を見る。
その顔には、相手と同じように穏やかな笑みが零れていた――。
「今日は楽しかったわね、」
「あぁ………偶にはあぁいった一触即発な雰囲気もいいな」
あれから一時の後――
二人は何事もなかったかのように本拠地へと帰って来た。
一歩間違えばとんでもない事態になりそうな事に遭遇しても、彼女らにとっては楽しい出来事の一つと数えられてしまう。
この辺は、二人の一軍を率いる将たる所以だった。
しかし――
「一触即発、がどうかしましたか?」
「「………げ」」
今、二人の背後に最大の敵が襲い掛かる。
この事件を一番知られたくない人――陸遜だ。
今回の街中散策については特に護衛を付けていないし、誰にも言っていないから先ずばれる事はないが――
(、ちょっと黙っていろ)
解りやすいでは何か言いようものなら直ぐにばれてしまう。
そう思い、はを後ろに下げて陸遜に対峙する。
そして、適当に作り話をしながらこっそりと苦笑を浮かべた。
――機転を利かすのは姜維殿よりも陸遜を相手にする方が骨だ、と――。
その夜――
「陸遜には、悪い事をしたな………」
はひっそりと夜の帳が下りた孫呉の本陣から僅かに離れ、独りで月見をしていた。
このような遠征は何度も体験しているし、独りの夜も慣れている。
しかし、やはりも人だ。
――今頃、と陸遜は――
二人の仲睦まじい様子を想像して寂しくなったのか、膝を抱える腕に力を込める。
人恋しいと言えば簡単だが、偶には人の温もりを欲してしまうものだ。
――恋人、とはどういうものだっただろうか?
かつて愛していた男の事を思い出す。
彼も、とても面白い奴だった。
の言動に一々反応し、直ぐに一喜一憂するような表情豊かな男。
しかし、その甘さ故に――
――を庇い、鮮血を吹き出す体躯――
自分は、愛する人が斃れて逝く様をただただ見ているだけだった。
それからだ――自分一人だけでも、強くあろうと思ったのは。
愛情など………甘さなど戦場では必要ない、と。
だが――
………!?
刹那、思い出す男の笑顔に姜維の姿が重なる。
ぶんぶんとかぶりを振り、その姿を頭から消し去ろうとするが時既に遅し。
一度焼きついたあの表情――最後に見せた穏やかな笑みは、最早の心を掴んで離さなかった。
――あぁ、そうか。
姜維殿は、奴に似ているんだ――
はは、と自嘲的に自分をあざ笑う。
気持ちとは――運命とは、何時、何処でひっくり返るか解ったものではないな、と思いながら。
運命は時に人を翻弄する。
かつて自分が最高に幸せだった頃はそれを笑ってさえいたのに――
「違う! これは運命ではない………私は、恋など………っ」
自分に言い聞かせながらも、は未だ離れない彼の人の笑顔に己の頭を抱えていた――。
続く。
恋愛フラグ、立ちました(笑
これからクール路線まっしぐら………の予定です。
2011.01.11 更新