天を駆ける光〜Cross Road〜第6章
6 〜 戦を教える者 〜
――それは、一瞬の出来事だった。
シャキン!
気が付けばの目の前に一つの影があった。
そして影が抜いた一閃の刃が、喉元でぴたり、と止まる。
白い首筋に描かれる緋色の線、そして――身体中を走る冷たいもの。
あ、私………今、死んだ。
これはまさに戦慄。
初めて感じる身の危険に、はこの世界が乱世だという事を痛感する。
彼女からしてみれば非現実――ここは仮初めの世界。
だが、この世界に来てしまえばそれは現実そのものなのだ。
小さく悲鳴を上げ、その場にへたり込む身体。
それを横目で一瞥すると、刃の主はここで漸くゆるりと得物を鞘に収めた。
この場は暫し静寂に支配される。
今迄緊迫感の欠片すらなかった幕舎に、突如戦場さながらの緊張が走った。
つい直前まで
「俺がヤツの手合わせをしてやるぜ!」
「あんたが教えたらろくな戦い方しなくなるっつの! ここは俺が手取り足取り――」
「お前こそ何教えんだよ!?」
と変な口論を繰り広げていた外野?も、この出来事に開いた口が塞がらなくなっている。
幕舎に居合わせる全ての者が、この展開を予想だにしなかっただろう。
所謂向こう側から来た異分子とも言える女に、突然刃を向けた男――
あ、こいつ………死んだ。
誰もがそう思い、固唾を呑む。
しかし次の瞬間
「………心配するな………死んではいない………」
娘に刃を向けた張本人の言葉でこの場に漸く時が戻った。
はっと我に返って僅かに痛み出した喉元を押さえるに、目の前の男が手を差し伸べる。
「………大丈夫か………」
「あぁ…死んだかと思ったぁ………って、ちょっとアンタいきなり何すんのよっ!!!」
「………別に………殺そうとは思っていない………」
「そーゆー問題じゃないわボケ!!! 怖かったんだからっ!!!」
が涙目になりながら訴えるのも無理はない。
実際の戦ならまだしも、このような場面で予告もなしに刃物を向けられたのだから。
だが、叫ばれた当の本人は何処吹く風だ。
今にも殴りかかりそうなの頭を軽く押さえつけながら言葉を放っていく。
冷静な男とどうしても冷静ではいられない女――
二人の奇妙な口論はこの後暫くの間続いた――。
「………驚かせた………すまん………」
「ぜぇぜぇ………わ、解りゃいいのよ…」
男の一言で、漸くの怒りは静まった。
と言うより――の方が叫び疲れて根負けしたという感じである。
肩で息をする姿はまるでかなりの距離を走った陸上選手のようだ。
すると、今まで完全に第三者を気取っていた諸葛亮が頃合いを見計らって徐に口を開く。
「――、これは周泰殿の指導役に立候補したいという意思表示ですよ」
「………俺が、お前に足りないものを教えてやる………」
「えぇ!?そういう事だったの周泰さんっ!?」
二人から聞かされる事実に素っ頓狂な声を上げるだったが、次の瞬間一つの結論が過ぎった。
何も言わないで攻撃してきたということは………ひょっとして私を試したのかも。
突然の事にどれだけ対処出来るか、とか武器が怖くないか、とか………。
そう思えば、彼の行動にも納得がいく。
だとしたら――何も出来なかった私の負けだ。
「周泰さん。 私も、貴方に教えてもらいたい――私に足りないものを」
今の事で何かを教えてもらった気がしたのか、は未だ決定していないのも構わずに頭を素直に下げた。
それには諸葛亮も特に否定する事がないらしい。
「いいでしょう…私にも異論はありません。 周泰殿であれば…途中脱線する事も、余計な事を教える事もありませんからね」
ちらりちらりと外野の方を見遣りながら唇の端を吊り上げた。
これには流石の外野?も
「何だと!? 俺だってな、面倒見がいい方なんだぜ!」
「時には脱線も必要だっての」
などと反論をしたのだが――
「私を賭けの対象にしたアンタらには教わりたくないわっ!」
というの一言でいとも簡単に一蹴されたのだった――。
それから――
今まで平和ボケしていたにとってこの世界での生活はまさに激動の日々だった。
鍛錬ばかりで体力重視になるだろうとの予想に反する現実。
戦場で戦うには戦略や兵法など――他の武将の足を引っ張らないような知識も必要だという事から、には机上の学習が数日置きに課せられた。
結局のところ、毎回飽きる事なく机上の学習に立ち会っている司馬懿曰く
「お前も本能だけで動く粗暴な猿とは言われたくなかろう」
という事らしい。
そして――
やはりこの世は乱世――机上の勉強よりも鍛錬の比率が高いのは言うまでもない。
今日も周泰との手合わせには熱が篭っていた。
「はぁっ!!!」
「………遅い………」
「――っ! くっそぉー! まだまだぁっ!!!」
自分の手から発するPKが難なく避けられ、周泰から手痛い一発を食らう。
それでも挫けずに突っかかるところは彼女の性格が所以か。
今しがた鍛錬用の木刀で殴られた頭を擦りながら周泰の涼しい顔をぎっと睨む。
すると――
「そこまで!」
未だ動き足りないと言わんがばかりに得物を構え直す二人を大きな声が制した。
その方向を見遣ると、場外に仁王立ちする周泰の主の姿がある。
「………孫権様………」
「周泰、そして…今日はその辺にしておけ。 続きは明日だ」
「………解りました………」
周泰にとって主の言葉は絶対なのだろう。
「折角やる気になってんのに止めんな!」
と息巻いているを余所に、手のひらを返したようにあっさりと後片付けを始める。
これは今始まった事ではない。
彼と鍛錬を始めたその日から、鍛錬終了の合図はこの鶴の一声ならぬ孫権の一声。
はその度に不完全燃焼な思いをその胸に抱いていたのだが最近、解った事がある。
――それは、合図の本当の意味。
始めは孫権が自分に対して嫉妬しているのだと思っていた。
何時も傍に居た周泰が何処ぞの娘に時間を割いている――その事が面白くないのだと。
だがある日、思ったよりも早く止められた後にそれは起こった。
――悔しくて地団太を踏んだ刹那、無意識にかくんと折れる膝。
孫権は自身の体力を考えていたのだ。
しかも、それを本人に言うでもなく鍛錬を止める事で知らせていた。
そして、主の意図を手に取るように理解する周泰。
思わぬ二人の優しさと絆の強さに、迂闊にも心が熱くなる。
しかし、それで終わらないのはやはり彼女の性格なのだろう。
自室へ帰る道すがら、どすどすと力いっぱい廊下を踏みしめつつ
「くっそ、明日こそ周泰さんに一発お見舞いしてやんぞー!」
拳を天高く振り上げるのだった。
2009.7.10 更新