切り札はここにある 〜2〜
二 ―武功―
「ふぅ………これで蜀の軍も暫くは動けなくなるな」
我が軍に抗う残党の姿が無くなると、は漸くその顔に笑みを浮かべた。
陸遜の策略を助けるべくが咄嗟に考案した策――大型兵器を崖から落とし、敵の混乱を誘う――は見事に成功。
敵軍は兵の全てを陸遜を討つために費やしていたらしい。
惜しくも総大将の首は取り損ねたが、敵の戦力を削げただけでも大きな収穫だった。
の考えた最悪の事態が徒労に終わり、我が軍も一安心といったところだ。
しかし――
「!」
「伯言っ! よかったわ、無事で――」
「………それはこっちの台詞ですよ。 また無茶な事をしてくれましたね、」
「私は軍の被害を最小限に止めるために動いたまでよ。 それが無茶だって何もしないよりかはましだわ」
「そういう問題ではないのです。 あれで上手く行かなかったら誰が姜維殿の軍を抑えるのですか!?」
「じゃ、伯言は私たちに味方が斃れるのを黙って見てろって言うわけ!?」
ふと後ろを見ると、親友と彼女の恋人がその場で突如口論を始める。
つい先程まで敵の意表を突いた事を褒めてすらいた陸遜が、を目の前にした途端にこれだ。
これは恋人を心配するあまりの言動なのだろうが、こんな所で言い争いをしていては兵たちの統率どころではない。
やれやれ、とかぶりを振ると、は二人の間に割って入った。
この遠慮なさも、の親友ならではである。
「、陸遜、その続きは帰ってからでもいいだろう。 今は後始末が先だ」
「! 貴女も貴女です………の策に加担するなど――」
「あーあーお説教も後にしてくれ。 お願いだから私の仕事を増やすなよ、お二人さん」
怒り心頭の二人の背中をぐいぐいと押しつつ、は笑みを零した。
これでも普段は誰もが羨むような恋仲だと言うのだから笑える。
喧嘩する程仲がいいとは良く言ったものだ。
戦の度にこれでは流石に煩く感じなくもないが、慣れとは怖い。
「帰ったら殿にたっぷり絞ってもらいますからね、、」
「伯言………そんなに怒ってると若くしてシワシワの爺ぃになっちゃうわよ」
「じっ…爺ぃっ!?」
「はっはは! やはり一緒に居て飽きないな、君たちは」
その後――
戦後の処理を終えた三人は漸く本陣に戻り、我が軍の殿――孫権に此度の報告をした。
勿論敵軍の総大将が諸葛亮ではなく、陸遜と同様の若き知将だった事も。
そして――
「私が止める間もなく、の危険な策が――」
「いいじゃないの、伯言。 勝ったんだから」
「そういう問題ではない、と何度言ったら解るんですか!」
「………申し訳ございません、殿。 こいつ等、戦が終わってからと言うものずっとこのような調子で………」
「安心しろ。 何時もの事だ、私も承知している」
此度の事も伝令から全て聞いているからな、と孫権は涼しい顔をして大きく頷いた。
流石は君主と言うべきか、殿の御前にも関わらず口論を続ける配下にも顔色一つ変えない。
否――二人の隣に居ると同様、すっかり慣れてしまっている。
――これでは陸遜の思惑も大外れに終わるな。
何処か親のような視線で二人のやり取りを見ている君主を前に、は些か場違いな笑い声を上げた。
「――気が済んだか、陸遜」
「ぜぇぜぇ………も、申し訳ありませんでした殿」
一時の後、まくし立てるようにへ説教を垂れていた陸遜が漸く君主に向き直った。
それを見計らって孫権は笑いを堪えつつ話を本題に移す。
此度の戦に対する武功の話だ。
前線に立って進軍の突破口を開いた甘寧、凌統両軍には既に孫権から褒賞が与えられている。
残るは、ここに居る三人のみなのだが――
「殿、此度の戦………には何も与えなくて結構です」
「な、何ですってぇーーー!!!?」
君主がの奇抜な策を褒め称えようとした刹那、またしても始まる大喧嘩。
ここが謁見場であるにも関わらずは陸遜の頬をうにっと掴み
「そんなふざけた事を言うのはこの口か、あぁ!?」
と、子供のように攻め立てる。
しかし、何時までもこの調子では話が一向に進まない。
は今にも取っ組み合いになりそうな二人を強引に引き剥がすと、いい加減にしろと諭しながらその間に陣取った。
「お待たせしました、殿」
「ははは………では、此度の褒賞だが――」
楽しげに笑いつつ、孫権から陸遜たちへの褒賞が語られる。
敵の総大将は逃がしたものの、最小限の被害で敵を退けられたのは最大の収穫。
加えて、陸遜の思惑を他所にの奇抜な策にも武功の目は向けられたのだった。
そして、三人に褒賞が与えられてから更に数日の時が経った――。
我が軍が居留地へ戻り、ここはつかの間の平穏を取り戻していた。
戦で疲弊していた兵も英気を養い、今は日々の鍛錬に明け暮れる。
そんな中――
「はぁぁ………あの策は流石にやり過ぎたか………」
たくさんの資材に囲まれて、額に浮かぶ汗を拭いながら盛大に溜息を吐く女一人。
計略兵に混じって大型兵器を造るのを手伝うのは、言わずと知れただった。
先の戦では最大の功労者とまで言われていた彼女。
しかし、兵器を大量に壊した事実は武勲だけでは拭えなかったのだ。
褒賞に加えて、には次の戦まで兵器を造るのを手伝うというちょっとした罰が科せられた。
「様、女の身では少々骨でしょう………辛かったら遠慮なくお休みください」
「ううん、大丈夫よ。 ありがとう」
自分の身を案じてくれる兵に笑顔で答えると、は止めていた手を再び動かし始める。
これは、言わば自業自得。
咄嗟の場面だったとは言え、我が軍の戦力とも言うべき兵器をいとも簡単に壊してしまったのだから。
そういった意味でも、はこのお仕置きを甘んじて受けたのだった。
「頑張ってるな、………食べる物を持って来たぞ」
「! 何時も悪いわね」
兵器の設計図を手に目を白黒させるの元にが訪れたのはそれから間もなく。
昼餉もろくに摂っていないだろう彼女に、差し入れを持って来たのだ。
はじめはその親友もの策に加担したという事から少々のお咎めがあったのだが、幸いにも言い出しっぺのまでは罰を受けなかった。
それでもは何かある毎にの手伝いをしている。
本人曰く『にちょっかいを出しに行っている』との事だが、何とも美しい友情だ。
「――ここは資材をこう切って繋げろ、って事だろう」
「あ、そっか………ありがとう、やっと解ったわ」
一人では解らない事も、二人の知恵を持ち寄れば理解出来る。
ぱぁっと表情を明るくするに持って来た点心を渡しながら、は笑みを返した。
――本当に、こいつは面白い。
はじめからそうだった。
書簡と睨めっこをしながら解らないと連発しているかと思えば、時折戦況を見極める鋭い瞳を見せる。
そして――此度の事だ。
女であれば恋仲である陸遜を一番に心配するのだろうが、しっかりと敵陣の様子も見ていた。
陣形の綻びを咄嗟に見定め、瞬時にそこを突く。
兵の分断を兵器で補うという奇策も、自分には考えもつかない芸当だ。
いろいろな意味で、にとって此度の戦はとても面白いものだった。
聞く人によっては些か失礼な思考回路だが、好奇心旺盛なにかかっては致し方ない。
そしてその好奇心は、親友の考えが及ばないところにも向けられていた。
此度の敵総大将――姜維の事である。
「しかし、兵器が落ちて来た時の総大将の顔は傑作だった」
「総大将………姜維って人の事?」
「あぁ。 陸遜と同じ知将らしいのだが………あの顔を見ている限りではまだまだ甘いな」
「あらあら、手厳しいわね………私もよく見ておくんだったわ、その人の顔」
「そんな事言ったら陸遜に殺されるぞ、」
の屈託のない笑みにツッコミを入れつつ、は再び彼の顔を思い出していた。
突如目の前に自分が現れた時の顔。
そして、兵器が大量に落ちて来た時に見せた驚愕の表情――。
どれも、初めて見る新鮮なものだった。
知将だと言われているにも関わらず、突飛な事態にころりと表情を変える。
何もかも、には純粋に見えたのだ。
腹黒い知将ばかり見て来たのだからこれは当たり前なのだろうが――
――これは、面白い。
は敵将にも関わらず、一人の男――姜維に興味をそそられていた。
続く。
この連載に関して、クールな展開を、と思っていたのに………
あれ?おっかしぃなぁ………(←仕様
ですが、恐らくギャグはこれで終了かと思います。
2010.9.9 更新