天を駆ける光〜Cross Road〜第3章
3 〜 幕舎に誘われる者 〜
未だ続く馬の旅…。
平原を疾走していた馬は、何時しか鬱蒼と茂った森の中に入っていた。
今迄感じた事のない風圧に、ひらひらとはためくスカートの裾を必死に押さえる。
それでも、次々に迫り来る木の枝は容赦なくに襲い掛かり…時には常に気を使っていた白い肌を微かに傷つけ、時にはステージなどで着ていたお気に入りのワンピースの端を僅かに切り裂いた。
うぅ…なんでこんな目に遭わなきゃなんないのよ…。
再びのイライラが募っていく。
視線を転ずると、自分を支えながら手綱を自在に操る青装束の男―司馬懿―があからさまに涼しい顔をしている。
…自分の事などお構いなし、といった風体だ。
こっちは必死なんだぞ!と八つ当たりに近い表情を司馬懿に向け、は再び文句を垂れ始める。
「ちょっとアンタ、私の事何だと思ってんのよ!?」
「何だ、とは…どう見ても女にしか見えんが?」
「当然じゃ、ボケ! …って、違ぁう! 私は…その『女』に対しての扱いがちょっとオカシイんじゃないのかって言いたいのよっ!」
これ以上痛い思いをさせる気か、と殆ど感覚がなくなってきたお尻を擦る。
このままでは…目的の場所に到着するよりも自分のお尻が更に大きく腫れるのが先か、といった感じだ。
すると――
「…すまん。 私も、お前の身体が振り落とされないよう支えるのに必死だったのでな」
司馬懿が手綱をくっと引くと…馬のスピードが僅かに落ち、迫り来る木の枝もの身体を傷つけるに至らなくなった。
…お?
意外だった。
の予想では「それ位どうって事もなかろう、馬鹿めが」とか言ってくるだろうと思っていた。
それを見越して、言い返す言葉も既に用意していたのに…。
自分の非を認めつつ、の思いを汲んだ司馬懿の態度に面食らいながら咄嗟に思いついた台詞を吐き出す。
「くっ…。 悪かったわね、重くてっ!」
…些か的を外れた文句だったが、それでもは何かを言い返さなければこっちの負けだと言いたげだった。
思わぬ優しさに頬を上気させながらもブーイングを繰り返す女に、司馬懿は僅かに笑みを浮かべると
「…間もなく到着する。 もう急ぐ事もあるまい」
今迄すまなかった、と頬をぷくっと膨らませて不貞腐れるの頭に軽く手を添えぽんぽんと叩き、手綱を再び引いた。
眼前に広がる景色が、何時の間にか開けていた――。
見知らぬ城下らしい町並みを抜け、大きな門が目前に迫る。
「…いよいよ、か」
は誰に聞かせるでもなく一言、小さく零した。
想像の世界…ゲームでしかお目にかからない世界が、間もなく――。
そこには大きな城が聳え建ち
数多の兵士が広場で鍛錬をし
知将や文官は執務室で書簡に何やら書き込み…
そして君主が、玉座にて武将を従えながらふんぞり返っている――
の頭の中にはゲームや小説で得た知識から、様々な場面が広がっていた。
元の世界に戻れるか、といった不安が付き纏っていたが…心の何処かでは違う世界が見られるという妙な期待も存在していた。
…案内人が司馬懿だから…向かっている先は魏陣営よね、多分。
だったら、玉座でふんぞり返っているのは…曹操か、はたまたその息子である曹丕か――
馬から強制的に下ろされ、さっさか前を進む司馬懿に遅れまいと必死に食い下がっている間も、想像の世界に誘われたような思案を繰り返していた。
しかし――
ギギィ………
実に物々しい音を響かせて真ん中からゆっくりと内側へ動く扉。
その開いていく扉の向こうに広がる世界を早く見たいと思ったは、まだ少ししかない隙間に首を突っ込んだ。
すると――
「………へっ?」
は言葉もなく、その動きをぴたっと止めた。
…何? この世界…。
こんな場所、ゲームにもテレビにも…小説にだって出て来ないよ…。
自分の目を疑いたくなる。
それもそうだ。
扉の向こうは…が想像していた世界どころか、群雄割拠の『群』の字も出ない程の和やかなムードが漂っていたのだから。
スポーツができそうな位大きな広場に、ゲームで見たり操作したりしていた様々な武将が集まっている。
しかも、陣営問わず、だ。
「…これが現実だ。 仕方あるまい」
隣にいる司馬懿の呆れたような言葉と繰り広げられる世界に…呆気に取られながらも、はその場から視線を逸らせずにいた。
武将達はそれぞれ、思いのまま過ごしているらしかった。
広場の真ん中あたりを見ると、劉備と孫権…何時もは戦場で睨み合っているだろう君主同士が囲碁の盤を挟み、談笑している。
その直ぐ傍には劉備の義弟二人と夏候惇が己のヒゲを触りながら、君主と同じく談笑していた。
視線を泳がせると…先程がPKで吹っ飛ばした張角が室内にも関わらず杖から火を放ち、近くに居合わせた祝融に蹴りを入れられている。
そして、ちょっと離れた場所では…関平の執拗なアタック(?)に苦笑を浮かべている星彩の姿も見えた。
見れば見る程あり得ない光景に瞳を白黒させるだったが…ふと外に面する縁側らしき場所で茶碗を片手に並んで座る二人の老将に目が留まった。
思わずそちらの方に足が向かい…程なく二人の会話が聞こえてきた。
「今日もいい天気じゃのぉ」
「うむ。 本日は風向きも良い…何をするにも良い日和であろう」
「ところで左慈殿。 …飯はまだかの?」
「…先程食したばかりではないか…っ !!! 黄忠殿、そなた…いよいよやられたか?」
「…はっはっは! 冗談じゃよ」
…何なの、この緊迫感のない会話は?
は、その辺にいそうな老人の会話にかくっと肩を落とした。
自分の中のイメージが、がらがらと音を立てながらだんだん壊れていく。
それでも懲りずに再び視線を走らせると、広場の片隅で真剣な表情をして何やら話をしている武将が二人…露出の多い出で立ちの男と、対照的にかっちり軽装の鎧に身を包んでいる男。
…あぁ、あれは凌統と甘寧か。
この場にが居たら…間違いなく嬉し過ぎて卒倒するわね。
は違った方向…同じ無双ファンであるの好みに思いを馳せながらも、彼らの真剣な様子に興味が涌き、足を向けた。
「…アイツらが言った『迷い人』、俺は男の方にこれだけ賭けるぜ」
「ふぅん…甘寧はそう来ますか。 俺としては可愛い女の子、がいいんだけどねぇ」
「じゃ、決まりだな。 凌統は女に賭ける、と…てか、お前って何かあるとすぐに女、だな」
「…そんな女垂らしみたいな言い方するなっつの」
…こんな場で賭けなんかするなっつの!
ん? ちょっと待てよ…今、『迷い人』って聞こえなかった?
再びがっくりと肩を落とし、屈んだ膝に手を付いた刹那、は彼らの会話にちょっと引っかかるものがあった事に気付いた。
それをきっかけに、今迄頭の隅に追い遣っていた思案を巡らす。
その『迷い人』って…もしかして私の事じゃ…?
だとしたら、彼らはもう私がここに来る事が解ってた、って事よね…。
…って言うか…ここは、一体どんな世界なのよ…?
自分が違う世界に飛ばされたのは解った。
それが偶然なのか、の『力』に何か別の力が加わったのかは…飛ばされてしまった後では知る由もない。
しかも、これはただの瞬間移動ではない。
かと言って過去に飛ばされたわけでもなさそうだ…何故なら、この場には昔の中国で活躍していた者ではなく、ゲーム『三国無双』のキャラが居座っているのだから。
…もう、どうなってるのよ…っ!
考えれば考える程に混乱していく頭を抱え、その場にしゃがみ込む。
その頭には、彼女が考えた中で一番最悪な思いが過っていた。
私、もしかしてゲームの中に飛ばされた…!?
「その件に関しては、私がお答えしましょう」
刹那、の背中に…この場面では救いと言わざるを得ない声が降り注いだ。
の頭にある思いを全て把握しているというようなその言葉。
涙目になりながらも振り返り、声の主を見上げる。
声の主は、哀れみを含んだ優しい微笑みをその顔に湛えていた――
続く。
2008.3.21 更新