天を駆ける光〜Cross Road〜第8章


     8   〜 思い悩む者  〜











 「本日はここまで! 、周泰………此度もよく頑張ったな」
 「………、後はゆっくり休め………」
 「ありがとうございました周泰さん! 孫権さんもお付き合いありがとうございました!」

 何時ものように孫権の一声で鍛錬が終わる。
 額に滲む汗を袖で拭いつつ、は精一杯にお礼を告げた。
 その顔には疲れていながらも充実感が滲み出ている。



 司馬懿にくっついての勉強、そして孫権と周泰から受ける鍛錬が繰り返されるようになってから幾日もの時が過ぎた。
 はじめは戸惑いや無力な自分への腹立たしさから発狂?する事が多かったも、次第にコツを掴んできたらしく鍛錬中に笑顔すら見せる事が多くなってきている。
 しかも、特に今日は今迄(不意打ち以外で)一撃も与えられなかった周泰に、一度だけではあるが自分の攻撃が命中したのだ。

 ――私も、少しは成長してるのかな?

 鍛錬に使っていた棒――周泰のお手製である――を丁寧に布袋へ入れながら、は小さく笑う。
 戦闘要員と言われていても、未だ実践には程遠く…未だ武将たちみたいに上手く立ち回れない自分が悔しかったりもするが
 『………その悔しさも…お前の力だ………』
 と周泰が言ってくれた事もあり、日々頑張るうちに手応えを感じるようになってきた。
 そして、今日の一発――

 零距離からのPKを囮にした得物での一撃。

 今迄PKを頼りにしていたとは違う攻撃に、周泰が不意を突かれた。
 急所ではないが、肩口に入った渾身の一撃に周泰はおろか、自分自身もかなり驚いたのは言うまでもない。
 しかし、多少の手加減があったにしても自分の攻撃が当たったのは事実。
 鍛錬が終わったの笑顔に、喜びが雑じるのも無理のない事だった。



 「………………」
 「えっ!?」

 よっこらせと腰を上げようとしたの頭上から不意に掛かる声。
 殆ど反射的に顔を上げると、そこには先程孫権と共に立ち去った筈の周泰が立っていた。
 自分を見下ろす周泰の何か言いたそうにしている雰囲気に訝しげになりながらも、はその場に立ち上がり、周泰と視線を合わせる。
 すると――

 「………いい顔になったな、………」

 思いもかけない言葉がの耳をくすぐった。
 これには流石のもツッコミを入れる余裕がなくなる。
 「ほぇ!? しゅっ周泰さん! いきなり何言うの!?」
 ぼっと顔を赤らめていい顔、という言葉に過剰な反応を示した。
 今迄、自分の『力』や武芸の成長具合に関しては誉められた事があったが、容姿については何も言って来なかった周泰。
 それが、突然『いい顔』とは………。

 「や、やだ…周泰さんってば………私の顔がいいだなんて、そんな――」
 「………違う………俺が言ってるのは表情だ………」
 「あっ、そう………ありがと」

 しかし、の舞い上がった気持ちは直ぐ後に吐かれた周泰自身の言葉によって一気に落とされた。
 心の中にやっぱりという気持ち、そして――

 ――なーんだ、ドキドキして損しちゃった。

 というがっかりした気持ちが入り混じる。
 ここはの女たる所以というところなのだろう。
 半分膨れっ面になりながら己の複雑な女心と周泰の淡白な態度に腹が立ってくる。
 なんだか、女扱いされていないような気がしてきたのだ。

 しかしそんな思考もまた、周泰の手によって遮られる。
 周泰の手にある得物から鈍く光る刃が抜かれ――



 ひゅんっ――



 「どわぁぁぁっ! こんな時に不意打ちなんて卑怯だよ周泰さんっ!!!」

 突如繰り出された周泰の何気ない一撃に目玉が飛び出る勢いで驚く
 それでも寸でのところでひらりと避けるところは流石鍛錬の賜物といったところだろう。
 刃を振り下ろしつつの一連の動作を見届けた周泰はここに来て漸くふっと笑顔を零した。
 そして既に鞘へと納まっている得物をの目の前に差し出す。

 「………これをお前にやろう………」
 「え!?」
 「………使ってみろ………今のお前なら、もう大丈夫だ………」
 「え、ホント? マジで!? ………やったぁーーーーー!」

 の心、再び急上昇の瞬間である。
 これまで鍛錬用の武器は持った事があったものの、には得物と呼べるような物がなかった。
 それが今回、ランクは落ちるが周泰の武器を譲り受けたのだ。

 ――武器の名は、『弧刀』。

 居合い斬りの剣筋から名付けられたこの刀は、周泰の持つ技を如何なく発揮するもの。
 俺が教えたお前にこそ持っていて欲しい、と周泰は続ける。
 その裏表ない言葉には喜びを更に身体全体から溢れさせた。

 それは、所謂『師匠』から得物を持つ事が許された嬉しさなのか、はたまた別の気持ちなのか――

 今のには未だ、解らない。
 しかし、素直に喜べない複雑な女心があるのは理解している。
 は周泰にありがとう、と礼を述べた直後――己の首筋を指差しながら、今心の中にある精一杯の悪態を吐いた。

 「お礼は言うけど………これであの時の事をチャラにしようと思ってもダメだからね!」







 一方その頃――

 「あの時? ………あいつ等の間で何があったんだ?」
 「俺が知るわけないだろうが!」
 「しゅ、周泰………私が居ないのをいい事に、に手を出しておったか………」
 「殿………とりあえず周泰さんも男だ、って事ですよ」

 物陰から二人の様子を見ていた外野。
 その心の中に変な疑惑が持ち上がっていたのは言うまでもなかった。













 その次の日――

 は昨日周泰から譲り受けた刀を胸に抱えながら物思いに耽っていた。
 今日は鍛錬も机上の学習もない、完全な休日。
 空も青く、雲の白ですら溶け込みそうな程澄んだ快晴だ。
 何時ものであれば、このように天気のいい日はじっとしているのも勿体無い、と誰かを誘って出かけているのだが――

 「………はあぁぁ………」

 広い中庭の片隅――縁側に腰を掛け、頻りに大きな溜息を吐いている。
 そう、は思い悩んでいるのだ。
 今胸に抱いている刀の元の持ち主――周泰に対しての気持ちで。

 勿論、にはしっかりとした恋愛経験がある。
 「自分は今モテ期だ!」と思えるような時もあった。
 しかし、男に対してこのような複雑な気持ちを持ったのは初めてだとは思う。

 ――周泰さんが、好き。

 恐らく、訊かれれば直ぐに答えられるだろう。
 殆ど毎日一緒に居て、時には厳しく時には優しく接してくれていれば自ずと気持ちが周泰に向く。

 「だけど、何か違うのよね………」

 の口から思わず独り言が漏れた。
 自分の中の『好き』という気持ちが、恋とは少し違うように思えるのだ。
 しかし、他の武将たちに対する『好き』とも違う。

 ――特別なんだけど、これは恋心じゃない――

 「んじゃ何なんだっつーの!」

 考えれば考える程腹立たしくなってくる。
 抱えていた刀を地に叩きつけようと振り上げるが、直後はたと手が止まった。

 『俺が教えたお前にこそ持っていて欲しい』

 周泰の言葉が頭を過る。
 あれは、どういう意味だったんだろう………?
 その時は手放しにただ嬉しいだけだったが…よく考えてみれば言葉の意味が物凄く深いように感じたのだ。
 再び刀を胸に寄せ、その場に座り込む
 刹那――



 「午後からは何をされるのですか、諸葛亮先生」
 「そうですね…ここは貴方がたに兵法の一つでも教えましょうか」
 「えぇ是非! よろしくお願いします丞相!」



 中庭を挟んだ向こうから三人の声がの耳に届いた。
 ふと見遣ると、諸葛亮とその後に陸遜、そして姜維が揃って渡り廊下を歩いている。
 会話の内容からすると、午後の予定を相談しているのだろう。
 しかし、よくよく見てみると諸葛亮の一挙一動に他の二人が瞳をこれ以上ない位に輝かせている。
 その姿はまるでご主人様とそのお付き、といった感じだ。

 三人の様子を見て、は直ぐにそれに自分と周泰を重ねてみる。
 だが――



 「………違う、あれはただの取り巻きだ………」
 「うわっ!周泰さん何時からここに!? っつーかいきなりアンタが私の心を読むなっ!」



 突然の張本人の出現にの心臓が喉から飛び出そうになった。
 周泰はの少々大袈裟な反応に微かな笑みで返すと、徐に彼女の隣に腰を掛ける。
 「………今日は、何処へも出かけないのか………」
 「うっ、うん………今日は、その、ちょっと体調が――」
 「………あぁ、あの日か………」
 「ちょっ! 周泰さんのバカ! もう少しデリカシーってもんを考えなさいよっ!」
 の咄嗟の言い訳に真面目な反応を見せる周泰。
 その様子に耳まで真っ赤になりながらは反論する。
 しかし、同時に感じた事が一つだけあった。

 ――この人は、私が思うよりずっと正直なんだ。

 思った事をそのまま包み隠さずに言ってくる、裏表の全くない態度。
 それは、の中には全くと言っていい程ないものだ。
 私は自分の考えを上手く表現できない天邪鬼――ずっと前から自覚していた。
 どうしても、素直になれない気持ち――
 だが、隣に居る人はいとも容易く自分を表現している。



 ――あ、そうか――



 刹那、は自分の気持ちに何となくだが答えが見つかったような気がした。
 胸に抱えている刀をそのままに立ち上がり、周泰に身体ごと向く。
 そして、たった今思いついた事をそのまま口に出してみた。



 「ねぇ、周泰さん。 …よかったらこれから鍛錬しない?」
 「………休まなくてもいいのか、………」
 「うん! 昨日よく眠ったし、大丈夫だよ!」
 「………ならば………少しだけ付き合おう………」
 「ぃよっし! ありがとう周泰さん!」







 ――周泰さん、貴方への気持ちは未だよく解らない。
    だけど、解った事が一つだけあるんだ。



    それは貴方が羨ましい、って事じゃなくて………



    私は貴方を、心から尊敬してるんだ、って――










続く。



                              












 2009.9.30   更新