切り札はここにある 〜3〜
三 ―遭遇―
我が軍が勝利で戦を終えてから、暫くの間は同じような日々が続いた。
は相変わらず、鍛錬の合間に兵器作成の手伝いをしている。
しかし幾ら自分が招いた事とは言え、偶には羽を伸ばしたいと思うのは仕方のない事。
そこで、を連れて街中の散策に行こうと思いついた。
遠征中に武将が近くの街を歩くのは些か危険をも伴うのだが、それが女性であれば警戒も薄らぐらしい。
それを幸いに、二人は挙って街へと出かけて行く。
二人の行動を良くは思わない陸遜を他所に、暢気なものである。
「おや、あんたたち………見ない顔だね」
「あはは…ちょっと旅の途中でね」
「そうかい、ここも最近は物騒だ………気を付けて行きなさいな」
「ありがとう、おばさん!」
言われた言葉に焦りつつ街の人と会話を交わす。
今は武装もしていないから一見普通の娘だが、一歩間違えば街の人から敵軍に情報が行ってしまう。
それでも、街の散策は止められない。
地元とは違う産物、装飾品を見ているだけでも充分に楽しいのだ。
日頃、男の多い所に身を置いている自分たちにとってはいい気分転換であった。
「はぁ………やはり外はいいな、」
「買い物も出来たし、何気に欲しい物も手に入れられたから収穫は上々ね」
ここは町外れにある休憩場。
二人は店で手に入れた点心をお茶請けに、暫し休息していた。
辺りでは同じように井戸端会議を愉しむ婦人たちや一心不乱に遊ぶ子供たちで賑わっている。
それは、どの街でも変わらない極々普通の光景だった。
しかし――
「おぉーい! 我らが蜀軍の視察が来てるぞー!」
突如、遠くから聞こえて来る声。
それは戦慄を含むものではなく、寧ろ歓喜に近いものだった。
通常軍の視察といえばもっと厳かな、緊張感を伴ったものであるのだが、蜀軍の領地ではそれはないらしい。
流石は人徳溢れる君主が治める地である。
しかし喜びに沸く街の人たちを他所に、の心中は穏やかではない。
万が一兵に見付かれば、最悪捕われてしまうだろう。
どうする――?
「いけない! 、早くこの街を出ましょう――」
「待て、。 大丈夫だ、今の私たちならば顔もばれやしない」
「でもっ………」
「いいか、これは敵軍の一部を知る絶好の機会だ………隠れて暫く様子を見よう」
親友の手を引きつつ慌てふためくに、が軽く諭す。
確かに、蜀漢の内情を知るには街の人に紛れ込むのも一つの手だ。
以前にその手で敵陣に上手く策を仕掛ける事が出来た事例もある。
だが、今回は軍略目的でこの地に来ているわけではない。
誰の命令もなしに、果たして危険を冒す必要が何処にあるのかとは思った。
それに――
「私たちの顔を見ている兵が来てたらどうするのよ」
敵軍の兵の中には前の戦で敗走して行った者も居る。
その一部が、この街に来ていたとしたら――?
珍しく、二人の立場が逆になった。
何時もであれば、敵軍のど真ん中でも突進していくがここでは慎重さを見せている。
そして通常はの抑え役であるが今は前に出ているのだ。
「気付かれたら、その時には私に考えがある」
「ちょ、何言ってる――」
「ほら、敵さんのお出ましだ………黙っていろ」
ひと悶着している間に、敵の視察がいよいよこちらに近付いて来た。
これでは最早静かに逃げる事も出来ない。
もう知らないからね、としぶしぶの提案に従う。
その心の中には、親友の行動に呆れながらも一つ思い出した事があった。
そう言えば私よりもの方が好奇心旺盛だったんだわ、と――。
敵武将が物陰に潜んでいるのも知らずに蜀漢の軍の視察は続く。
立ち並ぶ店の品揃えや蓄え等を訊き、街の治安も確かめているようだ。
これだけ大きな街だ、軍の息が大いにかかっていても間違いはない。
うっすらと笑みを浮かべてその様子を見ているを覗いながら、は背中に冷や汗が滲むのを感じていた。
刹那――
「奴だ、」
「えっ!? 何?」
「………先の戦で総大将だった男――姜維だ」
「ちょ、何ですってぇぇぇぇっ!?」
(ば、馬鹿! 大きな声を出すな! 気付かれるだろう!?)
小声で叫びながらはの口を己の手で塞ぐ。
もがもがと言葉にならない動揺を見せる親友に、今度は流石のも背筋が凍った。
今、視察は二人の直ぐ近くに居る。
しかもその先頭に立つ男が姜維であると解れば、迂闊に動く事も声を上げる事もままならない。
(これで見付かったら死刑どころの騒ぎじゃないって!!!)
(だから大きな声を出すなと言っただろう………全く油断も隙もない)
(いきなり言うアンタが悪いんだ、)
の言う事は尤もである。
突然面の割れている者の名前を聞けば、誰だって同じ反応を示すだろう。
しかし、今はそんな事を問答している場合ではなかった。
「………誰だ?」
((しまった!!!))
どちらの声に反応したかは解らないが、先頭の男が物陰に視線を走らせた。
前に出ていたは瞬時に身を更に小さくしたが時既に遅し。
「何を隠れているのだ――お前たちはここで待機していろ、私が行く」
引き連れていた兵をその場に残し、姜維自らが物陰へと歩み寄る。
その顔には隠れているたちに向かう猜疑心がありありだ。
こうなっては、息を潜める二人に最早逃げ道などなかった。
(これ以上隠れていては却って怪しまれるな………、ちょっと行って来い)
(えっ!? 何で私なのよ!!!)
(君ならば面が割れている可能性が低い)
(………あ、そっか)
考えてみれば、戦場にて姜維と直接戦ったのはの方だ。
は軍の後方を攻めていたし、あの攻撃の速さならば余程の視力がなければ彼女の顔を見る事はほぼ不可能。
面が割れていなければこっちのもんだ、とはあっさりと納得する。
それに、はその時には考えがある、と言っていた。
ならば、自分にもちょっと考えがある。
(、アンタの考えに私の身を預けるわ)
は親友に満面の笑みを向けると、物影からすっと飛び出して姜維と真っ向から対面した。
「失礼致しました………貴方様は蜀漢の軍師――姜維様と見受けられますが」
「………??? お前、ここの者ではないな」
「はい………私(わたくし)は、旅の者にございます」
拱手して男の足元に跪き、畏まった口調で語る。
これは今迄、ですら見た事のないものだった。
誰に対しても殆ど変わらず、君主に対してでさえも軽い態度をしてきた彼女がだ。
だが、物陰で驚きに目を白黒させる親友を他所に、と姜維の会話は続く。
「、と言ったか………お前は何故私の事を知っている?」
「クスッ………貴方様程の方であれば旅の先々でよく耳に致しますわ」
「そ、そうなのか?」
「えぇ。 若くして諸葛亮様に続く軍師になられた、それはそれは立派なお方だと」
刹那、の言葉に街の者たちが同意をするように反応した。
その羨望が含まれた視線の数々に本人は照れたように顔を伏せる。
それを見て、は人知れずほくそ笑んだ。
――の言っていた通りね。
親友は彼に対して『面白い奴だ』と言っていた。
何事にも直ぐ表情をころころと変える、軍師らしからぬ奴だと。
そこで、は咄嗟に思い付いた。
いっちょコイツをからかってみるか、と。
戦から離れた今となっては、この人の人となりも量り易い。
更に、連れのには考えがあると言う。
ならばここは親友の言う事を信じて、それに乗じてみよう、と思ったのだ。
「そ、それは確かなのか?」
「えぇ、それは私が直接聞いた話です、間違いありませんわ………それに」
「それに?」
姜維をこれでもかと言わんがばかりに褒め称えたのがよかったのか、相手は意識的に表情を引き締めながらもまんざらではない様子。
更にはの話の先を聞こうとすっかり食い付いている。
これはにとって好都合だった。
陸遜と全く違う反応を見せる男に、の瞳が楽しげにギラリと光る。
そして、俯いた顔を僅かに上げて姜維を見遣りながら口を開いた。
この男の、表情の変化を愉しみながら――。
「それに………先の戦で敵軍の奇策にはまり、見事な敗走っぷりを見せた、とか」
「なん………だと!?」
「ふふ………この目にしかと焼きついてましてよ、姜維様。 統率もなしに兵たちが散り散りに逃げて行く様子が、ね」
「きっ………貴様!? 孫呉の………っ!?」
続く。
早くもきょん太郎との再会?シーンです。
きょん太郎がカワイソウなことになってますが………ファンの方、すみません orz
そして次回、運命の歯車が動き出します。
2010.09.24 更新